第6話
「先輩は、いつから霊が視えるんでしょうか?」
ビーカーのお湯をそっとカップに注ぐ俺に、陽來は気を取り直したように問いかける。
「さあ、気が付いたらかな」
「わたしもなんです。物心ついた頃から幽霊が視えていました。わたしにとって幽霊というのは日常的に視えるもので、視えるのが普通でした。だから、幽霊が他の人には視えないと知るのにだいぶ時間がかかったように思います」
コーヒーが一つできた。
俺はドリップバッグをもう一つのカップへ移すと、湯気を立てているコーヒーカップを陽來へ押しやった。
「生憎、ミルクはない。砂糖はそこら辺の棚を漁ればあるかもな」
「いえ、大丈夫です。いただきます」
カップを引き寄せ、口をつけた陽來の表情が歪んだ。やはりお子様にブラックはきついらしい。
俺は一つ息をついて立ち上がると後ろにある戸棚を開けた。たくさんある引き出しを次々と引いて砂糖を探す。
「……先輩は、友達がいますか?」
唐突に背中へ投げられた問いかけに、俺は手を止めて振り返った。
コーヒーカップを両手で持った陽來が思い詰めたような瞳で俺を見つめていた。
「わたしは、いないです。どうしてもダメなんです。みんな、わたしが幽霊が視えると知ると気味悪がって、近付かなくなるんです」
「……視えないフリをすればいいだろ」
誰もが思いつくベストアンサーを返して、俺は砂糖の捜索を再開する。大きめの戸棚を開くと、塩と並んで砂糖の袋があった。
「それがですね、そう上手くいかないんです。
これは小学一年のときでした。わたしのクラスには、担任の先生と、もう一人教室の端に立っているだけの先生がいたんです。担任の先生が授業しているときも、給食のときも、掃除のときも、もう一人の先生はずっと教室に立っていました。わたしはその先生が好きでした。授業でわからないことがあると答えを教えてくれたし、わたしが一人でいると話しかけてくれたんです。
でも、あるとき、その先生と話していると、クラスの子がわたしに『独り言、気持ち悪い』と言ったんです」
「その先生が幽霊だったってオチか」
「そうです。わたし以外の人に、その先生は視えていなかったんです。一年生が終わる前に、その先生はいつの間にかいなくなっていました。わたしがクラスで話せるのは、その先生しかいなかったんですけど」
俺は砂糖と匙を机に置いた。陽來が匙一杯の砂糖をカップに入れ始める。
「それだけじゃないんです。あれは小学五年生のときでした。
遠足のときのバスで、わたしの隣に知らない子が座ったんです。わたしはその子に言いました。ここは三組のバスだよって。その子は自分のクラスが嫌だからこっちに来たみたいなんです。わたしはその子と遠足中ずっと一緒にいました。
ところがお弁当のときになってその子は消えてしまったんです。わたしは慌ててその子を捜しました。そしたら、その子が川の中に入っていって、わたしに『おいでよ』って言うんです。『危ないよ』って言っても聞かなくて、結局川に入ったわたしは溺れました。そのときは川に入っていくわたしを見かけた誰かが助けてくれたらしいです。
病院で目を覚ましたとき、付き添っていてくれたお姉ちゃんは怒ったような顔でわたしに言ったんです。もう幽霊について行っちゃいけないって」
自分のコーヒーを淹れ、香りを満喫しながら俺は話を聞いていた。
なるほど。事情が呑み込めてきた。
「おまえの目に、幽霊は透けて視えないのか?」
コーヒーをちびちび飲みながら陽來はこくん、と頷いた。
「先輩は、透けて視えるんですか?」
「まあな」
陽來が目に見えて肩を落とした。
「だからわたし、明らかに見た目がおかしかったり空中に浮いてたりしない限り、幽霊だって気付かないことが多いんです。
この前だって電車で隣に座っていた人が幽霊で、そこに座ろうとしていた人に『人の上に座っちゃダメです!』って言っちゃって……」
残りのコーヒーを一気に飲むと、陽來はカップを置いた。それからまだ一口もつけられていない俺のカップに目を留める。
「飲まないんですか?」
「……猫舌なんだ」
途端に陽來が笑顔を零す。
「先輩って意外と可愛いところあるんですね」
……嬉しくない。
憮然と窓を向いた俺の横顔に陽來の視線を感じる。ちらりと見ると、陽來はまだ俺を見てクスクスと笑っていた。
「そんなに可笑しいか?」
半目になった俺に、陽來は慌てて首を横に振る。俺は三脚の上にあるほとんど空のビーカーを持って立ち上がった。
「おかわりは?」
「あ、もう大丈夫です! ありがとうございます!」
陽來の声を受けて俺はビーカーの中のお湯を流しに捨てた。
後ろに陽來の気配を感じる。何か言いたげな、言い出せないような空気。
「……部活の体験入部、行くなら行けよ。ここにいてもしょうがないぞ」
その空気をあえて突き破って俺は言った。見下ろした窓の外では、今日もサッカー部が練習に励んでいる。
だが、陽來の立ち上がる気配は一向にしなかった。ビーカーを軽くゆすいで、水気を切る。それを窓際にたくさん並んでいる仲間のところへ戻した。
「……やっぱり先輩の名前とクラス、訊いちゃダメですか?」
ぽつりと言われた。
俺は気取られぬよう息をつき、視線を漂わせる。校庭を囲む桜の木。それに目を留め、おもむろに口を開いた。
「――二年一組。桜木、ハル」
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