魔区の喫茶店<3>



 幸はボードゲームを熱心になって日限に勧めたが、彼はその申し出を頑として受け入れなかった。

「何が悲しくて君らとゲームをしなくてはいけないんだ。あっちのテーブルで勝手にやっていなさい」

「でも、三人じゃあちょっと少ないですよ」

「知ったことか」

 この時、幸はボードゲームというものがやりたくて仕方がなかった。何故ならクラスメイトの猪口蝶子のためでもあったからだ。

 先日から、幸は二年一組の皆でゲームをマルチプレイして遊んでいたのだが、蝶子はゲームの扱いに不慣れなので中々上手くいかないでいたのだ。そもそも彼女はゲームをプレイする段階に達するまでが難しいようで、やれ電源が点かないだとか、やれインターネットに繋がらないだとか言ってまともに遊べていなかった。そこで非電源遊戯ボードゲームである。幸はこれなら機械に弱い蝶子とでも遊べるのではないかと目を付けた。ついでにむつみに勧めてみてやるのもいいだろう。彼女は趣味を欲しているのだ。

「三人でやればいいじゃない」

 幸は店内を見回した。彼は自分ではそう思っていない節もあるが物怖じしない性質である。

 最初に幸が声をかけたのは、窓際の席に座っていた車椅子の少女と老人だった。この距離に到達して幸はようやく緊張している自分に気づいた。

 少女は喪服じみた黒いワンピースを着ていた。身につけているものが黒いせいか、露出した部位がやけに白く見える。幸には判別できなかったが、彼女が黒髪に緑っぽい目の色をしていて、彼は少女がスラブ系ではないかと検討をつけた。幸が傍に来てもぴくりとも反応しない少女の横顔は作り物めいていて、老人が連れた精巧な人形だと言われても誰もが納得するだろうと思われた。

「どうか、されましたか」

 妙な発音でそのように問うたのは少女の連れ合いの大柄な老人だった。白髪で、頬には大きな傷があった。むっつりとしていて、彼は幸をまっすぐに見据える。彼もまた少女と同じくスラブ系らしかった。

「ボードゲームやりませんか?」

「ゲーム……?」

 大柄な老人は幸を見上げた。腹の据わった、どっしりとした視線を受けて幸は息を呑む。

「楽しそうなんですが、やめておきます。すみません」

「いえ、いきなりですみません」

 幸は頭を下げた。テーブルの上にはサンドイッチの載った大皿以外、何もなかった。

 彼はそのまま、今度は大学生風の男のもとへ向かった。ボードゲームをやらないかと声をかけたが、反応は芳しくなかった。男は読んでいた詩集を閉じ、幸を横目で見た。

「静かにしたいんだ」

「……? あっ、そうですよね、ごめんなさい」

 近づいてよく見ると、男も外国人のようだった。先の老人と同じように、やはり発音がたどたどしかったのだ。

 次いで幸は、半ば諦めつつも老夫婦の座る席へと向かった。彼が近づいてくると、柔和そうな笑顔を浮かべた老婆が顔を上げた。彼女もまた日本人ではないらしかったが、この国に来て長いのか、流ちょうに日本語を話した。

「さっきから皆さんに声をかけているのね」

「そうなんです。ボードゲームで遊びませんかって」

「まあ、ボードゲーム?」

「ナントカの黄金ってやつなんですけど」

「まあ、黄金? いい響きね。どうしましょう、おじいさん」

 老婆は対面の老人に声をかける。老人は遅々とした動きでサンドイッチを少しずつ齧り、コーヒーを啜っていた。何度か彼女に呼びかけられているが反応は鈍く、というより絶無に近い。幸は少し心配した。

「それじゃあ、お呼ばれしようかしら。うふふ、退屈していたんですよ」

「大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫よ。私ゲームに強いの」

「じゃなくって、おじいさん放っておいても大丈夫ですか」

「ああ、いつもこうなのよ。この人サンドイッチには目がないのね。『ジョメルジョ』ってパン屋さんはご存じ? あそこのハムサンドは絶品でいつも朝から行列ができているんだけど、昼前には売り切れてしまうのね。だからおじいさんこんななんだけど、そこに並んでいる時はしゃんと背筋を伸ばして待ってるの。ブタからして違うんですって。メフのブタはきっといいものを食べているんだっておじいさんは言うのよ、うふふ」

 幸は曖昧に笑っておいた。それから彼は帽子の少女と店員にも声をかけた。帽子の少女はゲームに乗ったが、店員は乗らなかった。

 人数が揃ったのでテーブルの上にボードゲームのコンポーネントを広げていくと、帽子の少女が幸や雪螢を値踏みするような視線を送った。

「狩人なんですってね、あなたたち」

「見習いですけど」

 幸は頷く。ほんのりと自慢げだった。

「へえ、三人で組んでやってるの?」

「組む……そうなんですかね」

「だいたい一緒だけど」

「見習いになって長いの?」

「二か月とか、そんなところです」

「なんでそんなこと聞くの?」

 雪蛍が帽子の少女をねめつける。遠慮のない、鋭い視線だった。

「別に? こんなの世間話じゃない。暇だし、気になるじゃない? 答えたくないならいいけど」

「あなたは何をしているの」

「私? 別に、普通の学生よ。ここって同い年の子がほとんど来ないから」

「来ないから?」

「ここが好きなの。学校の男の子ってうるさくって嫌なのよ」

 高校生ですかと幸が問うと、少女はそうよと答えた。

「ぼくもなんです」

「……君も高校生なの?」

「そうですけど……」

 幸は、自分が高校生だと思われていなかったことに対してショックを受けた。

「どこに通ってるんですか」

「え? どこって、ああ、君は?」

「ぼくは蘇幌学園です」

「私は蘇幌じゃないわ」

「ですよね。見たことないですもん」

「そうね。まあ、何にせよ私はあんまり学校に行かないから」

「行かないんですか」

「ええ。学校って苦手なの。学校だけじゃないけど、何かに縛られたり、言いつけられたりするのが狭苦しくって。だから好きな時にここへ来てるの」

 帽子の少女はゲームの説明書に手を伸ばしてそれをぱらぱらとめくった。

「学校行かないんですか?」

「それが何? あなた教師みたいなこと言うのね」

「先生じゃなくっても言うと思いますけど。……そいで、どこに通ってるんですか?」

「どうして言わなきゃいけないの?」

 雪螢はほくそ笑んでいた。帽子の少女はその笑みを不快に感じたらしい。

「何よ」

「別に。こんなのただの世間話じゃない」

 少女が何か言いかけたところで、隣に座っていた老婆が少し大きな声を出した。彼女は、ゲームに使う宝石のコンポーネントを手のひらに乗せて目を輝かせていた。

「まあー、やっぱり、おもちゃだって分かっててもこういうのっていいわねえ。それでどうやって遊ぶのかしら」

「あ、これはですね」と幸が説明を始める。老婆は最後まで話を聞き終えると、皺くちゃの顔を歪ませて笑った。

「まあ、要はチキンレースってことね」

 豪快な噛み砕き方であったが、おおむねその通りであった。

「レースか。まあ、子供だましよね。幸、一回やったら帰ろうね」

 ゲームが始まった。最初こそ皆不慣れだったが、ゲームが進むにつれて次第に力量差が如実に表れていく。それはひとえにコツを掴めるかどうかである。ルールやシステム、あるいは場の流れを把握し、後はちょっぴりの運に己の行く末を任せられるかどうか。

「あら、私が一番ね」

 ゲームが終わった時点で最も多くの財宝を手に入れたものが勝者となる。勝者は老婆であった。彼女は臆することなくゲームを進め、他のプレイヤーが尻込みする中を颯爽と往き、財宝を手にしたのだ。

「強いですねえ」

「うふふ、私が一番歳を取ってるんだもの。経験の差かしらねえ」

「…………もう一回」

「え?」

 雪蛍はコンポーネントを握り締めたまま、低い声で言った。ちなみに彼女はビリケツだった。

「帰るんじゃなかったんですか」

「もう一回」

「しかし雪螢殿。一回やって終わりというのはあなたが言い出したことでは」

「再一遍……!」

 雪蛍は浜路を射殺さんばかりの目つきでねめつけた。皆、その圧に負けて二度目のゲームを始めることになった。

「そう言えば皆さん、花粉症の人なんですか」

 帽子の少女と老婆は、幸を見た。

「玖区には外人さんとか、亜人の人が多いって聞いたんです」

 少女は帽子の位置を直した。

「ああ、そういうこと聞くんだ」

「気になっちゃって。あ、ぼくは花粉症なんです。……どうしようかな」

「何がよ」

 帽子の少女に睨まれて、幸は困ったように笑った。

「あ、ゲーム、先に進もうかどうかって迷ってて。先に進んでモンスターに食べられたらおしまいですから」

「あなた花粉症なのね」

「はい。あなたは?」

「あんまり、そういうこと言いたくないし、聞きたくない」

「あ、そうですよね、ごめんなさい。……ロシアにもメフみたいな場所があるんですか?」

「はあ?」

 少女はまた幸を睨んだ。

「あなた、私の話を聞いてた?」

「ロシアにも桜があるのかなって」

「……さあ。あるんじゃないの?」

「あらー、桜の木? あるわよ、ロシアにも」

「あるんですか」

 幸の目が輝いた。老婆は彼の様子を見てくすくすと上品に笑んだ。

「桜が好きなのね。ええー、そう。でもメフの桜みたいに大きくないのよ。今はどうかしらね。しぼんじゃって消えてしまったかもしれないわ」

「しぼむんですか? 風船みたいに?」

「そうねえ、若い子は知らないわよねえ。あのね、私が生まれるよりずっと前、大きな爆発が起こったのよ。その時のことは新聞にも載ったし、ニュースでもやってたんじゃないかしら」

「爆発……ロシアでですか?」

「そう。隕石が落ちたとか、そういうのでね。爆発は僻地の森の方で起こったから死者はあんまり出なかったんだけど、詳しいことは調べられなくって、仕方ないから立ち入り禁止になったって話よ」

「どうして調べなかったんでしょうか」

「まだ戦争が終わってすぐだったし、あなた革命とかってご存じ? お国がね、大変な時期だったのよ。だからわざわざ遠いところまで調べるほどの人もいなかったし、時間もなかったんでしょうね。でも十年か、もっと時間が経ってから爆心地の調査が始まったの。隕石は見つからなかったけれど。ただ、大きな穴がぽっかりと開いてたのね」

「それって……」

 老婆はおもちゃの宝石を指でつまんだ。

「そう。メフと同じ。そこには桜の木が生えていたって話よ」

「じゃあ、隕石で爆発が起こったんじゃないんですね」

「うふふ、そもそも爆発はなかったのかも。崩落があって、危ないから人を遠ざけただけかも。あるいは」

「あるいは?」

「他の人に桜の木を見られたくなかったのかもしれないわね」

「……どうしてでしょうか」

「綺麗なものは独り占めしたくなるのが人間だもの」

 そう言うと、老婆はゲームに意識を集中し始めた。老婆がまた勝ち、雪螢がまた負けた。その後も何度かゲームをやったが、帽子の少女と浜路が疲れたと言い、幸たちはゲームの片づけを始めた。その途中で雨が降り始めた。雨は、外へ出るのを躊躇うくらいの勢いであった。誰も何も言わなかったが、幸たちは雨宿りすることを決めていた。

「別のゲームをやりましょうか」

 幸がそう切り出しても反対するものはいなかった。そうして別のゲームの準備を始めているとドアチャイムが鳴った。開いた扉から、雨音と湿った空気が押し入ってくる。

「うひぃ、ひっでえ雨……」

「い、いらっしゃいませ?」

「おう、いらしたー」

 客が来た。ただそれだけのはずなのに、幸はこめかみが痛むのを感じた。

 店に入ってきたのは雨合羽のような真っ黄色のパーカーを着た少女である。彼女はフードを目深に被っていたが、それを脱いで濡れた犬のように頭を振った。雫が周囲に跳ねて、少女の蜂蜜色の髪は適度に光っていた。

「なんかあったかくって甘いものちょうだい」

「え、ええと、温かくて、甘いですか。あの、コーヒーしかできないんですけど」

 パーカーの少女は、無言で店員を見つめていた。

「なー、コーヒーって甘いっけ? オレのじいちゃんが言ってたんだけどさ、『コーヒーってのは悪魔みてえに黒くって、地獄みてえに熱いんだ』ってよ。悪魔が黒いのは何となく分かるんだよな。だってあいつら、尻尾あるしフォーク持ってんだもん。甘いのが好きでそこを狙って叩くんだよな。オレもさ、ほら、ここ見てみ。ここ。……な、目の下にクマあるだろ。最近寝てねえんだ。生きるのが楽しくってずっと起きてるんだ。寝てるのと死んでるのって似てるからヤなんだよな。何の話だっけ。ああ、そうそう、虫歯って悪魔が引き起こしてんだぜ。恐怖おそこわいよな。黒いし悪魔だもんな。あいつのヒットエンドランマジやべーよ」

「あ、あのう」

 店員は困っていた。少女は続けた。

「そんでじいちゃんは言ったんだ。コーヒーのこと、『天使みてえに純粋』って。歯が浮いちまうよな。ぐらぐらしててちょっとしみる。でも天使が純粋ってなんでどうして分かるんだ? オレには分かんなかった。だって悪魔と天使で比べたらさ、天使のが絶対人殺しまくってんよ。悪魔は人のお願い事聞いてくれるんだぜ。どう考えたってオレって虫歯だよなこれ……ちょっと頬っぺた熱くなってきたもん」

「あの、お好きな席に座っててください。何か持っていきますから」

 店員の女はカウンターに逃げた。パーカーの少女は元気いっぱいに頷き、店の中を物珍しそうに、くるくると踊るようにしながら歩く。その内、彼女と幸の目が合った。

「『恋みたいに甘い』」

「え」

 少女は幸の座っているテーブルまでずかずかと近づいてきて、彼の顔をじっと覗き込んだ。

「どっかで会ったっけ……」

「ええ……? むしろどうしたら忘れるの?」

「んんー?」

「前に……まあ、もう四月の話だけど。センプラのゲームセンターで会ったよね。ほら、お母さんを捜してる迷子だったじゃないか」

「ああ! あの時のかあちゃんじゃないにいちゃんだ! オレだよ、オレ! ほら、オレオレ! オレのこと覚えてるよな! よし、ちょっとオレの名前言ってみろ」

「知らない」

 少女は満面の笑みになった。

「なんでだよ」

「いや、だってお互いに名乗らなかったじゃないか。君だってぼくの名前を知らないよね」

「そうだったっけ。じゃあオレが鍵玉屏風ってことは、にいちゃんは知らないんだな」

「かぎたま、びょうぶちゃんって言うの?」

「えっ、なんでオレの名前知ってんだ!? にいちゃんもしかしてエスパーなのかよ……じゃあちょちょっと虫歯どうにかしてくんない?」

「エスパーじゃないよ。今さっき自分で言ったんじゃないか。ぼくは八街。よろしくね」

「にいちゃんは八街って言うのか。ふーん。あれっ!? なんでオレがにいちゃんの名前知ってんだ!? オレってもしかしてエスパーなのかよ……じゃあちょちょっと虫歯どうにかするっきゃねえ。そんなことよりあったかくって甘いのまだかよ!」

「虫歯じゃなかったの?」

 屏風は幸と不自然な会話を繰り広げつつも、ごく自然に彼らのテーブルに混ざり、ボードゲームを一緒になってプレイした。

 幸以外のものは屏風が何者なのかまるで知らないが、聞いたところでまともな答えが返ってくるとも思えず、とりあえず空気のようなものとして扱っていた。当の彼女は運ばれてきたコーヒーに大量の砂糖を入れていた。

 三つめのボードゲームに手を伸ばしかけた頃、雨脚が強くなってきた。幸は、車いすの少女と白髪の老人にもう一度声をかけてみることにした。老人の返事は変わらず、少女は相変わらず反応さえしなかった。幸は彼女の様子が気になって、何となくじっと目で追いかけていた。

「この子は、あまり、口が利けませんので」

 老人はそれだけ言って外を見た。強い雨が窓を叩いていた。

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