その他

アスチルベ

 青々とした葉が雨を弾く。

 じめじめとした湿気が図書室を包み込み天井に当たったと思われる雨の音が響く。

 周りの友達から羨ましがられる黒髪ストレートも実は若干の癖があるため、湿度が高くなると少しうねる。

 左の肩口で纏めてあるため毛先が本と目の間に入り込み、邪魔。

 だからと言ってボブとかセミロングとか、ましてやそれ以上に短くする気は生憎、持ち合わせてない。


「なぁ、ちょっといい」


 男子特有の低い声。

 どこかで聞いたことあるな、と思いつつ顔を上げる。


「真剣に読んでるとこ悪いんだけど、『君と花』ってどこにあるかわかる?」


 あぁ、氷室君か、と思ったと同時に彼にそんな気はないとは思うが委員の仕事そっちのけで本を読むことに集中している、と言われたような気がし、顔に熱が集まる。

 私はそれを誤魔化すように読んでいた本にお気に入りの桜の押し花をラミネートした栞を挟み、案内をする。

 氷室くんは同じクラスでも目立つクラスの人気者。

 休み時間になるとよく自分の仲間とサッカーをしに行っている。

 世に言うイケメンという部類に属しているような容姿でそういうのに疎い私でも格好いいんだろうな、とわかる程だった。

 その上、成績優秀、性格もいいらしく、クラスや学年の女子だけでなく、他学年の先輩や後輩からもモテるらしい。

 まさに学園の王子様要素三拍子が揃っている。

 この三つがその要素かは知らないが。

 全て“らしい”という言い方をするのは私も私の友達もそういうことに興味がなく、たまに聞こえてくる他の女子の噂話からの情報だ。

 どうやらどこぞの学園モノの物語のようにファンクラブまであるらしかった。

 それを友達と一緒に突っ込んだのは記憶に新しい。

 分類番号は勿論、913。

 作者は粟森ぞくもり かなでさん。

 だから、この辺りなはず。


「おかしいな」


 思わず言葉がこぼれる。

 昨日確認した時には確かにあった。

 今日は当番だから朝からずっと貸し出しのところにいたから借りていったらわかる。

 誰かが今読んでいるのか。


「あー、ない?」


 後ろから突然声をかけられ少し肩がびくりと揺れる。

 居るのはわかっていたがさっきまで黙りこんでいたのに突然言われると驚くに決まっている。


「悪い、驚かせたか」


 決まり悪そうに軽く頬を掻いている。


「大丈夫、です」


 そう、というと隣にしゃがみこんできた。


「やっぱ、ないかー」

「やっぱり?」

「ほら、現国の吉田センセーの宿題、読書感想文しょ?夏休みの宿題に『君と花』でゼッテー書かせるって宣言してたし、今からやって少しでもへらそーかなー、何て」


 やっぱ、みんな考えることはおんなじってことかー、と。


「私の私物でよければ貸しましょうか?」

「えっ、いいの?」

「はい、何回も読んでいますし。それにもう書き終えましたし」


 ただ、うちにあるので今日中がよければもう少し待ってもらって寄り道してもらうことになりますけど……、と消極的に続けるとラッキー、と言い、続けた言葉を聞いているのかいないのかよくわからない声が返ってきた。

 閉館十分前の音楽が流れる。

 すいません、と断りをいれてカウンターに向かう。

 貸し出しの手続きをしなければならない。

 最初の頃は全然できなかったが一年が経つと余裕でできるようになった。

 友達は塾だとかなんとか言って先に帰ってしまっているな。

 氷室くんはどうするつもりかな。

 あれだったら明日持ってこよう。


「よし」


 貸し出しの手続きはさっきのでおしまい。

 あとはずれている椅子の位置と本の乱れを元に戻したら自由の身。

 つまりもう帰ってもいいっていうこと。

 カーテンを完全に閉め切りながら氷室くんを探してみる。

 すると出入り口の近くにいた。


「ほい」


 そう言って私の鞄を渡してくれた。

 カウンターに置きっぱなしだったの取ってくれてたんだ。


「あ、ありがとう、ございます」


 仲の良い子とだったら普通に話せるがそれ以外の子、ましてや男子とまともに話したことがなく、少しどもってしまう。


「あのさ、ちょっと気になってたんだけど、さっきから俺に敬語使ってるけど同じクラスだしやめれば?俺もタメ口で話してるし」


 な?と笑いかけられる。

 こういうところが男女問わず好かれるんだろうな。


「えっと、うん」


 鍵を職員室に返し、下駄箱までくる。

 下駄箱の近くにある傘置き場の2-Aと書いてあるところから濃い紺と透明のストライプ模様の傘をとる。

 私のお気に入り。

 傘を開いて校舎から出る。


「あの、氷室くんは桜川駅の方なの?」


 私の家はその駅で降りて徒歩五分。

 今の今まで気がつかなかったが高校にいる全員が全員、私が降りる駅で降りるわけがない。


「ああ。因みに西中」


 西中__桜川西中学校か。

 意外と近くの学校出身なんだ。

 確か駅を挟んで私の家の反対側が校区だったはず。

 お前は?的な目で見られてるし、言った方がいいかな。


「私は桜川中学校なの」


 あの辺りには他にも四つ程小学校がある。

 道路に跳ねる雨の音が異様に響く。

 話す話題ないかな。

 私もわかって氷室くんもわかる、話題。

 悶々とそんなことを考えているとぐいっと右腕を引かれた。


「前、水溜まり」


 そこでやっと気がついた。

 あのまま引っ張られずにいたら、靴下がぐちゃぐちゃのまま帰らなくてはいけなくなってた。


「あ、ありがとう」


 顔が熱くなる。

 氷室くんはそれには答えず微かに笑い、続けた。


「そういえば何読んでたの、さっき」


 さっきっていうのは図書室でのことなのだろうか。

 多分そうなんだろうな。


「花言葉の事典」

「へぇ、花、好きなの?」

「うん、好きかな。」


 花にはそれぞれお話があって、意味がある。

 それってすっごく素敵なことだと思うの。

 そういうとそっか、と微笑まれた。

 とくりと心臓が跳ねる。

 相手は何も考えずに言ったのかもしれないがあの微笑みは反則な気がする。


「そういう顔もできんだ」

「そういう顔?」

「俺初めてみたかも、沫守あわもりの笑った顔」


          ○


 駅に入り、電車に乗り込む。

 電車は少し混んでいたが角から三つ、席が空いていた。

 私が一番角、氷室くんは私の隣。

 こんな近くに男子が座ることもないので変な緊張をする。

 ドアが開く。

 人がまた乗り込んでくる。


「詰めれる?」


 こくりと頷く。

 無言のまま暫く電車に揺られる。


「次は桜川駅、桜川駅」


 窓の外はやはりまだ雨が降っている。


          ○


「へぇ、ここなんだ」

「どうぞ。あがって」


 雨もまだ上がってないし、外で待たせるのは忍びない。


「いいの?」


 それに答える代わりに玄関を開け、招き入れる。


「お邪魔しまーす」


 意外と律儀。


「こっち来て」


 私についてきていることを確認しつつ、父の書斎に向かう。


「すげー」


 氷室くんが驚くのも無理はない。

 円形のそこそこ大きな部屋の壁一面に本棚があり、びっしりと詰まっている。

 しかも、二階建てのようになっており、ここからも見上げても見えるように吹き抜けになって小さな階段がついている。


「父の書斎なの」


 私はそういいながら鞄から花言葉の事典を出し、父の机の上に置く。


「お父さんの影響?本、好きなのって」

「ううん、それは母の影響。」

「じゃあ、ここにあるのはお母さんの?」

「父の資料用の本。一応、物書きをしてるの」


 今日も取材だって言ってどこか旅行にいっちゃった、と続ける。

 日本語の小説は一階のこの辺り。


「じゃあ、お母さんと留守番か」

「ううん、もうずいぶん前に亡くなったから、一人」


 悪い、なんも知らねーのに余計なこと聞いた、と申し訳なさそうに言った。

 そんなに気にしなくてもいいのに。

 あった。


「はい、これ。『君と花』」

「ありがと」


 そういえばさあ、と問いかけられる。


「この本、好きなの?」


 指差された本を見てみる。

 白天はくてん 木由もくゆさんの処女作『言の葉』。

 ほのぼのとした内容の妖怪がでてくるお話。

 白天さん自身は年齢も性別も姿も不明の新人作家さん。

 きっとこの人は人気がでてくると思う。


「うん」


 けど、なんで私が好きなこと知っているんだろう。

 よく学校には持っていって読むけど、基本的にブックカバーをつけてるし、見れないと思うのに。

 そういった意味を込めてじっと見てみる。


「いや、ほら、前に友達と話してただろ?」


 それで、たまたま、聞こえて、と歯切れ悪く言う。

 したくてしたわけではないと思うが盗み聞きのようになってしまったからだろう。

 気にしなくていいのに。

 しどろもどろとしている姿がいつもはきはきとクラスの中心でしゃべっている人と同一人物に思えず、少し笑ってしまう。


「あー!笑っただろ、今!」

「笑ってなんか、ふふふ」


 あーあ、今確実に笑ってんじゃんか、そういわれるが最初に話しかけられた時より怖い感じがしなくなった。

 まあ、いっか、と言う氷室くんの声が聞こえた。


「何がいいの?」

「別にー」


          ○


「ここまででいいから」


 まだ、雨はあがるつもりはないのか、土砂降りだ。


「借りたのは一週間後に絶対返す」


 だから、さ、と小さく不安げに続けた。


「返すときに、沫守のお気に入りの本、貸してくんない?また、こうやって取りに来て」


 断られると思ってるのか少し暗い音だ。

 そんなことするわけないのに。


「水曜日は当番だから待たせちゃうけど、いいの?」

「ああ」


 ほっとしたように明るい言い方。

 さっきみたいな不安そうな声音は彼には似合わない。

 きっとこっちの方がいい。

 そのまま歩き出した。

 何かを思い出したのか突然立ち止まった。

 そして、ゆっくりとこちらを振り返る。


「本、貸してくれてありがとう。花澄かすみ


 土砂降りの雨に負けないほど大きな声で言われた。

 とくりとまた、心臓が跳ねる。

 突然、下の名前で呼ばれびっくりするがそれよりもなんだか嬉しさの方が大きい気がする。


「また、明日な!」


 そう言って駅の方に駆けていく。


「また、明日!」


 私も雨の音に負けないように大きめの声を出した。

 __あぁ、私、もしかしたら

          氷室くんのことが__








 ぱらぱらと机の上に置かれたままの事典のページがめくられていく。

 玄関を開けたときに入ってきた風のせいだろう。

 風が止んだからか捲れるのが止まる。



 アスチルベ

    花名はギリシャ語で「輝きがない」や

    「地味」と言う意味。

    多年草植物


   植物分類 ユキノシタ科アスチルベ属

   原産地 中央アジア 北アメリカ

   和名 泡盛草 乳茸刺

   開花時期 5月~9月

   花言葉 繊細 控えめ 優雅 自由

       恋の訪れ


 また、玄関が開いたらしく、ページがぱらぱらと捲れていった。

 家主の娘の幸せそうな笑顔が雨のせいで暗く陰気な雰囲気になっている家を明るくした。

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