生体解剖者<2>



 自然界の食物連鎖においてカエルという生き物は重要な役目を担っている。それは橋渡しだ。カエルは虫を食うが、鳥に食われる。蛇にも、小さな動物にも食われる。カエルがいなければ虫は増え続け、上位者は餌に困るだろう。

「殺すっ!」

「ちくしょう数が多いっ! 多いって!」

 それは今の狩人たちにはどうでもいいことだったが。

 さて、カエルは数が多い。棘や爪などの武器もなく、捕まえやすく食べやすいとして上位者の餌として最適だ。しかし彼らは今日に至るまで絶滅しなかった。カエルは餌として優秀なのと同時に、捕食者としても優秀であったからだ。

 カエルは時に自らより大きなものも捕食の対象にする。彼らは舌で獲物を捕らえ、口の中に引っ張り込む。その際、舌は目で追うことができないスピードで、しかも唾液の粘度が高く、捕まれば逃れる術はない。そしてカエルは自分より大きなものを捕らえると、目を引っ込める。そうして喉奥に無理矢理突っ込むのだ。

「うっ、うおおおああああ!?」

「切れ切れ、舌切っちまえ」

「跳び回りやがってこいつらよう……」

 狩人たちは苦戦していた。まず、裂け目の周辺という場所が悪かった。ここは森だ。木々が多く地面には石が転がり、遮蔽物だらけで思うようには動けない。一方、カエルのケモノは木を押し潰す勢いで跳ねるので別段行動を阻害されていなかった。何より厄介なのはケモノの舌だ。高速で飛来し、掠っただけでもおしまいだ。あっという間にケモノの口の中へ連行される。しかもその舌はまっすぐ飛んでくるだけではなく、障害物を避けて曲がりくねってくるからたちが悪かった。

 幸もまたカエルのケモノに苦戦していた。特にそのスピードに苦しんでいた。ケモノの跳躍は鋭く、彼は得物を何度も空振りさせている。追いかけても逃げられ、逃げれば追ってくる。これではどちらが狩人なのか分かったものではない。苛立っている内、幸は面倒くさくなって立ち止まった。それと同時、カエルの舌が眼前に迫った。彼はそのまま捕まって引っ張られる。引き戻される際、木の枝に全身をぶつけられながらも、幸は自分を捕まえたカエルをねめつけていた。距離が近づく。カエルのケモノは大口を開けている。幸は腕の力だけで舌を切りつけた。ぴんと伸びた舌は切りやすかった。

「いった……」

 縛めが解かれて地面に放り出された彼の前には、げろげろと鳴き、舌を切られたカエルの姿があった。無論、幸は即座に切りつけた。腕を、下がった頭部を、剥き出しの腹を順繰りに切った。傷口から生暖かい体液と血が噴出し、ケモノは四肢を伸ばしてひっくり返った。

 これは楽だ。

 幸がそう思った時、斜め後ろから鋭い叱責の声が聞こえてきて、彼は身を竦ませた。振り返ると、倒木を利用したバリケードらしきものが見えた。その中には丸くなってがたがた震える白衣の男たちや、武器を構えた狩人たちがいた。そしてその中央には仁王立ちで幸を睨みつけている古海の姿があった。彼女はマスクを外し、据わった目で何事かを呟き、幸を手招いていた。

 怖かった。

 しかし行かねばもっと恐ろしい目に遭いそうだった。

「今、自分が何したか言ってみな」

「ケモノを切りました。その、舌に捕まったら近くなるから、楽かなって」

「次やったらしばき回すからね」

「……はい」

 古海はマスクをつけ直した。

「よし、ちょっとバリん中入ってなさい。私が適当に片づけてくるから、ちゃあんとやり方見てんのよ」

 古海は鉈を一本だけ携えてバリケードの外に出た。入れ替わりに幸が中へ入る。

「まず!」

 幸は瞬きを繰り返した。遠くのカエルが血飛沫を上げてひっくり返っていた。彼は古海の姿を捕捉できない。其処此処で真っ赤な噴水が作られていく。それをやっているのが彼女だとは分かっていた。

 一分足らずで五体のケモノが骸と化し、古海はその近くで得物を血ぶりした。

「カエルは動くやつに反応する。だから危ない時はじっとしとけばいいの。もしくは」

 古海の傍でカエルが跳ねた。彼女の姿が掻き消える。カエルのケモノはぴくりとも反応しないまま、懐に潜られるや顎に強烈な一撃を見舞われて絶命した。

「カエルより早く動きなさい。こいつら動かないもんと、早過ぎるもんには反応しないから」

 そんな馬鹿な。この人は阿呆なのか。それができないから苦労していたのだ。幸は叫びそうになった。

 驚愕したのは幸だけではなく、それを見ていた他の狩人たちもだ。

「出た」

「うわっ、市役所の古海じゃん」

「なんでか変装してたけどやっぱりか……」

「相変わらず頭おかしいなあのオバサン」

「言われてますけど」

 バリケードの中にカエルの目玉が放り込まれた。大の大人が生娘のような悲鳴を上げた。

「幸君、最初は難しいだろうから、こっからは私か……」

 古海は周囲を見回し、とある方を指で示した。その先には古川がいた。彼もまた多様な得物を使い、遮蔽物を上手く利用してケモノの群れと交戦していた。

「《猟犬》の狩人からなるべく離れないでね」

 幸は頷いたが、古海ではなく古川と共に戦おうと決めた。彼女のスピードについていけそうになかったからだ。

「それじゃあやるよ、ついてきな!」

「はい!」

 言いつつ、幸は速攻で古川の方へ向かった。

「ええっ、なんでよ!?」

「ごめんなさいっ」

「あんな白いおっさんのがいいっての!?」

 古海はカエルの群れへ突撃していった。幸は古川の背後にいたケモノを切りつけ、彼と合流する。

「どえれえもん連れてきましたね、旦那」

「古海さん知ってるんですか」

「そりゃまあ」

 古川は紐付きのナイフを巧みに操り、ケモノの目玉を刺し貫いていた。

「話はあとにしやすか。いいですか八街さん。ばかすか無駄に動くこたあねえ。それから、生き物ってえのは目を頼りにしてます。こんだけの数だ。殺すのが面倒なら目さえやっちまえば始末は後でつけられる」

「分かりました。それ、貸してもらえません?」

「それってのは?」

「その、ぶんぶん振り回してるやつです」

 古川はナイフを使いながら、嫌ですと断った。

「けちっ」

「得物なんざそこらに転がってますがね」

「分かってますもん」

《花盗人》が発動する。幸は回収した得物を手当たり次第に投げつけた。くるくると回転し、ひゅるると音の鳴るそれは、次から次へとケモノの目玉付近へ命中していく。投擲した得物は再び《花盗人》で回収し、すぐさま投げつけた。

「おいおい、百発百中じゃあないですか」

「えっへっへ」

 幸は得意げにしていたが、正確無比な投擲を可能にしているのは《花盗人》で回収した得物に蓄積された使い手たちの経験であった。



 狩人たちは古海や古川の奮戦で立ち直りかけたが、やはり劣勢であることに変わりはなかった。それどころかまたもや追い込まれつつあった。

「あっ、あああああああ!?」

 白衣の男が頭からカエルに被りつかれた。彼を捕まえているのはカエルのは舌ではなく、舌と同じように長く伸びた腕である。一部のケモノの体が伸縮自在と化していた。異能によるものだ。カエルのケモノは生まれたばかりで自らに備わった異能を使えなかったが、狩人との戦闘行為で成長しつつあった。

 また、ケモノには知恵がつき始めていた。腕や舌を伸ばし、狩人の落としていった武器を拾い、それを振り回す。数は減っているが、生き残ったケモノは一段と手強くなっていた。

 森の中をケモノが跳梁する。地面には人とケモノの骸や血がぶちまけられていた。その光景を二つの影が眺めていた。

「このままだと、あのケモノどもが森の外に出てくるな」

「ええ」

「あの喫茶店を潰されるのも面白くない」

「そうですね」

 オリガとアレクセイの二人がケモノどもを見ていた。

「ではお師匠、お下がりください」

「なぜだ」

「老体には辛いでしょう」

「……人を年寄り扱いするな。見た目だけならお前のがよっぽどジジイだろうが」

「いやいや、私などお師匠に比べれば」

「比べるな」

 アレクセイは穏やかな顔で微笑んでいる。彼はオリガの傍を離れ、森に向かって歩き出した。

「露払いは私めが。木端が飛び散るかもしれませんが」

「いや構わん。切り開くとはそういうことだ」

 アレクセイは頷いた。彼は歩く。その度、腕や足から異音が発せられた。ぎちぎちという音がして、アレクセイの体が少しずつ大きくなる。元々大きかった体が膨張していく。ぎちぎち。みしみし。筋肉が躍動していた。足音は徐々に大きくなり、彼の足元にあるものが揺れる。やがて森が間近に迫った頃には、彼は人よりも大きなカエルのケモノと変わらぬ背丈になっていた。

「この姿になるのは久しぶりですが……」

 人もケモノも巨人アレクセイを見上げていた。彼は少し屈んでケモノを捕まえると、それを地面に叩きつけるようにして押し潰した。残骸が四散するが彼は気にも留めなかった。

 ケモノどもが一斉に飛び掛かった。アレクセイは腕を振った。それだけで体の小さなケモノは吹っ飛ばされる。飛びかかってきたうちの一匹を右手で握り潰し、足元にいるケモノの頭を踏み潰す。圧がかかってカエルの三角形の頭は原形を保てなくなり、そのまま破裂した。

「なんだあああこりゃ!?」

 悲鳴のような声が上がった。そりゃそうだ。自分たちの真上で、怪獣映画さながら、ドでかい人間とカエルががっぷり四つ組み合っている。

 しかしこれもまた異能によるものだ。アレクセイの飢餓王スヴャトゴールは、自らの肉体を変質させて巨人と化す。シンプルだがそれ故に強かった。カエルどもは腕や舌を伸ばし、拾った武器を振り回す。それもアレクセイの巌のような巨体の前では大して効き目がなかった。単純な力勝負において、この森で彼に敵うものは存在しない。

 ケモノは鳴いた。げろげろ鳴いてげこげこ鳴いた。生後数時間のケモノどもは、まさか自分たちより大きなものが現れるとは思ってもいなかったのだろうか。彼らにとっての受難は続く。アレクセイが暴れていると、森の入り口の方で雨が降った。光の雨だ。雨は土を穿ち、木々を削り、ケモノどもを刺し貫いた。ついでに森にいる狩人や学者たちにも容赦なく雨は降り注いで彼らは泣いたり叫んだりブチ切れたりしていた。

「っざけんなオルルァ!」

「殺す気か!」

 しかしその雨がケモノどもを目茶目茶にぶち殺す恵みをもたらしたのもまた事実である。

 その恵みをもたらしたオリガは密やかに笑み、スキットルではなくボトルに入った酒をそのまま飲んだ。顔がかっと赤くなり、瞳が頼りなく揺れる。また、雨が降る。知らずの内に笑ってしまう。

 光の中を歩め《ペルーン》。それこそがオリガの異能の一つであった。



 光の雨と巨人が、森のケモノどもを一掃した。その場にいた狩人たちが気付かない間に巨人は見えなくなり、雨は止んだ。魔区の森は無茶苦茶だったが、生き残ったケモノもいた。ケモノには知恵がついた。異能を扱う個体も出てきた。しかし彼らはあくまでケモノである。空腹や本能に逆らえるはずもなく、自分たちの縄張りにいるものを襲うだけだ。

 来るか。幸も得物を構え直す。狩人たちも意気軒高であった。

 三野山方面から多量の矢が射かけられた。風を切る音の後、矢がケモノどもを襲った。

「……こいつぁ、オーバーキルってやつじゃないですかね」

 古川は苦笑した。山から下りてきて矢を射かけたのは《十帖機関》の巫女たちである。その先頭を往くのは月輪織星だ。彼女は不格好な姿勢で得物を構えたまま、ケモノの眼前まで走り寄ってからようやく矢を放った。今日初めて当たった。

 カエルたちが横っ飛びで逃れようとしたが、そちらには亡者がいた。

「アレ一匹でいくら?」

「確か、あの大きさのカエルは五千円くらいでは」

 金の亡者だ。雪蛍と犬伏浜路が得物を携え、喜々としてケモノの群れに雪崩れ込んでくる。

「私の出番はなさそうだな」

 幸の傍には深山魁が立っていた。彼は異能で作ったであろう、槍の形状をした水を得物にしていた。

「来てくれたんですね」

「ああ」と深山は頷く。

「君には借りがある。今の今まで働いていたが、店主からもようやく許可を得た」

「今まで働いてたんですか? 夜なのに?」

「夜釣りも始めたんだ」

 深山の目の下には少し隈が出来ていた。その時、幸は鬼無里のことを思い出した。彼女の姿を見ていない。ここに来ていないのか、それとも――――思考は断ち切られた。ケモノはまだ生きている。残っている。戦いはまだ続いている。目の前のことに集中しろと言い聞かせれば、熱に浮かされ視界が狭まった。



 おお、と、日限は思わず声を上げた。喫茶店からでは戦いの詳細が見えなかったが、それでもオリガとアレクセイは戻ってきた。彼は何故か服をボロボロにしていたが、目立った外傷などは見当たらなかった。

「礼を言っておこう」

「構わん」

 オリガはそっけなかった。アレクセイを連れて喫茶店に戻ろうとしている。日限は不思議に思ったが、戦いで疲れているのだろうと推測した。

「それでは日限様、失礼いたします」

「ああ、今日は……」

 店に入ろうとしたアレクセイが咳き込み、口元を手で押さえた。指の隙間から黒々とした血が流れ出ていた。彼は膝をつき、しまいには嘔吐した。

「お、おい」

「アリョーシャっ」

 オリガは車椅子を下りてアレクセイのもとに駆け寄った。彼は緩々とした動作で首を振る。

「少し、力を使い過ぎてしまったようです」

「くそ、だから嫌だったんだ。お前も簡単に乗せられるな」

「しかし、この街で我々は」

「ああ、いい、すまなかった、喋るな」

 日限は声をかけるのを躊躇っていたが、尋常でない事態だとは分かった。

「医者を呼ぶかね」

「いや、いい。医者では駄目だ。たとえメフの医者でもな」

 メフの医師は扶桑熱患者を診る。あるいは、自身も扶桑熱に罹っているために奇跡じみた治療を施す。この街の外では決して助からないような容態であってもだ。日限はそのことを知っていた。

「まさか、そいつは」

 オリガは答えなかった。彼女はじっとアレクセイの顔を見つめていた。

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