21話 手を繋いで(テル)

 ここ、どこだ?

 あたりが真っ暗だ。

 いつの間に意識を無くしたんだろうかと、まぶたをこすろうとする。だけど腕が……ひどく重い。どずんと押しつぶされた感じがして、全然動かない。

 おかっぱ娘に、血を吸われたからだろうか。骨も内蔵も金属部分が多いとはいえ、普通の人みたいに血液でそいつを動かしてるから、なくなったら普通にやばい。俺の体、相当ダメージを受けてるっぽいな。起き上がらない方がいいんだろうけど。

 それにしてもここって。ほんとに一体、どこなんだろ?

 ついさっきまで懐かしい声が聞こえてたのに……。

 

『テルよ、そなたの祖母たる鳳は、おぬしをさらった。あいまみえた時、あれはなんと言葉をかけたのであろうか。祖母らしからぬ言葉を聞かされたのではと、わしは懸念しておる』


 じっちゃん。

 砂漠のまっただなかで、俺はじっちゃんの立体映像を見た。どうやら、ルノたちが持ってきてくれたらしい。救難信号を受け取って数時間足らず。ルノたちはすごい速さでやって来てくれた。ありがたいな。

 じっちゃんは、工房にいたときと変わらない作業服の上に、何かゆたりとした上着を羽織ってた。俺が着てるような、前で合わせるようなもの。あれってファング帝国の衣じゃないか? ちょっとかすんで見えてたのは、現像だったからか? それとも、血を失くした俺の目がかすんでたからか?

 

『わしがおぬしの祖母に使った石は、この世で最も美しく、最も危険なものじゃ』


 覚えてる……。よどみない声がしんしんとあたりに流れてくるにつれ、俺の体に刺さってた触手がそろそろと退いてったのを。

 おかっぱ石はなぜか、じっちゃんに怯えてた。俺の胸に自分をぎりぎりねじこもうとしてたのに、それもやめてしまって。ついにはぽとりと、砂の上に落ちた――

 

『昔々。Γガンマ星系のすみに、吸い込み星と呼ばれる星があっての。近づくものはみな引き寄せられ、そこから出ることはかなわんという消失事件が相次いだそうじゃ。おそろしいことに、その現象を引き起こしていたのは、星そのものに宿る大いなる魂であったと伝わっておる。神のごときその意志に逆らわんと、Γガンマ星系に住む者たちは吸い込み星をこっぱみじんに砕いた。そのときできた無数の星のかけらこそが、紫の石。今はあの星系の惑星間をめぐるアステロイドベルトになっておる、ドラグナイトなのじゃ』


 星。

 星。

 そうよあれは星。黒くて大きなあの塊は、怖くて大きなものの成れの果て。

 

 おかっぱ娘はおののきながら、ぶつぶつつぶやいてた。ひっくひっくと、しゃくりあげながら。

 それはおそろしい意志の塊だと。封じ込めるのにすごく苦労したんだと――


 そうよあれは星。黒くて怖い竜の亡霊が宿っていたわ。

 

 どういうことだと俺はおかっぱ娘に聞き返した。まるでじっちゃんが語る石のことをよく知っているようだったから。でも泣き濡れる少女は答えてくれなくて。ただただ、声を震わせるだけだった。


 竜はまだいる。死んでいなくて、ここにいる―― 


 おかっぱと同じことをじっちゃんの幻像も語った。おかっぱ石と女帝の石。まるで二つの機霊石が同じものであるかのように。

 

『砕かれてちりぢりになってもなお。吸い込み星の魂は、かけらとなった自身の体の中に宿っておるらしい。偉大なひとつであったそれは今や何億という数に分かたれているが、いまだに他の生き物魂を引き寄せるのじゃ。以前とはくらぶべくもないレベルにまで、その引力は弱まっているものの、人ひとりの魂は十分に吸い込める。それゆえに』


 じっちゃんの立体映像から大きな吐息が聞こえたのは、気のせいだろうか。


『それゆえにわしはあえて、あの石を使ったのじゃ。ドラグナイトは百パーセント確実に、人の魂を取り込むゆえに。わしは……疑いたくなかったのじゃ。死にゆく体から移したものが、たんなる記憶の複製ではないかと、疑いたくなかったのじゃ』


 なんてことをしたの。竜がいるのに。黒い塊が、いつも足元にいるのに。


 おかっぱ娘は――

 じっちゃんを責めてた。とても苦しそうに、俺のそばで膝をついて。両手で頭を押さえて。目を見開いて。歯を食いしばって、じっちゃんを見上げてた。

 

 そいつはあたしに囁くの。そこをどけって。魂を吸わせろって。だから……殺せって。

 そいつはあたしを蹴り倒そうとする。そうして表に出ようとするの。

 ああほら今も、怒りの息吹があたしを焼く。

 悲しい思いに包まれたら。辛いと感じたら。たちどころにあいつが底から昇ってくる。

 あいつの息吹が、外に漏れてしまう――

 

『テルよ。わしは大事な人を失いたくないあまりに、恐ろしきものの中にその人を放り込んだ。それゆえに鳳はあのような暴君に……。おぬしの父母が殺されたのも、また他の数多の人々が殺されたのも。そして帝都が壊されたのも。みな、わしのせいじゃ。我が望みの傲慢なりしことを思い知った今。わしはその贖いをせねばならん』


 紫のプラズマがびかびか迸った。帝君や俺を再三痛めつけた光。

 光が放出されると、おかっぱ娘はつらそうに悲鳴をあげた。


『テルよ。助けは無用じゃ。おまえさんは、目の前にいるもののことを考えなさい。もしかするとおまえさんのプジは、わが妻と同じ。その機霊石は――』


 じっちゃんに言われて、俺はやっぱりそうなんだと悟った。

 おかっぱの石もドラグナイトなんだと。そして石の中にいる奴は、好き勝手しようとしてるんだと。おかっぱはそれを抑えようとしてるんだ。そいつに呑まれまいと、必死に抵抗している……。

 たぶんきっと、中にいる奴はおかっぱに言いまくってるにちがいない。おまえはミミじゃない。そうじゃないって。ひそかにいやらしく囁いてるんだ。思い出したくないことを思い出させて、揺さぶってるんだ。

 おかっぱはそれに負けそうになってる。潰されかけてる。だから泣きじゃくってる……

 タマの魂を入れたときは、変なことは何も起きなかった。ずっとプジとしておかっぱは安定してた。

 おかしくなったのは女帝にさらわれてからだ。プジの機霊石は、女帝の機霊石と共鳴したのかもしれない。

 そのとき俺はようやく気づいた。プジ……タマの意識をマスターコマンドで封じたままにしてたけど。おかっぱがかわいそうでこのままプジに戻したくなかったんだけど。たぶんこれでは逆効果なんだってことに。

 助けないと。

 いますぐ助けないと。

 落ち込んでる場合じゃない。もしかしてまた、帝君のような結果になるかもしれないなんて。びびって尻込みしてる暇はない。


『大丈夫だおかっぱ!』


 俺はばりばり放電する紫の石を拾い上げて、ぎゅっと両手で握りしめた。

 

『おまえはミミだ。だれがなんといおうとそうだ。そしておまえのそばにはあのタマがいる。じっちゃんいわく、ドラグナイトって石は本当に、生き物の魂を吸い込むんだから! おまえたちはほんとにほんとのミミとタマだ!』


 なんかこっ恥ずかしいこといった気がするけど。無我夢中だったから、仕方ない。


『タマ! 起きろ! ミミを守れ! ミミ、迷ったら俺が何べんでも言ってやる! だから信じろ!』


 放電が痛くて痛くて、今にもぶっ倒れそうだった。でも俺は気合でふんばって怒鳴った。

 


『おまえたちは、ミミで、タマで! だから、俺のプジだ!!』



 ああそうだ。叫んだとたん。

 周囲が、ぼんと弾けたんだっけ……。

 最後に見えたのは、紫の光。きっとあいつだ。石の中にいるやつ。そいつが切れたんだろう。

 俺はふっ飛んだ。勢い良く、空に向かって。

 

『テル――!!』


 

 

 

 はじめは、落ちていったんだ。

 ずいぶんなスピードで、どんどんずんずん。

 どずんとどこかに体を打ち付けられたと思ったら、今度はいきなり浮くような感覚に襲われた。

 手足の感覚がなくなって、ただただ、浮きあがるってことだけしか感じられなくなった。

 そして今――

 あたりはなにもなく、黒い闇。まっくらの空間だ。

 

「行っちゃだめ!」


 ふわりふわり、昇っていく俺に誰かが叫んだ。

 音としては聞こえなかったけど、なぜかそう言われたのが分かった。

 それはびりりとしびれるような波のようなもの。


「テル、行かないで! 戻ってきて! あたしをひとりにしないで……!」


 きらりと、ずいぶん下の方で何かが光る。

 それは二粒の光で俺を追いかけてくる。光はみるみる近づいてきた。

 ひとつはおかっぱで、パジャマを着た子。もうひとつは、しっぽがはげてる猫。

 その後ろからずるずると、真っ黒い塊が追いかけてくる。

 女の子と猫は、そいつから逃げながら俺のところに駆けのぼってきた。

 俺に届く寸前で、黒い塊からびるるると、何本も触手が伸びてくる。おかっぱ少女の足が、そいつにつかまる。すると猫が跳躍して、目にも留まらぬ速さで触手をひっかいた。

 ぎしゃっと変な悲鳴をあげて、触手がひっこむ。おかっぱ少女がとても嬉しそうな顔をした。


「ありがとう!」

「えらいぞタマ!」


 俺も叫んだ。その猫はタマだと、ひと目でわかったから。

 とたんにあたりは眩しさに包まれた。うごめく黒い塊が、見えなくなるぐらいに。


「テル!」

「にゃー!」 


 おかっぱの子と猫が、俺の目前に来る。目と鼻の先に。

 すると突然。ふたつの光は溶け合って、ひとつになった――ように見えた。

 女の子が、猫を拾い上げて腕の中に入れて。ぎゅうと抱きしめている……

 

「テル、戻ってきて! お願い行かないで!」


 猫を抱く子は、俺に手を伸ばしてきた。


「アシュラみたいに、ごめんねさよならなんて、言わないで!」


 俺は――がっしりと掴まれた。ふわりふわりが消えて、足がすとんと地についた。ずいぶん昇った気がしたのに、あっという間に。


「ミミ……タマ……」

「あたしひとりじゃどうにもならなかった。だからあたしはアシュラが死んだあと……黒いあいつをおさえつけるために眠るしかなかったの。でないと黒いあいつは新しい主人の命を吸って、世界をこわしてしまうから……でも、タマちゃんが来てくれたから。テルがタマちゃんを入れてくれたから」

 

 タマ、強いんだ。


「うん。あたしとタマちゃんは手をつないだの。それでなんとか、黒いあいつをはねのけることができてた。でも……女帝陛下の機霊石が強烈な思念波を投げてきて。あたしたち、手を離されてしまったの。それであたしたちをあいつとの、力の均衡が崩れてしまったのよ」

 

 やっぱり、女帝の機霊石が干渉したんだ。そんで無理やりミミの記憶をこじ開けたんだな。


「テル。あたしたちを助けて。お願い」


 ミミ……


「あたしたちを助けられるのは、テルだけ。タマがそう言うの」

 

 タマ。タマは、俺を信じてくれるんだ?


「うん。タマが大丈夫だって言ってる。テルならできるって」


 あ。おかっぱが笑った。 

 

「だからあたしも信じる。あたしにタマをくれたテルを、信じる」


 かわいいな。猫を抱っこしてほおずりする少女。すんごくかわいい……

 

「あたしたちをここから出して、テル。お願い。だから、死なないで――」


 



「テル・シングが起きたわよ!」


 耳元でロッテさんの呼び声がした。ばちりと目を開ければ、色とりどりの光がきらめく天井が目に入る。瞬間、あたりからおおっとどよめきが起こった。

 

「息を吹き返したか」


 ちゃぷんと、水音がした。俺の体、半分溶液に浸かってる。再生液だ。俺が寝てる寝台を覆ってた透明なドームが、ゆっくりゆっくり開いていく。 

 白い猫がおれの顔の隣に鎮座してる。その後ろには、黄金の髪のアル。その隣にはロッテさんと銀鎧の騎士。さらにその隣に。


「テルちゃん!」


 応急鉄包帯だらけで目を真っ赤に腫らしてるジョゼットさん。機霊のリンファが俺を怒り顔で睨んでる。ご主人様を泣かせるなんてと、その顔が如実に俺を責めてる。

 だから開口一番出た言葉は、じっちゃんどうなったでも、ミミ無事かでもなく――


「ご、ごめんっ」


 その一言だった。リンファ、まじでこわい。

 起き上がろうとして体を支えた右手の中に、紫の機霊石がある。

 ひっぺがそうとしたけど無理だったわと、ロッテさんが呆れたように腕を組んだ。


「あんた、それをぎゅうっと握って離さないんだもの」

「ここは……」


 まわりには、こぽこぽ音をたてるカプセルがいっぱい。ちりちりしゅうしゅう、懐かしい音。懐かしい薬と金属の匂い。

 

「あんたんちの、地下工房の一角よ。シングさんの立体映像見た? もし困ったことがあれば地下工房にあるものをなんでも使えって言ってたわよ。多少のけがもそこで治療できるから、ともね。だからダウンしたあんたを回収して、急いでコウヨウに運んだわけ」

「ロッテさん、あの砂漠からうちまでって……」 

「高速艇で一日かかったわ。瀕死のあんたを救命ポッドに入れて状態維持にして、搬送したのよ」

「カプセルドームに入って今日で三日目よ」


 金髪のアルが包帯をぐるぐる、俺の手足に巻く。


「傷はほとんどふさがったけど、まだ皮膚が柔らかいから。固定するために巻くわね」


 アルの手つきは慣れたもの。さすが、この数ヶ月じっちゃんを手伝ってきただけある。

 って、何だこの視線。うわ、白猫がじとっと俺を睨んでる。これは嫉妬か? うう、ルノもこわい。

 

「まあ、あんたの機霊が落ち着いてよかったわ。盛大な最後っ屁かましてそれきりだんまりよ」

「そうなのか。あの、じっちゃんは……」


 数拍の沈黙が流れた。気まずい雰囲気ってやつだ。

 女帝と対決するようなそぶりだったけど、言うのもはばかられるぐらい、じっちゃんはまずい状況なのか? ロッテさんはウッと喉をつまらせてるし、ミッくんは主人と一緒に腕組みして天を仰いでるし、アルは困ったように微笑んでるし、白猫はあからさまにそっぽを向いてる。ジョゼットさんが実はねテルちゃん、ってすごく柔らかい口調でいいかけてくれたんだけど。


『だめです主公!』


 リンファがぴしゃりと、優しい主人を止めた。

 

『ロッテ様たちは、皇太子殿下を別星系へ避難させよとの勅令を拝命したと聞きました。皇帝陛下の

ことをお教えになられるは、その命令遂行の妨げになります』

「っが! じっちゃんは、そんなにやばいことしようとしてるのかよ!」

 

 言葉で言われなくても雰囲気で丸バレだ。それにここにはじっちゃん専用の機器がいっぱいある。

 外の様子なんて一発で――

 

「ぐぎゃ! ちょ、ルノ。その手どけて! 肉球で阻止するなこら! パソコンいじらしてくれっ」

「だめだ。情報を見たらおまえは絶対、シングを助けにいくと言ってきかなくなる」

「それはそうだろ当然だろ! いや見なくてもさ、もう百パーセントその気だぜ?!」

「あいにく、そうさせないようにしてくれって、シングさんから言われてるのよね」

「ろ、ロッテさん?! ちょ!」


 ロッテさんの手が俺の胸をそっと押した。再生液にじゃぷんと、俺の体が沈む。

 ういんういんと、カプセルドームの蓋が閉まっていく。


「まだ完治してないから、もう少しそこで眠ってなさい。カプセルごと、船に積み込むわ」

「積み込むって……!」

「ごめんなさい、テルくん」 

 

 アルまでそんな申し訳無さそうな顔して。その手に持ってるのもしかして冬眠ガスのボンベ?

まさかカプセル寝台に挿し込んで充満させるつもりか?

 ま、待て! ちょっと待ってくれ! 

 じっちゃんやばい、これ本気だ。マジでみんなに俺のこと頼み込んだんだ。ほんとに死ぬ気なんだどうしよう!

 

「ね、ねこ! ねこはどうした! プジ! プジを!!」


 俺はとっさにドームの蓋をがしりとつかんで、そいつが閉じられるのを阻止した。


「猫二匹はとても元気よ? だから安心して――」

「だめだロッテさん! いそいでプジを移さないと! でないと俺の機霊石、爆発する!」


 えっ、とみんなが動きを止める。


「頼む! プジの機霊石を処理させてくれ! これだけは今やらないと、また紫のバリバリ放電が……」


 そうだよ。できるだけ早く、石の中にいる「プジ」を……ミミとタマを救わないと。

 まずはそれからだ。とにもかくにも、それからだ。


「頼む!!」

 

 俺は叫んだ。


「時間がないんだ! どうか!」


 そして祈った。

 

 間に合うことを。


 

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