第7話 終焉祭

 血の腐った匂い。天をつんざく銃声。無造作に転がる死体――。

 

 海斗は悲惨な場現場から逃げたい一心で地面に縮こまり、手で両耳を塞ぐ。

 しかし、それでも聞こえてくる、助けを求める声――。

 助けて。たすけて。タスケテ――。

 だが海斗は、大きく首を振ってその声を遠ざける。

 

 俺にはできない。別になりたくてこうなった訳じゃないんだ。人を助ける力なんて、俺には少しも……。


 『だったら俺の力を貸してやろうか?』

 

 黒く歪んだ声が、海斗の潜在意識に干渉する。


 『俺を出せ――。俺がお前に力をやる。だから余計な事を考えず、お前は俺を解放しろ』

 「黙れ!」

 次の瞬間、海斗は絶叫を飛ばしていた。

 「誰がお前なんかに頼るか! 何があったって、俺はお前に屈しない」

 『何を今更。本当はお前だって気づいてるんだろう? 今日だってもっと早く俺の力を借りてりゃ、あんな奴簡単に倒せたはずだ。さあ、早く自分の本当の姿を認めろよ。お前は俺なんだ』

 「俺は普通の人間だ! 化け物なんかじゃないんだ」

 『惜しいな。だが近いうちにお前は必ず、俺の力に頼ってくる。だからその時まで、しばしの別れだ』

 醜悪な声が遠のいていく。


 気が付くと、海斗は寝汗を全身にかきつつ、ベッドの上で喘いでいた。

 この夢を見るのは、一体何度目だろうか?

 そんな事を考えながらも、海斗はまたすぐに目を閉じる。今日はもう寝付けないかもしれない。そう思ったのもつかの間、数分と待たずして、意識は再び闇の深淵へと落ちていった。



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 静かな朝だった。

 妙に眼が冴えて、質素な自室の絵面がくっきりと視界に映っている。

 動悸もなければ呼吸の乱れもない。

 背中全体を覆う汗が少し気がかりだが、これはきっと暑さのせいだろう。

 ベッドからに寝ころんだ状態で背伸びをし、頬を両手で叩く。

 今日は晴れたななどと呑気な事を考えていると、通例のあいさつ代わりの声が鼓膜を叩いた。

 「おにいちゃーん。朝ごはんできたよー」

 「ああ、今行くー」

 だらけた返事をし、まずは洗面上へ。顔を洗い、背伸びをしつつキッチンへ向かうと、

 「お兄ちゃんおはよう」

 「ああ、おはよ……」

 エプロンを脱ごうとしていた柚葉が、茶碗見せながら訊いてくる。

 「お兄ちゃん、ごはんどれくらい?」

 どうやら今日は和食らしい。味噌汁の匂いが鼻梁を刺し、腹部がぐーっと音をたてた。

 「ああ、いつも通りでいいよ」

 海斗が答えると、よくできた妹は「分かった」と一言。

 中央に置かれたテーブルの方を向いた瞬間、壮麗な声が頬を撫で、海斗はそのままぎこちなく制止。

 「海斗さん、おはうようございます」

 声を辿った先にいるのは、ピンとした姿勢でテーブルに着いている、金髪碧眼の美女『ユニ』だった。既に着替えを済ませたようで、その服装は昔海斗がきていた黒地のTシャツと、柚葉の私物である純白のロングスカート。ユニは柚葉より幾分背が高い為くるぶしの上が少し見えていたが、まあ着るだけなら問題ないだろう。白と黒の対比がはっきりしていて、色白の彼女にとても似合っている。

「ああ、おはよう」

軽く会釈しつつ、ユニの向かいに腰を降ろす。別に存在自体を忘れていた訳ではないのだが、変化というものに対する免疫が、海斗からは著しく欠落している。故に一瞬だけ迷いの時間が出来てしまった。

それから特に目を合わせることなく無言を貫き、柚葉が席に着いてから3人で「頂きます」。

「ユニはこれ使って」

「ありがとう柚葉」

 柚葉から箸を手渡され、ユニは礼を言った。この二人はすでに、それなりに良い関係を築けているらしい。

 柚葉がの場合言わずもがなだが、ユニも大概コミュニケーション能力は高いようだ。否、というより……。

 相当気遣いな性格なのだろうと、海斗は推測する。何故なら、彼女の返す相槌全てが適格すぎるのだ。他人から変に思われない話し方。敵も作らないが見方も作れない付き合い方。それがやはり、彼女が戦災孤児であることの裏付けになっている気もする。そんな思索を巡らせていると、

 「は~。美味し~……」

 ほっぺたが落ちんとばかりに表情をだらしなくさせる、金髪の美女が目に入る。 今は人の目など気にしている時ではない。そんな、断固たる緩み顔である。

 「そ、そう……。よかったわ、口にあって」

 これには、さすがの柚葉も苦笑い。喜んでもらえるのは嬉しいが、朝食くらいでここまで感嘆されると、切なさが先にくるようだ。

 普段から大したものを食べていないのは分かるが、それでも大仰な食べっぷりは見事というもの。痩躯な体のどこに入るのか不思議に思えるくらい、どんどん米を平らげていく。

 海斗は茫然自失と言った顔で、その光景を見ていたが、

「あ……すみません……私居候の分際でこんなに……」

「いや、いいんだが。すごい食べっぷりだなと思って……」

 やはり苦笑いは隠せなかった。ユニは純白の頬を紅潮させ、肩をすくている。

 稼ぎ口がなくなった海斗にとって、他人の大食らいは看過できるものではない。が、心底旨そうに食事をする彼女に対し、「お前少し自嘲しろ!」などとも、口にし辛かった。絶対に仕事を見つけるぞと、心に固く誓ったその時、

 「今日はこの後ユニの病院でいいんだよね?」

 慣れない空気感に助け舟を出してくれたのは、卵焼きを口に運ぶ柚葉だ。

 「ああ、取りあえずユニの腕を見てもらわないといけないからな」

 本来は昨日のうちに病院を訪ねるべきだったのだが、近くの病院は全て閉まっていて、どうしても日を跨いでしまった。今は腫れもそれなりに引いているが、それでも一応見てもらった方がいい。海斗はこの後の日程を頭の中で整理しつつ、少し言葉を濁しながら、

 「聞いてると思うけど、今日柚葉は学校だからこの後は俺と二人になるけど、大丈夫か?」

 「はい。分かりました」

 ユニは患部に触れていた指を放すと、口元に微笑みを浮かべ、二つ返事で了承した。

 海斗は面食らいながらも、再び箸を動かし始める。ユニが自分たちを怖がっていない事は分かるのだが、なんの迷いもなく即答されると、本当に大丈夫かと疑いたくなってしまう。

 何となく心の居所が悪く感じ、海斗はテレビのリモコンに手を伸ばす。

 画面がついて、ニュース番組が映し出されると、

 《本番を控えた終戦祭りですが……》

 小奇麗な着飾りを纏ったキャスターが、荒廃した戦場の映像をバックに、何やら説明していた。

 「そういえば、今年ももう少しだね、終戦祭」

 遠い記憶を手繰り寄せる物静かな口調で話す柚葉。その横顔にあるのは、嬉々とも憂いとも違う、とても複雑な哀愁だ。

 終戦祭とは、戦争が終結した8月9日に執り行われる、日本国最大の祭りである。都心である第一区を中心に開催され、世界中の重鎮を招いて行われる祭りは、今年も変わらず行われるようだ。これからの一週間、嫌でも戦争の特集を見せられることになるだろう。

 今もまさに画面が移り変わり、そこでは煌びやかな金品を纏った国の総理大臣が、世界平和や戦争反対についての講演を行っている。各国の重鎮が恥ずかしげもなく、綺麗ごとに綺麗ごとを重ねていく様は、実に作り物めいた光景だ。

 「やっぱ消すぞ」

 見ていた海斗は、急に胸糞が悪くなり、画面の色を黒くする。ユニが目を丸くして自分を見ていたので、取り繕うように咳ばらいを一つ。

 「ああ、何でもない。気にしないでくれ」

 卵焼きを口に放り、それを洗い流すようにして水を飲んだ。

 そして海斗は、心の奥底で声を荒げる。

 政治家なんて糞くらえだ。戦場を知らないくせに易々と命の重みについて話す姿、まさに滑稽極まりない。

 「ご馳走さん」

 海斗は早々に朝食を終え、椅子から立ち上がった。

 「お兄ちゃんもういいの?」

 「ああ、後で食器洗っておくからそのままにしておいてくれ」

 これから学校に行く柚葉にそれだけを言い残し、海斗は自室へと向かう。

 キッチンを出る時、ユニがいぜんとして何も映らないテレビに目を向けているのが目に入ったが、敢えてその表情を見ようとは思わなった。

 

 


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