20話 竜の石(ルノ)
ミミ。
それははるか遠く、どこかの彼方で聞いたことのある名前だった。
おぼろげな影が脳裏にちらつく。
黒髪の。おかっぱの。パジャマ姿の――
その名を持つ者が誰なのかはっきり思い出しかけたとき。圧倒的な突風がぼろぼろの機貴人と僕らを吹き飛ばした。紫のプラズマが無数の槍となってテル・シングの周りに立ち昇る。血を吐く少年の背中から、なにか黒いものがめきめきと生えてくる……
「ミミちゃんだめえっ!!」
アルが悲鳴をあげた。
眼前に広がってきたのは、黒い羽ばたき。砂丘に打ち付けられた僕らは息を呑み、その禍々しいものを見つめた。
テル・シングのネコ機霊は、融合型ではなかったはず。分離型で、あいつがハゲネコを背負う形だった。今、その相棒はいないというのに。背中から出ているのは……
「機霊翼?! どうなってるんだ!」
「竜の石が……ドラグナイトが、テルくんの体の中に入ってしまってる!」
「な!? 移植手術なしに融合したというのか?!」
「ドラグナイトは生きている石なの。生物なのよ。ミミちゃんがあの石に移植されたとき、アキラさんはそれに気がつかなくて……それで……」
はるか昔の記憶を手繰り寄せるアルの眉が、悲しみで下がる。
アルは覚えているらしい。「アキラとミミ」のことを。たしかそれは……その二人は……
僕もいつか夢で見た。だからその二人のことは知っているような気がする。
アキラとは、アシュラとも呼ばれる人。黒髪の男で。マレイスニールの同僚で。そして後に……
「アシュラは、暗黒帝になった……
そうだとアルがうなずく。
「アキラさんはミミちゃんを死なせまいと、その魂をドラグナイトに封じ込めて機霊にしたの。でも初めて召喚したとき、ドラグナイト自身の意志がミミちゃんを抑えて表に出てきてしまった。ミミちゃんとは違うものが、機霊となって出てきてしまったの」
ああ。今、脳裏に何か浮かんだ。
これは何だ? 僕の遺伝子に残っているもの。記憶だろうか?
『ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!』
黒髪の男が、地べたに拳を打ち付けて泣いている。
『おかっぱが食われた! 俺のおかっぱが……! 消えた……!』
そいつの叫びが僕の頭のなかでこだました。何度も何度も。
『失敗した……! 大失敗だった! 消えちまった……!』
そいつの肩先には黒い影が出ていて。それはとてもどろどろしたもので。とても人の形はしていなくて。怒りを押し殺したようなおぞましい声で呻いていた。
そう、今、テル・シングの肩先に出てきているもの。まさしくあれだ。あれと同じものだ。
『ちがう。あたしはちがう。ミミじゃない。ミミじゃ……』
テルの肩先で真っ黒いそいつが蠢く。おどろおどろしい声を出して。
ごうと黒い翼をはばたかせ、砂を巻き上げ、突風を僕らに叩きつける。
「いいえ、あなたは、ミミちゃんよ!」
アルが叫ぶ。顕現する僕が張り詰めた結界の向こうを、迷いなく見つめて。
「アキラさんはミミちゃんを失ったと思って絶望した。そのぽっかり開いた心の穴に、ドラグナイトがつけこんだ……怖ろしい石の囁きに惑わされて、アキラさんは暗黒帝になって。世界をこわそうとした。でも、ミミちゃんは消えてなかったの。ドラグナイトの意志に包まれて、表に出れないようにされてただけ」
その声は徐々に湿り気を帯びて。ついには弱々しく尻すぼみになった。
「ごめんね。ごめんね、ミミちゃん。私、あなたとアキラさんを……」
『アルそれは』
アルのせいじゃない!
脳裏にパッと映像が浮かんだ。たぶん記憶だろうと思われるものが。
巨大な光の槍で真っ黒い鎧の男を貫いている僕――いや、マレイスニール。
やりたくてやったことじゃない。
止めないといけなかったのだ。
そんな思いが頭の中に昇ってくる。
彼を止めなければ、世界が壊れた。暗黒帝は破壊神と化していたから。
だからやむなく僕らは飛び立ったのだ。
天界の多くの人がそれを望んだ。
黄金の女神が、何もかも滅ぼそうとする暗黒帝を打ち破ることを……。
うおううおう。
テル・シングの肩先で、黒い塊が苦しそうにうねる。
『ダマレ!』
風と共に、そいつが飛んできた。
僕はとっさに翼を広げ、アルと機貴人を宙にあげた。
案の定、テル・シングごと突進してきたそいつは、僕らの
『速い!』
「ここにいて!」
着地するなり、アルが全身傷だらけの機貴人を救命ポッドに押し込み扉を閉める。
背を見せた僕らに容赦なく、回り込んできた黒い塊が鋭い刃を撃ち放つ。
一重。二重。三重。
僕は瞬時に何枚も結界を出した。だが、出したとたんに盾が割れていく。
四、五、六、七。
まだ貫通される。なんてパワーだ。生きている石は、一体どこからエネルギーを得るのか。
底なしゆえに力が桁違いだ。
九、十、十一。
十二枚目でようやくふんばれた。危なかった。防げなかったら、ポッドごと吹っ飛ばされていただろう。だらりと手足を垂らしたテル・シングの体が、束の間ぎゅんと遠ざかる。また刃のような光弾を打つために、力をためているようだ。
「ああ、だめ……ミミちゃん、だめ! テルくんが死んじゃう」
テル・シングの胸に大きな宝石が埋まっているのが見える。あれがドラグナイトか。暗黒機霊の機霊核。
「一番始めの融合型は私じゃない。ミミちゃんこそが、融合型のプロトタイプなのよ」
震えるアルがいわんとしていることは、テルの様子を見れば一目瞭然だった。
宝石から毒々しい針金のような触手が幾本も延びていて。それがテルの胸に深々と突き刺さり、どくりどくりと波打っている。その色は黒ずんだ赤だ。
機霊の僕の目は、人間だったときの色覚を完全に思い出したようだ。触手が何を吸い上げているか、それで瞬時に悟れた。
融合型は主人の生命力を吸う。その原型体はなるほど、体液を吸う形でエネルギーを補充するのか。
すなわちドラグナイトは吸血の石というわけだ。
このままではテル・シングは干からびてしまう。
『ミミじゃない! ミミじゃない! あの人はそう言った!』
黒い塊が怒鳴る。
『こわいバケモノを押しのけて、やっと外へ出たのに! アシュラは言った! 竜の石のバケモノがミミのふりをしてるんだろうって! 俺の望みを知って、移された記憶を読んで、ミミに化けたんだろうって!』
僕の胸がどきりと弾けた。
本物の魂。それは僕も悩んだことだ。あのマレイスニールも同じく疑った。
アルが本当にアレイシアなのかどうか。彼女の魂が本当に黄金の円盤に宿ったのどうか。
だからマレイスニールは念のために、アレイシアの体を処分しないで永久保存することにした。
暗黒帝も彼のように疑ったわけか。少女の記憶は、ただのコピーに過ぎないのかもしれないと。
はじめにバケモノが出てきたのなら、そう思いこんでしまうのも無理ないことだ。
命を食らうバケモノが、ミミの記憶を利用して自分を誘惑しようと感じてしまったのだとしたら。
『アシュラは、信じなかった! 最期まで! 金色のあいつらに倒されるそのときまで! あたしがミミだって、決して信じなかった!!』
あのとき。ああ、思い出せる。
光の槍が暗黒帝を貫いたとき。そばにいた機霊は空を割るような声で絶叫していた。
彼女はなんと言っていたか。その叫びは。叫びは……
『どうして、信じてくれないの?!』
「お願い泣かないで! あなたは本当にミミちゃんよ!」
アルが叫ぶ。あの時暗黒帝が言うべきだったのだろう言葉を。
『黙れえ!』
黒い翼の悪魔は怒り心頭で突っ込んできた。そいつはいまやしっかり、黒髪おかっぱの少女の姿をとっていた。すらりとした手足。白い肌。ぎらぎら輝く蒼い瞳。黒い煙をまとったその体は、理想の美女の姿形そのもの。
また十数枚もの結界を一気に出せる自信はない。僕らは横に飛んで悪魔の突進をかわした。
すさまじい速さで相手は直角に曲がってくる。
逃げるために舞い上がると、パッとあたりに光の粒が散った。
「アル……!」
アルの頬から涙がこぼれていた。真珠のようなきらめくものが。
これが
マレイスニールはどうして疑ったのだろう。この少女の魂が、本物ではないと。
こうしてだれかのために泣いているのに。
それはまさしく人の感情で。魂があるという証拠で。機械には決してできない芸当だろうに。
人の手で作られた金属のチップの思考では、およそ不可能な反応だろうに。
あの悪魔とて同じだ。
「あなたは、本当にミミちゃんよ。私と同じ、あなたも」
アルが叫ぶ。まるで自分にも言い聞かせるように。
「あなたも、泣いてるじゃない!」
笑う。泣く。怒る。
人工知能とて、たしかにそのような反応はできる。しかしそれは表面的な「演技」にすぎない。
本当に心を持っているわけではなく、ただ1+1の答えをかっちり出しているだけだ。
2+2だった場合は。3+3だった場合はと、ケースに合わせて決まった反応を出す。予めインプットされている言葉と行動を、引き出しから出すだけのこと。
人の脳も同じように事象に対する反応をロードして、様々な反応をするけれど。人工のものとは、決定的に違うところがある。それは――
「辛くて。哀しくて。泣き叫ぶほど、苦しんでるじゃない!」
人は、悩み苦しむということだ。
人工のものは、苦しまない。
胸に痛みを覚える。
そんなことができるのは、魂を持っているものだけだ。
「くっ……!」
結界の展開が追いつかない。七枚目で間に合わなくなった。僕の翼の端に黒いおかっぱ娘の放った光弾が当たった。とっさに身をよじって正解だった。絶対アルを被弾させるものか。
『相手の懐に飛び込む。アル、テル・シングから宝石を引き抜けるだろうか』
「触手を数秒のうちに全部切り落とさないと、こっちにも刺されるわ」
『では光弾の他に双剣も出す。斬ってくれ』
「了解!」
肉を切らせて骨を断つ、だ。
相手の結界に弾かれないよう、出力を合わせる。色合いを見てなんとか同レベルに引き上げたが、これだけでエネルギーが尽きそうだ。呻くと、アルが腰につけた携帯箱から軍用の非常食を出してきた。
「食べて!」
ぐりぐり、肩にとりついている
アル、君は最高だ。
僕は慌てて機霊シナプスを半分切り、ルノのシナプスに切り替えた。時間稼ぎに上空へ舞い上がり、その間に硬い棒状の非常食を飲み下す。
『食べた!』
「がんばって!」
『任せろ!』
さあこれで、賭けに出られる。
猛然と、紫のプラズマをまとう竜が昇ってきた。その結界は雷電を帯び、針山のような光槍を何百とまとっている。それが僕らに向かって一斉に放たれたとき、僕はそいつをかわしながら一気に降下した。
しゃくりあげて泣いている、おかっぱ少女のそばの。ぐったり頭をうなだれている、テル・シングめがけて。
『ぶち破れ!』
幾枚も結界を出して重ね、その硬度を上げる。
べきべきと音をたて、ぶつかりあった障壁が対消滅していく。
頼む、全部消えてくれ!
そう願いつつ、分厚い相手の壁を消して。消して。消して。そして――
『アル、触手を斬れ!』
「
テル・シングが目前に迫った。アルの持つ双剣がまばゆい軌道を描く。
『テル! いやあ!!』
刹那。
おかっぱ少女が悲鳴をあげた。だらりと腕を下げていたテル・シングが……
素手でアルの光剣を受けたのだ。
まさかまだ動けるとは思いもせず、僕らは息を呑んだ。
「大……丈夫、だから」
何を言ってるんだ。暗黒機霊に血を吸われているのに。
「こいつが誰であろうが……」
『テル・シング!』
「テルくん!」
「こいつは、俺の、相棒だ……だから、傷、つけないでやって」
テル・シングはかすかに笑った。
触手を切られたら痛いだろ? と、肩先のおかっぱ少女に囁きながら。
たちまち紫のプラズマが退いていく。しゅるしゅると、テル・シングの胸に刺さっていた触手も縮まっていく。
僕は慌てて、アルの手にある双剣を消した。
『テル……テル……』
おかっぱ少女がひどくしゃくりあげつつ、腕を半分切られた少年に聞く。
『どうして? なぜ強制コマンドで、プジを出さないの? なぜあたしを引っ込めようとしないの?
まさかそれも……』
「だっておまえ、俺の、相棒だもん……巨神から離すためにやむなくコマンド使ったけど。無理に引っ込めるなんてそんなこと……極力したくな……」
「テルくん!」
テル・シングの口からまた血が吹き出す。アルがその体をつかんで支えようとしたけれど。
そのとき、僕らの間を何かが裂いた。猛烈な勢いで落ちていくそれは、紅色の鎧を着た機貴人……
「きゃぁ、ごめん!」
頭上でリアルロッテが叫ぶ。
「獲物を落っことしちゃった!」
落っことしたじゃない! おかげでテル・シングから離れた……って、まずい、落ちる。
急いで翼を動かす。結界も張る。その間に完全失速した僕らはくるくる、何度も回転した。
ごめんアル。ごめん。大丈夫か? ああ、悲鳴が聞こえる。
これはきついだろうと思う。いきなり船のジェットをふかしたのと同じことをしているから。
アルの身体からぽろりと何かがこぼれた。
きらりと光る赤い宝珠だ。シング老から託された、大事な物。
失くしたらまずいと、アルが手を伸ばす。でも届かない。
落ちる。落ちる。落ちる。ああ――
落ちたのは宝珠だけではなかった。
テル・シングと泣きじゃくるおかっぱ少女も下に落ちていて。どうんと砂地に音を立てて衝突した。
もうもうと砂ぼこりが上がる中、やっと体勢を立て直した僕らは、息を呑んでそのそばに舞い降りた。
倒れ伏すテル・シングのそばにころころと、落ちた宝珠が転がっていく。
『テル……テル……いやあ、テル……』
それはひっくひっくと声をあげながら両膝をつくおかっぱ少女のもとに行き着いた。
ことりと珠が止まると、衝撃を受けたためか、そこから音と光が飛び出した。
あの人の穏やかな声と。頼もしい姿が。
『テル。わしじゃ。元気でいると信じておる。いまわしはゆえあって、とあるところにいる。そばにいけぬこと、どうか許してくれ。実はそなたにはひとつふたつ、打ち明けねばならんことがある。どうか、聞いてくれ。わしはかつて高祖帝マレイスニールと同じことをした……愛する者を失いたくなくて、機霊と合体させたのじゃ』
穏やかな声がとうとうと、立体映像から流れ続ける。
白ひげの人は、震えながら見上げるおかっぱ少女を見下ろす形で語った。
『機霊となったその者は、わしの妻にしておまえの祖母。いまやかの国の女帝となっている。あれの機霊核には、確実に人の魂を吸い込む石を使った。すなわち……』
次の瞬間、おかっぱ娘は固まって。呆然と老人の幻像を見つめた。
とても信じられぬと叫びそうな面持ちで。
『Γ星系で取れる貴石。竜の石、ドラグナイトを』
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