第8話 死にたがりの女
少し休みたいなぁってそう思いながら車を走らせる。
その日は雨が降っていた。ワイパーで窓を拭いてもすぐに見えなくなるほど強い雨。
明日も学校かそう思うと涙があふれてくる。
死ねばいいのに、つぶやいてみた。
浮かんでくるたくさんの顔。みんな死ねばいい。
赤信号で止まり、涙を拭く。意味もなく舌打ちをして、青信号になるのを待った。
青信号になった瞬間、対向車のヘッドライトが私の目に刺さる。
「死ねばいいのに」
今度は声に出してつぶやいてみる。
対向車の運転手の顔を確認しようとして目をこらした。薄暗くてよく見えない。
だから、私は子供が飛び出してきたことに気づかなかった。
「あっ」
とっさにハンドルを切る。
その瞬間、たくさんの顔が頭の中に浮かんでは消えた。
父の顔、母の顔、対向車の運転手の顔のシルエット、おびえた子供の顔。
そして、最後に浮かんだ顔は自分の顔だった。
どうかあの子をひいていませんように。
祈った瞬間体が大きく揺れる。
エアバックとシートに体を挟まれ私は意識をうしなった。
目覚めると、私は病院のベッドの上にいた。
胸がすごく苦しい。いつものようにストレスなのかエアバックに挟まれたからなのかよくわからない。
見舞いに来た父に聞くと私はどうやら小学生を見事に避け切ったらしい。
電信柱に突っ込んで車のボンネットとフロントガラスが粉々になったが、子供は無傷だった。私は肋骨の骨を折っただけで、大きな怪我はなかった。
しかし、事故後数時間は意識がなかったので、精密検査が必要らしい。
どれくらい仕事休めるだろうか。
できることならもう行きたくない。
しかし、やめても他にできることもない。
私は教師をしている。
教員として働き出して3年目だ。生徒に舐められて、たまに授業の邪魔をされて、馬鹿みたいな下ネタを言われて、クスクス笑われて、本気になれば熱くなるなと言われて、ほどほどにやるとゆとり世代がと馬鹿にされる。
ここ1ヵ月はずっと胸が痛かった。
息がもう吸えなかった。
子供の前に出ることが怖かった。
心の中で何人もの人を殺した。
毎日明日は死のうっておもってた。
それでも私は学校へ行く。
あいつらの言う通り馬鹿だからさ。
同僚に頭を下げ、精一杯笑う。
笑い話にしなければ、大人は生きていけない。
「病院でゆっくりしちゃいましたよぉ。」なんて言って、少し嫌味を言われても平気な顔をする。
ああ、なんでここはこんなに酸素が薄いんだ。息が吸えないよ。
教室に向かう途中、すれ違う子供達に挨拶する。
先生大丈夫なんですか?なんて心配してくれる子もいる。
3年間嫌な事ばかりだったわけじゃない。この子達と笑ったり泣いたり、ぶつかったりしながら過ごしてきた。
入学した時はみんな私より背も低かったのに。
背が伸びてきて、少しませてきたこの子達を見ていると、かわいいな、と思う。
教室の前に立つと心臓の音が大きくなる。鼓動がうるさくて、まわりの人にも聞こえているのではと不安になる。
深呼吸して落ち着こうとしても、胸がドクドク煩くて、息を吸えない。
溺れているみたいだ。
だから私は教室に入る時、いつも息を止めることにしている。
息を止めて、一気に扉を開ける。
絶対に下を向かない。
下を向いたら座り込んでしまいそうだから。
「おはようございます、お久しぶりー」
ざわめく教室。
先生おかえり、なんて声が聞こえる。
「事故るとかダサすぎ。死に損ない。死んどけよ。」
止めて息を吐き出す。
死ねばいいのに。
わたしの心を何度も殺す。
こんな奴にでも、笑いかけてしまう私が情けない。笑って聞こえなかったことにするしか、できない。
「蒼、やめとけよ。」
「別に、独り言だよ。」
聞こえない。聞こえない。聞こえていない。私には聞こえない。
「うるせーな。お前が死ねよ。」
って言葉を飲み込む。
それが教師の仕事だから。
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