何かと噂の新一年生⑤
でも……貴志がきっと期待していたであろう、心動かす何かはまだ現れない。
ほどなくして、宴もたけなわですが、なんてお決まりの台詞が聞こえてくれば、俺は彼女の手に二つのピアスを戻した。
見知らぬ他人と交わしたわりには、会話は弾んだ方だろう。だけどやっぱり無意識に適正な距離を保とうとするのか、疲労は大きい。
「じゃあ」
二次会にはいつも顔を出さないため暇を告げれば、前と横それぞれから物言いたげな瞳がこちらに向けられた。
気まずい雰囲気にならなかっただけ俺としては上出来。
だからそれに気付かないふりをして、足早に貴志の元へ向かう。
置き去りにした鞄を取りに行くのだ。今月の生活費が詰まった財布だって入ってる。盗まれちゃ敵わない。
自分にそんな言い訳をして。
「結構楽しそうだったじゃんか」
戻ったら戻ったで喰えない笑顔の貴志に弄られるが、この方が精神的によっぽど楽だと思ってしまうあたり、甘えてるんだろうな、と情けなくなる。
「お前の目は相変わらず節穴だ」
全て見通した上でからかってきていると分かってしまうから、変に構えなくて済むのだ。現に貴志も二次会へ行く素振りは見せず、ごく自然に「帰ろうぜ」と俺の肩を叩いた。
金は始まる時点で幹事に徴収されている。未だトークに熱中する集団を尻目に、挨拶もそこそこ、パラパラと店を後にするサークルメンバーに続いた。
テキトーに解散。暑苦しい一本締めなんてものもないこのゆるさが実に心地好い。
外に出れば、生ぬるい風が熱帯夜の洗礼とばかりに、少し長くなった俺の襟足を一撫でして去って行く。普段なら不快のはずなのに、今は何だかほっとした。
「うわ……夜なのにあっつ。あぁ、これがバショー扇になったらなぁ……」
だけど貴志は違ったようで、街灯すら熱源だ! と親の仇のように睨み付け、駅前で配られていたパチンコ屋のロゴが入ったうちわを、苛立たしげに高速で動かす。
「ばしょうせん?」
「ドラえもんの道具。でっかい葉っぱみたいなうちわでさ、言えばどんな風でも起こせんの」
「言うって……葉っぱに?」
その光景は、想像するとなかなかにシュールな気がしたのだ。
「葉っぱ型のうちわな。ダイヤルとか付いてんだよ」
「……ダイヤル付いてんのに、話しかけんの?」
「うお、やけにいちいちうるせーな! ダイヤルでは風の吹き続ける時間しか設定できないの。話しかけて初めて、色々細かい指示とかできんだよ!
てかね、そもそも無生物なのに話しかけちゃうの? とか、どんなに賢いAIだってそれは無理だろ~! とかそんなの、ドラえもん見ながら突っ込んじゃだめなんだかんな」
なんて夢がないんだ! 大層嘆かわしそうにそう付け足して、くそぅ余計に暑くなった! とまた扇ぐ。
「……お前ってホント、変なことだけ詳しいのな」
この歳になっても適切なドラえもんの道具をそこまで熱く語れるなんて、何ていうかもったいない奴だと笑ってしまう。
「ブリザード!」そんな風が実際吹いたら、半袖では確実に凍傷になるというのに、うちわに向かって本気で言い聞かせている貴志は、どこからどう見ても立派な酔っ払いで、俺は堪らず声に出して笑ってしまった。
「あ、あの」
すると、そんな俺らに背後から声がかかった。
声を出して笑ったのなんて、多分凄く久しぶりだったから、貴志は少しだけ驚いたみたいに俺を見て、そして突然かけられた声には、戸惑ったように振り返った。つられて俺も倣えば、それはエキゾチックな彼女、朝比奈さんだった。
「どしたの?」
こういうとき貴志は表情を作るのが凄くうまい。一瞬にして精巧な仮面をかぶり、人当たりの良い“上原貴志”を作り上げる。
それに安心したのか、緊張で強張っていた彼女も表情を緩めると、トトト、と可愛い音がしそうな足取りで近付いて来た。
先程は座っていて気付かなかったが、ダメージデニムのショートパンツからは、長い脚が惜しげもなく晒されていた。その先には、ヒールが十センチはあろうかというウエッジソールの白いサンダル。
強調された足首は、俺の手首より細いんじゃないだろうか、ふとそんなことを考えてしまった。
視線を感じ顔を上げれば、少し遠くでこちらを見守る女の子たちの集団が目に入る。同じ一年生の友人なのか、興味津々、瞳が語る彼女らの胸の内に、内心うんざりした。
「先輩方は、二次会行かれないんですか?」
「うん、ごめんね、俺らはいっつも行かないの」
「そう……ですか」
貴志の顔つきはにこやかだったが、付き合いの長い俺にはにべもなく映る。俺と同じく少しばかり不機嫌のようだ。
「あ、あの! 香月先輩」
「え?」
タフなのか、鈍感なのか……体はもう駅の方へ向きかけていたし、貴志の台詞は言外に、バイバイと告げていたというのに。大人しく引き下がるかと思いきや、しっかりした口調で呼びかけられて驚いた。
「連絡先、訊いても良いですか?」
……どストレートだ。
断られるとか考えたりしないのだろうか。美人だから自分に自信がある? 俺だったら間違いなく二の足を踏む台詞を、いとも簡単に投げかけてきた。
「瑞穂ちゃん」
どうしたものかと悩んでいると、貴志の口からいきなり、面識もないはずの本人を目の前にしての名前呼び。
ぎょっとして思わず視線を向けるけど、飄々とした顔はいったい何を考えているのか。こいつもこいつで本当に凄い。良く言えば社交的?
「はい」
「柊司のこと、知ってる?」
「え?」
「こいつに関する噂とかさ、聞いたことある?」
「噂、ですか?」
「そ、噂」
「えーと……」
ちょっと困った顔でこちらに視線を向ける朝比奈さん。目が不自然に泳いでいて、これは本人がいるこの場で、その噂を口にしていいものかと悩んでいるように見えた。
貴志の目にも同じように映ったようで、浮かべる笑みに少しだけ意地悪な色が混じる。
「正直君みたいな可愛い子、選り取り見取りでしょ? 何で柊司? 俺が言うのもアレだけど、愛想が良いわけでもないし、特別話が面白いわけでもないよ」
「……おい」
本当に、何でお前に言われなきゃならん。
と、突っ込みそうになった。なったのだけれども――
「――だから、遊ぶには向いてない」
次に声が発せられたときには、貴志の目はもう笑っていなかった。
「あ、遊ぶなんてそんなっ」
急変した貴志の雰囲気に呑まれたのか、冷たく光る瞳かのせいか、少しだけ震えたような声音。でも視線を向ければ、唇を噛む彼女は挑むような瞳で貴志を睨みつけていた。
存外気の強いお嬢さんのようだ。
「そう? ごめんね。でも、ちょっと君の噂も聞いちゃったんだ。
うーん、そうだなぁ、じゃあさ、どうして柊司が良いと思ったのか、一晩よく考えてさ、それでもやっぱり連絡先を交換したかったら、明日また学校で声かけてよ」
何か言いかけた彼女を視線で制すると、喰えない笑みを浮かべてさっさと背を向ける。ヒラヒラと振られた手は、彼女を挑発しているようにも見えた。
どうしてこんな展開になったのか……
「ごめん」
何だか偉そうに上からだったし、彼女を傷つける物言いをしたのは確かだと思ったから、貴志の非礼を詫びたっていうような殊勝な感覚でもないけど、一応申し訳程度の謝罪を口にし、背を向けた。事態を理解していない俺の言葉なんてこれっぽっちも響かないとは思ったけど、そうしないと自分の気分が何だかもやもやする。それだけの理由で。
こういうのは、きっと俺のよくないところだ。だって多分、貴志は俺のために、嫌な役を買ってくれたのだろうから。
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