第5話
まさか幽霊だけではなく人間にまで付き纏われる羽目になるとは思わなかった。
図書館へ行こうとしていた俺を追いかけ、パッツン女子――神々廻陽來(ししばひな)は自分が今年この高校に入ってきたばかりの新入生であること、部活はまだ決めていないこと、最近のマイブームは幽霊退治であることなどを一方的に告げてきた。
それをテキトーな相槌で聞き流し、俺は逃げるように図書館の入り口まで来ると、まだ三時間は喋り足らなさそうな陽來をくるりと振り返った。
「じゃあ、俺は図書館に用があるから」
というわけで、さようなら。できればもう二度と会いませんように。
内心で付け加えた言葉を言い終えないうちに、陽來は「ええーっ!」と体育の授業が算数に変わった小学生みたいな反応をする。
「待ってください! 先輩の名前とクラスを教えてくれませんか?」
「生憎、初対面の後輩に明かす個人情報はない」
「そんな! せめてクラスだけでも!」
「知ってどうするつもりだ? 俺、基本教室にはいないけど」
「ええっと、じゃあ、どこの部活に入ってるんですか?」
「入ってない」
「そ、そうなんですね……。うーん、わたしはどこに行けば先輩に会えるんでしょう?」
「……は?」
「放課後はいつも何をされているんですか? 図書館で読書ですか?」
「そんなの俺の勝手だろ」
少々冷たい言い方になったかな、と思った矢先、陽來の表情がいきなり、大事にとっておいたスイーツが冷蔵庫の中で腐っているのを発見したようなものに変わった。肩にかかる柔らかそうな髪を垂らし、うなだれる。
「……ごめんなさい。先輩のこと、詮索するつもりはなかったんです。わたし、霊感ある人と会ったの初めてで、すごく嬉しくて、なんていうか、その……」
言いながら陽來の両目には涙が溜まっていく。
え、ちょっと待って。泣くの? 泣いちゃうの?
焦る俺の背後で図書館のドアが開いた。出てきたいかにも根暗そうな女子が陽來に胡乱げな一瞥を投げ、遠ざかっていく。
マズい、ここでこいつに悶着を起こされたら……。
「……浮かれてたんです。同じものが視えるから、勝手に先輩のこと身近に感じてしまって、初対面なのにたくさん話したいことがあって、どこに行けば、また先輩とお話しできるのかなって……」
「えーっと、どこって……理科準備室?」
咄嗟に答えてから、しまったと思ったが遅かった。
「わかりました! 理科準備室ですね! ありがとうございます!」
途端にさながら体育会系のノリで勢いよく頭を下げる陽來。頭を上げたときには、その瞳に涙は残っていなかった。
***
そして翌日。
理科準備室でいつものごとくアルコールランプとビーカーでお湯を沸かす俺の耳に、「せんぱーい!」という声が聞こえてきて、俺はため息を洩らしていた。
「先輩、いるんですかー!? あれ、開かない!?」
すりガラスの向こうに黒い頭が映り、ドアがガタガタと音を立てる。
一瞬、居留守を使おうかとも考えたが、昨日みたいに泣かれたら面倒なので、俺は席を立つとドアの鍵を開けてやった。
ガラリ、とドアが開く。
「先輩!」
「静かに」
テーマパークの中で偶然遭遇したクラスメートのような反応に俺は釘を刺す。口を噤んだ陽來を尻目に俺は席へ戻った。
「ドア閉めてこいよ」
陽來が従順にドアを閉め、俺の向かいへ腰を下ろす。ビーカー越しに窺うような陽來の視線を感じる。
「いいか。ここは危険な薬品があるから本来、生徒が立ち入っちゃいけない場所なんだ。物音や俺たちの話し声を聞きつけて、誰かが来たらアウトだ。そのことを忘れないように」
「了解であります」
真面目くさった表情で敬礼する陽來。俺はそんな彼女を一瞥すると、ビーカーに視線を戻した。ちょうどよい頃合いか。
俺はコーヒーカップを二つ引き出しから出すと、一つにドリップバッグをかけた。
「あのー、先輩。先輩はこんなところで何をやっているんですか?」
ビーカーを取った俺に、陽來は周囲を見渡して不思議そうな表情をする。
「何って、見ての通りコーヒーを淹れてるだけだが」
「はあ……」
求めている返答とは違ったのか、陽來が微妙な声を洩らした。
俺だって放課後に無断で理科準備室に忍び込みコーヒーを堪能することを、何と問われても困る。強いて言えば、暇つぶしか。
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