彼は力を手に入れて




キス、接吻、チュウ。どの表現でもいいが、つまり俺は精霊の口に当たる所と自らの口を重ね合わせてしまっているというわけだ。


炎の精霊らしく、口の中はかなり熱い。だが、火傷しない程度には抑えられているのか熱い止まりだ。舌のような何かが俺の口腔を這いずり回る。


慌てて精霊を引き剥がそうとするも、疲れ切った体では抵抗出来ない。寧ろ抵抗しようとして払った手まで絡め取られ、より逃げ出せなくなる。


文字通り熱烈な俺達のキスシーンを見て、サウリールは引き止めることは愚か口出しをする事もしない。顔を赤らめ、恥ずかしそうに手で覆う。


いや、良くみると僅かに開いた指の隙間から此方を見ているようだ。それは流石に王道すぎやしないだろうか。


たっぷり一分程は息継ぎも無しにキスしていただろうか。漸く精霊の口が離され、体の拘束も解かれる。俺は精霊から慌てて距離を取ると、荒い息を直す間も無く口を拭う。



「はぁっ、はぁっ……な、何の真似だ……!」


『フン、敗者が勝者に身を捧げただけの話だ。我は忠実だからな、然るべき報酬は払う。そら、自身の力を確認してみると良い』



促されるままに炎を使ってみる。するとどうだろうか、指の先に小さくマッチ程の炎を出したつもりが、出て来たのはキャンプファイアー程の大火だった。


あまりの火力の違いに驚愕し、思わず精霊の方を見る。顔が無いため表情は分からないが、どうにも得意げになっている雰囲気は伝わってくる。



『我の力を委譲したのだよ。同じ炎の力だ、悪くない気分だろう?』



確かに、これは凄い。先程までの極大魔法の炎を纏っていた時か、もしくはそれ以上の力が溢れてくる。


精霊の力そのものを移植されたということか。それ程の物であれば多少体への影響もありそうな物だが、恐らく精霊が炎そのものであるため、俺の能力で吸収出来たのであろう。


その譲渡の行為が、先程のディープなキスか。



「……いや、確かに助かるが別にキスする必要は無かったよな?」


『フ、そう言うな。精霊と口付けした人間など恐らくこの世界で初めてだぞ? 因みに我のファーストキスでもある』


「俺だってそうだよ!」


『だから主殿あるじどのはダメなのだ。この程度で恥ずかしがる様では先が思いやられるぞ』


「べ、別に恥ずかしがってるわけじゃ……てかなんだ主殿って」



先程まで俺の呼び方は『貴様』だった筈だが、急にどうしたと言うのか。争いあっていた相手に急にへりくだられるのは、はっきり言って気味が悪い。


精霊はらしくもなく肩をすくめると、呆れた様に首を振った。



『先程も言っただろう? 敗者は勝者に身を捧げる。従って、我の身も主殿に捧げられたということだ。クク、自由に扱える精霊だぞ? どうだ、嬉しいだろう?』


「え、いや別に……」



思わず素で回答してしまう俺。精霊は此方を見ている状態でピシリと固まる。



『……そんなバカな!? これまで我に挑んだ者など我の身柄以外考えていなかったぞ!? まさか、よもや本気で戦っただけなのか!?』


「いや、別に戦いたくて来たわけじゃないし。強制エンカウントからの有無を言わさず戦闘突入だったし」


『バカな、あり得ん。我が一大決心をして主殿に仕えようと心に決めたのは一体何の為に……』



そう、別に俺は一言も戦いたいとは言っていない。つまり悪いのは一人で勘違いしていた精霊だけである。寧ろいきなり戦わされた俺に謝罪が欲しいくらいだ。


しかし……戦っている時とは随分と印象が違うというか。古めかしい口調は変わらないが、その言葉からは随分と角が取れている。いかめしかった雰囲気も消えており、どこかフレンドリーな印象を受ける。


それにしても、精霊の声が低めとはいえ女声で助かった。仮に重低音の効いた武人然とした男の声だったとしたら、あまりの気味悪さに鳥肌が立っていたことだろう。


……少し想像してしまった。男の声で『この身を捧げる』と囁かれるシーンを。少しばかり鳥肌が立ってしまい、俺は自身の腕を抱える。



『む? どうした主殿? やはり我の体が欲しくなったか? 良いぞ主殿なら。我の準備はいつでもおーけーだ。一体化すれば主殿の体を精霊の物に変えることも可能になるだろう』


「その副次効果には若干興味があるが、別にそういうわけじゃない。ただ、様子が随分と変わったなと思ってさ」


『ああ、確かにそうだな。まあ単純な話だ……主と侵入者への対応、二つの間で差が出来るのは当たり前だろう?』



確かに、誘われたとはいえ精霊の住処に踏み込んだのは此方側だ。意図的でないとはいえ、眠りを揺さぶった此方に非が無かったとは言えない。


そう考えると、ある程度は精霊の思いに応えてやるのも吝かでは無いかもしれない。俺は一つ頭を掻くと、改めてサウリールへと向き直った。



「あー、まあそういう事情らしくて……物は相談なんだが、もう一人居候が増えても構わないか? こんなこと、居候の身で言うことでは無いんだけど」


「……フフッ、分かりました。あの家も少々スペースを持て余していたところです、歓迎しましょう」


『む? 主殿、我はこの兎耳の家に邪魔することなど了承した覚えはないのだが?』


「お前……少しくらい空気を読め」



そんな和やかな雰囲気で話していた時、洞窟の入り口から複数人の話し声と足音が聞こえてくる。


やはり先程までの戦闘が外にも伝わってしまったか。俺は大穴の空いた天井を見上げ、一つ溜息をつく。



「この天井の大穴、お前のせいってことにしといていい?」


『え、我? これは主殿が開けた穴では無いか?』


「バカお前、俺が破壊したなんて言ったらここの人達にこっ酷く怒られるじゃん。その点、祀られてるお前ならある程度の無茶は許してくれるだろ? 何かこう、虫の居所が悪かったって事にしとけよ」


「バグスさん……」


『主殿、我の身柄を手にしてから初めて使う目的が人身御供など……正直、せこいぞ』



なんとも言えない表情で此方を見てくる二人。確かに少し客観的に見ても、今の案は大分せこかった。


二人の視線が突き刺さるが、俺としてもここで引くわけにはいかない。此方としてもただ怒られるのが嫌だという子供っぽい理由だけでこの提案をしているわけでは無いのだ。



「まあ落ち着け。別に俺だってただ責任転嫁がしたい訳じゃ無いんだ。よーく考えてみろ? 俺はある日突然現れた、ぽっと出の異邦人だ。そんな奴が自分達の信仰する対象を倒し、あまつさえ手下にしたんだぞ? これじゃあ暴動が起きてもおかしくない」


『我信仰対象とか居らぬぞ』


「じゃかしい。想像しろ想像」



思案に走った二人の表情を見るに、どうやら納得はしたらしい。精霊の方は未だに得心が行っていない様だが、理解はした様だ。


最悪俺一人なら良いが、あまり目立ち過ぎても世話になるサウリール達にも迷惑が掛かってしまう。この様な狭い集落で住みにくくなるというのは、実質の死を意味する。それは何としても避けねばならない。



「理解したか? そんじゃあ事情を説明する時は頼んだぞ。基本的な説明は俺がするから、時折それに相槌を打ってくれるだけで良い」



二人とも俺の説明に頷いてくれるが、精霊の方はどうにも不服そうだ。再度言い含めておこうかとも考えたが、足音はすぐそこまで迫っている。これ以上の作戦会議は向こうにも聞こえてしまうだろう。


さてーーかつてパーティーの仲間だった怪盗から相手を言いくるめる話術は学んだが、果たしてどれだけ通用するか。


洞窟の暗闇から姿を現した一団。その先頭には髭を蓄えた老人が杖をついて歩いている。後ろに続いているのは複数人の若者だ。何も頭部に何らかの動物をモチーフにした耳が付いている。


老人は髭を撫でて状況を確認すると、炎の精霊に対し頭を下げる。若者の集団のトップが老人というのは少し考え難い。恐らく彼はこの集落のトップということなのだろうと当たりを付けた。



「おお……これはこれは精霊様。本日もご機嫌麗しゅう御座います。サウリールさんも久しぶりですな。して、失礼ですがそこのお方は……?」



まあ、当然の疑問だ。同族のサウリールならともかく、見たこともない男が精霊の近くにいるのだから聞きたくもなるだろう。俺は警戒を解く為に、頭の中で温めていたシナリオを口にするーー



『うむ、この男は我の主殿だ。皆控え、崇めると良い』


「とおおおおおおおおおおおおおい!!!!」



計画が早速崩された。

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