第4話

 欠伸を飲み込んで振り返ると、真新しい制服に身を包んだ前髪パッツンの女子が廊下の真ん中に立っていた。


 きりりと上がった眉は強い意志を感じさせ、二重のぱっちりとした瞳はひた、と前を見つめている。桜色の控えめな口は軽くへの字を描き、子犬のように可愛らしい彼女の顔立ちに似合わず、凛々しい雰囲気を醸し出していた。


 俺の周囲では、俺と同じようにぽかんと動きを止める生徒たちの姿があった。一様に、その女子を凝視している。


「みんなが気付かなくても、わたしの目は誤魔化せないんだから! そこの幽霊、その子から離れなさい!」


 ビシィィという効果音がぴったりな仕草でパッツン女子は指をさした。その指先を自然と辿るギャラリーたち。その先にいたのは……。


 へ? という顔をして立ち竦むショートボブ。連れの女子に「何? どういうこと?」と助けを求めている。連れは「知らない」というように首を横に振っている。


 だが、俺は見た。ショートボブの肩越しにスーツの男が首をもたげるのを。けれど、彼は虚ろな目でパッツン女子を見つめるだけで何もしようとはしない。



「そんな目で見たって無駄よ。成仏できないなら、わたしがさせてあげる。――死神コード〇〇四四四。安全装置解除」



 刹那、突き出されたパッツン女子の右手に闇が纏わりついた。


 まるで右手に漆黒のドライアイスを仕込んでいるみたいだった。ゆらりとたゆたう闇は少女の手を覆い、その先へと長く伸びていく。それは意志を持っているかのようにある形状になると、ぴたりと動きを止めた。


 銃のようだった。いや、小砲と言うべきか。


 銃身の長さは機関銃のように長く、パッツン女子の腕の二倍以上ある。銃口は拳が入りそうな程に大きい。現実の武器ではありえなく、また、それを少女が持っている光景はもっとありえなかった。

 パッツン女子は小柄な身体が持つには重厚で凶悪な漆黒の銃身を左手で支え持ち、右手をトリガーにかける。そして、銃口を迷うことなく男へ向けた。


 ところが、周囲の連中は彼女の銃はおろか、男の幽霊も見えていないのだった。廊下の真ん中で訳のわからないことを言い、堂々とエアー銃を構えるパッツン女子は完全に厨二病だった。


 周囲の生徒たちは一人、また一人と金縛りから解放されたように彼女から目一杯距離を取って通り過ぎていく。見なかったことにしよう。彼らの表情はそう語っていた。だが、エアー銃を向けられたショートボブと連れはさすがに無視できないのか、戸惑ったようにパッツン女子を見つめている。


「あの……何言ってるの? ……何か用?」


 たまりかねたように言い出すショートボブ。それにパッツン女子は不敵な笑みで応えてみせた。


「大丈夫です。必ずわたしがあなたを解放してあげますから、安心してください」


 安心できねーよ。

 この場にいる誰もがそうツッコみたかったはずだ。ショートボブが苦笑いを浮かべようとして、その頬がヒクつく。


「さあ、もうあなたに逃げ場はないわ。この弾丸であの世に還りなさい! 悪霊退散!」


 言葉と同時にパッツン女子がトリガーを引いた。


 瞬間、パンッと弾けた音がして男の顔面に拳大の穴が空いた。


 そこからは劇的だった。風船の口を解放したみたいにシュウウウゥゥという音を立てて男の姿は煙になっていく。けれど、目を瞠ってその様を凝視する俺の周囲では、生徒が何事もなく通り過ぎていくのだった。彼らにはこの音も聞こえていないのだろう。

 ショートボブの後方にいた男は白い煙となって立ち昇り、やがて消えた。


「ふう。もう大丈夫です! 幽霊は消えました!」


 銃を下ろし、片手で額を拭いながら爽やかな笑顔で言うパッツン女子。かたやショートボブと連れに笑顔はない。冷凍庫でももっと温かみがあるような冷たい目線をしていた二人は、こそこそと話しながらパッツン女子に背を向けた。そのまま去っていく。


「……すげえ……何だ、あの銃……」


 いまだパッツン女子の手にある銃を見つめ、俺は思わず呟いていた。

 と、遠ざかる二人を寂しげに見つめていた彼女がさっと俺を見た。


 やべっ。


 はっとして踵を返す。急ぎ足でパッツン女子から離れようとしたところで、



「待ってください! この銃が視えるんですか……?」



 足を止め、恐る恐る振り返る。

 見ると、パッツン女子は確かに俺をじっと見つめていた。嫌な汗が背中から噴き出したような気がした。


 どう、する……?


 シラを切るか逃げ出すか。

 俺の横を通り過ぎる男子生徒が怪訝そうな表情を収めて顔を前に戻すまでの間たっぷり逡巡した俺は、結局、彼女の必死過ぎる眼差しに負け、わずかに頷いていた。


 すると、パッツン女子は顔をぱっと輝かせ、咲き乱れる花畑のような笑みを零す。



「嬉しいです! これが視える人間(ひと)と出会えるなんて!」

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