五 白鷺姫の宴(一)



永清君えいしんくんは、俺の叔父に当たる」

 目が覚めたあとに尋ねてみると、藍叡らんえいはあっさりと教えてくれた。


「お前にとっては……大叔父になるのか? 先々代の崩御後に生まれた最後の太子だ」

「崩御……お亡くなりになったあとに?」

 意外な言葉に驚いて尋ね返すと、そうだ、と頷きが返る。

「先々代はお盛んでな。病の床にも側室をはべらせていたという」

 そう言って可笑しそうに笑うと、首を傾げている鈴雪りんせつに目を向けた。

「叔父といっても、俺よりも年下だ。今年二十七だったか、八だったか。三十にはなっていなかった筈だが……はて?」

 指を折って空を見上げたあとに首を傾げる。永清君の年齢というものにあまり興味はないのだろう。まあいい、と首を振った。

「時折顔を見せに来るが、要は金の無心だな。官職にも就かず、なにをするでもなく、与えられた離宮でただ無為なときを過ごしている男よ」

 説明してくれる藍叡の瞳に、微かな憤りのようなものがあるのを感じ、鈴雪はその意味がなんとなくわかるような気がした。いい年をして、なにをするでもなく、気儘に過ごされていることが少々腹立たしいのだろう。


 王が身罷みまかると七日の喪の後に後宮は解散され、次王の妃嬪達のものとなる。残された先王の妃嬪達は基本的には尼寺に行って尼となり、その後の生涯は王の菩提を弔うが、例外の妃嬪もある。懐妊している妃嬪などだ。

 永清君は先王の即位後に後宮の外で生まれた故に、王の子というよりは、王家の縁戚の子という立場で育った。それでも太子の一人である。しかも、生母である側室は、宮廷でも屈指の重臣関家の出という立場だ。王位簒奪の旗頭に担ぎ出されてもおかしくはない。

 王の子は、公主なら降嫁したり他国に嫁いだりするが、世太子以外の太子の多くは殺される。玉座を狙って簒奪を目論むか、権利を求める廷臣に担ぎ出されて内乱の先頭に立つからだ。それ故に、永清君がこうして時折王宮にやって来るのは、叛意なしと主張する為でもあるのだろう。


 官職にも就かず、離宮に籠もって過ごしているということは、無能であるから王になる気もなければ資格もない、という意思表示なのかも知れない。だからなにもしない。

 しかし、無能な王を欲しがるのが逆臣だ。傀儡かいらいにして政権を握れる王程よいものはないだろう。

(面倒事があるのは、宮廷でも後宮でも同じなのね……)

 眉根が寄り、思わず小さな溜め息が零れる。

 何故こんなにも面倒なところにいなければならないのだろう、と改めて己の身の上を呪いたくなる。本当に嫌になる。


「会ったことのないお前は、永清君をどう思っているか知らぬが……恐らく、その予想は外れるぞ」

 もう一度溜め息を零したところで、藍叡が面白そうにそんなことを言う。

 どういうことだろう、と瞬いてみるが、彼は可笑しそうに肩を揺らすばかりで、それ以上詳しいことを教えてはくれなさそうだ。

「会えばわかる」

 そう言った藍叡の言葉の通りだった。


 正殿の前に広がる石広間で、中門から続く緋絨緞の上を歩いて来る人物を見て、鈴雪は思わず閉口した。

 背は高い方だと思うが細身で、ひょろりというよりは、なんだかなよっとした印象だ。

 女性のように髪を高く結い上げて髷に簪を挿し、背中の半ばよりも長い髪は垂らしている。装束は文人風ではあるが、施された刺繍がどうにも女性的で、その上、薄絹を被いているその下の顔は色が白く、紅まで差している始末だ。男なのか女なのかわからない風体だった。

 従えている供の者も、男性の侍従ではなく、女性の侍女の方が多い。しかも華やかに着飾っていて、目に楽しくはあるが、あまりにも華美で妓女のようにも見える。


 程よき位置で立ち止まって薄絹を落とすと、細面の横に大振りな耳環が揺れ、しゃらりと涼やかな音を奏でる。

「永清君、まかり越しましてございます」

 大袈裟なほどに大きな身振りで膝をついた永清君は、深々と頭を下げて拝跪した。

 よく響く声は成人男性のものだったので、その風体との差異に鈴雪はひっそりと眉を寄せる。やはりよくわからない御仁だ。

「面を上げられよ、永清君」

 藍叡は慣れたもので、面倒な挨拶口上はさっさと終わらせることにしたらしい。すぐに顔を上げさせると、客人をもてなす為の部屋に通すように侍従へ指示し、鈴雪の腕を取った。

「どうだ?」

 歩くように促しながら、ひっそりと尋ねてくる。

「予想は裏切られただろう?」

 可笑しそうにくつくつと笑いながら尋ねられるので、はあ、と間が抜けた返答をしてしまうが、仕方がないことだろう。その様子に藍叡は小さく吹き出した。


 鈴雪が想像していた永清君という男は、物静かな、影の薄い印象の青年だった。しかし、実際に会ってみた永清君は、なかなかに強烈な印象を与えてくれた。

 あれでは無能を演じているというより、ただの大馬鹿者うつけだ。頭の螺子が緩んでいるのではないかとさえ思えるが、何事も見た目だけで判断するのはよろしくない。お茶の一杯も差し上げるうちに本質の一端くらいは垣間見えるだろうか。


 藍叡の治世を脅かす簒奪者の筆頭は、彼なのだという。

 十年以上前に簒奪を目論んで内乱を起こした第一太子と第三太子は既に処刑され、第四太子は自ら志願して海辺の砦で生涯幽閉されて過ごすことになっている。

 そのときの戦に一切加わらず、与えられた離宮で閉じ籠もっていた永清君には、なにかしらの処罰を与えることもならず、結果として、彼は藍叡より若い王家の人間で唯一自由の身でいる存在なのだ。

 藍叡に子がないまま早逝するようなことがあれば、確実に永清君は次代の王となる。

 今の状況で、将来的に一番利を得る立場にいるのが、この奇妙な格好をした男なのだ。


 勧められるままに卓に腰かけた永清君は、鈴雪に微笑みかける。その笑みに応えながらも、鈴雪は昏い気持ちにならざるを得なかった。

「それにしても、今年は特に暑うございますね。干上がってしまいそうです」

 運ばれて来た茶でまずは喉を潤してから、永清君は顔のあたりを扇いでみせる。

 夏の薄物ではあるが、官服をきちんと着込んだ藍叡は汗ひとつ見せず、同じく茶碗を手にする。鈴雪もまた、きちんと着込んでおり、しかも夫以外の男性の前ということもあって、露出を極力控えるように長衣を羽織っている。

 そんな二人の様子を見つめながら、永清君は汗の浮いた胸許を寛げた。

「王后様」

 艶めかしくさえも見える色の白い鎖骨を見せつけながら、永清君は鈴雪の方へ向かって身を乗り出した。

「初めてお目にかかるのに、まったくそんな気が致しません」

「はあ……そうですか?」

「ええ、そうですとも。わたしはあなた様のお祖母様、銀蓮ぎんれん公主の末の弟なのですが、ご存知でしょうか?」

「ええ、まあ、一応は……」

「それは重畳!」

 更に身を乗り出して来られたので、さすがに鈴雪は上半身を仰け反らせる。いったいなんなのだ。

「あなたは、銀蓮姉上に似ておられる」

 そう言って鈴雪の手を握り締め、永清君は双眸を潤ませた。

「ああ、銀蓮姉上。なんともお懐かしい……!」

(そんなこと言われても……)

 鈴雪はますます困ってしまう。

 恵世けいせいも、鈴雪と祖母は似ているところがあるようなことを言っていた。しかし、祖母である銀蓮公主には一度も会った記憶がないし、似ていると言われても、どう反応すればいいのかわからない。

 取り敢えず手を離してもらいたくて引っこ抜こうとするのだが、この男、存外力が強い。女性的な見た目とは大違いだ。


「永清君、あまりゆっくりしておると、陽が暮れるのではないだろうか?」

 どうしようかと困惑していると、藍叡が助け舟を出してくれた。

 その言葉に永清君はハッとして顔を上げ、あっさりと鈴雪の手を離すと立ち上がった。

「そうでした。有難う存じます、主上」

「なんの。――こう侍従」

 ひとこと呼べば、控えていた洪侍従が部屋に入って来る。


「では主上、また明日お伺い致します」

 洪侍従が捧げ持って来た風呂敷包みと籠を受け取ると、永清君は一礼して退室して行った。


 わっさわっさと騒がせたと思ったら、さっさといなくなってしまう。なんとも奇妙で捉えどころがなく、そして落ち着きのない男の後ろ姿を見送り、鈴雪は思わず押し黙った。

 そんな様子を見ていた藍叡は、くつくつと喉を鳴らす。

「王様……」

「そう変な顔をするな。お前の困惑もようわかる」

 笑いを収めた藍叡は茶を啜り、軽く咳払いをした。

「永清君はな、毎年この時期、先々代王の墓参りに来ているのだ。王墓がある場所は知っていよう?」

 鈴雪は頷いた。後宮の北側の塀の向こうには神廟のある小高い丘陵があり、その更に向こうが歴代の王達が眠る墓所となっている。

「墓参りをして、廟で一晩を過ごす。毎年繰り返していることだ」

「一晩……」

「そうだ。夜通し座して、静かに墓を眺めているそうだ」

 彼は王の死後に生まれた太子だ。その父親の記憶もなければ、会ったこともない筈だ。そんな故人を相手に、一晩中いったいなにを思っているのだろうか。

 掴まれていた手首を摩り、やはり変わった人だ、と鈴雪は思った。



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