彼はトラウマと対峙して
「くっそ、面倒臭い!」
『ハハハハハ!! さあ戯れだ、受け取るがいい!』
火の精霊は高笑いを上げながら、次々と周囲に炎の弾丸を作り出しこちらへ打ち出してくる。
そんな弾幕の中を、スキルによるブーストダッシュも利用し、あちこち走り回りながら懸命に避けて行く。
スキルで相手の攻撃を操ろうともしたが、何故かそれは効果を発揮出来なかった。恐らくより上位の干渉が働いたのだろう。防御の手段と攻撃の手段、それぞれ一つづつを奪い去られたようなものだ。
時折体をかすめて行く弾丸。身体中に張って置いた炎の膜のお陰で大したダメージにはならないが、それでも集中はわずかに削がれる。
攻撃の合間を縫って、試しに数発球状の炎を作り上げ、精霊へと打ち込んだ。
だが、当初の予想通りそれは徒労に終わる。
「チッ、やっぱ吸収されるか……」
炎の体に呆気なく吸収される炎球。俺程度の使い手でも、敵の炎すらも自在に操れるのだ。それが精霊ともなれば、最早炎など痛痒にもならないのだろう。
幸いにして、操る炎ならばそこらに散らばっている。地面に着弾した後の炎ならば精霊の指揮下には無いようだ。痛打を与えられずとも、これで時間を稼ぐ事は出来るはずーー
だが、そんな事を考える時間も与えないとばかりに走り回る俺の足元へ炎が着弾する。足場を崩された俺はもんどりうって転がるも、辛うじて受け身を取り体勢を立て直した。
「クソ、いってぇなぁ!」
だが、倒れなかったとはいえ足が止まる事は避けられない。思わず悪態をつくも、目の前に迫っている幾数もの炎弾の前では無意味だ。
咄嗟に周囲の炎をかき集め、巨大な炎の壁を形成。弾幕と形容しても差し支えないほどに迫って来た炎弾は、しかし全て壁に吸収され消えて行く。
この壁を形成している間がチャンスだ。炎弾程度なら受け止められるこいつがあれば、弾幕など最早意味を成さない。
『ほう? 考えたな』
壁の向こう側から、精霊の感心するような声が響く。余裕を湛えたその声が、今はなんとも腹立たしい。
俺は壁を盾にその陰から攻撃ーーでは無く、壁ごと一気に精霊へと突進して行く。
『ーーフン、気でも狂ったか? どんな戦略を立ててくるかと思えば、誠に興醒めだ』
炎弾程度ではどうしようもないというのは、奴も織り込み済みの筈だ。なら、どうやってこの壁を突破してくるか。
余裕を持って戦うやつは、大抵裏を掻くという事をしない。単純な話、優勢ならばゴリ押しするだけで勝つことが出来るからだ。
ならば、奴の対策はそれ以上の威力を込めた炎弾を打ち込んでくるという単純な物となる筈。姿が見えない壁の向こうで、考えが外れないよう必死に祈る。
そしてーー
「っ!!」
炎の壁にこれまでにない負荷が掛かり、耐えきれなくなったそれは一気に爆発。
爆風と白煙が、精霊によって閉ざされた空間一帯に広がる。
つまらなそうな精霊の言葉が、その空間に静かに響いた。
『……同類とはいえ、同族ではない。所詮人間風情だったということか』
「――掛かった」
『何!?』
ブーストをかけ、一気に白煙の中から突貫する。先ほどの爆発で仕留めたと思っていたのか、精霊の声色に動揺が走った。
その一瞬が絶好の隙。遠隔が駄目なら近接だ、と全身に炎を纏わせ、俺は全力で殴り掛かる。
だが――そんな目論見は辛くも崩れ去った。
「なっ!?」
スルリ、と霞でも殴りつけたかのような感覚。全力を込めた拳が空回りし、その勢いのまま体が振り回される。
慌てて両手足から炎を噴出させ、出来るだけ距離を取る。追撃を警戒するが、精霊はその場で漂うだけで俺に対して攻撃を仕掛けてはこなかった。
やはり駄目だったか――そんな無力感が俺の心を支配する。所詮は勇者パーティーを追い出された身、そんな俺が人を助けたからと言って、調子に乗って精霊に会おうなどと。思い上がりも甚だしい。
第一、相手は炎を司る存在だぞ? そんな相手と戦って、一体どうするつもりだったんだ俺は。勇者でもない俺に勝ち目なんて、ハナからあるはずがないのに。
行き場のない怒り、そして身の程を弁えなかった羞恥心が今更ながらに鎌首をもたげて来た。
『……なるほど、爆発を利用して目眩ましにしたわけか。小賢しいが有効ではある。一杯食わされたよ』
精霊は悠然と漂ったまま、俺に話しかけてくる。いつの間にか俯いて下を向いていた視線を、ゆっくりと精霊へ戻す。
『だが――今の貴様の様子はなんだ? 自身の炎が通用しなかったというのに、随分と腑抜けた表情をしているではないか』
「……うるせぇ。ただ冷静になって考えているだけだ」
『ほう? その割には随分と疲れた目をしているようだな。我には分かる、それは諦めた者の目だ。三百年前の話だが、幾多もの挑戦者は大抵最後にはそういった目をしていたよ』
表情ばかりか、隠していた内心まで見透かされる。正直、かなり不愉快だ。
『そんな人間と戦っても詰まらん――どれ、ここは一つ我が一肌脱ぐとしようか』
言うが早いか、球状だった精霊の体が徐々に変化していく。胴体、腕、足、頭。徐々に徐々に、体の形状が人へと近付いていく。
その姿には、どこか見覚えが――
「……っ!! テメェ、その姿は!!」
『貴様の記憶の中から、最も不愉快に思っている者の形状を取らせてもらった。フフ、腹立たしいだろう?』
パーティーを抜けるよう言い渡してきた、魔導士フェルグスの姿そのものが俺の前に立ちはだかっていた。
フェルグスの姿をした精霊は、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、俺のことをねめつけてくる。
「さあ、続きをしようか。これなら少しはやる気が出るだろう」
手に持った杖を振るい、周囲に炎弾を生み出す
あちこちから迫りくる炎を、なんとか避け、そして弾いていく。だが、この動きが先ほどと比べて精彩を欠いているのは自分でも分かっていた。
「どうした! 相変わらず逃げ回ることしか出来ないのか! この臆病者め!」
《君はもうこのパーティーに必要無い》
「そらどうした、手も足も出ていないぞ! 早く反撃してみるといい!」
《君にはスキル以外、何もないんだ》
高速で飛んでくる弾丸が、次々と俺の体を裂いていく。駄目だ、この量は避けきれない。
「もっと! もっとだ! 秘められた力を開放し、この窮地を脱して見せろ!」
《君は、代替が利くんだよ》
ついに一発の炎弾が、俺のこめかみを掠めていく。一瞬とはいえ脳を揺らされた影響で、避け続けていた俺の足は完全に止まった。
「……ふう、あまり期待を掛け過ぎるのも考えものだったか。仕方ない、この一撃で終わりにしてあげよう」
期待外れだ。フェルグスの姿を借りた精霊は、言外に瞳でそう訴えていた。
杖を構えると、赤色をした燃え盛る魔力が杖先から生じる。魔力は陣を編み、中空で複雑な魔法陣を象った。
あれには見覚えがある。確か、フェルグスが最も得意としていた炎系呪文の一つ――。
「
瞬間、目の前に太陽が生まれ落ちた。
いや、太陽にも見えるそれは巨大な火球だった。この呪文が敵に向かって放たれるのは何度も見たことがあるが、俺自身に向けて放たれるのは初の経験だ。
ジリジリと焼け付く皮膚。このまま直撃すれば、無事では済まないどころか塵すら残らないかもしれない。
だが、俺にはどうすることも――
「……いや」
本当にそうか? 俺はここで死ぬしかないのか? 自身を象徴する焔に焼かれて、跡形もなく消え去る運命なのか?
奴の言った通り、替えが利く程度の代替品なのか?
「……そんな訳ねぇだろ」
いいや、違う。
俺は小さいころから炎を生み、炎を操り、炎と戯れ、炎と生きてきたんだ。誰よりも、何よりも炎のことを理解している自信がある。
それが、ただ膨大な魔力を持っているだけの奴に取って代わられる? いいや、そんなことあり得ない。そんな結末、絶対に許してなるものか。
俺は迫りくる火球を思い切り睨みつける。すさまじい光量のせいか、目が焼けるように痛い。
だが、この魔術は何度も見てきた。ましてや、俺の専門である炎の魔術。構成も、魔力の編まれ方も――炎の揺らめきすらも、一片残らず読み取ることが出来る。
この程度なら――俺の敵じゃない。
迫りくる火球に、俺はゆっくりと手を伸ばした。
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