第10話 迷いと葛藤

その晩、海斗は再び夢を見る。

今度の景色は戦場ではなく、一筋の光も届かない闇の深淵――。

苦しい――。 

海斗は必死に叫んだ。

視界を完全に奪われ、逃れようのない圧力に体を押さえつけられているような恐怖がある。


 『お前はいつでもそうだろう? ルールに縛られ、自由などどこにもない』

 絶叫に割って入るのは、やはり昨日と同じ、醜悪に歪む低い声。

 「黙れ!」

 反論を述べようとするが、声は音を失っていた。激痛が脳を焼き、体は金縛りにあったようにピクリとも動いてくれない。

 『なんだお怒りじゃねえか。だったらその怒りを他の場所にぶつけようぜ。全てをぶっ壊すんだよ。俺とお前ならそれが出来る』

 「全てを壊す? ふざけるな! 平和を脅かして楽になんてなれるはずがない。争いは憎しみを生むだけでそれ以外は何も生まない」

 『だが、綺麗事からだって何も生まれないはずだ。お前もそれを分かってる。そうだろ?』

 早く目を覚まさなくては。このままでは、意識の全てを奴に持っていかれる。

 速く。はやく。ハヤク――。

 


 「はあっ……!」

 次の瞬間漆黒が消え、うす暗い闇へと意識がうつる。

 勢いのままベッドから跳ね上がると、血流の全てが逆流したのではと思うくらい、頭がくらくらしていた。呼吸も切れ切れで、耳の奥から拍動が響く。

 いくら真夏だからと言って、この量の汗は尋常じゃない。

 海斗は小刻みに上下する肩を整えながら、部屋の外のベランダに出た。

 風は生暖かいが、今はそれさえ心地よく感じられる。

 自分は、一体どうしたいのだろうか――。


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 宵闇の気配漂う夕暮れ時。

 初日の職務を無事終えた海斗は、家までの帰路についていた。

 今日も中々疲れた。仕事内容と言えば、トミオの言った通り雑用や器物の整理が主なのだが、それでも、慣れないことをするのは少し気を遣う。

 早く帰ろう――。

 疲弊を感じつつ、少し歩調を速めようとしたその時――。

 「すみません。あなたが海斗さんでお間違いないでしょうか?」

 どこからともなく声をかけられ、海斗は足を止めた。前には誰もいない。可笑しいと思い重い後ろを振り返ると、直後右肩を叩かれた。

 「急に声をかけてしまい申し訳ありません」

 海斗の心臓が跳ねる。困惑を声に乗せ、再び振り返る。

 「誰だ!」

 「そんなに怖い顔をしないでください。別に怪しいものじゃありませんよ」

 そこに立っていたのは、黒いローブ姿の男だった。ローブを頭まで被っているため、顔は見えない。だが、そのねばりつくような声室は、男以外には考えられない「異様」だ。

 「そんな格好の奴に急に声をかけられて、身構えない方が可笑しいだろ」

 海斗は一歩後退。眉根を寄せ、露骨に警戒を示した。すると男はローブの下で口元をぐにゃりと歪ませ、

 「それは失礼。ですが、あまり人を見かけで判断するべきではありません。その辺を歩いている普通の人間が一番普通ではない事を、あなた自身、一番よく分かっているはずだ」

 機械的な口調で言い切った。

 海斗は数舜押し黙るも、相手に鋭い眼光を向け、

 「何が言いたい。要件があるなら率直に言ってくれないか。こっちも仕事終わりで疲れてるんだ」

 威圧的な態度をとる。

「ではさっそく。あなた、私の仲間になりませんか?」

 返答は早かった。少しくらい同様してくれるかと期待したが、高望みだったらしい。言葉の節々に微かな笑いが入り交じり、男は嬉々とも狂気ともとれる様子だった。

 「仲間?」

 「今あなたは世界をどう思いますか? 正しいと思いますか?」

 海斗は返答に窮した。

 男の問いかけに要領を得なかった訳ではない。ただ、自分が日々思っている言葉が、この時だけ、どうしても喉元に詰まって出てこなかったのだ。

 すると男は冷笑。的を得たりと、大仰に両腕を広げる。

「抑圧で作られた世界が正しい筈がない! 今の平和は恐怖が作り出した偽物に過ぎない。人間が己の意思で争いを終えたというならまだしも。可笑しい可笑しい可笑しい。人間は本能的に争わなくては生きていけない生き物。故に争いこそ正義。戦争こそ平和なのです」

 両肩を興奮でお躍らせながら、甘美な余韻に酔いしれ始めた。

 海斗は身震いした。男に反論できなかったからではない。否定する所か、男の持論に聞き入っていた自分の存在に気づいてしまったからだ。

 「お前は、なんなんだ」

 海斗は質問には答えず、唐突に話を変えた。この男は危険だ。敵意さえ示さないが、それが逆に、男の不気味さを助長しているようにも思える。淀みなく出てくる言葉に温度はない。冷徹かつ冷酷な人間性が、手に取るように分かった。

 「ふふふ。心が急くのは分かりますが、そんな焦らないでください。そのうち分かりますよ」

 男は窘めるように言うと、ローブを翻しつつ反転。海斗は動けない。のに――。

 「ああそれと、あなたがかくまっている少女。彼女からは目をはなさない事をお勧めします」

その時、海斗の心臓が鋭く跳ねた。身を硬直させるも、大股で男に攻め寄る。

 「お前、ユニを知っているのか?」

 「おっとそれ以上の詮索はご勘弁頂きたい。自分では質問に一切答えず、自分だ

要求を口にするなど、いかに傲慢な考え方だとは思いませんか?」

 ローブの下で、深紅の灼眼が光るのを、海斗は見た。

 男は獣人だ。所見で後ろを取られた時点でそのことは明白だったがそれ以上に――

「おい待て!」

海斗が手を伸ばしローブの袖を掴もうとした刹那、男は音もなく飛翔。闇の中に消えた後だった。


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