短編等

【書籍1巻発売記念】桃花の生涯



「そこのお嬢さん――あんただよ、山吹色の布包み抱えたお嬢さん」

 言われ、桃児とうじは足を止めて声の主を振り返る。

 手招きしていたのは、茶店の店先で休んでいたらしい壮年の男だ。その風体から、占見うらない生業なりわいにしている占者だと思われる。

「あたしのこと?」

 小首を傾げて尋ねれば、男は「そうだ」と頷いてまた手招いた。


「よせよ、桃児」

 特になにも考えずに招きに応じようとすると、隣を歩いていた禾亮かりょうが引き留める。

「なによ」

「怪しいって。無視しとけ」

 鼻の頭に皺を寄せて、禾亮は手招きする男を一瞥した。

 言っていることは尤もだ。いきなり声をかけてきたあの男が物凄く怪しいのは確かなのだが、こんなに人通りの多い往来の店先で、なにか変なことをしようというのはかなり勇気のいることだと思う。


「おい、桃児」

 口煩い幼馴染みの指摘を無視して、桃児は占者の男の許へと身軽に近づく。

「なぁに、おじさん。あたしになにか視えた?」

 揶揄いを含んで悪戯っぽく尋ねると、男は大真面目な顔で「ああ、そうともさ」と頷くものだから、桃児は心底驚いた。


 この国で占者の授ける託宣ほど重要視されるものはない。それ故に、占者を名乗る者は法外な対価を要求したり、詐欺などを働くと厳しく罰せられる法も整備されていて、滅多なことはしないようになっている。


 そんな占者がわざわざ声をかけてきたくらいなのだから、きっとなにかある。

「……なにかよくないこと?」

 表情を引き締めた桃児は、心の内に僅かな怯えと困惑を抱きながら、男に尋ねた。

「それを確かめたいので、顔をもう少しよく見せておくれ。わたしは顔相を見て占うのだ」

 こんなことは自分も初めての経験だ、と男は何処か緊張を含んだ声音で言って、自分の隣に座るように桃児を促した。

 警戒心満々で桃児について来ていた禾亮は、腰を下ろす桃児と、その顔を覗き込む男の様子を睨むように監視している。桃児になにかされそうになった場合はすぐに逃げ出せるよう、その手足にははっきりと力が込められていた。


 男は桃児の顔をじっと覗き込み、なにかを深く考え込んでいる。

 桃児の家は、暮らすのに困らない程度の職人の家で、そんなに頻繁に占見に頼ることなどない。だから、生後託宣以外で視てもらうのは初めてのことだ。

 男が桃児に引っ掻かりを感じたというのがなにかよからぬことでなければいいのだが、と不安を募らせながら視線を受け止めていると、男はそろりと瞬いて視線を外した。


「――…ふむ」

 目頭を指で押さえて小さく呟くと、何度か瞬く。ずっと凝視していたので疲れたのだろうか、と少し心配しながら、男の言葉を待った。

「お嬢さん、自分の生後託宣は知っているかい?」

「ええ、もちろん」

 桃児に授けられた託宣は「多少苦労することもあるが、健康で明るい働き者に育ち、元気な子を産むだろう」というものだ。確か隣家の幼馴染みも、多少文言が違うが同じような内容で、これは女の子にならよくあるありふれた託宣だった。

 それを告げると、男はこくりと頷き、傍で睨みを利かせている禾亮を見上げる。

「彼は、お嬢さんの恋人かい?」

「えぇ……どうだろう? そういうんじゃないけど、親同士はそういうつもりっていうか」

 家は向かいで父親は同じ職人同士で、かなり付き合いは深い。まるで兄妹のように育ってきたので夫婦になることは想像しにくいが、恐らくそうなるだろうと思われた。

 禾亮がなにか言いたげに睨んでくるのを感じたが、桃児は無視を決め込む。だって、まだそんな話はなにも出ていないのだし、嘘は言っていない。


 桃児の答えに「なるほど」と頷いた男は難しい顔つきになった。

「わたしは占者だから、視えたことに関して嘘は言わん。だが、占見というものは確実に当たるというものでもないし、あくまで己の進むべき道の目安とするとよいとされているものだ」

 信じるのも信じないのも自由だ、と言われ、桃児は頷く。


「それで、なにが視えたの? よくないもの?」

 嬉しいよりも不安の方が強いが、昂揚した心地で尋ねると、男は声を低めて言った。

「王気が視えた」

「おうき?」

 慎重に告げられたそれは、初めて聞く言葉だ。


 どういう意味なのかと首を捻ると、男は難しい顔を崩さないまま「珍しいものだ」と教えてくれる。

「王の気と書く。王とつくから王族に関係するかと思うだろうが、すべてがそうではない。占見用語とでもいうべきかな。国王、政治家、武将、英雄――立場や身分はいろいろとあれど、多くの人々を導く運命を引き寄せるものだ」

 例えば歴史に名を残す大将軍など、そういった人物には王気が視えるらしい。


 へえ、と桃児は目を丸くする。

「……でも、あたし、そんな大それたこと出来ないわ。するつもりもないし」

 しがない木工職人の娘だ。特に学があるわけでも、度胸があるわけでもないし、人を惹きつける魅力があるわけでもない。

 横で禾亮が馬鹿にしたように笑う。その様子にちょっとムッとして、脇腹のあたりに裏拳を打ち込んだ。噎せているが知るもんか。


 占者の男はうんうんと頷いている。

「だから先に言っただろう。確実に当たるというものでもない」

「じゃあ、あたしには関係ないことなのね」

「お嬢さんに視えたものが、お嬢さん自身に無関係なわけがあるかい」

 呆れたように言われ、言われてみればそうだ、と慌てて思い直す。いくら見えないものを視る占者だからといって、関わりないものを視る筈がない。


「例えばだが、お嬢さんの子供が天下の大将軍になることだってあるかも知れん。そうすればお嬢さんは、英雄の母親だ」

「あら、そう。確かに、元気な子を産むって言われてるんだし、その可能性もないわけじゃないわよね」

 平民の身分からそんな大将軍になれるとは思わないけれど、絶対にあり得ないことでもない。何十年後かには実現していないとも限らない。

「面白かったわ、おじさん。お代は……」

 託宣を受けるには相応の謝礼がいる。

 男の服装はなかなかに立派だ。もしかすると何処かのお抱え占者なのかも知れない。そういう人はきっと法規範囲内で高額な謝礼を要求するに違いない。


 そんなに手持ちはないのだが、と思っていると、男は首を振った。

「もちろんいらんとも。勝手に視ただけだからね」

「そう? でも、悪いから、ここのお団子をご馳走させて」

 さすがになにも出さないのは気が引ける。気持ちだけでも渡しておくべきだ。

 じゃあ遠慮なく、と笑った男と別れて家路につくと、禾亮がぶすくれ顔で頭を小突いてきた。

「痛……っ、なによ?」

「桃児の莫迦。なにをあんな怪しげなおっさんに」

「うるさいわね。歩いてるとこを引き留められるなんて、よっぽどじゃない。なにかと思うわよ」

「そうは言ってもよぉ……」

「いいじゃない。別に不吉な話じゃなかったし」

 ブツブツとうるさい禾亮を無視して、足早に家へと急ぐ。


 その占者の男と再び会ったのは、それから二年程経った頃のことだった。




「おや、お嬢さんは……」

 貴族の家の前で配られる祝い餅をもらおうとする人だかりに加わっていると、不意に声をかけられた。

 見覚えのない顔だな、と思って訝しんでいると、男は「ほら、前に茶店で」と言った。

「――…あぁ、あのときのおじさん! よくあたしのこと覚えてたね」

「覚えているともさ。あんな珍しいことは滅多にないし、商売柄、人様の顔は記憶に残りやすいんだ」

「顔見て占うって言ってたもんね」

 桃児にも珍しい体験だったので、この男とのやり取りは記憶に残っている。


「おじさんもお餅――を、もらいに来たわけじゃなさそうだね」

 前に会ったときもなかなかに立派な身形をしていたが、今日はそれよりもずっと豪華だ。

「一仕事終えてきたところさ」

 男は人の好い笑みを浮かべると、ちょっと待ってな、と言って一旦踵を返す。すぐに戻って来ると、手にした餅をくれた。

「そら」

「あ、ありがとう……」

「さっ。揉みくちゃにされる前に行った、行った」

 促され、そのまま人だかりを抜け出す。


「……もしかして、一仕事って、ここのお屋敷で?」

 門のところでお辞儀をしている人達がいる。この家の使用人だとは思うが、高価そうな衣服なので、使用人の中でも偉い使用人達のような気がする。

 そんな人達に見送られているなんて、この占者、実はすごい人なのではなかろうか。

 ははっ、と男は軽く笑う。

「有難いことに、あすこの奥様に気に入られててな。頻繁に呼んで頂いてるんだよ」

「えぇ!? すごい。あそこの奥様って、王様の娘だったんでしょ?」

「そうさ。今の王様の、一番のお気に入りの公主様だ」

 今回はその奥様の息子である若旦那様に長男が誕生したそうで、その生後託宣の為に呼ばれたらしい。


「今日は、あの兄さんは一緒じゃないのかね?」

 以前会ったときには傍らで睨みを利かせていた少年の姿がないことに気づき、男はちょっと首を傾げた。

「禾亮はね、最近、仕事が忙しいのよ。うちの父も一緒に、すっごく大きな仕事を引き受けたから」

 男に対して詳しくは言うつもりはないが、実は王宮から仕事を依頼されたのだ。

 王宮の奥にある御廟の飾り棚を新調するというもので、緻密で豪華な彫り物をするのが父に任されたのだった。

 禾亮はそんな父に弟子入りしているので、作業を手伝っている。もうすぐ納期なので最後の追い込みに入っているらしく、二人とはここ何日かまともに話もしていない。

「そうかい。いい仕事に当たったのなら喜ばしいことだ」

 桃児の嬉しげな顔に、男も笑みを浮かべる。


「それじゃあな、お嬢さん。また偶然会うかも知れんが、達者で」

「ええ、おじさんも。さようなら」

 大通りに出てすぐに男と別れた。立派な身形で存在感のある男だが、小柄な所為か、すぐに人混みに紛れて見えなくなった。


 まだ温かい餅を抱えながら、桃児も家路につく。頭の中には、男に以前言われた言葉を思い浮かべていた。

(えーと、確か、王……あ、王気だったわ。王気……)

 偉業を為すような人物に視えるものらしい。桃児の場合は、もしかすると、そうなる運命の子供を産むかも知れないというのだ。

 まったく実感が湧かないし、そんな予兆も感じない。かといって、桃児自身がそういう人物になるようなこともしていない。

 恐らく来年あたりには、禾亮と所帯を持つことになると思う。何年後かに生まれるだろう禾亮との子供がそんな大人物になるのだとも、とてもではないが思えない。


 注文の品物が出来上がったら、納品の為に王宮までついて行くことにはなっている。下働きの者達が出入りするような通路を使うことになるのだし、王様と顔を合わせるようなことはないだろうから、万が一にも見初められる――なんて幸運に恵まれることもないだろう。そもそも、見初められるほどに美人でないことはわかっている。

 ではやはり、大人物とはいっても、皆から尊敬を集めるような凄腕の職人になるとか、そういったところではないだろうか。

 あまり期待したり、不安を感じたりしなくてもよさそうだ、と結論づけた。


「ただぁいまー」

 仕事で使う木材などを保管しておく為、広さだけはある家屋の、小ぢんまりとした住居部分に入って声をかける。作業場とは二重の戸をつけて区切っているというのに、木の削りかすが床の上に薄っすらと積もっていた。

 今朝も掃除したばかりだし、食事を摂る場所なのだから気をつけてと言っているのに、とうんざりしながら、作業場にいる父達に休憩をするように呼びかけた。


 お茶を淹れて、もらってきた祝い餅を分けながら、仕事の進捗具合を確認する。

「もう仕上げの段階だ。三日ばかりで完成だから、準備をしていてくれ」

「はぁい」

 父は口下手だ。仕事内容の交渉や納品の際は、明るく気が利く母が同行していたのだが、脚を悪くしてから出歩くのが難しくなり、桃児が代わりを務めるようになった。

 今回は依頼主が依頼主なので、口下手な父だけではやはり心許なく、とても緊張することだが、桃児も同行することになっているのだ。

「大丈夫かぁ?」

 揶揄うように禾亮が言う。

 大丈夫なわけがない。想像するだけで緊張する。仕事の依頼を持って来てくれた役人に会うのだけでも緊張したのだから。

 それでも、行かないわけにはいかないのだ。




 王宮には思ったよりもすんなりと入ることが出来た。

 納期として定められた日程よりも数日早かったのだが、門番にはきちんと話が通されていたらしく、すぐに通行手形を出してくれて、そのまま御廟のあるところまで案内してくれたので迷うこともなかった。

 案内してくれた門番は、その足で担当の役人に連絡を入れに行ってくれたらしく、御廟の神官達と納品に来た話をしている間に担当者達がやって来た。

 完成品の確認が終われば、あとは取り付けだ。父と禾亮が二人がかりで丁寧に手早く、神官達に指示された場所へと取り付けていく。

 力仕事は男二人がいれば十分だ。その間、桃児は荷車のまわりで、固定するのに使っていた莚や綱などを片付けておく。設置が終わったらすぐに帰らなければ。


「花なんか咲いていないじゃない!」


 神経質そうな女性の声が響いたのは、荷車に腰かけたときだった。

「まあ、いやだ。占者に騙されたのだわ!」

梨姫りき様、御廟の前ですので……」

 大きな声で不満を述べる女性に、お付きの女官達が小声で窘めるように告げる。


 だが、それが気に入らなかったのか、女性は持っていた扇子で女官の頬を打ち据えた。

「あたくしに意見しようっていうの?」

「い、いえ、そのようなことは……。ただ、御廟は神聖な場所でございますから、あまり大きなお声を上げられるのは」

「意見しているじゃない!」

 キンキン響く嫌な声を上げて、女性はまた女官を打った。


 うわぁ、と桃児は思った。今まで見てきたお金持ちの奥様達にもお嬢様達にも、こんな酷い人は見たことがない。

「そこのお前」

 王宮とはなんと恐ろしいところなのだろうか。こんな人とは絶対に関わり合いたくない、と思って身を縮めて視線を逸らしていたが、声をかけられてしまった。

 まさか自分のことだとは思いたくなくて、けれど、どう考えても自分のような気がして振り返ると、眉間に皺を寄せた女性がこちらを睨んでいる。


「こんなところで油を売っているなんて、どういうつもり?」

「えっ、いえ、あたしは……」

「あたくしの前で顔を上げているのも不敬! すぐに跪きなさい!」

 もうなにがなんだかわからない。けれど、高貴な身分の方の顔を直に見るのは不敬だと言われていることは、そんな人々と関わることが滅多にない桃児にもわかっている。慌ててその場に平伏した。


「あたくし、花を探していますの。知っていて?」

 地面を向いた桃児の頭の上から女性が告げる。

「あ、あの……お答えしても、よろしいのでしょうか?」

 顔を見ることが不敬なら、直接言葉を交わすことも同様だ。心配になってちょっとだけ顔を上げ、女官達へ尋ねるように視線を向けた。彼女達は慌てて頷いてくれる。

「では、あの、申し上げます。……私は王宮に奉公に上がっているわけではなく、仕事の納品で参上致しました。こちらのことはよく知らないので、お花が咲いている場所も知りません。お力になれず申し訳ありません」

 一気に事情を話し、返答を待つ。

 ちょっと注意しただけで殴られていた女官の姿を思い出し、この回答で気に入らなかったらどうしよう、と内心は恐怖でいっぱいだ。


 しばらく黙っていた女性は、ややして「どういうこと?」と怪訝そうに呟いた。

 桃児は慌てて帯に下げていた通行手形を外し、彼女達に見えるように捧げ持った。

「梨姫様。こちらは商人など、外の者が用があって入城する際に持つ許可証です。この娘は確かに王宮の下働きではありません」

 女官のうちの一人が確認してくれて、女性に説明してくれる。その様子に思わずホッとした。


 これで解放されるだろう、と内心で安堵しているところに、仕事を終えた父が「おぅい、帰るぞ」と言いながら御廟から出て来た。

「父さん……」

 大仕事を終えて肩の荷が下りた父は晴れ晴れとした顔で出て来たが、娘が煌びやかな女性達に取り囲まれている様子にギョッとした。

「あ、あの、これは申し訳ねえ。うちの娘がなにかしちまったんでしょうか?」

 慌てて桃児の傍に駆け寄り、膝をついて頭を下げる。

「いいや、娘御はなにもしておらぬ。我々が勘違いをして詰問してしまったのだ」

 女官の一人がそう告げ、主人である女性に視線を向ける。

 彼女はさっと開いた扇子で顔を隠しながら、女官の説明に「ええ、そう」と頷いた。その言葉に父がホッと息をつくので、桃児も胸を撫で下ろした。


「もうお行き。ここは後宮との境の場。仕事とはいえ、男子おのこが長居すべきではない」

「は、はい。もちろんそうさせて頂きます。……行くぞ、桃児、禾亮」

 女官の言葉に促され、父は慌てて立ち上がる。腕を引っ張られた桃児も立ち上がり、礼を欠かない程度に頭をもう一度下げ、荷車の許へと戻った。


「いいえ、お待ち」

 持ち込んだものの積み残しがないかざっと確認していると、あの女性が扇子の影から声をかけてきた。――なんだか嫌な予感がする。


「はい、なんでございやしょう」

 作業の手を手を止め、緊張しながら姿勢を正す。

「お前――その娘、桃児、というの?」

 少しずらされた扇子の後ろから、鋭い目つきが見つめてくる。蛇に睨まれた蛙のようになりながら、桃児はかくかくと頷いた。


 そう、と女性は頷くと、扇子を閉じた。

「お前を召し上げます」

「――…は?」

 突然の宣言に、その場にいた誰もが耳を疑い、言葉を失った。


「あたくし、占者に言われましたの。ここで花を摘み、それを殿下に差し上げれば、元気な男子を授かるのだって」

 先程までの剣呑な態度をすっかりと引っ込め、女性はにこにこと朗らかな笑みを浮かべながら言った。

「子宝を示す桃の名を持つ娘――お前こそが、占者の予言したあたくしの摘むべき『花』なのよ」

「そんな……っ」

「古来より、女は花にたとえられるもの。この場にそれらしい花も咲いていなくて、けれどお前があたくしの目の前に現れたのは、それこそが運命の導きというものでしょう」

 彼女が滔々となにを語っているのか理解出来なかった。


 連れて行け、と命じられた女官達が数人がかりで桃児の腕を掴み、父や禾亮と引き離して行く。

「いや! なにをするんですか!? 離して、離して!」

「桃児!!」

 引きずって行かれる娘に父が追い縋ろうとするが、女官達が行く手を阻む。

 そこへ、騒ぎを聞きつけたらしい神官達がやって来たが、女性は彼等を一瞥し、残った女官に「内官と衛士を呼んで参れ」と告げた。

 暴れる桃児を押さえつけながら、女官達が「ごめんなさいね」と苦しげな声で呟いた。



 それから、どういうやり取りがあったのかはわからない。

 桃児は後宮に奉公に上がったという態で、世太子付きの下女とされた。


「殿下に色目を使ったりしたら、ただじゃおかないから。その目玉抉り出して鼻を削ぎ落して舌を引き抜いて、広場で磔にして晒し者にしてやるからね。お前の家族も同様にしてやるから、よく覚えておおき」

 桃児の処遇を説明した女性は、恐ろしい声音でそんなことを言った。

 そんな脅しをかけるぐらいならば、桃児を後宮に捕まえたりしなければよかったのに、と思うのだが、託宣に因って決まったのだと一蹴されてしまった。あの御廟で摘んだ花を世太子殿下に捧げることで、元気で立派な男子を授かるだろう、と言われたのだという。


「妃が酷いことをしたようで、すまぬ」

 掃除婦のお仕着せを着せられて連れて来られた桃児に、世太子殿下と呼ばれている男性が静かに謝罪した。あの横暴な女性は、この男性の正妻なのだそうだ。

「しばらく耐えてくれぬか。ほとぼりが冷めたら、なんとかして家に帰れるようにしてあげるから」

 優しい申し出を有難く感じながらも、きっと彼女の尻に敷かれているのだろうな、と男性に同情しつつ、桃児は言われるままに掃除婦として働いた。


 来る日も来る日も、桃児の生家の何倍もの広さのある世太子の住居を掃除し続け、夜はくたくたになって狭い寝台に横になった。忙しく働いていれば、怒りも悲しみも寂しさも、ほんの少しだけ遠ざけることが出来たから。

 そんな不憫な桃児を、心優しい世太子はとても気遣ってくれた。

 だから、桃児が彼の子供を身籠ったのも、当然の流れだったのだろう。




(おじさんの言ってた通りになっちゃったのかなぁ……)

 元気な産声を上げる我が子を胸に抱きながら、桃児はぼんやりと思った。

 あの占者の男に会ったときには、まさか自分が世太子の子供を産むことになるなんて思わなかったし、そんなことを想像することも出来ないような立場だった。


「桃児、ありがとう。立派な男子だ」

 嬉しそうに微笑んだ世太子は、出産という大仕事を終えた桃児を心から労ってくれた。

 彼女の妊娠が発覚して以降、彼の正妻である梨姫に見つからないように細心の注意を払って隠し、なんとか出産にまでこぎつけた。この子がある程度大きくなるまで、このまま隠し通すつもりだ、と世太子は告げる。そうでもしなければ、この子も、桃児も命が危ないのだという。

 世太子妃梨姫は、それほどに恐ろしい女だった。


 その危惧の通りに、この子は何度も命を狙われることになる。それでも無事に育ち、七つになって正式に太子としてお披露目を受け、藍叡という名前を与えられた。


 その藍叡が、第二太子ながらも世継ぎとして世太子と定められた頃、桃児に王気を視たあの占者の男は、懇意にしている貴族の屋敷で新たな生後託宣を授けていた。

「これは人の子に非ず。長じてのち、王を智謀で支えるが、害を為すだろう。そうして、失われた光の先に名を残す」


 占者が運命を予見した二人が出会うのは、それから更に十年程後のことだ。





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