白と紅の反転

春嵐

白と紅の反転

「失明、ですか」

「えぇ。残念ですが、視力が保つのは今年中まで、というところです」

「視力が戻る、見込みは?」

「眼底ごと移植すれば視力は戻るでしょう。しかしあなたの場合は、生きている状態の人から眼底ごと移植する必要があるので、ほとんど移植は不可能だと思ってください」

 そう言われてから、もう一週間経った。

 変わったのは、居場所が高校ではなくて、病院の個室になった、ということだけ。

 何も変わらない日常。夏から秋へ移り変わっていくのを、窓から眺める日々。



 どうやら特殊な症例らしいので、毎日決まった時間に検査をする。

 それ以外は、何も変わらない日常。

 今日は、高校の友だちがお見舞いに来てくれた。出席日数足りている人がいなくなり、教室は閑散としているらしい。

 急に、友だちが泣き出した。

「美夕季ちゃん」

「なぁに?」

「私の、私の片目をあげる。だから、元気出して。美夕季ちゃん」

「泣かないで。わたしなら大丈夫だから。受験、頑張ってね」

「だって美夕季ちゃん」

「目の移植なんかしてたら、佳子ちゃん受験に間に合わないよ。私はもう推薦で合格してるから。そこは安心だよ?」

 ひとしきり泣きじゃくったあと、友だちは寂しげに帰って行った。



 入院費用は、気にならなかった。

 事故で家族がみんな死んだとき、多額の保険料が支払われた。しばらくして、死んだおとうさんの友人を名乗る弁護士さんが尋ねてきて、私に、おとうさんからの手紙をくれた。自分の死後に渡すよう、言われていたらしい。

 死んでしまったことを詫びる言葉から始まり、私が生まれてきてくれたことへの感謝、いい保険に入っているからお金の心配はしなくていいということ、何か困ったことがあったら弁護士さんに相談すること。

 そして、自分の名前の由来が、書かれていた。


 美夕季が生まれた日は、夕焼けが綺麗で、空一面が真っ赤でな。お母さんが手術室に入ってからは、おとうさん、気が気じゃなくて、ずっと夕焼け空を見てたんだ。きれいな夕焼けだった。そしたらな、美夕季の泣き声が聞こえてきたんだ。だから、こんな美しい夕焼けや、綺麗な季節を、たくさん見てほしいと思って、おとうさんは、美夕季って名前にしたんだ。


 そう、書いてあった。

 弁護士さんは、事故の相手から多額の補償金も取ってきていた。おとうさんがいなくなってからは、自分が親代わりだから、頼りなさいって言われた。おとうさんにはなれないけど、おかあさんぐらいにはなるわよって、笑ってた。

 おとうさんの見たような綺麗な夕焼けは、あと一か月で、見えなくなる。

 外は、風が吹いている。まだ、雪が降るほど寒くない。



 検査室へは、長い廊下が続いている。

 私は、パジャマのまま、その廊下を歩いていく。点滴もしていないので、着のみ着のまま、そのサンダルの音に耳を傾けながら。

 いろんな人と、すれ違う。


 看護婦さん。彼氏募集中。

「美夕季ちゃん、こんにちは」

「こんにちは、看護婦さん。夜勤明けですか?」

「あら、分かる?」

「目のした、くま、できてます」

「それは大変ね。これから合コンなのに」

「がんばってください」

「えぇ、頑張るわよ。あなたもね」

「はぁい」


 介護士さんと、おばあちゃん。

「美夕季ちゃん、こんにちは」

「みゆきちゃん、こんにちは」

「こんばんは、おばあちゃんと介護士さん。今日はおばあちゃん、調子よさそうですね」

「そうね。美夕季ちゃんのことも覚えてるし。でも、もうすぐおじいちゃんの命日でねぇ」

「そうですか。おばあちゃん、元気でね」

「みゆきちゃんも、げんきげんきでね」


 検査室に行く前に、診察室に行く。まずは、診察を受ける。

 主治医さん。実は介護士さんは、主治医さんのことが好きだ。

「美夕季ちゃん、目の調子はどうだい?」

「主治医さん、こんにちは。いたくもかゆくもないです」

「ごめん、受験前にこんな検査詰めの毎日を遅らせちゃって。医者失格だな」

「いえ、大丈夫です。もう推薦で合格してるので、大学には行けます。失明の事を伝えても、合否には関係ないそうです。後で大学提出用の診断書をお願いします」

「それでもな、ごめんな、いつもいつも検査ばかりで」

「わたしの検査で誰かが助かるなら、よろこんで協力します」

「ありがとう」

「こちらこそ、いつも診断して下さって、ありがとうございます」


 診察室を出る。

 すぐに検査室へは向かわず、いったん廊下の角に隠れる。この後、介護士さんが主治医さんと(恣意的な)ランダムエンカウントをして会話する。それを盗み聞きするのが、一日の楽しみだった。

 がんばれ、介護士さん。

「美夕季ちゃん、どうでした、藤井先生」

「これは坂井さん。おばあちゃん、こんにちは」

「こんにちは、めのせんせい」

「美夕季ちゃんが検査に来る時間帯は、この廊下も人が多くなるな。美夕季ちゃんが検査室まで行く時間帯になると、ナース室から看護婦も出てくるんだ。合コンのメイクとかを、高校生に訊いたりしてる」

 看護婦さんは、本気になって彼氏を漁りに行ってるんだ。主治医さんはそこら辺のところが鈍い。少しは目の前の介護士さんの恋心に気付け。

「きっと、美夕季ちゃんが優しいからなんじゃないかしら。おばあちゃんが、美夕季ちゃんは優しい目をしてるってよく言うんですよ」

 んなわけあるか。介護士さんは主治医さんにアタックするためだろ。

「みゆきちゃん、がんばれがんばれ」

「医者なのに、彼女の失明を待つしかないってのは、不甲斐ないな」

 そんなことはありません。いつもよくしてくださってます。

「そんなことはありませんよ。先生の息子さんは、どうなさってます?」

「ようやく、いろいろ受け入れてくれたようです。やっぱり、心に傷があるというか何というか。外側の傷ならまだしも、こころは見えにくい」

「みんな、あの夕焼けの空から始まったんですね」

 先生の、息子。

 先生は独身だったはずだけど。


 介護士さんと主治医さんの絶妙にかみ合わない会話を楽しんだ後、検査室に向かう。

 長い廊下のなかでも、検査室に近づいてくると、人通りが減っていく。たまに会うのは、死を待つ人たち。

「こんにちは」

「こんにちは」

 自分と同じくらいの年齢の男の子。

「あなたも、検査、ですか?」

「いや、俺はヒマだからここにいるだけ」

「そっか」

「…おはなし、しない?」

 年齢が同じくらいの異性と話をするのは、久しぶりかもしれない。もう、高校に通わなくなって半年近くになる。

「俺ね、生まれてすぐの地震で家族がみんな死んじゃって、ここの医者に拾われたんだ」

「眼科の藤井先生?」

「そう。いまの俺の、親父、になるのか」

「実感、無いの?」

「そうかもなぁ。でも、俺が生まれてすぐの地震だったし、親の顔も分かんないんだけどね」

 会話に出てきた先生の息子は、この子なのか。

「養子縁組?」

「養子縁組ではないけど、それに近い感じ。地震で俺以外の親族全員が死んだもんだから、遠縁だった藤井先生が拾ってくれた」

「手術着を着てるけど、どこか悪いの?」

「いや、仮病。ずっとこんな感じ」

「グレてるの?」

「正解。頭いいね。外に出ると誰かれ構わず殴ったりするから、病院内で親父に監視されてるってわけ」

 嘘だ。介護士さんと主治医の会話では、こころの病だと言ってた。

「もう検査だから、行かなくちゃ。私は、503号室の美夕季」

「おれは、凌。眼科近くにいつもいるよ。今度はおれが503号室に行く」

「私も検査のとき以外は暇だから、いつでも来てね」

 それが、凌との出会いだった。

 まだ、雪には早い季節。



 それから、毎日のように凌は部屋に来た。

 ふたりで、いろんな話をした。

 大学に受かる気はしないけど、凌はセンター試験を受けると言っていたから、少し勉強を教えたりもした。

「もうすぐ、命日なの?」

「そう。地震のあった日。ついでに、俺の誕生日。地震の日に生まれたからな」

 悲しそうな目。

 自身の日、病院から助け出されたのは、凌ひとりだけ、だったらしい。

「ってことは、また、夕焼け出るのかな」

「夕焼け?」

「地震の前の日、すごく綺麗な夕焼けだったんだって。私の名前が美夕季なのも、そこから来てるの」

「そっか。俺は、なんで凌って名前なのかも分からないままだなぁ」

「雪も、降るかな」

「綺麗な夕焼けに、雪?」

「大雪が降る前後の空って、赤くなるでしょ」

 雪は、降るだろうか。



 検査に行く廊下で、おばあちゃんが暴れていた。

「介護士さん」

「あ、美夕季ちゃん」

「おばあちゃん、どうしたんですか?」

「どうやら、おじいちゃんのことを思い出してるみたいでね。私にも、どうしようもなくて」

「わたしに任せてください」

「あっ、待って美夕季ちゃん、危ないわ」

「おばあちゃん」

「あぁ美夕季ちゃん。おじいちゃんが見つからないの。一緒に探してくれる?」

「おばあちゃん、おじいちゃんはね、おばあちゃんのすぐそばにいるよ」

「どうして?」

「おばあちゃんからは見えないだけ。おじいちゃんはずっとおばあちゃんのそばに」

「嘘だ!」

「うぅん。聞いておばあちゃん」

「美夕季ちゃんの嘘つき!」

 おばあちゃんは、私に手あたり次第、物を投げつけてきた。

「美夕季」

「凌」

「こっちに来い」

 廊下の角まで、引っ張っていかれる。いつも主治医さんと介護士さんの会話を盗み聞きする場所。

「なにやってんだ」

「おばあちゃんが大変そうだったから、なんとかしてあげようと思ってたんだけど」

「ああいうのは、名前を出すと逆効果なんだ」

「そう、なんだ。しらなかった」

「美夕季、大切な人を失くしたこと、あるか?」

「ない」

「そっか」

「私も、いつか誰かを失うのかな?」

「かもな」

 背中を叩かれる。

「いいか、だいじなのは、ああやって、その人がいなくなった後、じたばたして悲しむことができるぐらい大切な人に会えるかどうかだ。そして、そのじたばたを受け止めてくれる人がいるかどうか」

「凌には、そういう人、いるの?」

「いねぇ」

「だめじゃん」

「だめだな」

 窓の外には、雪が降りそうな、午後の雲。



 失明する前に目を取った方が良いと主治医さんに言われたので、手術をして目を取ることになった。

 その話を、凌にした。

「失明、するのか」

「うん」

「手術とか、そういうのは」

「生きてる人からしか、移植できないんだって」

「そっか。大変だな」

「うん」

 凌は、失明の話をしても、そんなに驚いたように見えなかった。それが、すこしうれしかった。

「友だちとか、目をあげるって言いに来るだろ」

「うん」

「やっぱり、迷惑に、思うもんなのか」

「迷惑というか、誰かの目を犠牲にしてまで、何かを見ていたくない、のかな」

「じゃあ、俺が美夕季の目になってやる」

「え?」

「俺が、美夕季といつも一緒にいて、美夕季の見たいものを俺が見てやる。それなら、俺の目は犠牲にならないし」

 ちょっと、不思議な感じだった。

「でも、そしたら凌、手あたり次第に喧嘩を仕掛けられなくなるよ?」

「そうか。それは困ったな」

「あ、雪」

「綺麗だな」

「うん」

「そうだ、俺の見てる雪と、美夕季が見てる雪、同じ色なのかな」

「どういうこと?」

「俺は、この雪が白いって思ってるけど、俺にとっての白色は、美夕季にとっては赤色かもしれないだろ」

「ごめん、もう一回言って?」

「俺の赤は、美夕季の白かもしれない」

「うん」

 やっぱり、よく分からない

「まいったな、それじゃあお前の目になっても、色が違く見えちゃうじゃん」

「大丈夫だよ。凌が白っていったら、私の頭も白だって思うから」

 雪が、降っていた。


 目を取る手術の日になった。

「手術、がんばれよ」

「なんで凌が、やつれてるのよ」

「だって、目を取っちゃうんだろ」

「大丈夫。それだけだから。そんなに心配しないで。大丈夫。ちゃんと寝なきゃダメだよ」

「美夕季、好きだ」

「私も、好き」

「死ぬんじゃねぇぞ。生きているんだ。ちゃんと、生きるんだ」

「だから、目を取るだけだから。命は取られません。大事な人を置いて死ぬなんてしないから、大丈夫だから」

「そうか、じゃあ、大丈夫だな」



手術が、終わった。

 目が、見える。

「凌の目だ」

 そして、私は藤井先生から、全てを聞いた。

 凌が出生後すぐに地震で建物が倒壊し、瓦礫に生き埋めになっていたこと。それが原因で、もともと長くは生きられない身体だったこと。宣告された余命はもう過ぎていて、いつ死んでもおかしくなかったこと。それを隠して、私と接していたこと。

 そして、私に目を移植して、すぐに死んだこと。

「申し訳ない。凌の、最後の遺志だったんだ。自分はもう長くは生きられないけど、好きな人の目になってなら、自分の目は犠牲にならないって。最後の方は、目に見えるほどやつれてた」

「そう、ですか」

 涙は、出なかった。

 まだ、雪は止んでいない。



 退院しても、涙は出てこなかった。

 色が少しおかしく見えるが、藤井先生は大丈夫だと言った。脳が誤認しているだけで、眼底が定着したら治るらしい。

 家への、帰り道。

「センター試験、終わったね」

「うん」

「何とか切り抜けたから、第一志望行けそう」

「それはよかった。後期も頑張って」

「あ、ねぇ、見て、美夕季ちゃん。雪がやんで、すごい綺麗な夕焼けだよ」

「あっ」

 一面の真っ赤な雪に、一面の真っ白な夕焼け。

「美夕季ちゃん、どうしたの?」

 胸が熱い。体が熱い。頭がくらくらする。


 凌、あなたの目、ちゃんと見えてるよ?


 こんなに綺麗な、白い夕焼けが。

 真っ赤な、雪が。

「美夕季ちゃん、大丈夫?」

 涙が、あふれてくる。

「う、うぐ」

 凌、わたし、生きてる。

「うわあああ」

 そこから先は、よく分からない。

 佳子ちゃんに抱き付いて、ずっと、ずっと、日が暮れるまで、泣き続けた。

 凌。

 見える。

「佳子ちゃん」

「なに?」

「また、地震、起きるのかな?」

「そうかもね。あんなに綺麗な夕焼けは初めてだったし」

「あ、看護婦さん」

「あら、美夕季ちゃん、こんばんは」

「こんばんは。隣の方は」

「私のカレシ。いいでしょ。有名な地震学者なのよ。坂井と藤井先生の披露宴に間に合って良かったわぁ」

「は、はぁ」

「美夕季ちゃん、だね。話は聞いているよ。大丈夫。夕焼けと地震は関係ない」

「美夕季ちゃん。あなたも、その目で、いい男を見つけなさい。大丈夫、きっと、大丈夫」

「そう、ですね」

 凌。

 見える。

 微笑んでいる。

 その姿が、夕焼けと雪に、とけていった。


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白と紅の反転 春嵐 @aiot3110

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