そして彼は偶然に




「ここか……随分と薄暗いな」



足跡を追って辿り着いた先には、深い木々の奥に一つの洞窟が存在していた。物言わぬ黒々とした穴が俺たちのことを迎え入れるかのように開いている。



『この辺りは木々も鬱蒼と茂っているからな。なんでも志半ばで倒れた者を養分としてすくすくと成長しているという噂だぞ?』


「ぶ、物騒なことを言うなよ。それに、この森で起こった出来事を全て把握してるんなら実際に起こったかどうかくらいすぐにわかるんじゃ無いか?」


『戯け、我も暇ではない。日がな一日森の様子を眺めるなど、想像しただけで退屈に殺されそうになるわ。そういうのは地のヤツにでも任せておけ』


「地のヤツ? それって前に言ってた『地の化身』のことか?」


『ほう、覚えていたか。物覚えがいいのは我の好みだぞ』



 彼女に気に入られると大抵碌な事が無いのだが、という意見は辛うじて喉元で留めておいた。ひとたび機嫌を損ねてしまえば、それ以上に碌な事にならないと薄々察していたからだ。


 そんな俺の心情を知ってか知らずか、精霊は相変わらず尊大な口調で説明を続ける。



『あ奴は昔から根が暗くてな。たまに会う機会があっても碌に話もせず、聞いているのだか聞いていないのだかよく分からない表情で虚空を見つめている事が多かった』


「結構精霊ごとにも特徴があるんだな。なんとも人間らしいというか」


『ハッ、精霊としての意識が足りぬのだよ。上位種には上位種としての相応しい振る舞いがある。我以外の奴らはことごとくその辺りを理解していなかった』


「え、お前の事も含めて言ったつもりなんだけど……」


『……どうやら我の威厳を今一度分からせる必要がありそうだな』



 特徴だけで言えばこれほど灰汁が強い奴もそれほどいないだろう。遠慮のない物言いをする分、ある意味人間よりも人間らしいというか。


機嫌が悪くなったというよりは照れ隠しのようで、全身の端々から溢れ出た炎がチロチロと漏れ出している。飛び散った火の粉が、落ちていた一葉を燃やした。



「ま、まあそれはまた今度でいいじゃないか。ほら、今は別にやらなきゃいけないことがあるからさ」


『チッ、都合よく逃げおって』



彼女を宥めながら洞窟へ入る。灯りこそ無いが、幸いにして横にいる精霊が灯りの代わりとして機能してくれる……などと考えていたが、それを見透かされたのか、彼女は火球の状態へと戻り自身の懐へと入ってしまう。


仕方がないと能力で炎を出し、目の前に掲げる。先程よりは幾ばくか頼りないが、これでも無いよりはマシだ。



「……別に居てくれるくらい良いだろ」


『この我を利用しようなどと考えること自体不敬であるぞ。第一足跡を見つけた時点で仕事は十分に果たしているだろうに。ここからは主殿の働きを我が観察する番よ』



とはいえ、火力が強ければ強いほど密閉空間では危険となる。入り口こそ広いが洞窟の中というのは多くの場合入り組んでおり、かなり狭い。そんな所で長時間炎を燃やし続ければ酸欠は免れられないだろう。ここは多少暗くても、あまり酸素を消費しないよう小さな火種で行くべきだ。


 手に火を掲げ、暗闇の中を照らす。洞窟としてはそこまで深くないようで、暗闇の奥にうっすらと壁が存在しているのが確認できる。だが、ここまで浅いと流石にメリダスは隠れていなさそうだが。



『流石に手狭だな。こうも見すぼらしいと潜むような場所も無かろう。主よ、ここは見当違いのようだが』


「確かにここにはいないだろうな。ただ、手掛かりは残っている可能性はある。足跡がここに向かっている以上ね」


『ハ、生真面目な事よ』



 彼女の言葉を聞き流し、洞窟の中を調べる。


 何の変哲もない、洞窟と言うよりも洞穴ほらあなと言った方が正しいような空間。特に何がある訳でもないが、雨風を凌ぐには悪くない場所だ。


 地面を観察すると、転がっている小石はすべて端へ除けられている。キャンプを立てる際、小さな石一つでも安眠の邪魔となるため、野宿をする時には必ず行う事だ。少なくとも自然に起こる現象ではない為、誰かがここにキャンプを立てた事を示唆している。


 そして、わずかに残っている炭の跡。試しに熱源探知パルスを発動すると、洞窟の一部分だけ熱が籠っている。形からするとこれは……。



「……焚火の跡だ。やっぱりアイツはここに来てる」



 昨日の夜は非常に冷え込んでいた。あの中で脱走劇を繰り広げるなら、暖を取る必要性がどこかで必ず出てきたはずだ。足跡からしても、この洞窟に一度留まっていたとしてもおかしくは無い。



「そうと分かれば、ここから出ていく足跡か何かがあるはず……」


『……やはり先ほどの発言は撤回しておこうか主殿。少々短慮が過ぎるのではないか?』


「は?」



 呆れたような精霊の声。何に呆れられているのかさっぱり分からないが、時は刻一刻と過ぎている。声の理由を考えるのは、足跡を探しながらでも可能だろう。


何より問題なのは、空にどんよりとした雲が掛かっている事だ。この様子からして、いつ雨が降り出してもおかしくは無い。そして一度降れば、薄く残った足跡などすぐに雨粒で消えてしまう。唯一残った手掛かりを見つけるには、あと僅かな時間しか残されていないのだ。


しかし、何往復もしたのか洞窟の前にはあちこち足跡が残っている。ただの偶然か、もしくは偽装工作か。後者だった場合、この脱走劇には何か裏があるという事になるが……。



「……いや待て、足跡?」



 何かがおかしい。そこまで考えたとき、ふと俺の思考にストップがかかる。


 そもそも俺が追っていたのはなんだ? 間違いない、足跡だ。だが、その足跡の形にまで意識を向けてはいなかった。


 獣人の足型など気にも留めていなかったが、耳や手足の形などは人間から隔絶した形態をしている。だが俺が何も考えず精霊に言われるままに追っていた足型は――


 自身が靴を履いているから気付かなかったが、獣人はそういった器具を使わない。獣が基準である以上、自らの手足を使った方が必ず動きやすいからだ。


 だが偽装の為に靴を使った可能性も――いや、何のための偽装だ? こんな偽装、人である俺にしか通用しない――だが、俺が追う前提だとしたら?――

くそ、考えが纏まらない。自身の灰髪に手を伸ばし、くしゃりと握りしめる。


 考えろ。考えろ。そもそもこの足跡は本当にメリダスの物か? あいつの足のサイズなど俺は見たことが無い。たまたま奴らの溜まり場があった所にこの足跡があって、それを俺が勝手に判断しただけじゃないか。


 精霊もこれがメリダスの足跡だとははっきり明言していなかった。彼女は嘘を言わない――だが本当のことも言わない。確かに森においての出来事は粗方把握しているのだろうが、それ以上のことを彼女は言わなかった。


 彼女の言った通り、足跡があったのは事実。だが――


 まさか。そんなはずはない。言葉だけが口の中で空回りするも、思考はその可能性を否定しきれない。何より状況が、否定することを許してくれない。


 獣人は炎を扱えない。その事はサウリール達と食卓を囲んだその日に分かっていたことではないか。精霊から先程叱咤された理由がようやく理解できた。そんな彼らに焚き火が扱える筈がないだろう。


 炎を扱うことが可能で、なおかつ靴を使う者。俺の知らない第三者でなければ、考えられるのは一つしかない。



「この森にいる、俺以外の人間か」


『ククク、答えを出すのが遅いぞ主殿。だがまあ、及第点くらいはくれてやろる』



 ざくり、と土を踏みしめる音が背後から聞こえる。



「……え、ウソ……」


『さあ、感動の再開だぞ? 我手ずからの演出、有り難く受けとるといい』



 やりやがったなクソッタレ。恐らく愉悦の表情を浮かべているであろう精霊に、頭の中で悪態をつく。


 振り向かずとも声でわかる。二年も旅をしていれば、その程度の判別はつく。だが、これほどまでに分かりたくなかったと思うことも初めてだ。


 『勇者』メリダ・ハートガード。俺をパーティーから追い出した張本人の一人。もう二度と会うこともないだろうと思っていた人物が、今真後ろに立っていた。


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