5.探し物は何ですか?

探し物は何ですか?①

 全ての椅子を机に上げ、床をモップで磨き上げる。

 閉店後冷房の切れてしまった店内は蒸し暑く、滴る汗を拭おうと顔を上げたところで――俺はそれに気付いた。


 腕時計に目を落とせば、針はあの日と同じ十時過ぎを指していた。

 目を凝らす。すると向かいの店はまるであの日の再現のように照明を落とし、扉から女の子を吐き出した。暗いから定かではないが、恐らくは先日と同じ子。ということは、あの子はやはり従業員で間違いなかったということだ。

 心に少しばかり引っ掛かっていた案件だっただけに、俺はほっと安堵の息を零した。


 しかし今日もこんな時間まで、彼女はいったい何をしているのだろうか?

 俺の不躾な視線を感じたのだろう、彼女は大通りに向かい歩き始めた足を止め、この喫茶店を振り返った。

 店内に佇む俺の姿を認めたのかペコリと頭を下げられたので、俺も軽く会釈を返す。すると胸に手を当て、多分、微笑んだみたいだった。

 もう一度律儀に頭を下げ、踵を返す。小さい背中は暗闇に溶けるようにして、間もなく曲がり角に消えていった。



「お疲れ様でした」

「はい、お疲れさん。気を付けて帰ってね」


 書き物をしていた手を止め、店長が顔を上げる。クローズまでいなくとも、あがるときはいつも一声かけてくれる。

 十一歳の息子と五歳の娘を持つ店長。こんな穏やかな人が父親なら、きっと子供は幸せに育つだろうと容易に想像できるほど人が良い。


 世の中は、かくも不公平だ。どうして、子供は親を選べないんだろう? この人が父親だったなら、或いは俺だって……母さんだって……

 と、急にそんなことを考えた自分に驚いて、軽く頭を振った。

 良くない傾向だ。こんな些細な、ありふれた日常に引っ張られるなんて。


「お先に失礼します」


 頭を下げ急いで店を後にした。

 にこにこ笑って、多分俺の背を見送っているだろう店長。いつもは温かい気遣いだけど、今はまともに見られる気分じゃない。


 大きくため息を吐いて、らしくないな、と一人ごちた。俺らしいって何だって訊かれても、明確な答えが出せるほど自分のことを分かってなどいないけど、このくらいいつもの噂だと流せばいいはずなのに、今回ばかりはそれが難しい。新たに立った“香月柊司は偽善者だ”この噂が、思ったよりも俺を打ちのめしているようだった。


 せっかく貴志が防波堤となってくれたというのに、友達ならば大丈夫だろうと、友達からならもしかしたら今度こそ、俺のことを知ってもらえるだろうかと、甘く見て、淡い期待を抱いた俺が浅はかだった。


 ぽつりぽつりと灯る街灯の下。明かりを求めて群がる蛾が勢いよく飛び回る。

 今の時代、飛んで火にいる夏の虫なんて現象、もうほとんど目にすることもないけれども、その昔身を焦がしてまで光を求めた蛾は、結局何を得たのだろう。自ら飛び込んだ災難に身を焼かれ、こんなはずじゃなかったと、最後の瞬間には後悔の念に駆られたりしたのだろうか。


 気付けば坂を下りきり、交差点がある大通りに差し掛かっていた。遠くから聞こえる電子音。否が応でも目が吸い寄せられる、件の緑地。

 疲れがどっと押し寄せた気がして、思わず立ち止まり、逸らすことが叶わないならせめてもと、目を閉じようとした、そのときだった。

 ぼうぼうと茂る雑草の中、ぴょこりぴょこりと見え隠れする黒い何かが視界の端を掠めたのだ。何度も繰り返し起こるそれはまるで、もぐら叩きのもぐらそのもの。けれど訝しんでよくよく見れば、どうやら人の頭のようだった。


 春には見事な花をつけ、行き交う人々を楽しませる桜を美しく見せるためなのであろう。そこは街灯が狭い間隔で設置され、他よりも幾分か明るい。

 必然、虫もよく集まるだろうに、あんな草むらでいったい何をしているのか。

 ……そうだな、ちょっと苦しいけど、たとえばバッタの真似事ならば、それなりにうまくなりきっているとは思う。けれどもやっぱりだからと言って、こんな時刻であってもそれなりに人目のある往来の片隅、なるほどバッタか、そうかそうか、と納得は到底し難い。

 動きだけ見ればそこそこ機敏で、酔っ払いというわけでもなさそうだ。


 少しだけ興味を惹かれ、信号を渡り切った所で覗き込んで……俺は思わず「あっ」と声を上げてしまった。

 けれども余程真剣なのか周りの喧騒のせいか、俺の声は彼女までは届かなかったようだ。

 変わらずぴょこりぴょこりとたまに頭を出しては、がさがさと草むらを掻き分け首を巡らせる彼女。結構な頻度で現れる虫に慄きながらも、へこたれずに突き進む姿を見て、これはどうやら探し物でもしているようだ――と思ったところで、そういえばと、先日彼女がまさしくそう言っていたことを思い出した。


 思わず呆れそうになった。

 この様子を見る限り、つまりあの日の彼女の言葉に偽りはなかったということだ。ならばなぜあんなにも、怪しんでくれと言わんばかりの態度を取ったのか。危うく嘘だと決め込みそうになったではないか、と。


 正直、関わるべきか否か、俺の心は半々だった。しかし横をひどい酔っ払いの二人組が通りかかり、危惧する方向に傾く。

 交差点に建つビルの壁面に設置された液晶に目をやれば、既に十一時を回っていた。

 先程店を後にした彼女に会釈をしたのは十時過ぎ。その後すぐにここへ来たのだとすれば、もう一時間も探し物をしているということになる。


 家はこの近くなのだろうか? 

 先日逢坂というあの店長も言っていたが、若くて、しかも可愛い女の子が一人でフラフラしていい時間ではない。何かあったら、たとえば誘拐だとか行方不明だとか、最悪死体が見つかっただとか、そんな凶報で後日この子の写真が全国ネットのテレビ画面にでも映し出された日には、ここで蛮勇を振るわなかった俺を、俺は一生後悔し、腰抜けと罵るに違いない。

 一言、探し物なら明るいうちにと、声だけでもかけようと俺は草むらに足を踏み出した。

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