1.何かと噂の新一年生

何かと噂の新一年生①

「なあ、あの子、誰?」


 俺は隣に座る貴志たかしに顔を向けると、左前方で一際大きな笑い声に包まれた集団を目で指した。


「どの子?」

「真ん中に座る綺麗な子」

「ああ、瑞穂みずほちゃん?」


 干からびつつある何の魚かよく分からない刺身を醤油にべったり浸しながら、貴志は程よく酔いが回った上機嫌な顔で、楽しそうにこちらを見やった。


「……何だよ」

「いや、柊司しゅうじもフツーにああいう子気にするんだなと思って」

「は?」


 見たことのない子が混じっている、ただそれだけの理由だったのに、こいつに訊いたのは間違いだったかもしれない。とぼけたように見せかけて、瞳の奥は物言いたげな色をにじませていた。


朝比奈あさひな瑞穂ちゃん。今年入学した、文学部の一年生。特技はピアノとスキューバダイビング。趣味は……確かカフェ巡り。まさに女の子だなぁ。ラテアートとかインスタにあげて喜んでそうじゃない? 今年のミスキャン候補に早くも推薦され――」

「もういいよ」


 なぜ興味もないはずの他人のことを、こうもペラペラと諳んじられるのか、俺は少々うんざりしながらも不思議でならない。きっとこいつの脳には、偏った一部の情報のみを驚くほど正確に記憶する機能が備わっているに違いない。

 なぜなら、成績は俺と大して変わらないからだ。


 話を途中で遮れば、貴志はまるで、映画に登場するリアクションだけは派手な三下よろしく肩をすくめて見せ、ジョッキに残った温いビールを、予想に違わず不味そうに呷った。


 貸し切られた居酒屋の一室。

 今日はここで、俺が所属する『DIYサークル』の、進捗報告会という名の定期的な飲み会が開かれていた。


 近年、『DIY女子』なんて言葉が聞かれるようになったからだろうか、俺が入学した当初と比べると、男女比は年々見事に逆転していっている。

 思えばあちこちで上がる笑い声も、随分華やかになったものだ。


 DIYサークル。何ともざっくりでアバウトなサークル名の通り、ここは手作りの物なら何でも大歓迎。それぞれの製作物を持ち寄っては気ままに披露し、うまくいったら学祭で売ろうぜ、的な軽いノリのサークルだ。

 本当に様々な物を、みんなが勝手に作ってる。家具のような大きな物から、編み物、アクセサリー、変わりどころでは詩集なんてものまで。そんなのDIYの範疇じゃないだろって思わず突っ込みたくなるけど、まあ要するに、手作りなら何でもありのゆるいサークルなんだ。

 だから、俺のように特技の無駄遣いの産物だって、ここでは立派に輝く。

 それに、わりと居心地が良いんだ。作れ作れと誰もせっついてこないところなんて、特に。


 ジョッキに付いた水滴が重力に負けて滑り落ち、机に新たなシミを作る。

 安い居酒屋特有のごったな喧騒。煙草の煙か、はたまた炭火を使った焼き鳥が売りの店である弊害なのか、薄く靄のかかった黄ばんだ天井からは、これまた薄汚れた明かりが、部屋を適当に照らしていた。


「いけんじゃない?」

「は?」

「気に入ったんじゃないの?」


 何の話かと胡乱な目を向ければ、どうやら先程の続きを始める気なのか、貴志は人の悪そうな笑みをこちらへ向けた。


「……無理に決まってんだろ」


 バカにしてんのか? 目を眇めて見せると、分かってないなぁ、と盛大にため息をつかれた。


「喧嘩売ってんの?」

「違うよ、全然違う」

 すると途端に笑みは鳴りを潜め。

 自己評価が低すぎるって言いたいの、と。


 元来の端正な顔も手伝ってか、俺は責められたようないたたまれない気分になった。


「そんなわけあるかよ」


 射抜くような眼差しから逃れたくて、ぼそりと零したその口で、温くなったビールを同じく一気に呷る。だけど気の抜けた炭酸では喉越しも悪く、苦味ばかりの残る後味に思わず顔を顰めてしまった。


 モヤッとする。

 いつもふざけているくせに、時々こうやって過大評価してくる幼馴染は……きっと俺のことを心配してくれているのだろう。それが分かってしまうから、余計にモヤッとする。


「柊司は無愛想だ」

「…………おい」


 まさかの、モヤッとし損か? そうなのか?


「けど、実は結構優しいし面倒見が良い」

「……お前、何が言いたいんだ?」


 俺が眉間の皺を一層深めれば、貴志は突然、「きみの属性は世に言うツンデレなのだよ、柊司君!」と、隣に座る後輩が驚いて振り向くくらいの大きな声で宣言した。

 顔には出ていないが、どうやら相当酔っぱらっていたらしい。


 視線を下げれば、不躾にこちらに向かって突き出された右手の人差し指が目に入った。それだけだって若干イラッとするってのに、やけにピンと張ったその感じがますます勘に障る。


 思わずへし折ってやりたい衝動に駆られたが、それでもいやいや、質の悪い酔っぱらいなんだからとなんとか言い聞かせ、一度はその衝動を苦労して抑え込んだはずだったのだけれど。


「ただーし! そのデレに気付く前に、柊司はいつもフラれるけどな」


 ぷくく、と笑った貴志の首へ、誘われるように手が伸びた。

 言っとくけど、ついうっかりだ。本気で絞めてしまった俺は、間違ってなどいない!

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