2話 黒い卵(ルノ)
その花火は、素晴らしく美しかった。
僕の知っているものとは違い、気体精霊がえんえんと舞う。たった一度、夜空にきらめいて儚く消えるのではなく、消えたと思ったら色鮮やかな光が収縮して、再び花開く。何度も、何度も。決して死なぬと言っているかのように――
『すてき! なんて真っ赤なの。燃える薔薇のようだわ』
白い酸素マスクごしに、金髪のアルがうっとりつぶやく。星空に広がる、黄金色の花火の渦を指さしながら。イヤホンに入ってくる声を聞いて、白猫の僕はそうかとうなずいた。
あれは、まっ赤なのか。
『赤……見たいな』
『え? なあにルノ? なにか言った?』
『ん? いや何も』
僕の猫目では、赤の波長は感知できない。黄色と青だけの世界にすっかり慣れているはずなのだが、最近、赤が恋しい。あの、ごうごう燃えあがる熱い色が。
三年間の鉱夫生活は、実に平和だった。僕らは故郷の星を離れ、とても安全な場所にいた。
穏やかなここの環境に、黄色と青の色合いはとても合っている。
だが僕は、赤を見ないといけない。静ではなく、動を。
そんな思いが日々募る……
いいかげん、別仕様の目を入れてもらうべきだろうか。人間よりもはるかに色覚が広いロゴゴ族の目が欲しいとか、そんな贅沢は言わぬ。ごく普通の、人間並みの目でよい。今度テル・シングに、目を変えてくれと頼んでみるとしよう。
夜空に明滅する黄金色の不死鳥が、僕に微笑みかける。
消えない花火は、不屈の心を与えてくれる。
この花火を持って帰りたいが、僕の星では、きっとうまく開かないだろう。大気組成が違うから、精霊が息づけない。しかしどうにかして、僕らの星でもこれを見たいものだ。僕の心を奮い立たせるべく、赤が見える目で。
「ルノちゃん。お名残惜しいのね」
送別の宴もたけなわというころ。シング老の大親友、この星の
「ネコはほんとにかわいいのね。ルノちゃんは、とくにかわいい」
『世話になった。礼をいう』
「またいつでも、帰ってくるのね。ここは、ルノちゃんの第二の故郷なのね。お餞別、モケモケに、船に乗せるように命じたのね。船の中でパッケージ開けて、わあっ! て、してほしいのね」
『かたじけない』
「燃える王」は千人の
「ルノちゃんに、幸多かれなのね」
王は、長い腕で僕をぎゅうと抱きしめてきた。
「燃える水と精霊の歌を、ルノちゃんに」
ふしゅふしゅ、王の喉からガンマ人の言葉が発せられる。僕らの喉では発声できない音が、蒸気のように。
そうして僕は、大いなる祝福を受けたのだった。この星の王から、おごそかに。
翌日。僕らを乗せた星船は、たくさんの青や緑のガンマ人に見送られ、「燃える水」星から旅立った。
異星で鉱山人夫になって丸三年。僕らが浮遊石を掘りまくっている間、首都を失った煌帝国はそれなりに混迷した。
月への遷都を中止した帝国政府は、現在、軍事基地「赤島」を借りの政庁とし、下界の砂漠で新首都の建設を急いでいる。しかし、この流れを是とせぬ者たちが、軍部から現れたのだ。
この状況にかこつけて、七将軍のうちの幾人かが基地を占拠して、独立国家を作ろうとしたのである。
反乱を起こしたのは、赤と白、紫の三将軍。
帝室に忠誠厚い緑旗のバイリー将軍を筆頭に、桃色、黄色、青、合わせて四人の将軍が、非常な努力と忍耐でもって、この反乱の収拾に当たっている。
そう、いまだ反乱は、現在進行形なのだ――
昨年、四将軍は、赤と白、二人の将軍の暴走をなんとか阻止し、現在は紫衣将軍が居座る基地、
テル・シングや僕らは送られてくる戦況報告にそわそわし、こぞって参戦したがったが、シング老にきっぱり止められた。
『戦をするのと民を救うこと。二つを同時に行うことはできん。戦は、バイリー将軍たちに任せなさい』
シング老は一刻も早く、家なき民を救いたがっていた。
そして、バイリー将軍に対しては、絶対的な信頼を寄せている。
『とはいえ、テルたちが、こそりとわしらを救ってくれたような協力をしてくれるのは、大歓迎されるじゃろう』
そんなわけで僕らは、鉱石を掘る合間に電子の世界の中に入りこみ、反乱軍のシステムにウイルスをばらまいたり伝信網を破壊したり。はるか一千光年の彼方から四将軍へ、時々援護射撃を行った。
僕とアルが所属していた第三傭兵隊は、そんな僕らよりもはるかに大活躍。隊は緑旗のバイリー将軍のもとにそのままついて、親衛隊の一翼となり、みごと、二人の反逆将軍の首級をあげた。現在バイリー将軍が、七将軍の筆頭位に在るのは、エンマ隊長たちの功績だといって相違ない。
その功績を言祝ぐべく、四将軍はこの隊から、抜けた将軍たちの代わりに新しい七将軍を任命した。
『うっす! 白旗将軍のエンマだ。もと皇太子陛下御一行さん、ごきげんよう。もう出立したかい?』
全身黒スーツから一転、白い全身鎧に身を包んだエンマ隊長――もといエンマ将軍が、船の大判モニターいっぱいに映る。あいかわらずその顔は、ヘルメットに隠されて分からない。
金髪揺らすアルが、その晴れ姿に向かってさっと敬礼した。
「はい、将軍。
「アル、それは通信文だ。リアルタイムの通信じゃないよ?」
一千光年離れた場所では、さすがに同時通信は無理だ。超タキオン波を使った通信の時差は、ほぼ丸一日。二十五時間もかかるから、やりとりはもっぱら一方向、録画したものを送る形になる。
「あ、そうだったわね」
アルがてへっと小さく舌を出す。星船の空調は、僕らの星の大気と同じ組成だから、僕らは今、マスクをしていない。久々にイヤホンごしじゃない生の声を聞けて、なんだか嬉しい。アルの声はまるで小鳥のよう。この声を作ったテル・シングは、実に趣味がよい奴だと思う。
『七将軍から要請だ。もと皇太子殿下一行におかれては、暗号通信で指定した日時に、敵システムへのウイルス散布を三度行ってくださるようお願いしたい。千光年先からのアシストを頼りにしている』
「おう、任せろ」
テル・シングがモニターに映る将軍に向かって、元気よく親指を突き出す。
『それと。
お嬢――赤毛のリアルロッテはこの三年間、浮遊石の運搬業に従事するかたわら、僕らと煌国軍との密な連携を取りもってくれた。とくにもと上官であるエンマ将軍とは、今もすこぶる親密である。エンマ将軍はそれにかこつけて、いろいろ隠密的な用事を赤毛女に押し付けているらしい。「もと隊長って結構人使い荒いのよね」とかなんとか、あいつは先日会った時にぼやいていた。
『航行を急がれる必要はない。前回来た運搬船で浮遊石は十分足りると聞いている。ほかの建材の買い付けも行ってくださり、我ら七将軍一同、感謝に絶えぬ。
どうか安全第一で航行めされよ。よき航海を』
「おう! 了解だぜ」
テル・シングは、超強力なウイルスを作る気満々だ。日を追うごとにどんどん距離が近くなれば、敵に干渉しやすくなる。もしかしたら航海中に戦が終わるかも――と豪語するのは、我が身を買いかぶりすぎであろうか。
「テル! みんな! 王さまからもらったおせんべつ、開けようよ」
しっぽがはげたネコを連れたミミが、僕らを呼びにきた。薄紫の毛に覆われた体を持つシング老が、ではご開帳しに行くかと、席から腰をあげる。ロゴゴ族の体はたくましい。背丈も幅も、テル・シングの倍はあるだろう。
「大きな箱がそれぞれの分、船室に置いてあるそうじゃな。たぶん、あれじゃろうなぁ」
さすが大親友、シング老は「燃える王」がくれたものが何か、察しがついているようだ。
「おじいちゃん、あれってなに? ねえなに?」
黒髪おかっぱのミミがふわふわ、重力が薄い船内の廊下をスキップする。チェック柄のアストロスーツが本当にお似合いだ。
「はは。じかに見たらよいぞ。教えてしまってはつまらんじゃろ?」
アルト同じく受肉したミミは非常にチャーミングだ。完全に、体を作ったテル・シングの趣味なのだろうが、顔といい声といい体形といい、実にかわいらしい。
アルとは仲良しこよしの姉妹だ。
これは――かつてマレイスニールやアシュラが切に望んだ光景。
二人が寄り添い、はしゃぎ合うのをみるたび、僕はそう思う。
本来、病で死ぬはずだった二人が千年以上の時を経て、こうして自分の手足で動き、笑っている。
人に戻ったふたりに多くの幸あれと、僕は願わずにいられない。
できればもう、闘いを経験させたくはないのだが……
「わあ、大きなボール!」
はたして船室には、円い球体六つ置いてあった。
「シングさんの星の慣習にならったのね」と「燃える王」は言っていたが、なるほど、大きなリボンがそれぞれにかけられている。「箱入りプレゼント」を模したらしい。
球体の色はみな同じでまっしろだが、リボンの色がそれぞれ違う。
アルは桃色、ミミは――
「赤チェックのリボン! あたしたちのスーツの色に、合わせてくれたのね。テルは黒でルノは白? タマは茶色のまだらもようで、おじいちゃんは紫かー」
はげネコのはげを、「燃える王」はまだら模様と認識したらしい。
淡い紫はシングが新しい体にしたロゴゴ族の、体毛の色だ。
「わあ、なにこれ」
するするとミミがリボンを解くなり、球体が開いた。中にびっしり、小さな蝶々のような、半透明の羽をもつものが入っている。ミミがそっとそのひとつに手を触れると、それは羽をひららとかすかに動かした。
「これなに? いったい何匹いるの? 眠ってるのかしら、すごくおとなしいわ」
「羽が光ってるわね。きれい……」
発光する蝶の美しさに、僕らはしばし目を奪われた。
「ほうほう。これは人工精霊じゃよ」
シング老のそばで、タマが自分の球体を開ける。中から出てきたのはたくさんの、小さなねずみのような生き物だ。きらきらと体毛が金属色に光っており、おびただしく体を重なり合わせながらすやすやと眠っている。タマはとたんに蒼い人造眼をくるるとさせたが、これは食べられないぞとシング老に笑われた。
「ミミくんのは風の人工精霊。タマのは土の人工精霊じゃな」
「すげえ! つまりこれ、使役獣か。俺のはなんだ?」
テル・シングの球体に入っていたのは、トカゲの形をした炎の人工精霊。
アルのものには、花のような形をした水の人工精霊が入っていた。
どれも百体以上いたが、シング老の球体に入っていたものはみなと違い、数が少なかった。
「白い……丸石? なんか見たことあるぞ」
「十個ぐらいしかないが」
「これは、光の人工精霊。これを改造したものが吸魂石じゃ。ここにいるみなの、魂の容れ物に使っておる」
なんと僕らの頭の中に入っている石は、
「竜の石の恐ろしさに後悔し、無害な吸魂石を作ろうとしたわしに、燃える王どのは全面協力してくれたのじゃ」
「そうだったのか……」
「光の人工精霊は、そう簡単に精製できるものではない。それをこんなにくれるとは、やはりあの人は太っ腹じゃなぁ」
しみじみうなずき合うみなの視線が、僕に集まる。早く白いリボンを解いて、贈り物を見せろというのだ。肉球にぴたとリボンをつけて引っ張り、かぱりと球体を開けると。
「これは……?」
中にはコロンとひとつ、黒くて小さな硝子玉のようなものがはいっている、だけだった。
「やはりそれをくださったか」
シング老がしみじみつぶやく。
「それは、人工精霊の卵じゃよ。どんなものに成長するかは、そなた次第じゃ」
「つまりこれは、育てなければならないのか?」
「そうじゃ。呑み込んで腹の中で――」
「ええっ、これ呑むの?!」
テル・シングが黒い玉を覗き込んでくる。
「大人になったら口から出てくるぞい」
「なにそれこわっ」
「シングは、かつて呑んで育てたことがあるのか?」
僕の問いに、たくましい毛むくじゃらのシング老はこっくりうなずいた。
「それは、どんな精霊になったんだ?」
「ほうほう、ずいぶん真っ黒なやつになったのう。おごり、傲慢、鼻持ちならない自尊心。そんなものばかり食ったからかの。こいつは世に放してはならんと、吸魂石に入れて金庫に保管していたぞい」
「なんでアムルノへのプレゼントは、そんな変なのひとつなんだ?」
テル・シングが口を尖らせる。たしかにこれは、とまどう贈り物だ。
「これは燃える王どのが、おのが同類と認めた者にしか贈らぬものじゃ」
「同類?」
「あまたの人を守り、あまたの人を救う。そんな使命を持つ者。すなわち、王と呼ばれる者」
「え……」
僕の事情を、「燃える王」はそんなには知らない……はずだ。シング老がいくぶんか話したのだろうが、この三年間、蒼い腕の彼は僕に、僕のことについては何も言ってこなかった。
ネコはかわいいとか、そんな言葉ぐらいしか、聞いた覚えがないのだが。
「僕が、王……」
たしかにかつて、名目だけはそのようなものだった。けれど今の僕は、ただの白い猫だ。
これから一体、いかほどのことが成せるだろう。
「人を守り、人を救う……これをもらうのは僕よりむしろ、テル・シングの方がふさわしいのでは? テルこそ、帝であったあなたを継ぐ者だろう」
「わしの孫は、なんやかんやと作ることの方に夢中じゃからのう。いわゆる王の器を持つ者ではない、もっと他のものじゃと、あの御仁は見抜いたようじゃ」
「ふえ? なんだそれ? 他のものってなんだ?」
「ほうほう。テル、その答えは、おまえが自分で見つけねばならんものなんじゃろうな」
シング老は、もふもふの毛に覆われた賢しい目を遠くした。
「燃える王どのとても、分からぬものであったようじゃから」
それぞれの贈り物を抱えて、僕らはそれぞれの船室に入った。
アルと僕、ミミとタマ、テルと
三つの部屋にばらけたとたん、アルはいそいそ、隣のミミの部屋へ行ってしまった。
鉱夫生活をしていたときと同じ習慣だ。仲良い姉妹は、二人でガールズトークなるものをするのが好きなのだ。
『ただ呑み込むだけでOKじゃ。まあなんじゃ、ちょっと不思議な感覚はするじゃろうが、すぐ慣れる』
僕は肉球の上に載せた贈り物を、まじまじと見つめた。
燃える王は僕の心を見透かしたのだろうか。
僕が決して言葉にしなかったことを、読み取ったのだろうか。
僕がこれから、やらねばならぬことをしようとしていることを。
「分からないが……あの人と同じものだと認めてくれたのは、光栄だ」
僕は目を閉じ、黒い玉を口の中に放り込んだ。
精霊の卵は甘いような塩辛いような、なんだかとても不思議な味をかもしたあと。
「う?」
するりと勝手に、僕の喉を滑り落ちていった。
まるで、しっかり意志を持つもののように。
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