彼女の心の内は




「ふう……」



軽く漏れた溜め息が、静かに空へ溶けていく。それでも沈み切った気分は回復せず、胸の奥に溜まった感情が減る事はない。



「どうしたサウちゃん? 何か嫌な事でもあったのかい?」


「え、あ、すいません聞かれちゃってましたか……」



耳聡く聴き付けられていたのか、流石に誤魔化せないと悟ったサウリールは目の前の人物ーーフルに対して苦笑いを浮かべる。


今朝の出来事。それは予想以上に彼女の胸へと突き刺さっており、ジクジクと痛めつけていた。思い出したくもない記憶がリフレインし、いつもの笑顔を保つのも難しい。



「……無理に聞こうとは思わんがな、少しくらい吐き出してもバチは当たらないんじゃねぇかな。そうすりゃ多少は楽になるんじゃねぇかと思うし」


「あはは、お世話になってるフルさんには隠し通せませんね。それじゃあ、お言葉に甘えて」



しばしの瞑目の後、サウリールは意を決して話し始める。急な来客、思い出してしまった嫌な記憶、そして……関係ないバグスへ冷たく当たってしまった自身への嫌悪。


訥々と語ったつもりだが、それでも端々に感情が篭る事は避けられない。所々言葉が震えるのを必死に抑えようとはしたが、それでもフルは気付くだろう。何せサウリールとは、彼女がようやく歩き始めた頃からの知り合いなのだから。



「成る程ね、それで居ても立っても居られなくて部屋に戻っちまったと」


「はい。今もあんまり心の整理が付いてなくて……。正直、フルさんから食糧を頂くという用事が無かったら一日部屋に篭ってるところでした」



手に持った袋に目線を送ると、今にも袋から溢れんばかりの野菜と、葉に包まれた肉がその姿を覗かせている。


両親が居ない少女二人が、何故食うに困らずその上居候まで養えるのか。それはひとえに、両親の親戚であったフルの存在が大きかった。


力の弱いサウリールと、肉食とは言え未だ幼いラトラでは、森へ出て食糧を得る事が出来ない。その為彼女らの分もフルが狩り、その見返りとしてサウリールが様々な内職をする事で、日々の食い扶持を稼いでいるのである。



「……悪いな。家族を失ったお前さん達は、本来なら長から保護されるべきなんだが」



森には危険が溢れている。そんな中に出向いて食糧を取ってくるのは男の仕事だが、当然そんなリスクには保障が付くものだ。万が一狩りに出た男が死んだ時、その家族は集落の長が支える。こうする事で男も女も、ある程度の安心を得て狩りへと行く事が出来るのである。



「ったく、それだってのにあの若造はどこで何してるんだか。長の息子ともあろうものが、職務を放り出して何処ぞをほっつき歩くなんて……サウちゃん、やっぱ俺から直接」


「大丈夫です!」



 拒絶の声は思いの他大きく響いた。


過去の事情を説明していないフルからすれば当然の提案だ。だが、いかな事情があったとしても長からの援助を断ったのは事実。何よりメリダスがいる限り、サウリールも手を借りるつもりは一切無かった。


無論、これはただの意地でしかない。だがそうと分かっていようと、自身を襲おうとした男と馴れ合うなどという事は我慢出来るものではないのだ。



「……すいません大声出して。でも、私は金輪際あの方に頼るつもりはありません。フルさんから食糧を頂けなくなっても、自分達の力で生き抜くつもりです」


「縁起でもないことを言うな! 止めろと言われても俺は続ける。それがサウちゃんの両親との約束だ」



それにフルは、過去サウリールの悲壮な決意を見ている。長からの支援を止められた時、ようやく歩けるようになったラトラを連れ、自分の前で啖呵を切ったのだ。



『自分は誰の助けも借りる事はない!』



そしてその後、実際に森へ出て自分達の分の食糧を取ってきたのだ。代償として、身体中のあちこちに生傷を作りながら。


そもそも、サウリールはウサギが由来となった獣人だ。逃げることに関しては人一倍特化しているが、獲物を狩るというのはほぼ不可能に近い。非力な彼女では、恐らく満足に武器を振るうことすら難しいだろう。


しかし、それでも小動物とはいえ狩って来た。付いた傷は他の獣に襲われた時のものだろうか。時間もかかり、成果も十全とは言えないが、それでも確かに不可能だと思われたことを可能にしたのだ。


それからだ。フルがこの少女達のことを、どうにかして守らなければならないと思ったのは。元より彼女らの両親から頼まれた身、援助することに関しては微塵の抵抗も無かった。


……いや、頼まれただけでは無い。身体中に傷を負って、泥のように眠るサウリールを見た時、彼はふとこう思ったのだ。



『彼女を放っておけば、恐らく自分が壊れるまで動き続ける』と。



今回は獲物が取れたから良いものの、恐らく彼女は取れるまで諦めるつもりは無かったのだろう。根拠は無いが、それほどの家族愛……いや、狂気を彼女の目から感じたのだ。


 彼女の発言にふと当時のことを思い出すフル。これ以上この話題は続けられないと、急いで話を変えた。



「……そうだ、例の兄ちゃんは元気か? 確かサウちゃんの家に泊まってるんだよな?」


「ええ、今のところは問題ありません。ただ男の人ですから、もしかするとご飯が足りなくなっちゃうかも」


「ははは、飯に文句つけて来たら『自分でとってこい』位言ってやりゃいいんだよ。あいつも男だ、そんなんで怖気付くタマでも無いだろ」


「うーん、でもお客さんに無理を言うのは……」


「客じゃなくて居候だろ? なら家事を手伝わせる位の無理は聞くさ。それに、大抵の無理ならアイツは文句一つ言わずやっちまいそうだからな」



彼が思い出すのは先日の出来事。他人のペンダントを探す為だけに、狂獣の潜む森へと自ら勧んで駆け出していったあの姿だ。見知らぬ誰かの為にあそこまで出来るならば、食料を自分で取ってくる程度なんてことは無いだろう。いや、何も言わずとも自分で取ってくるまである。


 まだ知り合って日も浅いが、彼の性根は善良であるということ位は傍目にも分かる。だからこそ、サウリールらの家に泊まる事も許されているのだ。


 と、バグスの話題を出せば機嫌も良くなると考えていたのだが、フルの予測とは反対に頬を膨れさせるサウリール。先ほどまでの落ち込みとはまた違う、明らかに機嫌が悪くなっている証拠だ。



「……むー、確かにあの人ならそうなんでしょうね」


「なんだ、やけに機嫌が悪いな。アイツと喧嘩でもしたのか?」


「知りません」


「おいおい図星か、そうむくれんなって」



 懸命に宥めるフルだが、この変化は悪い変化ではないと考えていた。


 例のあの日から、彼女が明確に感情を表すことはほぼ無くなっていた。勿論ラトラの前や、ごくたまにフルの前でも感情を露わにする事はある。だが、それ以外の場所では大抵愛想笑いを浮かべており、一部の若者の前では一片の相好すら崩さない始末だ。これでは付き合いどころか、人と仲良くなることすら出来ない。


 常々不安に思っていたことだが、流れ人であるバグスに感情を向けている現状は悪いものではない。それも単純な悪感情ではなく、好意の裏返しのようなものだ。これは一歩どころか十歩くらいは前進していると言える。


 遂に娘にも春が来たか、とフルは心の中で涙した。最も、サウリールにこの声が聞こえていれば『いつから自分は娘になったのか』と猛烈に抗議していた事だろうが。



「ま、精々仲良くやりな。飯も兄ちゃんの分を考慮してある程度増やしてあるからよ」


「あ……本当だ。ありがとうございます!」



 頭を下げるサウリールを尻目に、自身の家へと戻るフル。ふと窓の外を見ると、ぽつぽつと透明な粒がすりガラスの外側についているのが確認できる。


 雨か。青空に掛かるどんよりとした雲を見て、彼はそんなことを思った。

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