幕間2

幕間2 願いし花

 かぐわしい香りが私を襲う。

 目の前には一面の花畑。青と紫の、はてない色のつらなり。

 

『何の花? とてもすてき!』


 はしゃぐ私はしゃがんで、そっと手に寄せて。その花をいつくしむ。

 すうっと細い花の穂が幾本も伸びていて、こんもりした株はさながら花束のよう。葉はやさしいうすみどり。

 

『この島都市は、しごく冷涼な空調に設定されているからね』

 

 あなたは肩をすくめ、口を尖らせる。


『だから育てられる植物は限られる。土地も限られているから、業者でなく個人で栽培するとなると認可が要る。この薰衣草シーンツァオは香料になるから帝室の収入源になると、丞相たちを説得してね。ようやく栽培を認めてもらったんだ』


 風に流れる白い髪。顔にはしわひとつないのに老いたその色は、何代も濃い血を重ねた皇族の証。

 黄色い衣の胸元で、金糸で刺繍された龍が勇壮に舞っている。

 

『皇族って、宮殿の中で好き勝手ぜいたくしてると思ってたわ』

『はは。自由なんてないよ? 公務に追われて自分の時間などほとんどない』


 でも君のためなら。

 寝る間もおしんでこの花園を作ったと、あなたは微笑みながら私の手をとる。

 

『君のためならなんでもできる。国を動かすことも世を変えることも』


 目を細めた柔和な貌。その瞳には私だけが映っている。

 

『後宮を解体して妃は君一人だけにした。一夫多妻は廃止したよ。子どもは、そして家族は、愛する人と成すものだ。家を絶やさぬためとはいえ、好きでもない女性たちと関係して作り出すことは我が意ではない』

『皇帝陛下……』


 あなたには力があった。

 世界を変える大いなる力が。

 その言葉ひとつで。意志ひとつで。

 石畳の庭はかぐわしい花畑に変わる。

 国のためというたてまえだけれど、あなたはこっそり私に打ち明ける。

 これはすべて私のためだと。


『愛している。僕と家族になってくれ、オウ


 あなたは私を見つめる。女神を目の前にしたような、熱っぽい崇拝のまなざしで――



 ああこれは、何年前のことだったかしら。

 出会いはどんなだったかしら。



 私は島都市で生まれたけれど、母は下界の娘だった。

 ゴミ山から拾ってきた宝石。そう父に称されて、まるで奴隷のようにこきつかわれた女。

 そんな使用人の腹から生まれた娘など、認知されるわけもなく。十五になった私は、炎都の市場で食料品のお店に雇われて、毎日お店を掃除していた。

 上層区の高級店につとめるのが夢だったわ。

 とくに、貴族御用達の花屋にあこがれていた。

 限られた土地で育てられる花々は高級で貴重なもの。けれど炎都はさすが帝国の都、花を作る島都市から様々な花を輸入して集めていた。

 象牙の門構えの美しいお店には、貴族の使いがいつも花を求めにきていたわ。売っているものは生花だけではなく、花輪や花の塔など、屋敷を飾りいろどるものも作られて。そんな美しい造形物が次々とコンテナに入れられて運ばれていった。

 仕事帰りにこっそり上層区へ足を伸ばして、私は幾度も眺めたわ。

 炎の花、氷の花、水晶の花、ひかりの花。

 どれもきらびやかでかぐわしくて。

 だから引き寄せられたのよ。ギヤマンの窓からかいま見える花の塔を見たくて、いつのまにかお店の中に入っていた。

 当然客とはみなされなくて、追い出されかけたら。


『その娘は僕の連れです』


 あなたが助けてくれた。

 花を買い付けに来た貴族の使用人。そんな風情でそこにいた。

 どこかの恋愛小説のように私とあなたは恋をして。さまざまな障害を乗り越えて。

 たくさん泣いてたくさん笑って。

 そうして、夫婦になった――

 

『馬車を改造してみた』

『まあ、速いわ!』


『猫の自動水やり器を作ってみたんだけど』

『これって噴水?』

 

『天守に天象儀をつけてみた』

『室内で星空が見られるなんてすてきね!』


 花園だけじゃない。望めばなんでも叶えられたわ。

 あなたは神様。自分でなんでも作ってしまうすごい人。

 できないことはなにもない。

 胸を張ってそう言ってはばからなかった。

 

『むろん僕らは、何百年と生きることだってできる』


 言葉通りにあなたは、仙人になれる薬まで作り出した。

 だから私が病にかかって助からないと知ったときも。ありとあらゆる薬を作ってくれた。

 それがどれも効かないとわかったとき。それでもあなたはあきらめず、躊躇もせず。

 迷うことなく私の魂を、病める体から取り出してくれた。

 

『魂さえあれば。天の高みに呑まれなければ。僕らは永遠に生きられる』


 そうして私の魂は紫色の竜の石に入れられて。体はほぼ無機物になった。

 そうなる前に子どもを産めてよかったわ。あなたの血を継ぐ子をこの世に残せて。

 かわいくて、目に入れても痛くないほどいとしい子。

 私とあなたと皇子。

 幸せな三人家族。

 

『母上』


 ああでも。

 あどけない子はすぐに大きくなって。ずいぶんとたくましくなって。

 そして、遠く離れている人のようになってしまった。


『母上、僕はこの人を妻にしたいのです』


 息子が連れてきたのは下界の娘。

 私は、由緒ある家の娘がよかったのに。

 石に入れられた魂が。無機物になった体が。目覚めて始めて耳にしたのは、望まぬ言葉。


シュン、その娘はだめよ』

『でも母上、僕はこの人を愛しているのです』


 たとえどんなに美しくとも。汚れた大地で育った花には毒がある。

 父はそれを警戒して母を妻にはしなかった。

 けがれたむし

 天界の者たちは、下界の者たちをそう呼んで蔑む。

 それは悲しいことに真実で。汚された大地に生きる者たちの体の中には、あらゆる毒素が蓄積されている。

 母は何度も流産した。私が生まれたのは奇跡だと言っていた。

 改造されつくした下界の人々の体は、天界の人々の体にはそぐわない。


『でも母上はこうして五体満足に生まれてきました。きっと僕の子も』

『いいえ。私の手足の指は普通の天界人より一本多かった。母が医者に頼んで切ってもらったの』


 私は泣いて懇願したけれど。息子は大丈夫だと頑固に言い張るばかり。

 

『お願い、その娘はあきらめて』

『いいや母上。僕はこの人を家族にする』 


 かわいそうに、娘はやはり、何度も流産した。

 あなたは息子たちのために手を尽くしたわ。母体から毒を抜く薬を、子宮を強くする薬をと。さまざまな薬湯を作り出した。

 そうしてやっと生まれた私の孫は。


『だから下界の娘はだめだと言ったのに……!』

『大丈夫だ。手足は半有機体を培養して作る。目には宝石を入れるから』


 あなたは言葉通りに孫に足りないものを作ったけれど。私は悲しくて泣きじゃくった。

 私の願いは叶わなかった。

 あなたは息子たちと孫に夢中になって、私のことは忘れてしまったかのよう。

 もしかしてあなたも、下界の花に魅せられたの?

 私よりも美しい花に。

 でもそれは、天の宮殿に咲くにはふさわしくないものだというのに。

 

 ソウダ。フサワシクナイ。

 

 ああ、私の頭の中でささやくのは誰?

 

 フサワシクナイ。フサワシクナイ。ケシテシマエ。浄化ヲ。

 

 ああそうね。浄めないと。

 汚れたものはなにもかも。きれいにしないと。

 

 ケシテシマエ。ソシテ吸イコムノダ。


 声が命じる。

 だから、何もかも言うとおりにしたの。

 私の中にいるものは、きっと私なのだろうから。その声に従えば、幸せになれるだろうと思ったから。

 私は、下界の花を摘み取って呑み込んだ。

 妻を失って怒り狂った息子も摘み取って呑み込んだ。

 息子を失って悲しんだあなたも摘み取って呑み込もうとした。

 でもあなたは逃げてしまったわ。私はあなたとひとつになりたかったのに。

 あなたを探している間、私はあまたの魂を摘み取って呑み込んだ。

 吸いこむたび、私の中にあるものは満足げなため息をつく。そして私に囁くの。


 我ラハ無敵ダ。何者モ敵ワナイ。

 サア生贄ヲ。死シタ魂ヲ我ニ捧ゲヨ。


 一体どれだけの魂を吸い込んだかしら。

 でも囁くものの飢えは止まらなくて。

 

 モット。モット。モット! モット!!


 求める囁きはいつしか叫び声に変わったわ。

 

 魂ヲヨコセ!!


 だから私は捧げようとしたの。何十万という、都に住まう人々の魂を。

 おろかな私。これは私。きっと私。

 醜い欲望。望むがままの意志。

 私は、悪魔――



「ちがう!」


 

 あなたの声がする。

 雄々しい声。どこから?


「ちがうオウ! それは君ではない」   


 ああ、あなたが近づいてくる。

 ずっと探していたのよ。今まで何をしていたの? さあ、私とひとつになりましょう?


「それは竜の石に棲む悪魔だ! 悪魔が君を呑み込んだ! 操ったのだ!」


 そうなのかしら。

 どうなのかしら。

 これは私の望み? それとも違う?

 不気味な声は私の欲望ではないの? 私が口走る言葉は、私のものではないの?

 あなたに投げた数々のひどい言葉は。多くの人々に下した非情な言葉は。

 私が行った残酷な行為は。私のものでは、ないの?

 

「その石は人の心につけこむのだ。孤独の不安と恐怖を糧にして、力を増大させる」


 知っているわ。あなたが助けてくれたこと。

 私が殺そうとした人々を。たくさん、たくさん助けてくれたこと。

 そしてああ……

 気づいてくれていたのね。たくさん、たくさん殺しながら、私が泣いて悲鳴をあげていたことを。

 

 叫び声はいつ止まるの? この飢えはいつ満たされるの?

 

 そう叫ぶ私の悲鳴が、あなたには聞こえたのね。

 でも、私は望んだの。

 息子があの娘と結ばれませんようにと。それだけは望んだのよ。

 小さな闇のかけらが、こんなに大きくなるなんて。悪魔に負けるなんて。

 

「しかたない、竜の悪魔は強力すぎる。だから君のせいではない。君の魂を竜の石に入れたわしが悪いのだ」


 泣かないでくれとあなたが囁く。ふしくれだった手が差し伸べられる。

 老いない仙人になったはずなのに、今のあなたはよぼよぼのおじいさん。顔にはしわがいくつも刻まれている。

 とても苦労したのね。


「わしは傲慢だった。作れぬものはなにもないと。自分は全知全能だと驕り高ぶっておった。下の世界に降り、下の人々とまじわりてその愚かさに気づいたとき。不死の薬を飲むのはやめたのじゃ」

 

 ああ、まぶしいわ。あなたはなんてまばゆいの。


「君を死なせたくなかった。マレイスニールのアルゲントラウムや、アシュラのディアチェーラのように。君の魂を永遠にしたかった」


 光り輝くあなたは、腕を伸ばしてくる。


「これはわしの罪」


 いいえ、これは私の罪。

 できることなら今すぐ逝きたい。輪廻など許されぬ永遠の獄の中へ。

 だって私は息子夫婦を殺した。それだけでなく都をこわした。そこに生きる人々の命を見捨てた。

 人にあるまじきことをして。それをすっかり忘れて生まれ変わるなどできない。

 きっぱりそう言うと、あなたは微笑む。


「では共に行こう。ひとりにはしない。ひとりでは在りたくない」

「どこへ?」

「わしの中へおいで」


 目の前に差し出された手に、私は自分の手を載せた。

 輝くあなたの背後から、まばゆい風が吹いてくる。

 

 ヤメロ! イクナ! ヤメロ!!


 私の悪魔が背後で叫ぶ。


 ソイツヲ追イ払エ!

 

「もう大丈夫じゃよ。光の風が、そなたがとらえていた魂たちを解放してくれる。竜の石は砕け散り、飢えた悪魔は滅ぶじゃろう」


 ソイツヲ信ジルナ!


 後ろからすさまじい怒号が聞こえてくる。

 

「信じるわ」


 私は、あなたの中へ身を投げた。


「だって、ずっと待っていたのよ」 


 あなた。

 あなた。

 どうか。私を抱きしめてください。



「望みどおりに」



 暖かい腕が私を包む。

 私を抱いてあなたは光の中へ飛び込んでいく。

 ああ私たち、もう離れることはないのね。

 悔いはないわ。一緒に眠れるなら、それは喜び。

 

 光が、私たちを包み込む。

 

 なんて暖かいの。溶けてしまいそう。

 

「そうじゃ。溶けてしまおう。ひとつに」


 そうね、ひとつに。

 



――「じっちゃん!! いやだ!!」


 


 あら。だれかが叫んでいるわ。あの悪魔ではないようね。 

 だれ?


――「ばっちゃん!! 眠っちゃいやだ!!」


 声が近づいてくるわ。

 私たちを呼ぶのはだれ?

 

「父上。母上。どうか私の子の願いを聞いてやってください」


 後ろから別のひとの声がする。

 振り返るとそこに、私が吸い込んだものたちがいた。

 

「瞬……」


 私達の子のそばで、美しい花が微笑んでいる。今にも涙をこぼしそうな顔で。


「お願いします、お義母かあ様。どうか私達の子の、フイとその仲間たちの望みを。叶えてあげてください」  


 でも私は、あなたたちを摘み取ったのに。許されてはならないのに。

 

「父上、母上。どうか私達の子を、守ってやってください。あの子が愛するすべてのものを、助けてやってください。それを、あなたがたの贖罪としてほしいのです」 

「どうかお願いします。どうか、私たちの代わりに」


 きらめく魂たちが天へ昇っていく。私たちを穏やかな顔で見下ろしながら。

 見上げるあなたの瞳から、涙が落ちてくる。

 私はそのひかりの粒を手に受けて、あなたを見つめた。

 今まで私はだれかに望みを叶えてもらってばかり。だれかの願いを叶えることなんてなかった。

 でも。私の息子たちの。孫とその仲間たちの。望みを叶えることが、贖いとなるのなら。


――「じっちゃん!! ばっちゃん!!」


 あの泣き声を、明るい笑い声にすることができるのなら。

 

「あなた……」

 


 私は、願ってよいでしょうか。



「私。あの子たちを守りたいわ……」


 こくりとあなたはうなずく。ぽろぽろ、涙を落としながら。

 私の手の中でそれは弾けてあたりにちらばった。

 千も万もの、ひかりの宝石に。

 そうして私たちは微笑みあい、泣き叫ぶ声に答えた。みるみる近づき、飛んでくるものに。

 

「ここにいるぞい!」

「ここにいるわ!」

――「じっちゃんとばっちゃん! うああああ!!」


 勢い良く飛び込んできたものを私たちは抱きしめた。

 ぎゅうっと強く。

 

 今や真っ白になった光が、私たちを包み込んだ。

 まことの家族を。

 








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