一歩、踏み出せたなら⑤
その日クローズに入った俺は、閉店作業をしながらも、明かりが消えたままの向かいの店舗をそわそわと落ち着かない気分で何度も振り返っていた。
探し物は、努力の甲斐もむなしく今のところ収穫ゼロ。空き地は恐らく全て探し終えた。けれども諦めがつかないのか、終止符は打たれず、そのまま宝石探しは初めからやり直し、みたいにして未だに毎日続いている。
そして変わらず、朝方、始発が動く頃になると、決まって彼女は帰っていく。
ゴトウさんは探し物をする前にはいつも店に寄るのか、ここ最近は十時を過ぎれば必ずと言っていいほど明かりが灯っていた。
けれども今日は、どうしてか一向にその気配がないのだ。
家はここから歩いて行ける距離なのだと先日彼女から聞いたから、そんなに心配なんてすることはないのかもしれない。家から直接緑地に行くことだってあるだろう。
だけど、ルーチンワークのようになっていたことが突如崩れると、人はこんなにも不安になるらしい。
店長への挨拶もそこそこに、柄にもなく速足になりながら件の緑地を目指す。
するとやはり、いつも先に来ているはずの彼女の姿はどこにもなかった。狭い緑地だ、ちょっと首を巡らせれば、端から端だってすぐに見渡せる。
気落ちしながらいつも並んで腰掛けているベンチを目指し……しかし、と思い至った。
俺は別に、ここで毎晩彼女と会う約束をしているわけではない。寧ろ夜中の探し物は止めるべきだと諭していたくらいだ。だから、これは喜ぶべき事態のはずではないか、と。
だけどそう、少しだけ。
彼女ならば、次の日来られないならそうと一言、律儀に言ってくれるのではないかと思っていたのだ。
いや、待てよ。
もしかしたら、こっそり出てくるところを親に見付かってしまったのかもしれない。こんな時間、若い女の子に外出許可を出す家は、常識的に考えたらまずないだろう。内緒で家を空けていたはずだ。
今までは何とか上手くやっていたが、遂に今日、しくじってしまった。だから、来られない。
と、そこまで考えたところで、答えなんて分かりっこない理由を、自分を慰めるように必死にあれこれ考えている自分が、急に滑稽に思えた。
ベンチに深く腰掛ける。
もうすっかり。こんなにも。と、長いため息をついた。
気付きたくない? 分からない。
戸惑う。
別れ際の貴志の言葉が、頭の中でぐるぐるする。
どうすればいい。
すると悩む俺の耳が、パタパタというこちらへ近付く忙しない足音を拾った。
ざわざわと、胸の辺りが騒ぎ出す。
「――お、遅れてごめんなさいっ」
次いで聞こえたのは、息を切らせた可愛らしい声。
顔を上げれば、やっぱりそこにいたのはゴトウさんだった。
目を閉じる。
その瞳を見てしまえば、この気持ちを認めなくてはならなくなりそうだった。
「いや、寧ろさ、危ないんだから来なくていいんだよ」
心とはちぐはぐな台詞を、あえて口から紡ぎ出す。そんなことくらいで、この想いを戒めることができるだろうかと、不安になりながら。
危ないと心配しているのは本当だ。でもやっぱり、それだけじゃない。こうして来てくれれば、どうしたって高鳴ってしまう、正直な俺の鼓動。
言葉だけじゃなくて、心もちぐはぐで。初めての感情に、みっともなく動揺することしかできない。
ゆっくりと目を開く。
恐ろしい。自分の心が。己に流れる、父親の血が。
貴志はああ言ったけど、やっぱりそう簡単にこの枷はなくならない。
それに、俺にはもう一つ、過去があるんだ。取り返しのつかない間違いを犯した、重大な過去が。
「すみません。もしかして、怒ってますか?」
固く握り締められた俺の拳に、彼女の視線が突き刺さった。
首を振る。
声を出したら、いらないことを言ってしまいそうだった。
「毎日、付き合わせてしまってすみません」
それでも一言も発しない俺は、普段の無愛想と相まって、彼女の目に不機嫌に映ったのかもしれない。
「怒ってない。怒るわけがない」
それだけを、何とか絞り出す。
「じゃあ、何かありました?」
失礼します、と、拳二つ分くらいの適切な距離を保って腰掛けながら、彼女が俺を覗き込んだ。
優しい声色。どこまでも澄んでいて落ち着いた瞳の色。彼女によく似合う、穏やかな香り。
包まれた俺に、抵抗するすべはもうなくて。
――ガチャン、と。
凝り固まった心の
「……どうすれば良かったのか、今でも答えが見付からないんだ」
そうなってしまえば、押さえつけられていた感情はあっという間に決壊し、口から飛び出していく。
止める術は、きっともうない。
名前が今にも付きそうなこの気持ちに気付きつつある今、黙っていることに少なからず良心の呵責を感じたこともまた、拍車をかけた。
嫌われるなら今のうちだ。今ならまだ傷は浅くて済むかもしれない。みっともなくそう思っている自分もどこかにいた。
「えっと、悩み事、ですか?」
「……うん」
こんなこと、本来なら彼女には少しも関係なくて、それこそ話せば下手に悩みを抱えさせるだけかもしれないのに。
ずっとずっとあの瞬間から、解決することのない堂々巡りが、苦しくて、苦しくて、仕方がなくて。
「わたしが、聞いても?」
押し付けがましくない、きっとこういうところも、俺の口を緩くしてしまうんだ。
奔流に呑まれた特大の重石が、遂に、
「……母親を、殺してしまったんだ」
――零れ落ちてしまった。
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