シュルレアリスムと憂鬱

「夢でね、すてきな、すてきなことに出会っ

たの。」


 彼女の話は、いつも、そんな曖昧でふわふわとした言葉から始まる。

 僕の友人である瑠璃子というその女は、たぶんあまり頭が良くない。少なくとも僕はそう思っている。彼女は脳味噌のレベルがかなり低くて、小学生よりもずっとばかなのだ。これは勉強ができるできないという話ではない。いや、勉学の方面でも彼女は決して優秀ではなかったけれど、一応なんとか高校を卒業する事はできていた。よって、辛うじて高校生並の頭脳は持っているのだと思う。

 ではなんと言えばいいのか。僕も大したボキャブラリーを持っているわけではないが………そう。敢えていうなら、彼女は物事を現実的に考えることが恐ろしい程にできないのだ。

もういい大人だというのに、いつまでもおとぎ話の世界で生きているような人間で、要するにちょっと、思考がゆるいというか変わっている。


「ユウちゃん、ユウちゃん」

「なに、瑠璃子ちゃん」


 今日も僕を間の抜けた呼び名で呼び、僕にも同じように間抜けな呼び方をさせて、嬉々として僕に色んな話をする瑠璃子ちゃんは無職だ。僕もまだ大学生で、だからこそ僕達には時間がたっぷり、ありあまるほどあったから、こうしてよく意味の無い話をする。

 今日は家だが、2人で小洒落たカフェに行く事もあった。そりゃあ大学の友人なんかと来た方が、勉学の話や趣味の話、文学部の誰が可愛いだとかそんな色んな話をして、盛り上がる。その方が時間も有意義に使えていいに決まっているのだが、偶にはこの圧倒的に脳味噌のレベルの低い彼女の現実逃避話を聞くのが、なんだか辛い現実から遠く離れた場所に飛び出したようで気分が良く、程よい息抜きになってよかった。

 瑠璃子ちゃんはあまり外出を好まないが、カフェに入るのはやはりお洒落だからかそこそこ気に入っているらしく、いつも嬉しそうに支度をする。二人でカフェに行くのは、無職で家にこもりきりの彼女を外に出すという大切な機会だとも思っていた。瑠璃子ちゃんの為だった。

 それに酷いけれど、彼女と話すとどんなことで悩んでいても、自分はまだマシなんだとも思えて安心したりしていたから、僕の為でもあった。お互いに利害が一致している。瑠璃子ちゃんにこれを言ったら、きっと悲しい顔をするだろうな。利害なんて、我ながらつまらない言葉だ。夢の無い、寂しい言葉だ。


「ユウちゃん、宇宙にはね、わたしだけの惑星があるの」

「へぇ、どんなところ?」

「すっごく凸凹してる。あんまり大きな星ではないかな。誰もいないから何にもなくて、だからわたし、そこに御伽噺にでてくるみたいな、尖った三角屋根の小さな家を建てるの。壁の色は白だけど、月の光が反射して黄色に見えるの。屋根は黒。赤い屋根もいいけど、黒の方が大人でしょ。“しっく”よ。」

「うんうん。月が近くにあるの?」

「そう。丁度此処から見ている月の裏側の方にその星はあるの。それから、家の中には、あちこちにお人形を飾るわ。わたし、人形がだいすきだから。」

「ええ、怖いな。」

「お人形って言うとみんなそう言うけどね、本当はどの娘もやさしいんだよ。ちょっぴり無口なだけ。」

「ふーん」


 彼女の話は、言ってしまえば心底どうでもいい話であったし、例えば苛立っている時なんかには絶対聞きたくないような焦れったくてうざったくて、面倒くさい話だ。そんな酷い事、うっかり言ってしまったりはしないけれど。ひどい事を言って、この変わり者の友人を失うのは少し惜しまれた。

 瑠璃子ちゃんの夢のおうちの間取りの話は、僕の意識がどこか遠くの果てに旅立っていたって関係なしに進む。僕を引き戻す事もせずに、一人きりで進んでいく。お気に入りの部屋は壁が本に覆われてる立派な書庫。天井に大きな窓がついていて、湯船に満天の星の映るバスルーム。ベッドルームの、絶対に嫌な夢なんか見させない素敵な枕のこと────すべて都合のいい話だ。本当、瑠璃子ちゃんって可哀想だ。


「食卓は丸い茶色のテーブルがいいな。真ん中に薔薇の話を飾るの。テーブルクロスは真っ白で、いつもキッチンにたたんでおいてある。それから、キッチンには月でだけとれる魔法の粉とお砂糖がおいてあるの。それとミルクの瓶が二つ。

 誰かと話す時、向かいあってその人とだけお話できるように、椅子は二つだけ。3人以上でお話なんて真っ平だわ。椅子はテーブルと同じ茶色に、丁寧で繊細な彫刻がしてあるの。座るのは招待した友達と、蝶ネクタイをした猫だけよ。あとは月のうさぎ。たまに招くの。私に魔法の粉をくれるのは、この子なの。」


 素敵でしょ。と言って瑠璃子ちゃんは幸せそうに微笑んだ。想像力に富んでいる瑠璃子ちゃんのことだから、きっと瑠璃子ちゃんの星には庭もあって部屋だってもっとあって、もっともっと話したいんだろうけど、僕が退屈しないように話を切ってくれたんだと思う。

 その程度の配慮は、彼女にもできるようだった。


「素敵だねえ。いつか僕も招待してね。」


 可愛くて憐れな瑠璃子ちゃんに、できるだけ甘く優しい声で言う。そう言えば喜んでくれるだろうって、そう思ってた。

 けれど瑠璃子ちゃんはどうしてか僕の言葉にあっと息を呑んだ。それからひどく残念そうに眉を下げて、目をそらしたのだ。


「ああ、ユウちゃん。連れていきたいのは、山々なんだけれど……」


 先程のぺらぺらと喋っていた姿とは打って変わって、ひどく言いづらそうに、瑠璃子ちゃんは話す。

 いつの間にか僕は、片手にずっと持ったままだったスマートフォンを置いて瑠璃子ちゃんを見ていた。彼女の口がその言葉を、おとぎ話の結末を形どったのを、最初から最後まで、見ていた。


「────でも、空は飛べないわ」


 真面目な顔で、静かにきっぱりと言った瑠璃子ちゃんに、僕はああ、と思った。

 なんだか、悲劇を見た後みたいだ。瑠璃子ちゃんの言葉には、世の中の絶望が全て詰まっている気がした。

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偶像 屑原ハコ @nmkr9

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