4.柊司くんを守る会

柊司くんを守る会①

 朝は晴れていたというのに、気が付けば今にも泣き出しそうな鈍色の空を眺め、傘なんて持ち歩く習慣のない俺は、玄関の傘立ての中、このままいけばまた一つ増えることになりそうだと既に溢れ返っているビニール傘を思い浮かべ嘆息した。


 信号が青になる。そんな小さなことに悩めるなんて、お前は能天気で羨ましい、まるで笑ったかのような呑気な電子音が流れ出した。

 人の気も知らないで……なんて信号相手に悪態を吐く時点で、俺は思ったよりも参っているらしい。


 この信号を渡り一本路地に入った坂の途中。そこに俺がバイトする喫茶店がある。

 背後を振り返れば、春になると少しだけ目を楽しませてくれる桜が二本と、その下に設置された二人掛けの小さなベンチが二脚、それだけのこぢんまりとした緑地。

 都か区か、どこが管理しているのかは知らないが、最近の暑さと適度な雨のせいか、そこはここ数日の内にすっかり雑草で覆われている。長い物は、俺の腰くらいまで到達しているんじゃないだろうか。

 勿論、憩う人の姿は皆無だ。


 奥のベンチに目が留まる。

 思わず思い出して、頬を撫でてしまった。


「どうした? 行かないの?」


 その声に意識を戻せば、横断歩道を中程まで既に渡った貴志と、その隣を歩く貴志の彼女、篠崎さんが俺を振り返っていた。


「悪い」


 もう痛むはずもない頬から手を外す。

 ついでに何か言いたげな貴志を視線で制したつもりだったのだが、大きなため息と共に、遠慮のない幼馴染はざっくりと切り込んできた。


「で、どうなってんの? あのひどい噂は」

「……言っておくが、誤解を解く努力はした」


 広瀬さんの助言通りに。あの女の子の言う通りに。でもやはり、言葉足らずの俺では彼女を納得させることはできず。


 あの日、信号で足止めされていた朝比奈さんを捕まえて、話を聞いてほしいと真摯に頼んだつもりだったのだけれども、いざなった奥のベンチに彼女が腰を落ち着けてくれたのは、ほんの三分にも満たなかったんじゃなかろうか。

 立ち上がり、浮気者と罵られて頬を張られ、しまいには物まで投げつけられる始末。


 だがそもそもの話、俺は彼女と付き合っていない。広瀬さんには笑われたが、お友達から始めましょう、というあの言葉は実に言い得て妙で、まさしく俺は、飲み会の次の日勇敢にも声をかけてきた彼女に対し、まずは友達ならと返事をしたのだ。


「誤解も何も、俺はあの子とお前は付き合ってないと認識してたけど?」


 ご明察。

 でも彼女は、たとえ友達であったとしても、自分を差し置いて、他の女の子と仲良くする俺の姿は許せなかったのだろう。

 あんな綺麗な子だ。普段ほとんど笑わない俺が、自分以外の女の子に笑いかけているという事実。袖にされたとでも思ったのかもしれない。


 だけど俺は別に、可笑しいのに笑いを堪えているとかそういうわけでは断じてない。ただ少し、人より感情の振れ幅が狭いのだ。それ故に、表に出ることがほとんどない、それだけのこと。


 ただ、コミュニケーション能力が物を言うこのご時世、愛想笑いの一つもしない俺は、コミュ障とまではいかないけれども、大層取っ付きにくく、付き合いづらい人間であることは自分でも自覚している。

 だからあの飲み会の日、貴志は念押ししたのではないか。俺に纏わる噂を知っているのか? と。それでも良いのか? と。


「彼女の中では、自分が一番じゃないと気が済まなかったんだろ」


 朝比奈さんはきっとそれでも良いと思ったわけではなく、自分ならそんな俺を変えられるという自信があって、声をかけてきたのだろう。でも変わらなかった俺は、彼女のプライドをいたく傷つけた。そういうことだ。

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