結局は、大好きってことなんです②
『広いな、この緑地』
『そう、ですか?』
木が二本、わたしたちがいつも腰かけているペンキの剥げた小さいベンチと、同じようなのが入り口付近にあともう一脚。ざっと見渡して、思わず首を傾げた。お花見でよく使うようなブルーシートを広げ、お料理を並べて十人も座れば、それでいっぱいになってしまいそう。
大きい小さいの感覚は人それぞれだと思うけど、さすがにこの場所を広いと感じる人は少数派な気がした。
『いや、小指の爪ほどの、宝石からしたらってこと』
わたしが訝しんでいるのが分かったからなのか、一度自分の手に目を落としそうやって付け足して、次いでその手をぐいっと上へやりながら体をほぐすように伸びをすると、固い背もたれに頭を乗せ夜空に目をやる。
拍子に大きなため息を一つして、少しの間沈黙した。
頭上では桜の葉がさわさわと、どこか遠くからは救急車のサイレンが聞こえ、次いで間の抜けた横断歩道の電子音と酔っ払いの笑い声が届く。
全て他愛もない日常で溢れかえる音なのに、それに包まれ彼の隣で毎夜毎夜過ごすという非日常は、ひどくアンバランスで、この空間だけが俗世と隔離されているような不思議な感覚に陥った。
『――そう考えると、世界からしたら、人間一人なんて恐ろしく小さいな。そんなちっぽけな人間の抱える悩みなんてもっと小さくて、考えるだけ馬鹿らしいと思うのに、どうしてそう割り切ることができないんだろう』
そして、やがてポツリと。
辛うじて聞こえてきたそれは、多分独り言だったんだと思う。
でもそのときの香月さんの顔が、涙こそ流していなかったものの、わたしの目にはどうしたって泣いているようにしか見えなくて。
だからかわたしは、無性に反論したくなってしまった。
意味深な内容なだけに不躾にじろじろ見るのも躊躇われて、つと視線を外したちょうど先、ビルの合間から人工の光にも負けじと輝く名も知らぬ一つの星を見付けて、やっぱりこれは、反論すべきだと背中を押されたように口を開いた。
『そう、ですかね?』
わたしが見つめ、彼が今見上げている、点ほどにしか見えない星々。けれどもその実態は、太陽の何十倍の質量を持っているものだってあるし、太陽よりもよほど高い表面温度のものだってある。
天文学的な数字、なんて言葉を例え話で使ったりするけれども、想像することすら難しい距離が星と地球の間に隔たっているから、わたしたちは一見しただけではその事実に気付くことができない。そして知らなければ、それはいつまで経っても、小さくてちょっと強く光るただの点のままだ。
けれども一度真実を知ってしまえば、それは全く違った捉え方になるだろう。
物事の本質とは、近付いて、よく見て、理解しようと努めて、初めて見抜けるものだ。
だから、自分が抱く悩みなんてちっぽけで他愛ないと、馬鹿馬鹿しいと、投げやりになることができないのは、それが決して夜にしか見ることのできない小さな点などではないということを、誰よりもよく知る自身だからこそで、寧ろ当たり前のことじゃないだろうか。
『そこ、突っ込むの?』
聞き流してくれるところじゃない? 彼が意外そうにこちらを見た。
『例えば、』
私は気付かないふりをして、前を向いたまま。
大好きな人だもの。哀しんでなんてほしくなかった。でも、哀しまないでなんて、口が裂けても絶対に言えない。泣いた方が楽になりますよとか、そんな無責任なことも言えない。
彼の抱える悩みを一かけらたりとも理解していないわたしが偉そうに、何の権限があってそう指図するというのだ。
こうできたら良いのに、こんな風に生きていけたら楽なのに。誰しもがきっと一度は思い描く、理想。それでも、頭では分かっていても、なぜだか悩めば悩むほどかけ離れていって、良かれと思って行動すればするほど、それは遠退いていったりする。
その度に打ちひしがれて、あるいは自分を責めたりして、どうしてこうなったんだろうと頭を抱える。わたしだって、笑えるくらいそんな毎日。
だからそういうんじゃなくて、少しでも心が軽くなりますように、と。そんな言葉ならば、かけられたとしても嫌な気分にならずにすむかしら、と。
彼が今、広大な星空を連想しながら思い浮かべる“世界”の広さが、彼をより深い哀しみへと連れ去ってしまわないように。矮小だと、自分の存在を否定的に捉えてしまわないように。
今のわたしだからこそ、伝えられることがあるかもしれないもの。
『……うん?』
彼も視線を夜空へと戻し、一応先を促してくれたのか、鼻から抜けたような微妙な相槌を一つ。
煩かったらごめんなさいと、わたしは知らず力の入った汗ばむ握り拳を膝に乗せ、口を開いた。
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