第9話 戦争の名残

 トミオの元を後にすると、海斗とユニは街の中心にある繁華街へと向かった。

 今日から少しづつ終戦祭の準備が行われ始めたらしく、様々な装飾が施された建造物が、やたらと目に付く。設備取り付け工事の為の交通整理も行われ、普段より人の密度が高いようにも感じられた。当然のように真夏の陽光がセメントダスを焼き、汗の匂いがそこいらじゅうに漂っている。

 「えっと、俺あんまり服とかよくわかんないけど、どういうのが着たいとかあるか?」

 海斗はすれ違う人にぶつからないように気を配りながら、隣を歩くユニに問いかけた。慣れない場所に足を踏み入れたのは、ユニの衣服調達を柚葉に命じられたからだ。

 柚葉がの弁によると、『女の子はちゃんとおしゃれしなくちゃいけないの』との事らしい。

 どうやら異論は許されないようで、しぶしぶこの通りまで来てしまったという訳だ。今貸しているロングスカートでも全く問題ないと思うし、他人にここまでしてやるのはどうかと悩みどころなのだが、

 「まあ、今日くらいはいいか……」

ついさっき仕事が決まった海斗には、少しだけ余裕があった。それに結果論でしかないが、事実ユニのおかげで今回の成果を得られたと捉えることも出来なくない。故に服の一着や二着は許容しようと、考え方を改めたのだった。

 「おい。聞いてるか?」

 ユニが黙っているので返答を催促したのだが、彼女は海斗の話を聞かず、落ち着き無くあたりに首を巡らせていた。まるで誰かの視線を拒み、怯えているようにも見えてしまう。

 きっと人込みに慣れていないのだろう。海斗はユニのそばにすっと寄ると、

 「ちょっとこっちこい」

 「え……?」

 けがしていない方の手を掴み、通りの端の方へと誘っていく。

 「服、どういうのがいい?」

 頬を赤らめるユニに向かい再び問うと、彼女は我に返ったようにパッと開いた口手で塞ぎ、

 「あ……すみません、私……」

 優しく腕を振り払いながら、まず謝辞を述べる。

 「いや、いいんだけどさ。柚に服買ってやれって言われたからここに連れてきた訳なんだが……」

 「けど、なんか悪いです。今かしてもらってるのでもありがたいくらいなのに。それに、私もあまり服とかよく分からなくて……」

 「んなこと言われてもなぁ……」

 不意に妹の怒り口調が鼓膜を叩き嘆息。互いに押し黙り空白の時間が訪れ、これではらちが明かないと眉を寄せる。どこか適当な店がないか建物全域に視線を走らせるも、

 「だったらあそこがいいです」

 困らせては申し訳ないと思ったのか、ユニが予告なく前方を指さした。

 彼女の指し示す先を目で辿ると、そこにあったのは木造でできた小さな古着屋。

 「こんなところで良いのか?」

 「はい! 私はここがいいです」

 ユニが遠慮して言っているのは明らかだったが、本人が良いというのなら問題ないだろう。

 ガラス戸から中を覗き見る限り経営は慎まやかなようだが、逆にそれくらいの方が入店はしやすいというもの。海斗が了承すると、それ以上の会話は特に交わさず、店の中に入っていく。

 戸を押した瞬間、括りつけてある鈴の音が軽やかに鳴った。冷房が肌を撫で、すうっと汗が引いていく。木の香りが鼻に入ると、ここが都心だという事を少しの間忘れそうになる。中は意外と広々としており、多種多様の衣服が天井から所狭しと吊るされていた。

 「海斗さん! 服があります! 服がありますよ!」

 いきなり黄色い声をかけられて、海斗は背筋をピンと伸ばした。目を見開き、隣にいる筈のユニに顔を向けると、

 「これもかわいい! あとこれも!」

 そこにあったのはただの陳列棚で、彼女は店の奥の方で自由に商品を物色していた。艶のある碧眼を余計に輝かせ、姿見の前で体に服を合わせながら悩んでいるその様子は、まるで年端もいかない少女のようにも見えた。さっきまでの興味の欠片もなさそうだった彼女とは大違いで、海斗は呆気に取られてしまう。

 「なんだかなあ……」

 微笑ましい光景に海斗は自然と相好を崩した。目線の先ではユニが愛くるしい表情で手招きしてくるので、そちらに向かって歩いていく。

 「ちょっと試着したいんで、みてもらってもいいですか?」

 「いや、ああ……」

 ついいつもの癖で否定から入ろうとしてしまった。気の利いた感想など述べられるとも思えないが、取りあえずユニの持っていた服を何着か受け取り、最初の試着が終わるまで待つことにする。

 「海斗さん。どうですか?」

 少しして試着室のカーテンが緩やかに開いた。途端、海斗はその奥に広がる光景に言葉を失う。

 そこにいたのは白地のワンピースに身を包んだ、絶世の美女だった。

 彼女は右足を軸にしてくるりと回転。艶やかな金髪は宙に舞い、膝上までのスカート部分は滑らかに踊る。すると、ここにある全ての人や物は、彼女を際立たせるための装飾品に打って変る。他にいた客もぴたりと足を止め、一斉にユニの姿に注目した。

 「海斗さん? 海斗さん?」

 「あ……」

 呼ばれて何度目かにして、ようやく海斗は反応を返すことが出来た。

 「やっぱり、似合わなかったですかね……?」

 海斗の反応がいまいちだと受け取ったのか、顎を引き、露骨に落ち込んで見せるユニ。長いまつ毛は下を向き、露出した肩は少しだけ沈んでいるようにも見える。包帯が巻かれているだけに、その姿には妙な痛々しさがあった。

 人を褒めたりするのは一番苦手な分野なのだが、ここまで落ち込まれると何だか自分が悪い事をしているような気持ちになる。海斗はユニから視線を外し、頬の当たりを指で掻きつつ、

 「いや、いいと思うぞ」

 「本当ですか?」

小声で述べた海斗の態度とは対照的に、まるで飛び跳ねんばかりのにこっとした満面の笑みを浮かべるユニ。相当嬉しいのだろう。どうして服一着でここまで喜んでくれるのか甚だ疑問だが、これなら連れてきた方もその甲斐があったというもの。

 一応他の服も見てみるかと進めたが、ユニはもうこれで満足だと、首を横に振った。

 「じゃあ、買って早いとこ帰るか」

 海斗は応じ、早々に代金支払いを済ませようとレジに向かう.。

 すると恐らくここの店主なのであろう御老体がすっと立ち上がり、にこやかな笑みを二人に向けた。差し出したワンピースを袋に入れようとしてくれたその時、

 「ああ、悪いねえ……」

 老体は誤って、作業台上に置いてあったいくつかの写真立てを床に落としてしまった。速やかに拾わなくてはと思い、海斗は膝を屈め、

 「あ……」

 手に取った写真を見て、吐息交じりに声を漏らす。

そこに映っていたのは、今よりもはるかに新しい外観を持つ、この古着屋だった。店の前に軍事服姿の青年が立っていて、撮られた日付けは今から40年前と記載されている。恐らく戦時中に撮影した物で青年は老婆の御主人だろうと察しがつくが、詮索するのも失礼だと思い、海斗はそそくさと過去の遺品を拾い集て、

「これ……」

「ああ、すまないねえ」

 老婆はとても大切そうに受け取ると、目じりの皺を深くした。

 海斗はそんな彼女の表情の変化を見逃さなかったが、後方にもまだ並んでいる客がいることに気づき、手早に財布から代金を取り出す。

 「お金。ここにおきますね」

 「ああ、はいはい。すまないねえ。じゃあ、丁度。ありがとう」

 レジ前に料金丁度を出すと、老婆は先刻の表情をにこやかな表情で塗りつぶし、衣服の入った袋をユニの方へ差し出す。

 「あ……ありがとうございます」

 袋を受取り、通例の礼儀正しいお辞儀をするユニ。彼女は笑顔だったが、その笑顔は普段と少し異なり、薄らとした影のようなものを落としていた。おそらく写真が目に入り、彼女もまた何か考えさせることがあったのだろう。

 用が済んだところでそそくさと外に出ると、気温差の影響か間もなくして、額から汗が噴き出し始めた。

 そして、厳しい暑さの中脳裏にへばりついて離れないのは、先刻不意に視界に入った老婆の変調――。


 死んだ人間は二度と生き返らない。新聞やニュースの情報は日々上書きされていくが、心に刻まれた記憶は一生消えず、永遠にその人を傷付け続けるのだ。



 海斗とユニは駅に向かいながら、遥か前方で大気に霞む終焉の塔を一瞥した。

 泰然とそびえたつ巨塔は、戦争が終結し十年の月日が経過しようとしている今なお、平和の永続の大言を高々と叫んでいる。


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