十一 王と王后(四)
そうして、とても静かな声で「そうですか」と頷き、懐から美しい刺繍の施された絹に包まれた小箱を取り出すと、それを卓の上に置いた。
「その決意が固いのならば、あなたが授かった本当の託宣をお伝えしよう」
思いもよらない言葉に、鈴雪も、控えていた
「本当の、託宣……?」
言われたことを確かめるように反芻すると、そうだ、と利星は頷いた。
「王家に忠誠を誓う貴族の殆どは、子が生まれ、占者から託宣を受けると、その内容を主上に報告することを義務づけられています。臣下にどのような子が生まれたのか把握する目的があるのでしょう」
面白いことに、生まれたときに授かった託宣は、その後にどのような人生を歩もうとも大きく逸れることはないものだと言われているし、事実、大抵の人間がそう実感しているものだった。それ故に王家は、特に重責を担う廷臣の生後託宣を知ろうとする。
鈴雪が授かった託宣は『この娘は、やがて王を害するだろう。しかし、必要でもある』というものだった。それ故に叛意を疑われ、一族郎党すべて処刑せよ、と乱暴な意見が出たことも聞いている。
その託宣とは別のものを鈴雪は授かっていたというのだ。
王に嘘をついたのか、と鈴雪は驚愕に震え、玉柚は青褪めた。その行為こそが王への叛意ありということではないだろうか。
「……あの」
話を続けようとした利星を遮り、玉柚は震える声を上げた。
「それは、私が聞いていてもよろしいお話なのでしょうか。退室した方が……」
女官がこうして控えている場合、主人達の話は聞こえない振りをしているのが基本ではあるが、あくまでも振りだ。しっかりと聞くことになる。
利星は少し考えるような素振りを見せたが、すぐに首を振った。
「今更、お主に隠し立てても詮ないことだ」
玉柚は今まで鈴雪にかかわる事柄は、ほぼすべてのことを見聞きして来た。隠す必要はない、と利星は言う。
「続けよう」
緊張した面持ちになった鈴雪に視線を戻し、ひとつ息をつく。
「あなたが生まれたとき、三人の占者を招いた。皆、評判のいい占者で、以前から懇意にしている占者達でした」
一人目の占者は『この男児は知略に秀で、王を守るだろう。よき官吏となる』と喜ばしいことを言った。
二人目の占者は、一人目とはまったく逆に『この娘は王に害を為す者。長じれば災いを招く』と恐ろしいことを言った。
「招いた最後の占者は言った。――『これは人の子に非ず。長じてのち、王を智謀で支えるが、害を為すだろう。失われた光の先に名を残す』と」
聞いたときは、なんと滅茶苦茶な託宣だ、と混乱した。こんなにも相反するものを同時に授けられた話など聞いたこともない。
だが、二つの性を持って生まれた歪な子であるのだから、そうなってしまっても当然なのだろう、と更に絶望した。
「どうすることが最良で最善だったのか、今でもわからないことです」
託宣の内容から考えれば、息子として育てるべきだと思った。けれど、もしも女性的に育ってしまったらどうなるだろうか。
ある程度の年齢になって小学に通わせるより前に、人里離れた場所に出家させてしまい、人々と関わらぬように生きさせることも考えた。しかし、不犯の誓いを立てねばならない御廟に、男と女のどちらとして出家させればいいのか判断がつきかねた。
妻や存命だった母と話し合いを重ねた結果、女として育てれば、男として育てるよりも、人目を忍ぶのが容易ではないか、という結論に至った。
それ故に、宋
そのときに男の方に授かった託宣の内容も僅かに混ぜた。女として生きさせることを選んだが、男であるのもこの銀珠という子供なのだから、という判断からだった。
そうして王に伝わったのが、『この娘は、やがて王を害するだろう。しかし、必要でもある』という文言だった。
当然、そんな不吉な託宣を授かった娘は叛意の兆しだ、と断罪されるのは理解していた。政敵と呼ぶほどでなくとも、対立している貴族は何人も存在したし、弱味を見せることが足許を掬われることだとも理解していた。
それでも、親しかった
利星は当時のことを思い出しているのか、僅かに瞑目した。
「許して欲しい――などということは、言うつもりはございません。けれど、そのような身体で生を与えてしまった我等夫婦の出来た精一杯だったことは、ご理解頂きたい」
そう言って正面からまっすぐに見据えてくる瞳に、偽りを述べている心は感じられなかった。鈴雪は静かに頷き返す。
ホッとしたように利星は顔を歪めた。
「今までの一連のことは、女の性が招いた災いだろう。しかし男の性は、知略によって主上をお守りすると言われている。きっとそれが、主上を支えて行かれると決められた、これからのことなのでしょう」
その言葉に鈴雪は頷く。
「まだ知識も浅く、そこまでに至れるとは思っていませんが、努力は惜しみません」
「もちろんそのように励んで頂きたい。なれば臣下として、お支えします」
「ありがとうございます」
礼を言って頭を下げると、利星はふわりと微笑んだ。
二十年近く思い悩んで来た肩の荷が下りたからだろう。自然で、やわらかな笑みだった。
「随分と長居を致しまして、お寛ぎのところに大変ご無礼を致しました」
そう言って拝跪すると、暇乞いとした。
「……あの、これは?」
退室の為に踵を返した後ろ姿に、卓の上に置かれたままになっている小箱を見やる。
利星は僅かに振り返り、眩しげに双眸を眇めた。
「へその緒です。あなたの」
その答えに驚き、もう一度小箱へ視線を戻す。
「よろしければお持ちください」
さらりと告げ、もう一度頭を下げて立ち去った。
鈴雪は小箱を手に取り、絹の結び目を解く。中から現れたのは、これまた美しく精緻な螺鈿細工の施された箱だった。
「大切にしてくださっていたのですね」
傍に来て一緒に覗き込んだ玉柚が零す。
その言葉に鈴雪も同意した。こんなに綺麗な箱に入れて、手のかかる刺繍のされた絹で包んでくれている。大事に扱ってくれていた証拠だ。
小箱を胸許で抱き、鈴雪はたった今出て行った父を追った。
「利星殿!」
回廊に出てすぐに利星の姿は見つかり、呼び止める。
足を止めた利星はゆっくりと鈴雪を振り返り、心持ち怪訝そうな表情をした。
「あの、訊いてもいいでしょうか?」
「はい?」
鈴雪は自分と何処か似た面差しの、壮年にしては若々しさのある顔を見つめ返す。
「私が生まれたとき、生まれたことを……喜んでくれたのでしょうか?」
ずっと、自分は両親に棄てられたと思っていた。不吉な託宣を授かって生まれたのだから仕方のないことだとはわかっていたが、心の奥底に眠る悲しさをどうしても払拭することは出来なかった。
後宮に封じられて以降も、一度として会いに来ることがなければ、手紙をくれることもなかった。議場や宴席で顔を合わせても無反応で、棄てられたことを改めて強く感じさせられたものだった。
けれど利星は、二十年近くも前に棄てた筈の鈴雪のへその緒を、ずっと持っていてくれた。大切にしまって。
「利星殿は――父上と母上は、私のような者が生まれても、
自分の誕生は両親に祝福されたものだったのだと、そう思ってもよいのだろうか、と不安な気持ちを胸に鈴雪は重ねて問う。
利星は鈴雪をまっすぐに見つめ返す。
「……わたしには、あなたの他に息子が三人と、娘が二人おります。どの子が生まれたときも盛大に祝いました」
揺れる視線へ、笑みを向ける。
「もちろん、あなたの生まれたときも」
その答えに鈴雪は不安に曇りかけていた双眸を見開く。
利星は小さく頷いた。
「子の誕生を喜ばぬ親はおらぬよ、銀珠」
優しく告げられた飾らない言葉に、鈴雪の心に根深く巣食っていた寂謬は、砂上の楼閣のように崩れ解けていく。
鈴雪はその場に膝をつき、深々と頭を下げた。
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