何かと噂の新一年生③

 ちらりと彼女に目をやった。

 どことなくエキゾチックな雰囲気が漂う、ちょっと見ないくらい綺麗な子だ。どういう風に振る舞ったら自分が一番美しく見えるかを、本能で知っている、多分そんな子。鮮やかに施された化粧は、本当に三月まで制服を着ていたのかと疑いたくなるほどだった。


 場にも無理なく馴染んでいて、酒も入っていないのに何をそんなにと思うほど、大げさに驚いたり頷いたり、大きな声で笑ってみせたり、うまい具合に周りを気持ちよく盛り上げていた。


香月かつき!」


 すると突然、見つめる集団の先にいた迫田さこたが、俺に向かって手を上げた。

 相当出来上がっているのか、ヤツのちょうど真上で光る照明が、脂の浮いた赤ら顔をギラつかせていて少しばかり怖い。


「お、近づけるチャンス。行っとけ」


 貴志が俺のケツを蹴った。

 一睨みし、ため息を大げさに、しぶしぶ席を立つ。頬杖をつきニヤニヤするその顔は、明らかに面白がっていた。

 覚えてろよと仕方なしに歩を進めれば、視界に不規則な模様を描きながら白い靄が纏わりつく。気休め程度に手で払いながら、家に帰ったらソッコー風呂だと、面倒な事態から少しばかり思考を逸らしてみたりした。

 初対面の人間と話をすることほど、労力を使うものはないのだから。


「何?」


 無視をするのも躊躇われて、どうも、とこちらを見つめる彼女に会釈をし、迫田の隣に腰を下ろす。

 こんばんは! と元気に答える彼女は、近くで見るとより一層綺麗だった。

 迫田の方は、遠くで見るよりもしたたかに酔っているようだ。


「お前、十五日が締め切りのレポートもう書いた?」

「は?」


 彼女がすかさず、俺の前のコップにビールを注いでくる。瓶を持つその手は、今時の女の子にしては珍しく健康的に日焼けしていた。

 それにもう一度「どうも」と返せば、彼女は嬉しそうにはにかんだ。


「提出期限もう少し延ばすように、教授に掛け合ってくれないかなぁ」

「……俺がそれを言って、どうにかなると思うのか? てか、まず自分で言えよ」

「俺と香月の仲じゃん! 教授と仲良しじゃん!」


 酔っ払いとは末恐ろしい。今のコイツなら、道端の石ころとでも親友になれるんじゃなかろうか。こんな個人的な頼まれごとをするほど仲が良いかと問われれば、残念ながら答えはノー一択だ。

 それに俺は別段教授と仲良しというわけではない。確かに話はよくする方だと思うが、ほとんどが授業内容についてだ。プライベートな話は、一切したことがないと言っても過言じゃない。

 ため息を一つついて無言の抵抗を示せば、けちんぼ! なんて、お前いくつだよ、と問い質したくなるような言葉を浴びせられた。


「ふふっ」


 すると正面から、控えめな笑い声。顔を上げると、三日月みたいな彼女の瞳とぶつかった。


「仲良しなんですね」


 今の会話のどこにそう思う要素があったのだろうかと、思わず首を捻りそうになる。


「こいつ、冷たいよねー」


 俺が訝しげにしていると、話を振ってきたわりにはもうどうでもいいと言わんばかりの、抑揚ない台詞を吐く迫田。

 見れば、驚きの速さで皿に乗った唐揚げを咀嚼している。体はデカいくせにまるで小動物のように、ちまちませかせかと食うその違和感たるや凄まじい。ガン見していると、食いたいと勘違いしたのか、俺の皿にも唐揚げを乗せてきた。


「いや、いらねーし」


 皿ごと押し返せば、あっそ、とそれもあっさり自分の口に放り込んだ。


「香月先輩は、迫田先輩と同じ専攻なんですよね?」

「え?」


 思わず間抜けな声が出てしまった。

 まさかそんな、あれほどうまく周りの空気を読んでいた彼女が、先程の会話で推測可能であろう毒にも薬にもならないような話題を突っ込んでくるなんて、正直物凄い違和感だったのだ。

 迫田の忙しなく動く口から視線を移せば、やっぱりにっこりと微笑む彼女。


「そうだけど、どうして?」

「あ、いえ……レポートの話していたので、そうなのかな、と」


 そりゃそうだ、と頭の片隅で思いつつ、――あぁ、なるほど、と俺は理解した。多分これは、話のとっかかりを掴むための枕詞のようなものだったのだ、と。真面目にどうして? と返した俺に、彼女は少しばかり焦っているようだった。

 現に、うん、て愛想よく頷いときゃ良いんだよって、隣の迫田の眦が吊り上がっている。


「そうだよ。朝比奈さんは文学部なんだってね」


 目力に押されて、さっき貴志から聞いた情報を引っ張り出せば、


「そうなんです! 知っててくださったんですか?」


 とまた嬉しそうに笑った。


 もしかしてこれは……とそれほど鋭くない俺でも何となく察した。迫田が俺に振ったレポート云々の話は、恐らくどうでも良かったのだ。

 サークルの飲みに来ると、俺は貴志と端っこで静かにしていることが多い。知らない相手も多いから、こういう場は少なからず緊張する羽目になる。なら来なきゃいいのかもしれないけど、貴志は俺の性格を知った上で毎回必ず引っ張り出すし、俺の方も、これからごまんとある付き合いでの処世術を学ぶ場、そんな風に割り切って参加している。


 線引きが難しいけど、近すぎず遠すぎず、それが俺と他人との一番平穏を保てる距離なんだと思う。


 酒が入れば、人は簡単にずけずけと土足で心に踏み込んでくるし、かといってある程度それを許容して乗らないと、場が白けたと非難を浴びる。なんていうか、凄く厄介。だから必然的に、程良く皆に酔いが回ると、気心が知れていて楽な貴志の隣に、体が勝手に動いてしまうのだ。

 そしてそこから動くことのない俺は、きっと迫田に呼ばれた。

 もしかしたら彼女が、俺について何か、たとえば話をしてみたいだとかそんなようなことを言ったのかもしれない。


「うん。まあ」


 さっき聞いたとは言えないから、曖昧な返事で濁す。

 目が合えば殊更笑みを深くする彼女。

 女性の笑う様子を花が綻ぶような、と称したのは誰だっただろう。まさにそんな感じで、でも彼女は道端で可憐に咲く野草ではなく、温室で大事に育てられた百合のような、非の打ちどころのない大輪の花だった。

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