真木柱
鉄は幸にテストを返却した際、生徒には気づかれなかったが薄く微笑んでいた。
だが、今の幸にはテストの結果よりも気がかりなことがある。九頭竜神社で起こったであろう人死にの件だ。猟犬ことベルナップ古川が彼に聞かせた話には、古川の憶測が加味されている。
『詮索するな』
暴くな。嗅ぎ回るな。織星にはそう言われていたが、悪事に手を染めたものの発言ならば話は別だ。罪業は暴かれねばならない。人が死んでからでは遅いのだ。はたして自分がそれを成すに相応しいものかは判然としないが、
放課後になり、幸は神社の境内に向かった。ここに来るのが当たり前のような気さえしてくるが、今日は少し、いつもの神社が違って見えた。
いや、と、幸は思い直す。違ったのは自分だ。ここを見る目が変わっただけだ。
幸は巫女の姿を捜す。古川は陰からこちらを見守っている、とのことだった。何かあれば助けるとも言っていたが、刃傷沙汰になるのは御免だった。
程なくして庭帚を持った織星が姿を見せる。幸は彼女に近づいていった。
「こんにちは」
「あの子ならいませんよ。どうぞお引き取りを」
「……何だか冷たくないですか」
「そうでしょうか」
織星はつんとしていた。ここでめげる幸ではなかった。
「あの、ちょっと聞きたいことがあって」
「なんでしょうか」
幸は息を呑んだ。
「東屋さんって人を知っていますか? 前、ここにいたって狩人の人です」
織星の体が強張った、ように見えた。幸は続ける。
「ああ、知ってるみたいですね。よかった。それじゃあ、東屋さんを殺したのは月輪さんですか?」
「……は、あ?」
「それとも違う人ですか?」
織星は口を機械のように開閉させた。その表情も定まっていない。呆れればいいのか、怒ればいいのか、迷っているらしかった。やがて彼女は落ち着きを取り戻し、幸をまっすぐに見下ろす。
「どこでそのような話を聞いたかは、まあ、想像がつきますが、あの、前に私が言ったことを覚えていないんですか?」
「詮索するなって言われました」
「だったら……! いえ、いいです。東屋さんという方は確かにここにいらっしゃいました。フリーの狩人をしていた、若い男の人です。その方が亡くなったのも事実です。でも、どうしてそんな、殺したなんてことを言うんですか。そんな目で。そんな顔で。まるで私がやったとでも言いたげに」
「言ってないです。聞いただけです」
「私は知りませんっ。それに他の人だって、そんなことあるわけない!」
「本当ですか?」
織星の顔が真っ赤になっている。幸を見る目はもはや鬼のようだった。
「ぼくは分からないから聞いているだけなんです。詮索するなって言われましたけど、でも、それも時と場合によります」
「探偵にでもなったつもりですか。それとも警察のつもりですか。あなたに何の権利があってそんなことをするんです。分かっているんですか。あなたは私たちを人殺しだと言いますが」
「言ってません」
「言ってるようなものでしょう。それで、あなたの言ってることが間違いだったらどうするつもりですか。人を犯人呼ばわりして、私は絶対に許しませんけど」
「それを確かめたいから聞いてるんじゃないですか!」
「なんでそっちが怒ってるんですか……」
「あ。もしかして、月輪さんは『お仲間』を庇っているんですか?」
その言葉がトリッガーだった。
「馬鹿にして! あなたはいいでしょうよ! そうやって好き勝手に引っ掻き回しても、ここの人間じゃないから後はどうなろうと知らんぷりすれば! でも私は違う! 私たちは……ここにいるしかないのにっ」
「人を殺した人がここにいるかもしれないのに、月輪さんはそれでいいんですか」
「正論ぶるな!」
もうこれ以上話にならなかった。
「出て行ってください! ここから!」
「でも、まだ何も分かってませんし」
「あなたがいなくならないのなら、私が消えます!」
織星は幸に背を向けて社務所の方へずんずんと歩いていく。彼はその背中を見送った。後ろから人の気配がした。大きな木の陰から白い髪の男がひょっこりと顔を覗かせている。
「いや、なんつーか、おれの見込み違いだったってやつですかね」
「あ、古川さん」
どうやら古川は木陰からじっと幸を見守っていたらしい。
「八街さん、何もあんな直接っつーか、直球放り込まなくてもよかったじゃあないですか。あんな風に聞かれちゃあ誰だって怒っちまいますよ」
「すみません、そういうの苦手みたいで。弱りましたね」
幸はえへへとはにかむ。
「全然弱ってなさそうですがね、あんた。しかしまあ、さっきの月輪さんでしたか? あの人、何かありますね。いや、ここには何かあるって人ばかりなんでしょうが」
「すっごい怒ってました。本当のこと言われて怒ったんでしょうか」
「いんや。ありゃあ、そういうのじゃねえと思いますよ。しかしまるきり何も知らねえってことはなさそうだ。……こうなったらこの手でいきますか」
幸は首を傾げた。
「とことんやるしかねえ。あんたのそれは天性のものかもしれやせんぜ。どうせならね、怒らせまくるんですよ。人ってのはね、常に自分を押し殺してるもんです。本当のこと、言えないことをずっと隠し持ってる。そいつが露わになるのは感情が高ぶった時なんですよ」
幸はその言葉に納得する。織星は怒っていた。だから見えたのかもしれない。彼女の異能、その一端が。
「手あたり次第ってわけにもいきませんがね。何人かに絞りてえところだが……」
「もう一回月輪さんに聞いてみましょうか?」
「タフなのはいいことですが、もう少しほっときやしょう。そうですねえ。東屋さんと関係してたって人を捜しますか」
「関係」
「そう。要するに行きずりの男とヤるような女を捜すんですよ」
「その話はぼくが切り出すんですよね」
「そうなりやす」
拷問かな。幸はそう思った。
幸はこの日から古川の指示で巫女たちに話を聞くことになった。しかし、話の内容もさることながら幸の妙に無頓着なところや、無神経な性質のせいで、築き上げた信頼度は瞬く間に地に落ちることとなる。
一つ分かったことがある。巫女たちから冷たい目で見られながらも聞き出した話だ。それは神社のルールについてである。前に織星が言っていたような『男と共に山へ入ってはならない』といったものだ。ルールには色々なものがあったが、どれも『異性と』何かをするのを禁じていた。
「ルールを破ったらどうなるの?」
「どうもならないと思うよ。追い出されるって思ってる人は多いかもだけど」
いつしか、幸を相手にするのは天満くらいのものとなっていた。彼女だけは特に気にした様子を見せなかった。
「ふうん」幸は境内を見回す。
「気のせいかな。最近、巫女の人が全然いないよね」
「だってやちまたくんエッチなことばっかり聞いてくるんでしょ? みんな嫌いだーとかあんな子だとは思わなかったとか言ってるよ。何度怒っても何度だって来るし、懲りないよね」
幸はちょっとショックを受けた。そんなことになっているとは思わなかったし、巫女たちから嫌われるのは寂しかった。
天満は縄跳びを振り回して、じっと幸を見る。
「なんでそんなことするの? 猟犬のおじさんも最近見なくなっちゃったし、やちまたくんはご神託を受けてくれないし、つまんない」
「なんでだろ。ちょっと分かんなくなってきちゃったかな」
「分かんないのにするの?」
「豊玉さんも言ってたじゃない。そういうのが成長の糧になるんでしょ」
天満は頬を膨らませた。真顔だった。
巫女と話せないのでは意味がない。幸はすごすごと引き下がることにした。参道を下っている途中、古川が上ってくるのが見えた。
「こんにちは、お出かけしてたんですか?」
「あぁ、飯を買いに行ってたんですよ。タダイチってのは肉が安くて助かりますね」
「よく食べるんですね」
古川はビニール袋を二つ提げていた。
「そんなもんです。ところでどうですか。何か進展はありましたか」
「ぼく、めちゃめちゃ嫌われてるみたいです」
「そりゃそうでしょう。しかし、そうなるとこれ以上は難しいってことか」
古川は思案顔になって俯く。
「おれぁ、あそこの巫女とそこまで親しくなかったし、長いこと話した覚えがありやせん。八街さんから見て、何か、こいつはって人はいませんでしたか。勘でもいいんで」
「勘ですか……」
幸は、織星や常夏、篝火や双子の名前を挙げた。他にも巫女はいるが、名前を挙げた彼女らは神社では中心的な人物である。
「仲間内で何かやるなら、そういう人たちじゃないかなって」
「その中で除外できそうな人は?」
「月輪さんですかね」
織星は他の巫女とあまり仲が良くない。そして、幸は何故だか、彼女には関わって欲しくないと思っていた。
「あぁ。あの生真面目な巫女さんですか。確かに浮いちゃあいますし、男慣れしてなさそうですね」
「そう見えますか。遊んでそうだなってのは常夏さんではないかと」
「あぁ。あの不真面目そうな……」
古川は低く唸った。
「だったら、常夏、篝火、双子の玉と初音でしたか。その人たちにあたりをつけますか」
「大丈夫でしょうか。それに、ぼくたちがそういうことしてるってとっくにばれちゃってますし」
「ああ、いや、それは気にしないでください。まあ、おれたちが神社を嗅ぎ回ってることにも意味があります。やっこさんだって気が気でなくなるし、焦って向こうから何か動きを見せてくれりゃあめっけもんです。……そうすね。八街さん、さっき言った人たちの印象ってのを教えてくださいよ」
幸は、常夏たちについて話した。
「やっぱり常夏さんですかね。ぼく、その人に似てる子を知ってるんですけど……」
「あぁ、いやちょっと待ってください。篝火ってのは、確か、眼鏡をかけた人でしたか」
「ええ、そうですけど」
古川は長い間黙考していたが、思い当たったかのように息を漏らした。
「あいつか」
「なんかアレですよね。図書館の司書さんとか、古本屋さんって感じの人ですよね」
「そう見えますか。おれぁ、ああいう女は好かないですよ。見た目こそ大人しそうですが、経験上ああいうタイプは」
「何なんですか?」
「まあ、怖いですね」
幸も篝火には妙な感覚を抱いていたが、古川が言うほどの嫌悪感は持っていなかった。
「ま、長期戦といきやすか」
古川は気楽そうに言うが、幸にとっては早く解決して欲しい問題である。骨抜き事件のようなことが起こるのは嫌だというのと、神社に何かあれば山に入れなくなるかもしれない。自分勝手だが、彼はそう考えていた。
麓に着くと駐車場の方が騒がしかった。ちらと覗くと、タダイチといかるが堂が揉めているらしい。その様子を離れた場所で見ている少女が一人。藤である。
「どうしたの? 喧嘩?」
「ああ、八街くん。そうなの。ちょっとね。まあいつものことといえばいつものことだけど」
藤はあくびを噛み殺した。
「うちもね、ケモノの買取に力を入れようと思ってるの」
幸は藤の横顔を見た。彼女はまっすぐに一点を見つめている。
「八街くんがね、狩人になるって言ったじゃない。危ないなって、死んじゃうなって思ったの。でも、メフってどこで何をしてようが危ないし、死ぬ時は死ぬじゃない? だったら、うちでもっといい薬とか作れれば助かる人も増えるんじゃないかってパパに相談したの」
「鵤さん」
「なあに?」
「お父さんのこと、パパって呼んでるんだね」
「そこはいいじゃない! 別に八街くんが心配だとかどうこうって話じゃないからね。勘違いしちゃだめよ」
幸は小さく頷く。
「で、八街くんはうちの素材回収係ね」
「何それ?」
「アルバイトできなくなっても困るでしょ? 狩人だって見習いの時はお金もらえないんじゃない? だからね、八街くんはそういう係に任命するわ。まあ、品出しの時よりかは時給下げるけど」
「そんなことしてもいいの?」
「だからパパに……お父さんに相談したのよ」
藤は、それからと言って意地悪い笑みを浮かべた。
「葛はあなたのこと気に入ってるから、今のうちにいかるが堂とずぶずぶにしといたらあいつ悔しがるわ。『八街盗られたー』って。ふ、ふふ。ふふふふ」
「ああ、そういうこと……」
「そういえば、こないだのお金はいいの? 白髪のおじさんに全部渡しちゃったけど」
「……何のこと?」
「神社でサルのケモノをたくさん仕留めたんでしょ。あの時の素材のお金。もしかしてもらってないの? 八街くんも頑張ったんじゃないの?」
案外強かな男、古川である。というか幸は何も聞いていなかった。
「ちなみになんだけど、あのサルって結構高く買い取ってくれたの?」
「そうでもないわよ。さして珍しいやつじゃないし。ああ、でも、うちの社員さんがね、珍しがってた。多過ぎるんじゃないかって」
「数が?」
「そうみたい。私はよく分かんないけど」
幸は古海が言っていたことを思い出す。
斥候。山に入ってきたものを観察しているサルがいた。そのことを藤に話すと、彼女は訳知り顔で頷いた。
「じゃあ
またケモノが襲ってくるかもしれない。幸は山を見上げた。ケモノの遠吠えが聞こえたような気がした。
幸の不安は的中した。
翌日、懲りもせず九頭竜神社に向かおうと、麓の山門が見えた時のことだった。そこには普段人気がないというのに人だかりができていた。がらがら通りや買取所のものたちが一様に山を見上げている。その中には斧磨鍛冶店の親方や鷹羽もいた。幸は彼らのもとに駆け寄った。
「ああ、お客さんじゃないですか。また間の悪い時に来ましたね」
「何かあったんですか」
「ケモノが出たんですよ。山から下りてきたんでしょうね」
すっかり慣れているのか、鍛冶屋の親方も買取所のものたちも平然としていた。せいぜい、火事を見物に来た野次馬のようである。彼らは此岸に立っているのだ。幸は違った。彼はそうですかと言って山門をくぐろうとする。それを鷹羽が止めた。
「何してんだ?」
「行かなきゃ」
「行かなきゃって……あんた一人行ったって何にもならねえだろ。あっちにゃ巫女さんもいるし、よその狩人だっていんだろ。見習いが出しゃばんなよ」
「違うよ。見習いとか、よそとか、そういうんじゃないから」
鷹羽は苛立った。
「得物もねえのに手ぶらで何すんだよ! あぁ!?」
彼女の大声は耳目を集めたが、本人は特に気にしていない。
「おいおい、おたかや。何を怒ってんだ。まあ、そのう、なんだ。お客さん、あんたもよしといた方が身のためですよ。餅は餅屋って言うじゃないですか。おれらぁ鉈打つのが仕事で」
「ぼくが何だって、ぼくの知ってる人がそこにいるんです」
そして自分には『何かできるかもしれない』という力が備わっている。天満も巫女たちも古川もあそこにいて、戦っているのかもしれないのなら、それを見過ごすことは幸にはできない。そういう性分だった。
「死にに行くようなもんだろっ。ああそうかい死にてえのかよ。だったらどこへなりとも行っておっちんじまえ!
「……ごめん」
「謝るくらいならなあ!」
「その辺にしときな、おたか。お客さんも、止めはしやせんが、どうせならまた戻ってきてくださいよ。
「そうします」
幸は山門をくぐった。
鷹羽の声が耳に残っていた。彼女の追い詰められたかのような表情が網膜に焼き付いていた。彼は察していた。彼女は自分にああいった感情をぶつけたわけではない。自分に誰かを重ねていたのだ。
幸が見えなくなった頃、親方は顎鬚を扱いて、まだ怒りの収まらない鷹羽を見遣った。
「よう、おたかちゃん。あのお客さんにアレ貸してやんな」
「ああ!? ……アレって。なんだってあいつに貸すんだよ!?」
「自分で言ってたじゃねえか。得物がねえって。おたかにも原因があんだぜ。はええとこ作ってやんねえから」
「あいつの注文がこまけえからだろ!?」
「そういうお客さんにいいもん出してやんのも職人のやるこった。それに、死んじまったら困るんだ」
鷹羽は不思議そうな顔をした。
「親方。そこまであの唐変木を買ってんのかよ」
「いや、そういうわけじゃねえが。こないだ一緒に来てた古海って市役所の姉さんいるだろ。あの人とちょっとまあ、話をつけてもらおうとしててな。うちの斧とか鉈を役所の方で使ってもらえねえかって。へっへ、御用達ってやつだ」
「そんなことしてたのかよ。そりゃ、まあ、そうなりゃあ仕事にゃ困らねえけど」
「だからよ。あのお客さんが死んじまったらその話もおじゃんだ。うちの明日がかかってんだよ。いいからアレを貸してやれってんだ」
親方は孫娘を真剣な目で見つめる。
「でも、さっき『死んじまえ』とかタンカ切っちまったんだけど……」
「知るかそんなもんてめえの口の悪さを恨めってんだ! いいから! 走れ!」
「アレじゃなくたっていいだろ!」
「むかつくけどよ、あれが一等出来がいいのは確かだ。むかつくがな」
散々怒鳴って喚いた後、鷹羽は店に向かって走った。
鷹羽は狩人が嫌いだ。自分たちの作ったもので、ものを殺す狩人が嫌いだ。何よりも、帰ってこない狩人が嫌いだった。
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