9.告白と、さよならと

告白と、さよならと①

 静かな図書室で盛大にあくびをかましながら、本特有のインクのにおいを胸に吸い込み、生理的に浮かんだ涙を押し込めるようにゆっくりと瞬きをした。

 いちおう調べ物をしている体で、適当な本を一冊手に取り席に着く。これまた適当なページを開き、大きく伸びをして……背もたれにだらしなく体重を預けた。


 窓から射し込む木漏れ日は、外に出れば大層鬱陶しいだろうが、中にいる分には最高に麗らかな午後を演出してくれる。もちろん心は、まったくもって麗らかなんかじゃない。


 昨晩は久しぶりに早く帰ったというのに、ちっとも寝付くことができなかった。だからといってじゃあここでならこのまま寝られるのか問われても、否なのだけれども。

 まあ状況は変わらなくとも、狭い部屋に一人でうじうじいるよりは、開放的な分いくらかこちらの方がマシに思えたのだ。


 視線の先、ちょうど俺の真上の天井でゆるく回転するプロペラみたいなやつを、ぼーっと眺める。最近わりといろいろな所で見かけるが、何て名前でどんな効果があるのだろう。

 扇風機? じゃないよなどう見ても。あんな高い天井じゃ、そよ風程度だって届きはしない。無難な線なら、空気の攪拌だろうか。室内を一定の温度に保つとか、エアコンの省エネ対策とか。

 とそこまで考えて、なんで大学の電気代の心配までしてやらなくちゃならないんだと馬鹿馬鹿しくなり、早々に思考を放棄した。


 ひどいポンコツっぷりだった昨日の影響が、まだ色濃く残っているらしい。

 しっかりしろよといくら自分に言い聞かせたって、なかなか思い通りになってくれない。ふとした瞬間、いつの間にか、頭の中は彼女によって支配されてしまう。


 明るい陽の下、マネキン越しに見たゴトウアヤノさんは、俺の知ってる“ゴトウアヤノ”さんとは全くの別人だった。


 そしてもう一つ、明らかになった事実。

 逢坂紡久と名乗り、店のロゴ入りの『店長』とまで印字された名刺を寄越してきたあの男もまた、店長ではなかったのだ。それどころか、あの店に男性の従業員は一人もいないと広瀬さんに教えられたときの俺の衝撃たるや凄まじかった。


 不審がられるほど、彼女の容姿もあの男の容姿も事細かに説明してなりふり構わず詰め寄ったけれども、そんな人物は向かいの店には存在しないと、あまりのしつこさに辟易したようにやがてだんまりを決め込まれ、終いには仕事に戻れと追い払われてしまった。

 でも、俺の気持ちも理解してほしい。だってこんなの、まるで狐に化かされたみたいじゃないか。


 あの二人は、いったい全体、どこの誰だったのだろう。

 店の従業員を装って、いったい何をしていたのだろう? 手の込んだ小物まで用意して、俺を騙して、何の得があったのだろう?


 考えてみたって、全てが嘘で塗り固められたあの二人への疑問には、何一つ正解なんてありはしなかった。


 緑地での必死な彼女の姿が目に浮かぶというのに、本当に探し物があったのかすら、今では疑わしく思ってしまう。

 あれほど俺の悩みに親身になってくれたというのに、陰では鬱陶しく思っていたのではないかと、そんな風に考えてしまう。

 嘘が露呈すればするほど、四隅を取られたオセロのように、何もかもが容易に裏返っていく。それが凄く嫌で、ひどく寂しかった。


『今日も行くからな』


 ますます腑抜けになった俺に、貴志は遂に痺れを切らし、彼女を見に来ると言う。

 けれども肝心の彼女はどこにもいなくて、誰なのかも分からなくて。それを貴志にきちんと伝わるように説明するには、どうすればいいのか、どこからどうやって話せばいいのか皆目見当もつかなくて。

 まごまごしているうちに、俺は知り合ったきっかけの“き”の字も話せないまま、篠崎さんとデートだと言う貴志を見送るはめになったのだった。

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