幻月

 幻月。それは月が2つに見える現象のことを言う。

 この現象はどこにでもあり得る話で、普通のことである。

 しかし、僕らの住むこの村は……そうは言っていられない現象だ。


「幻月だ……」

 絶望。皆が青ざめる。

 幻月は太陽光の光の屈折でできる。なので比較的明るい時間帯にそれは現れるはずなのだが、この村では暗い時間帯に現れる。

 つまり、何が言いたいかというと、幻月と言っても、それは《幻ではない》のだ。


 この村は月村と言われている。

 月の不思議な現象が度々、異常なほど現れるため、そう呼ばれている。しかも、頻度だけではなく、現象そのものも異常だ。普通ではないのだ。

 例えば、月が虹色に輝いたり、時には1時間単位で三日月、半月、満月と繰り返したり。多種多様の月がほぼ毎日現れる。

 その異常現象の中でも一番取り立てて謎を呼び、不可解なものが幻月だ。

 2つとなった月のうち1つは……なぜだか喋るのだ。


 今回、出てきた月は左側が真っ赤な月。右側は黒と白のまだら模様を携えた月だった。

「来てやったぞ、月村の人ども! いやあ、なんと滑稽な表情をしているんだ。これから寝る時間だろう? さあ、寝てしまえ寝てしまえ」

 大きく地響きが渡るくらい声は力強い。この場で突然台風ができたようだ。

 ……これまで月と会話した者などいない。

 恐怖からなのか、放っておこうという意志の現れなのか、僕も生まれてこのかた月と話そうなんてさえ思わない。

 月の言う通りに家に戻り、電気が消えていく。

 僕もそれに倣い、家に帰ろうとした。

 だが、ふと月を見上げると、寂しそうな感じがした。しかしそれは、顔なんて見えないので表情や感情なんて見えて来ない。

 夜の暗さでそう見えたのだと思い、僕は就寝する。


 朝になっても夜は続いていた。幻月もご在宅だ。こういう現象は珍しい。

 村人はこの現象に気持ち悪さを覚え、月に激昂を飛ばしている。月に向かって物を投げつける者もいた。それは届かないが。

 月は黙っている。ただただ騒ぎ散らしている人々が上から見ると、滑稽に見えているのだろうか。この村、いや、この国は上から目線というものが嫌いなようだ。そういう月の態度にさらに嫌気が差し、投げつける物も物騒なものに変わり、言葉も刃となった。

 それでも、月は態度を変えない。言葉をかけることもなく、というより、もう言葉を無くしているのではないか。

 村人の体力が削れ、場が収まった時、皆は諦め、月を無視して農作業に取り掛かることへと神経を集中させた。

 そして僕はまたしても月の寂しそうな表情を目にした。


 夜、と言ってもずっと暗かったから、そんな実感は湧かないが、時間的には夜になっていた。相変わらず月はそこにいて、村人を観察している。

「さあ、夜だぞ。ゆっくり休むがいい」

 村人はその声を聞くと肩を震わせ、恐怖したかと思うと、その中の1人が持っていた鍬を乱暴に地面に叩きつけ、家に帰っていく。その怒りが伝染したのか、そうした方がいいと雰囲気で察知したのか、皆が同じような行動をし、辺りは明かりが消えていく。

 僕は家の前に佇んでいた。どうしても月のあの表情を見てから、それが頭にこびりついて離れないのだ。

「……お前は眠らないのか?」

 会話はしない。いや、できない。怖くて。

「……いや、いい。だが、ちゃんと眠るんだぞ。夜更かしは良くない」

「なんで今日に限ってそんなしおらしいんだ」

 話してしまった。だが、僕の口は止まらない。

「君はそんなんじゃないはずだ。いつもみんなを上から目線で豪語して、楽しんでたはずだ。君のあの表情はなんだ。なんでそんな表情をする?」

 果たして月に対して「君」なんて言っていいのかわからないが、僕は口にした。もうこの際どうなってもいい。

「……人間から話してくれるなんて……今までなかったよ……」

 ……なんだこいつ。さっきから本当に口調という口調が変わっている。

「君の言う、上から目線で豪語して、楽しんでいたのは間違いないよ。みんなの戸惑う表情が面白かったんだ。……でも、それがエスカレートして、今に至った。僕のことをみんな嫌っているだろう? 当然の報いさ。自業自得さ」

 何故だろう。月が近くにいる気がする。

「君、なんで僕の表情がわかったのかな? ううん、それはいいや。……そうだね、みんなに迷惑をかけた分、僕はみんなに反論や抵抗なんてする資格はないんだ。だからしおらしく見えたんだろうね。でも、こうして話してくれるなんて嬉しいよ。僕の目標は人間と会話することなんだ」

 それは初耳だ。って、それもそうか。会話をしたこともないんだから。

「僕は人間と仲良くなりたいんだ。でも、僕が初めてここに来た時、みんな僕を嫌って、怖がって話さないんだ。……ふふっ、すぐ気付いたよ。だから僕はいろんなキャラを演じた。偉そうなキャラを演じると、みんな僕に向かって言葉をかけてくれるんだ。嬉しかった。だからそれを続けた」

 続けているうちにその言葉は優しいものではなく、鋭利な武器だと気付いたのか。

「僕はバカだね。人間が好きなのに嫌われることして」

 今まで我慢して来たのか、泣いている。声が震えていた。頭を撫でようとして浮かせた手を戻す。そうだ。こいつは人間じゃない。月だから遠くの、上の方にいる。撫でることさえできない。だから僕は言葉でしか答えられない。

「うん、バカだ。でも、最初はみんなそうなんじゃないか?人間だって人間と仲良くしようとしても空回りするし」

 そうなんだ。と月は驚く。

「僕が人間だったら……こうならなかったのかな」


 それから眠気に負け、月とお別れをし、寝床に就く。

 人間と仲良くなりたいがために人間を怖がらせ、嫌われる月。か。


 翌朝、幻月は消え、空には青空が広がっていた。

 もうこれで喧騒はないと思って安心したが、それは思い違いだった。外から騒がしい声が聞こえる。

 外に出て、村の出入り口に向かうと、そこには人だかりが出来ていた。

 僕が近付くと、村人はこちらに振り向き、どうしましょうよこれ。と言いたげな表情を向けながら。

「村長!」

 と声を荒げる。

 その声を聞いた村人たちが道を開ける。若村長の僕のために。

 人だかりの真ん中には僕と同い年くらいの少年。白と黒のまだら模様の帽子を深く被り、表情はよく見えないが、怯えている様子だった。

 その隣には、真っ赤な髪に、小さな黒いハットを被っている、少年よりも一回り小さい少女がいた。赤い瞳が印象的だった。この子も少年と同様、状況がわからないというのもあるだろうが、とにかく怯えていた。

 2人の様子から察するに、村人はよそ者が来たからと、鍬を装備し、この2人に攻撃しようとしていたのだ。

 僕は2人に近付く。

 村人全員が僕の言動を見守っている。

 2人はビクッと体を震わせた。

 僕は少年の肩を優しく叩き、表情が見える位置に腰を屈めた。少年は驚いたような、バツが悪そうな表情をした。

 目を逸らした少年に僕は聞く。

「名前は?どこから来たの?」

「え、えと……」

 そりゃあ戸惑うだろう。わざと答えられないような質問をした。僕は戸惑う君を見て楽しむ。

「なんてね。ちょっとからかっただけ。……久しぶり。よく来たね」

 そう言って、僕は手を差し伸べる。

 周りの村人は驚き、罵声を浴びせる。どういうことなんだと。知り合いなのかと。

「ちょっと野暮用でね。僕の知り合いなんだ。怖がらせたりしたらどうなるかわかるよね?」

 その一言で村人全員は押し黙る。それならば仕方ないという風にちらほらと解散していった。

 少年は僕の手をじっと見つめていた。

「……正直、あの時君が、僕に話してくれた時、頭を撫でてやりたかった。でも、君は人間じゃなかったからできない。だけど今はそうじゃない。……今、撫でていいか?」

 少年が頷くのを確認すると、優しく撫でてやる。すると、少年の方から寄りかかって来た。ほぼ同い年の男が抱き合う姿なんて見たくもないが、気に留めない。存分に泣くがいい。君はよく頑張った。

 赤い瞳の少女も目を潤ませ、飛び込んで来た。

「僕が君の最初の友達だ」

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