ゴトウ アヤノ④
店長に申し訳ないと思いつつも、俺はその日以降、クローズに入ることをやめた。二週間分のシフトを予定として提出しているだけに物凄く心苦しかったが、背に腹は代えられない。
彼女にお礼を言えなかったことだけが心残りだが、また会うことはリスクが高く、俺以外は誰も喜ばないのだから。
急のことだから、明日だけは宜しくね。最近俺の様子がおかしいことに気付いていたらしかった店長は、何も訊かずに了承してくれて、昼間入った俺に、申し訳なさそうにそうお願いしてきた。そんな優しい態度に俺の方がいたたまれない気持ちになりながら、もちろん快く了承した。
あの店に夜、今日こそは明かりが灯るのではないかとそわそわするのも、もうお終いにしなければ。
仕事中、外に目をやるのもやめた。うっかり彼女を見てしまったりしたら、なんとか持ちこたえているこの決意は、あっけなく揺らいでしまう気がしたんだ。
それに今日は、冷たくてとびきり美味しいアールグレイが飲みたいという名目を掲げて、恐らくは様子のおかしい俺を見に、貴志と篠崎さんがこの店を訪れることになっている。勘のいい貴志に、余計な口を挟む隙を与えたくなかった。
正直ほっといてほしい、とは思っている。けどそう言いつつも話を聞いてもらいたいような複雑な気分でもあって、でも昨日の今日じゃ、頭は全然整理できていない。うまいこと説明できる自信もまるでなかったから……今日はやっぱりほっといてほしかった。
「元気ないねぇ」
広瀬さんにも心配されてしまう。こんなに顔に出やすい性格でもなかったはずなのに。
「元気ないんです」
素直に認めれば、よっぽど珍しかったのだろう。少しだけ呆けた顔になって、でも次の瞬間には困ったように笑っていた。
「そんなきみに、朗報だよ!」
そしてにっこり。芝居がかったように俺の肩をバンと一つ叩き、デッキへと誘う。
地味に痛かったし、ドアを開ければ熱された空気に体が押され、足が前に進むことを拒否してきた。余計な体力の消耗にげんなりしながら、何なんだと広瀬さんを仰ぎ見る。
「仕事しましょうよ」
「今は大丈夫。人が少ないから。それよりほらほら、向かいの店、見てごらんよ」
何でそんなに楽しそうなのか、意図を測りかねる。
けれども、彼女が勤める店に目を向ける大義名分ができたことに、浅ましくも少しだけ胸を弾ませながら、視線をゆっくりと正面へ滑らせた。
「ね? いるでしょ?」
……? いるって?
「は? 誰のことですか?」
「えぇっ? 心配してたじゃない、彼女のこと」
「彼女?」
彼女って、まさかゴトウさん?
そう言われてしまえば、瞳を忙しなく行き来させながら、最後に一度だけ、陽の下で動く彼女を見納めにと。
けれども、
「どこです?」
見当たらない。あんなに印象的な彼女が、どうしても見当たらない。
「え? マネキンの近くだよ。ピンクのワンピースにシニヨンが、清楚で可憐じゃない」
ふざけた様な声音が、急速に遠くなる。
マネキンの近く、ピンクのワンピースにシニヨンの女の子は、どう見ても一人しかいない。
でもそれは、俺の知ってる“ゴトウアヤノ”さんとは、顔も、背格好も、肌の白さも、何一つ、似ても似つかなかった。
俺の嫌な予感は、当たっていたというのか?
精巧な、ビスクドールのような彼女。
じゃあいったい君は、どこの、誰なんだ?
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