水の檻<4>



 連日の雨でぬかるむ三野山の道は、幸たちを拒絶しているかのようだった。市役所主導の山狩りによってケモノの数は減り、ここを訪れるものも少なくなった。ケモノや人がいなくなった空間は一種の清廉さを保っているようにも感じられて、幸はその空気を自分たちが切り裂いているのだと思った。

「さっちー、疲れたー、おんぶしてー。そっちのお兄さんでもいいよー?」

「寄るな」

「もうっ、何しに来たんですかあなたは」

 幸はいつしか最後尾にいた。足が遅いからだ。疲れたとのたまう初音ですら山歩きには慣れているのか、息一つ乱していない。織星も正体不明の男も実に健脚だった。

「八街くん、平気ですか。少し休みますか?」

 幸は首を振った。目的地までは距離がある。まだ登り始めたばかりで、ここで休んでいたら日が暮れてしまう。それに彼のちっぽけなプライドが休息を許さなかった。織星は小さく笑った。

「男の子なんですね」

「そりゃ、そうです」

 幸は視線を逸らす。

「それで、そちらの名無しさんは何をしに来たんですか」

「話す義理はない」

「ついてきてあげてるじゃないですか」

「君らが勝手にそうしているだけだ。私が頼んだ覚えはない」

「だから何をしようが勝手だと? いいですか。この猟地は神社わたしたちの管轄下にあります。ここで何かあれば……」

 織星の説教が始まった。しかし男は彼女の方を一切見ようとせず、どこ吹く風である。織星の近くにいることを嫌がったか、初音が幸の隣にやってきた。

「どこでもうるさいのう、織星は」

「真面目な人ですから」

「あそこまでいくと真面目というか頭が固いだけだよ。しかし、静かだね。ケモノどもも山の奥に引っ込んじまってるらしい」

「さすがに全部は殺せなかったんですね」

 違う。初音はそう言い切った。

「殺さなかったのさ。この街にはケモノがいなくなったら困るやつが多いからね。ま、どっちにしろ無理だと思うけどさ。それでも、ケモノだって馬鹿じゃない。今日は出くわさないで帰られるかもしれないよ」

「だといいんですけど」

「しかし、雨の日に消えた女ときたか」

 幸は、初音には男の事情を話していた。

「心当たりでも?」

「ロマンティック極まりない」

「……本当に篝火さんがやったことだと思いますか?」

「分からないけど、もしそうならあの子は一度山を下りたことになる。そうして男を誑かして、また山に戻ったということになるんだろうけど」

 初音は言いよどんだ。幸にもその気持ちが少し分かった。要は篝火がそのようなことをする意味がないのだ。

「何にせよ普通の子が一人で猟地に入ったりはしないよ。人じゃないなら、あるいはケモノか」

「ケモノの仕業……?」

「可能性はあるよ。さっちーはまだ知らないかもしれないけど、山にだって大空洞にだって妙なやつがいるし、そいつが花粉症を使うってんなら何をしたっておかしかないよ」

 二人でこそこそ話していると、織星がじろりと目を向けてきた。

「なーにー、織星ちゃん」

「いえ。別に」

「そーおー? でもお喋りしたいように見えるなー。……ああ、そうだ」

 初音は薄く笑った。

「水に関わりのあるケモノのことをさっちーに話してあげなよ」

「は?」

 織星は立ち止まった。

「あと、女にも関わりのあるケモノのことを」

 今度は、先を急ごうとしていた男が立ち止まった。

「水と、女の人ですか? でも、どうしてまた」

「さっちーに色々教えたげようと思って」

「ああ、そういうことですか」

 織星はちらりと男を一瞥し、小さく息を吐く。

「構いませんよ。でも八街くん、知りたいからにはしゃんと話を聞いてくださいね」

 幸は苦笑いで返した。織星は少し怒った。



 水妖みずあやかしというものがいる。水辺に住み、水と関わるケモノの総称である。環境によってその状態を変える水のように水妖の姿は様々だ。時には人を誘う美女の姿に、時には大口を開く怪物のように。

「日本で有名な水妖といえば河童でしょうね」

「あー、そうだねー、河童って知ってるかなさっちー。子供みたいなんだけど、肌は緑で頭のてっぺんにお皿が乗っててー」

「水かきがあって、甲羅を背負ってるんでしたっけ」

「そーそー、そいできゅうりと相撲が好きなんだよね」

 織星は小さく頷く。

「実際に見たことはありませんけどね。似たようなものはめふにいますけど」

「いたとして、あくまでケモノなんですよね」

「はい。外国にだって似たようなものがありますよ。ウンディーネやマーメイド、セイレーンにルサールカ。たいてい、水妖は女性の姿をしていますね」

「どうしてなんでしょう?」

 幸は小首を傾げた。

「さっちー。水は器だし、鏡なんだよ。何にでもなるし、どうにでも見えるの。だったらより綺麗なものを見たいんじゃないのかな。織星ちゃんが言った水妖はね、男を水辺に誘うの。そうして引きずり込んで溺れさせて沈めるんだよ。男を誘うのはいつだって女だよ。さっちーもそうじゃないの?」

「何がですか」

「どうせなら美人に殺されたいって」

「嫌ですよ」

 美人は好きだが。幸はそれは言わなかった。

「ああ、知ってる? 大空洞にはね、姿を変えるケモノがいるんだよ。さして害はないんだけどさ、いつもは水たまりに化けてるの。気づかないで通り過ぎる時もあるんだけど、そいつ、身に危険が迫ると周囲の環境に合わせてまた化けるんだ。木が近くにあるんなら木に化けるし、大きさを変えて狩人の荷物に化けることもある。それと」

 初音は一度話を区切った。

「人がたくさんいる所なら、人にだって化けるよ。そいつの名前は《トモカヅキ》。狩人の荷物に化けて一緒に大空洞の奥まで潜るから共潜ともかづきともいうし、人に化ければその人の友達にだって見破るのが難しいから友担ともかつぎとも言われたりするね」

 そこまで彼女が話したところで、男が立ち止まった。彼は鋭い視線を初音に向けた。

「何が言いたい」

「何がって、何がー?」

「私が捜しているのは、彼女は、そのようなものでは……」

 男は迷いを断ち切るかのように頭を振り、前を向いた。そこで話は終わった。



 三野山は、古くは修験者の修行場であった。三野という名は、三つの野である。季節や道筋によって様々な姿を顕すことからつけられたのだ。

 次第に細く、険しくなる渓間の道を幸たちは黙々と歩いた。いくつかの滝を通り過ぎて、彼らは更に上を目指す。その内、ひときわ大きな水音が聞こえてきた。三野山でも最も大きな瀑布、三野大滝が唸りを上げていた。岸壁を滑り、滝つぼへと流れ落ちる水は真白の飛沫を散らしている。

 幸はふと、妙なものを見た。道を外れた先、聳った場所に何かがいる。それは猿型のケモノに囲まれた女の姿であった。後背は滝つぼであり、逃げ場はない。

 奇妙なことにその女には顔がなかった。確かに人の輪郭こそ保っているが、それはどう見ても常人の肉体ではない。うようよと蠢き、揺らめいている。幸は察した。あれは女の形をしたケモノであり、男が捜していたものに違いないのだと。

「ケモノですか」

「うん、やっぱりトモカヅキだね」

 織星と初音を得物を構えようとしていたが、それよりも早く男が飛び出した。彼は空手のように思われたが、懐から短い棒状のものを取り出した。男はそれを強く振る。棒の両端が伸び、充分な長さに至ったと見るや先端に尖ったものを装着する。がちがちという金属音が軋み、男がもう一度それを振ると、短かった棒はたちまち槍のような姿となった。

「おお……っ!」

 男が吼えた。

 繰り出された槍の一突きはケモノの頭部を貫いた。男は大きく得物を振り回す。死んだケモノが穂先から外れて木にぶち当たった。次いで、彼は手近にいた猿のケモノを蹴飛ばし、槍で薙いだ。あっという間に数匹のケモノを仕留めると、男は長い息を吐き出した。

 幸はこのタイミングでやっと鉈を抜く。だが、彼が足を踏み出す前に二本の矢が放たれた。織星の矢は明後日の方向に飛んでいき、初音の矢はケモノの目玉に突き刺さって抜けていった。

「え。あの」

 最後に残った猿のケモノは男が仕留めた。彼は得物を血振りし、水妖の女を愛しげに見つめた。

「彼女に手を出すな」

 織星は新たな矢を番えて水妖をねめつけていた。初音も同じようにしていた。男はケモノの前に立ち、槍の柄を握り直した。

「ケモノですよ。見過ごせません」

 対峙する男と巫女。幸は間に割って入ることもできず、ただ、水妖を見た。男はあれに心を惹かれているのだ。幸は安心した。篝火の仕業ではなかったことと、もう一度彼女を見ずに、見られずに済んだことを喜んだ。喜んだから嬉しくなって、彼は口を開いた。

「あのケモノは害がないんじゃなかったんですか」

 男は幸を一瞥するも、すぐに巫女たちに視線を戻した。

「でもケモノです」

「彼女はただのケモノではない。私の……」

「私のなんですか。何も話さないのに納得できるはずないでしょう。撃ちます」

「待ってください」

 幸は織星の前に出た。射線上に出ることは恐ろしかったが、彼は勇気を振り絞った。そうして幸は男に話しかける。

「あなたも、どうしたいんですか」

「……何?」

「何じゃないです。『彼女』を見つけてどうするつもりなんですか。ぼくたちを酷い目に遭わせてでも二人で逃げるんですか。そうしてどこかで暮らそうとでも思ってるんですか」

「君には関係のないことだ」

「好きだって言ってもないのに、そのケモノがあなたのことをどう思ってるのかも聞いていないのにですか」

 男の目が見開かれた。

「好き合ってもないのに無理やり連れ回すんですか」

 男は押し黙った。体から徐々に力が抜けているようにも見えた。初音は矢から手を離し、笑みを作った。

「珍しいなー、もう。ケモノを庇う狩人なんて初めて見たよ。ほら、織星ちゃんも武器下ろしなよ」

「嫌です」

 織星は頑なである。幸は《花盗人》を使い、彼女から得物を取り上げた。

「借りますね」

「なっ……怒りますよ!」

「もう怒ってるじゃないですか。怒りんぼだなあ、月輪さんは」

「怒ってるのはいつもあなたのせいじゃないですか!」

「それで、どうするんですか」

 幸は男に向き直る。彼は答えなかったが自棄になった様子はない。自問自答しているのかもしれなかった。

「私は……」

 男はとうとう俯いてしまう。

「ちょっと! ここまで来て一々悩まないでください!」

「う…………」

 男は口元を手で押さえた。

「……なんですか」

「んぬくしゅぅうん……!」

 くしゃみ兼かっこいいポーズが炸裂した。

「ふざけているんですか!」

 苛立っているのか、織星は足取りも荒くのしのしと男のもとへ向かおうとした。彼女に怯えたのか、先までピクリとも動かなかった水妖の肩が震えた。そうしてケモノは目の前の脅威から逃れるようにして滝つぼへと身を躍らせた。その後を男が追った。幸たちが止める間もなかった。



 女の姿が水の中に溶けて消えていく。男は必死に手を伸ばした。その手は何も掴めないまま、彼の体は滝つぼへと真っ逆さまに落下し、水中に没する。

 見える世界は白と黒。泡沫が上がる様を見つつ、男はもがく。しかし彼は泳げなかった。やがて男の体が反転した。上下左右が不覚になり、水の中で軽いパニックを起こしてしまう。それでいてなお追い求めた彼女の姿を捜してしまう。もう姿を見せないと知っているのに、どうしようもないほどに焦がれたままなのだ。


 ――――水妖ケモノだと? ふざけるな。


 男は憤った。そのようなこと最初から分かり切っていたのだ。分かっていて追いかけた。何故なら、自分では人間の女を愛するのは難しいと知っていたからだ。そんな自分が恋焦がれる相手など、人でないもの以外にはありえなかった。


『触らないで』


 脳裏から離れない声。

 走馬燈かと覚悟する。

 最初に『触れるな』と、『近づくな』と言ったのは男の母だった。当時小学生だった彼は、自分の母親が家庭に不満を持っていることを知っていた。父親はそんな彼女をキッチンドリンカーと罵ってもいた。夫に強く当たれなかったせいか、男の母親は彼に苛立ちをぶつけた。

 男の容貌は幼い頃から整っていたが、母親に常から不細工だのクソガキだのと詰られていたせいで自己評価が低かった。

 自分は汚れていて、みっともなくて、情けない人間だ。男は強く思い込み、信じていた。そうして彼は他人に、特に異性に近づくことを避けて、いつしか忌避感すら抱くようになっていた。しかし他人の目からは男が美男子に映る。異性からは言い寄られて好意を寄せられる。同性の羨望を浴びることもあったが男は一度たりとも喜べなかった。自分のようなものが女性に近づくなどあってはならないことだと思っていたからだ。それは自分が大きくなり、両親と死に別れても変わらなかった。まともであろうと努めたがどうにもうまくいかず、結局は狩人となり、猟団に属した。ケモノを狩るために山へ入り、大空洞を潜る時は心が安らいだ。

 触れられたくなかったわけではない。触れられなかったのだ。他人に近づくのが恐ろしかった。

 不細工な生き方をしてきた自分がこの期に及んで何かに恋い焦がれるなんておこがましかったのかもしれない。男は静かに目を閉じた。真っ暗闇の世界の中、彼は体の力を抜いた。このまま深く、このままずっと、水底まで落ちてしまいたかった。

「…………?」

 腕が独りでに持ち上がっていた。男は薄く目を開ける。服の袖を何かが掴み、引っ張っていた。水妖だ。『彼女』だ。彼は確信する。ケモノが男の腕を引っ掴んでいた。彼は、それで水面がどこにあるのかが分かった。

 男は思わず手を伸ばした。その手を小さく柔らかな、しかし確かに熱を持った人の手が掴む。瞬間、水妖は消えた。最後の最後、彼女は笑っていたように見えた。その笑顔はずっと追い求めていたものだったのかもしれず、男は大きく目を見開いた。

「…………!」

 すぐそこに八街幸という少年の顔があった。彼は男を助けるために滝つぼへと飛び込んできたのだろう。幸は男の手を握っていたが、浮上することは難しい様子だった。次第に、男も、幸も、息が苦しくなってくる。

 離せ。触るな。

 男はそう思った。自分を置いて行けばいい。それでも幸は手を離さなかった。そうして彼は困ったようにはにかんだ。

 男の頭にかあっと血が上り、目の奥がちかちかと熱くなる。耳鳴りがする。鈍痛が頭を苛む。知らない声が聞こえてきて、男は彼女の名を知った。



 初音は、幸の後を追おうとする織星を引き留めていたが、滝つぼから浮上するものを見て低い声で呻いた。

 水面が揺らめき、泡沫が上がる。浮上してきたのは大きな水の塊である。それは女の姿を象っており、両腕で幸と男を抱えていた。

「ケモノ……!」

「ちょっとやめなよ織星ちゃん」

 織星は矢を番えようとするが、初音はそうしなかった。彼女には、目の前にいる水の巨人が異能によるものだと分かっていたからだ。

 水妖にも似た巨人は、ゆっくりと動いて幸を地面に降ろす。男も巨人の腕から飛び降りて着地すると、人の姿を保っていた水が崩れていく。それは元あったところへ還るも、彼は名残惜しそうに滝つぼへと視線を落とすのであった。

 そういった男の感傷を一顧だにしないのが織星という女である。彼女は先の水の正体が異能だと分かると彼を非難した。

「花粉症ならもっと早く使うか、言っておいてください! 八街くんが飛び込んでしまったじゃないですか」

「すまない」

 男は滝つぼから視線を外すと、初音に背中を摩られて水を吐き出す幸を気遣わしそうな顔で見た。

「花粉症になったと気づいたのは、水に落ちてからのことだった」

「……そんな都合のいい話が!」

「もう、織星ちゃんはうるさいなあ。それで二人とも戻ってきたんだからいいじゃないの」

「まあ、それは、そうですけど」

 幸は飲んだ水を粗方吐き出すと、四つん這いのまま男を見上げた。

「どうしたいのか、決められましたか?」

「ああ。決めたよ」

 男は薄く微笑んだ。頭に血が上っていた織星や、中身は老獪な年寄りである初音でさえも見惚れてしまう笑みであった。

「私はこの街が好きではなかったが、今は少し違うかもしれない。君らは彼女をただのケモノと言うかもしれないが、私にとっては違う。彼女が現れて、いなくなった街だ。私は、自分に何ができるかは分からない。この歳になってもな。だから狩人を続けようと思う。今度は独りで……いや、一人ではなかったか」

 織星は不思議そうに男の話を聞いていたが、幸は納得したように頷いていた。

「君らには世話になった。礼というわけではないが、君らも狩人なら耳に入れておいた方がいい話がある。今後、この街で猟団同士の争いがあるかもしれない」

「……猟団同士で、ですか」

「この街で最も暴力に長けたものを知っているか。それはやくざや警官などではない。狩人だ」

 幸は息を呑んだ。初音はつまらなそうに口を開く。

騎士団ホワイトナイトか」

「君は知っていたか」

「まあ、そりゃあね。……さっちー、《騎士団》知ってる? 今、メフで一等でっかい猟団のことだよ」

「一番……」

 幸の口元が歪んでいた。男や織星はそれに気づかなかった。

「《騎士団》は扶桑の最奥を目指す、攻略の最前線に立つ集団だ。一番金があり、人がいる。彼らを支援するものはメフの外にも数多くいるからな。だが、その中でも特に彼らを手助けしているのは市役所だ」

「市役所が、どうして一つの猟団に肩入れするんですか」

「《百鬼夜行》という猟団があった」

 男は言った。彼の声音には寂寞だとか、そういったものが滲んでいた。

「強く、大きな猟団だった。だがそういったものは危険視される。実際、ケモノを狩るだけなら百鬼夜行ほど巨大な組織でなくとも務まるはずなんだ。だから市役所は百鬼夜行に対抗するために騎士団を作った。好き勝手させないために」

「でも、もう百鬼夜行はないんですよね」

「……百鬼夜行がなくなったことで、騎士団が新たな百鬼夜行になろうとしている。気をつけることだ。彼らは扶桑の奥へ行くためなら那由他のケモノですら殺し、あるいはケモノ以外のものも同じようにするだろう。踏み潰し、呑み込み続ける。騎士団あれを率い、先頭を往くものはとうに狩人の領分を踏み越えている」

「ふざけていますね……!」

 すごく頑張って黙って話を聞いていた織星だが、彼女はとうとう我慢ならなくなって声を荒らげた。

「狩人の本分はケモノを狩ることです。だいたいあんな木の下に何があるって言うんですか。それに、あなたはどうしてそんなことを知っているんですか」

「私が騎士団にいたからだ」

「ああ、そうですか。……そうなんですか?」

「話の流れで分かるでしょ」

 初音は白けた目で織星を見ていた。

「お兄さんはそういうのが嫌になって騎士団を抜けたの?」

「まあ、それだけではないがな」

 それ以上語るつもりはないらしく、男は髪の毛をかき上げた。

「八街。そう言ったな。君には借りが出来た。これで二つ目だ」

「気にしないでください。そうなっただけなんですから」

「それでもだ。私は深山魁みやま かい。何かあれば君の力になろう」

 深山。そう名乗った男は幸たちに背を向けて歩き出す。

「一人で戻るんですか」

「すまない。そういう気分なんだ。察して欲しい」

 深山は下山し始めた。織星は腕を組み、呆れたように息を吐き出す。

「勝手な人ですね」

「でも話は気になったね。ふうん。《騎士団》ねえ」

 初音の目が細められた。

 少し経つと、盛大なくしゃみが聞こえてきて、留まった三人は顔を見合わせるのだった。



 後日、幸と深山はとある場所で再会することになる。話は変わるが、この後、メフ市内の婦女子の間では、釣り堀屋にゅーメフにかっこいいポーズで釣り糸を垂らす男性店員がいるのだとかがしばしば話に上がるのだった。

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