第8話 仕事
日本エリア第一区――
屹立するビル群が空を覆う大都市に、一つの塔がある。
高さ300メートル超。直径46メートル。鮮やかな青銅色に塗りつくされたそれは、銀色の世界の中でも一際の異彩だ。
名を『終焉の塔』
一発の爆撃を理由に戦争が終焉を迎えたあの日。この塔の上から平和の提唱がなされたというのだから、その大それた名前にも大いに頷ける。
かつて軍事目的として監視および防御を理由に作られたこの塔は、展望目的に利用されるようになった今も、世界の平和を天空からずっと眺め見ている。
そんな世界的名誉ある建造物を窓の外に見ながらも、海斗は落ち着かない気持ちを抑えるのがやっとだった。心がそわそわしてしまい、取り付けのソファに座りながら激しく貧乏ゆすりに興じている。
海斗たちが今いるのは、東京エリア第一区に高々と構える病院の中だ。
無論、ここにきた理由は、ユニの怪我の診察をしてもらう為に他ならない。本来ならば家の近くの病院で済ませるべきなのだが、そう簡単にいかないのが、今回の悩みの種だった。
何を隠そう、ユニは保険証を持っていなかったのだ。故に、普通の医療機関で診察を受けることが難しい。自由診療という手はあるが、そこまでの金銭的余裕が今の海斗にある訳がなかった。
ではどうするべきかと、頭に浮かんだ一人の人物。
「博士しかいないんだよな……」
昨日大喧嘩をしたトミオを頼るという決断に至ったのだった。
彼は研究者でありつつ、医者免許も持っている。なので、彼に事情を話して事を解決するのが一番の近道だろうと、海斗は考えた。というより、それ以外の解決方法が思いつかなかった。
昨日の失態のせいで相当気まずいのだが、つべこべ言ってはいられない。
「あの、やっぱり私、迷惑でした? 病院にまで連れてきてもらっちゃって」
海斗が深刻な顔で黙っていると、隣に座るユニが凛としたまつ毛をこちらに向け、顔を覗き込んできた。心底申し訳ないと思っているらしい。
「いや、別にそういう訳じゃ……」
海斗は言葉を濁しながらも、必死に否定。しかし、どうしても先日自分がしてしまった愚行が脳裏を過り、口調が重くなってしまう。
トミオが気にしていることを掛け合いに出し、散々に罵倒した自分が情けない。トミオのあんなにも悲しみに打ちひしがれるような顔など、初めて見たのだ。それなのに自分は、今まさに立場を利用してトミオ頼ろうとしてる。
自分の姑息さにため息をつき、ボサボサの髪を指でいじくりまわしていると、
「知り合いがきてると言うから誰かと思うたら海斗じゃないか」
海斗の心中とは対照的な楽観的な声。ぴたっと貧乏ゆすりを辞めると、既に逃げ道は封鎖されたと自分に告げ、声のした方に顔を向ける。取りあえず立ち上がってトミオの前にたつと、
「あれ? ちょっと君大丈夫? 腕に包帯してるみたいじゃが……」
トミオは海斗をスルーしてかわし、ユニの外傷部を診始めてしまった。
これにはさっきまでの緊張感を返せと、無音の絶叫を飛ばさずにはいられない。 医師の資格を持つ彼にとって、もしかしたらこれが当たり前の対応なのかもしれないが、
「あの……この人はその……海斗さん?」
否、絶対に違う。必要以上の親切の押し付けに、ユニは困惑しながら海斗に助けを求めていた。
初老の戯れに海斗はやれやれとばかりに顔を顰めながら、トミオの肩を軽くたたき、
「あのさ博士、悪いんだけど、場所移させてもらえないか?」
「ん? あ、そう?」
思いのほか早く希望を聞き入れてくれたトミオに感謝しつつ、3人は彼専用の研究室へと足を進めた。
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「ただの打撲じゃろう。腫れは酷いが骨は折れてないみたいじゃな。とりあえず安静で、薬だけ出してやるわい。激しい運動さえしなければ日常生活くらいは差し支えないじゃろう」
「あ、ありがとうございます」
診察が終わると、左腕に厚めの包帯を巻かれたユニが、トミオにお辞儀した。
骨が折れている可能性は極めて低いと思われたが、それでも確信を得られたことに安堵したのだろう。ユニは患部を軽く動かして、ほっと一息。すぐ後ろに立つ海斗に振り返と、
「海斗さんも、色々とありがとうございました」
「ああ。良かったな。何もなくて」
海斗も本当の意味でやっと肩の荷が降り、長めの安堵の息を吐く。
まさかトミオが、ここまで可及的速やかにユニの診察を受けてくれるとは思ってもみなかった。断られる心配こそしていなかったが、昨日の事に一切触れられぬまま了承されたのには少々拍子抜けだし、冷やかし文句一つくらいは覚悟していたので肩透かしを食らった気分。
それでも、きちんと礼は言っておかなくてはと思い、海斗は一度唇を舌で湿らすと、
「博士。悪かったな。無理頼んじゃって」
気恥ずかし気に礼を言う。
トミオはそれに「おう」、と一言で応答。それから薬を捜す手を辞め、椅子ごとくるりと海斗の方を向き、
「そんな事より……」
勢いよく立ち上がって、大股でどかどかと海斗の方によって来た。目の前に立ちふさがると、口元をにんまり緩ませて、
「いやー、海斗君。君には中々浮いた話がなかったから心配しとったが、こんなかわいい娘とねえ……」
「な……」
海斗は焦燥し、言葉を詰まらせた。無意識にユニを視界に入れるも、
「別にそんなんじゃ……」
語気を荒げながらの否定。
こういう類の話は、自分の性分ではない。今まで戦争や仕事以外に生きたことがないので、異性間の話を持ち出されるとどう返せばいいのか分からなくなってしまうのだ。
「何々? 焦っちゃって、もしかして」
トミオはそんな海斗の反応が面白いのか、おどけた表情を浮かべるユニをちらちら見ながら、探りを入れる。彼は終始楽しそうで、そこにはもはや研究者としての威厳などは、一切欠けていた。「このこの」などと言いながら、肘で海斗の脇腹をつついてくる。
「ほらあれだ。成り行きでこうなっただけで……」
「ふーん。そうなんだー。成り行きでねー。そんな成行きあるんだねー」
口をもごもごさせ言葉尻を濁す海斗だったが、尚追い打ちをかけようとしてくるトミオに我慢の限界を超え、
「そのことについてはもういいから!」
話の腰を折ろうと必死に足掻いた。
狭い研究室に叫び声が轟くと、トミオも観念し、やれやれと肩をすくめる。もう少し楽しみたいと緩み切った皺が訴えていたが、海斗はそれを許さなかった。
椅子に座っているユニをそそくさと立たせ、少し廊下で待っているよう促す。彼女はきょとん顔だったが、持ち前の聞き分けの良さですぐに対応。何も言わずに研究室から出ていく。
「なんじゃなんじゃ。面白かったのに。お前は本当に乗りが悪いのう」
トミオは遊び道具を取られた子供の用に頬を膨らませ、腕を組みながら海斗を睨む。
そうしつつも、彼は海斗の『頼み事』というのが何か本心では分かっているようだった。椅子にどさりと座り白髪まみれの頭を無造作に撫でると、
「あの子は、本当はどうしたんじゃ? 骨が折れてないにしても普通の怪我じゃないじゃろ。何があったんじゃ」
先ほどのトミオとは打って変わって、深い真剣みの宿る声。真実以外を見透かすその獰猛な瞳は、付き合いの長い海斗さえ虚実を吐くことは出来ない。戦後今まで生きてきた者特有の勇ましさが、彼の全身から湧き出ているのだろう。
「昨日の夜獣人に襲われたんだ。博士もテレビで見なかったか? うちの近くに半壊した場所があるって」
今朝家を出る前もう一度テレビをつけた時、東京エリア第六区の新緑地帯が半壊していたという情報が流れていたのだ。無論それは、昨日海斗が相対した狼男が作った戦跡。地盤が歪み川が氾濫するなどの大惨事だったとして、終焉祭のニュースの合間に何度も差し挟まれていた。
警察はどこかの獣人が暴れたのだろうという見解を述べているが、未だその犯人を見つけることは出来ないでいるらしい。海斗が命までは奪わなかったあの男は、回復を待った後何とか自力であの場から脱したのだろう。
と、海斗が大雑把に事件の内容を説明すると、トミオは顎先に触れながら何やら考える姿勢になる。何を考察しているのかは分からないが、はっきり心情を捉えることのできない表情をたまに見せるのは、目の前の研究者にはよくあることだ。
「博士、それで実は」
「薬が切れたんじゃな?」
海斗が本題に入ろうとすると、トミオは断定口調で話の端を引き継いだ。海斗は沈黙の中、頷きだけでそれを肯定。沈黙が二人の間に割って入るも、当然その沈黙を破るのは相談役のトミオの方で、
「すまんの。実は薬が今は出せん。殺傷衝動を抑える薬の複製は難しいのはお前もよくわかっているじゃろう?」
殺傷衝動――。
海斗たち獣人は、獣の力をその身に宿らせている。が、それは言い方を変えれば、獣の凶暴性そのものを与えられた存在という事でもあるのだ。
獣人は多大な怒りや悲しみが溢れ感情の抑制が利かなくなると、理性を失いなにこれ構わず攻撃し暴走するという問題点を抱えている。意図せず獣化し、自他関係なく無差別な攻撃を始めてしまうのだ。実際に獣人が世間から妬み嫌われている原因の大半を占めるのは、この殺傷衝動差し置いて他にない。
よって、彼らはその『不安定な力』に自ら振り回されることになってしまった。人から恐れられ、警察などの正義の場で活躍することさえかなわない。いつ爆発するかも不明な爆弾を国が所有したくないのは、火を見るより明らかだろう。
薬を処方することで衝動の発生を抑えることも出来るのだが、国から予算が降りない為複製が難しく、全ての獣人が処方を受けられていないのが現状だ。
トミオの話を聞き海斗は少しの間黙ってしまったが、一度背伸びして気持ちの整理をし、再び彼に向き合うと、
「オッケ―! まあそんな事もあるかなと思ってたし、まあいいよ。俺の場合他の奴らとは少し異質だし。何が会っても感情を抑制できればいいんだもんな。それに……」
あっけらかんとした口調で話していたが、海斗は言葉尻を小さくして壁の一点を見る。それから頬を両掌で叩くと、再び焦点をトミオに合わせ、
「もう獣化はしない」
自分にいい聞かせるように宣言した。
何が会っても自己を保つことさえできれば、殺傷衝動は発生しない。これについては獣人もただの人間も同様だ。何があっても自分さえ失わなければ、人を無意識に傷つけることはない。
「じゃあ博士、俺はもう行くよ。ユニも待ってるし、この後またいかなくちゃいけなところがあるんだ」
トミオはこくこくと首を縦に振り何かを思考しているようだったが、海斗は踵を返す。
「海斗よ……」
が、出口となる引き戸に手をかけた瞬間背中に声をかけられ、すっと後ろを振り返った。
「なんだよ博士……」
「お前、明日からわしの元で働かんか?」
海斗は耳を疑った。すぐには理解が追いつかず、目を丸くしてその場に立ち尽くしてしまう。
「え……?」
いきなりの事に驚きを隠せず、海斗は二の句が継げない。聞き間違えの可能性も示唆し、一度疑問符だけで応答すると、
「昨日は悪かったのう。なんじゃ、聞いたらあのユニとかいう娘はお前が助けたんじゃろ? だったらよい。その……お前を化け物と言った件については謝罪する。すまなかった」
奔放な研究者は腰を直角にまで折り、少し薄くなった頭頂部をこちらに向けた。海斗はその姿勢を見て、耳に入ったことは聞き間違いでないことを確信。
あの頑固な研究者がどうしていきなり? と言及したいところだが、無駄な事を考えている時間など、今は一秒でも惜しかった。
「そんな。俺からもお願いしたいくらいだよ。何というか、俺の方こそごめん。昨日は言い過ぎた。博士の気持ち何も考えないであんなこと……」
今までの無礼の数々を回想しつつ、詫びの一言を口にする。
トミオは一本筋の通った人間だ。海斗の無理な要求を聞いてくれたのも、彼の人間性があってのこと。昨日あんな言い争いをしたというのに、それでもいの一番に彼を頼ったのは、本来の寛容さを海斗が疑いきれていなかったからに他ならない。トミオなら助けてくれると、心の奥底で信頼以上の感情を捨てきれなかったのだ。
「じゃ、さっそく明日から来なさい。雑用ばかりにはなると思うが、給料はそれなりに弾んでやる」
予想通りの仕事内容を告白され、海斗は軽く苦笑いを浮かべる。
「じゃ、さっそく明日からくるといい。遅れるなよ」
海斗が世話になる胸を伝える前に、トミオはさっと踵を返し、何も言わず部屋の奥の方へと歩いていった。
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