探し物は何ですか?②

「あの、」


 と今度こそ聞こえるように声を発してから、そういえば俺は彼女の名前をまだ知らないことに気付いた。

 逢坂と名乗ったあの店長との仲の良さから見ても、それなりに長いことあそこで働いてはいるのだろう。けれども俺の記憶では彼女が昼間、あの店の中で動いている姿を恐らくは一度も見たことがない。


 振り向く彼女。

 その目が俺を認めると、零れんばかりに見開かれ、泥棒じゃないかと勘違いしたあの日のように口を開いて固まった。


「探し物、まだ見つからないの?」


 あの日から、五日近く経っている。その間も探したであろうに。

 動かない彼女の返事を根気よく待てば、開けた口に何だかよく分からない虫が入りそうになったところで彼女は正気を取り戻し、きょろきょろと辺りを見回した。


「……わ、わたし?」


 優に瞳が五往復はしたその後、最後に俺で視線を止め自分を指差す。

 これだけ見つめているのに、他の誰かに話しかけている可能性を疑うなんて、どうやら彼女はデフォルトで挙動不審のようだ。


「この前も何か探してたから、その続きかと思ったんだけど、違った?」

「ち、違いません」


 脳震盪でも起こしそうなほど激しくかぶりを振ると、赤くなった彼女は次第に俯き加減になり、最後は所在なさ気に視線を向けた足先をもぞもぞと動かした。


「こんな時間だし、明日にしたら?」


 彼女も人と関わるのがあまり得意ではなさそうだ。一度や二度会っただけの俺は、知り合いには程遠いだろうし、ひょっとしたら放っといてくれと思っているかもしれない。

 でも危機感が薄いのはいただけない。お節介だと思いつつも帰るよう促せば、けれども見た目に反して意志が強いのか、もう少し探してからにします、と思いの外きっぱりと断られてしまった。


「大事な物?」

「ええ、とても」


 伏し目がちな瞳は、ここではないとても遠くを見ているようだった。


「……何失くしたの?」


 俺が鞄をベンチに放り投げそう問いかければ、その瞳は徐に俺を映し、戸惑うように揺れ動いた。


「……え?」

「探すの手伝うよ」


 こんなこと、言うはずでもなかったのに。

 誰かに見られれば、女ったらしの香月がまた偽善を振りかざしていると、いっそ解脱でもしたくなるほどの噂を立てられるに違いない。

 でも失せ物に思いを馳せるその瞳を見て、俺はひどくいたたまれない気分になったのだ。

 彼女の様子だけで、端から泥棒ではないかと疑いの目で見てしまった手前、何となく後ろめたく思ったというのもあったのかもしれない。


「あの、い、いいです。大丈夫です」


 予想通り、彼女は俺の申し出を勢いよく押しとどめてきた。


「こんな時間女の子が一人で、全然大丈夫じゃない。一緒に探されるのが嫌だったら諦めて帰ろう」


 でも俺も引かない。

 頑なな雰囲気を察したのか、困惑する瞳。それを無視して、俺は彼女へと歩を進めた。

 少しばかり強引な態度に出た自覚はある。ある意味そこまですれば、じゃあ帰ります、きっとそう観念するだろうと踏んだからだったのだけれども……今度は俺の予想を裏切り、彼女は小さく、お願いします、と頭を下げてきた。


 そう言われてしまったのなら仕方がない。

明るくなってからの方が探しやすい、という言葉は呑み込むことにした。

 そんなの彼女だって百も承知だろう。それでも探すという選択をしたのであれば、それは一刻も早く見つけたい代物だということに他ならないからだ。


「ここで落としたの?」


 確信がないなら他もあたるべきだ。先日は店の中を探していたようだし、今日だってそうだったのかもしれない。


「ここで、間違いありません」


 けれどもきっぱりとした断言に、俺は首を傾げそうになってしまった。


「……えっと、何を落としたの?」


 ならば何故店の中を探していたんだという疑問が、思わず口を突いて出そうになったのだ。

 だが、夜ももう大分更けてきている。そんなことで問答している暇があるなら、少しでも早く探し始めた方がいいだろう。今はとりあえず、それについては置いておくことにした。


 再度問いかければ、なぜか彼女は気まずげに視線を彷徨わせ、小さく「宝石、みたいなものです」と答える。


 正直、随分と曖昧な表現だと思った。

 これほど必死で探しているの物の実態がなんであるかを把握していないなんてこと、あり得るのだろうか?


「色は?」

「青です」

「青い宝石……サファイア、とか?」


 待てど暮らせど、なぜだろうか、曖昧な笑みを浮かべるだけで、明確な答えをもらえない。

 しかし頷かないということは違うということなのだろう。“みたいなもの”という表現からも、模造品、という解釈でいいのだろうか。

 イミテーションを必死に探す姿を、馬鹿にされるとでも思っているのだろうか? 思い入れの強さは、必ずしも真贋と関係するわけではないだろうに。


「大きさは?」

「小指の爪、くらいです」


 危うく絶望しそうになった。

 決して広くはない緑地だが、小指の爪ほどの大きさの物となれば話は別だ。


「どこら辺で落としたかは分かる?」


 これが分かれば少しはマシかと思ったのだけれども。


「……ごめんなさい。多分ってことしか。そんなに手前ではないと思うんですけど」


 言われて見渡せば、伸び放題だった雑草は奥に行くほど踏み荒らされ、ほとんどが横倒しになっている。

 これはもしかして……と彼女を見つめた。

 小指の爪ほどの失せ物を探すのに、これだけ多くの雑草を踏み倒すにはいったいどれほどの時間がかかっただろうか。一時間や二時間程度の話でないことは容易に想像がついた。


 彼女と初めて会ったあの日から俺はクローズに入ることがなかったから気付かなかったが、もしかしたら彼女は、もう何度もここへ足を運んでいるのかもしれない。


「分かった。じゃあ俺はもっと奥を探すから、えっと……」


 言い淀めば察したのか、


「あ、すみません。ゴ、ゴトウアヤノです」


 と、彼女は名乗ってくれた。


「俺は香月ね。ゴトウさんは、じゃあこのベンチより手前側、お願いね」

「すみません、ありがとうございます」


 丁寧に折りたたまれた体の前で組まれた手は、既に泥だらけだった。

 どう反応したらいいのか分からなくて、俺はそそくさと身を翻した。



 ……暗い。

 はっきり言って効率が悪いの一言に尽きる。でも振り返れば、草間から見え隠れする彼女の横顔は真剣そのものだった。

 スマホの明かりを頼りに、俺も地面に這いつくばる。おざなりに探したんじゃ小指の爪ほどの物は、この茂みだ、絶対に見つからない。


 気が遠くなりそうなほどの長い道のりに小さくため息をつきながら、そもそも、とこの土地の管理者に心の中で訴えた。

 草くらい、伸びたら刈ってくれ! と。

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