19話 降下(ルノ)

 その信号が来たとき、僕らは月の都の中央管制塔にいた。

 

「テル・シング!?」 


 アルの肩にとりついている僕の脳は、びりっと震えた。

 いったいどこにいるんだ? 無事なのか?


「そこを動くんじゃないわよ?!」


 赤毛のリアルロッテだけが、端末をぴいぴい鳴らす信号に応えることができた。

 シング老の端末はコウヨウで回収して、アルが大事に携帯カバンに入れたまま。持ち主のそばにはなかったし、僕は機霊状態。そしてアルは両手が塞がっていたからだ。


「おじいさま、しっかりして!」


 アルは今、床に膝をつく老人の体を細い両腕で支えている。

 目の前には、緑色の宝珠がころんとひとつ。シングの手中にあったそれはつい先ほどまで、柱にはまっている宝石が繰り出すセキュリティプラズマを吸い込んでいた。管制塔のAIと化したメガネ女――メイ・バイリーの、精一杯の悲鳴を。

 明色の放電が宝珠の中へ吸い込まれるたび、珠からやわらかな光が放出された。激情を宥めるような光はぽかぽか暖かく、まどろみに誘われそうな心地よさ。おかげで一秒にも満たない間の一瞬だけ夢幻の中へ埋没させられる、そんな感覚が何度も襲ってきた。

 いまや柱の中の宝石は沈黙している。

 気が落ち着いたのか。眠らされたのか。なんの音もたてていない。

 老技師は見事に相手を鎮めたわけだが、宝珠を使用することは体力を著しく消耗させるのだろうか。床に膝を落としたシングはまぶたを閉じ、胸をぐっと片手でわしづかみにしている。


「なんと……深い悲しみであろうの。父母を目の前で失うとは」

「おじいさま?」


 老人の口がわななと震える。ごくりと、一回その喉が鳴った。何かを飲み下すように。

 

「この宝珠は想いを食らう。生物がシナプスを通して各器官に伝達する、一定の脳波を。とくにこれは、負の感情に反応するように造った。怒りや悲しみを吸い込めるようにのう」

「悲しみを、吸う?」


 シングは手を伸ばし、床に転がった緑の宝玉を拾いあげた。


「メイどのの感情がえらく激しくてな。珠に触れていたゆえ、引きずり込まれてしもうたわ」


 つまりシングは、流れ込んできたメイ・バイリーの悲しみに打ちのめされたらしい。目にうっすら浮かぶものは、同情の涙だろうか。


「妹のためにと、この人はがんばったのじゃ。血を吐くようなことを幾度も経験しておる。わしは、償わねば……七十年間、このときのために色々準備をした。それをすべて駆使せねば」


 受け取った信号の発信位置を検索した赤毛女が叫ぶ。


「シングさん! テル・シングは地上にいるみたいよ。女帝の手からは逃れてるみたい」

「おお……てっきり、あれのもとにいると思っておったが」

「あの子のことだから、自力で逃げ出したんじゃないかしら。エンマ隊長がバイリー将軍の船を借りてくれるだろうから、それに乗って降下しましょ」

「ロッテどの。わしはここでいろいろやらねばならんことがある。孫の保護といっとき安全地へ送還する仕事を、そなたたちに頼んでよいか?」

「おじいさま、ここに残るつもり? まさか……」


 シング老を支えるアルの腕にぐっと力がこもる。赤毛女はまじまじと老人を見下ろし、そしてふうっと嘆息した。


「なるほど……いろいろ決着をつけたいって感じね。ここに残って女帝と刺し違えるつもりなの?」  

 

 肯定も否定もせず、シング老はほんのり微笑んだ。


「これを、あの子に渡してくれんかね? そして別の星に逃がしてほしいのじゃ。だれにも狙われんところにの」


 シング老はきらりと光る赤い宝珠を懐から出してアルに託すと、しごく残念そうにぼやいた。


「できれば青の三の星がよいのじゃが、それはもう無理じゃろうな。隣のあの星は、ノキノキだらけになったからのう……」

「やだシングさん、隣の星とは貿易停止になってだいぶ経つわよ。今はノキノキだけじゃなくてクトパスも住み着いちゃったし、おかげでもう全然蒼くないんだから」


 行き来がなくなって一世紀経つんじゃない? と、赤毛女が肩をすくめる。


「M星系あたりが無難だわ。でも、乗せてやった星船からテル・シングが脱走しても怒らないでね?」

「ほうほう。やはりそうなる可能性が高いですかの」

「あなたの孫はきっと一目散にここに来ようとするんじゃない? じっちゃんを置いては行けないって」


 赤毛女の言う通りだ。テル・シングならば、決してこの祖父を置いて他の星に行ったりなどしないだろう。たとえそうしろと祖父本人に直接命じられても。


「それは困ったのう」


 シングの顔は柔和でこの上なく穏やかだったけれど、一本筋の通った覚悟があった。

 テルの祖父は――煌帝国の先帝は、おのれが歩むべき道をじっと見据えていた。

 一分の迷いもなく。


「では。わしの復位とともに、テル・シングの保護と安全地への一時避難は勅令であると、宣言させていただこう」


 復位。

 先帝陛下が煌帝国の国主に返り咲く?

 シングは女帝から支配権をとりあげるつもりなのか。

 勅令、すなわち帝じきじきの命令となれば、僕らが拒否したり異議を唱えることは不可能だ。第三傭兵隊は正規兵ではないけれど、帝は大事な雇い主。絶対権力を行使して願われたからには、謹んでその意を拝命し、完遂するしかない。


「命令にしてしまって、すまんのう」

『謝るな。皇帝の権力の使い方として、これは間違っていないと僕は思う』

「ほうほう、分かってくれますかの、アムルどの」

『おまえの、孫を守りたいという気持ちは理解した。首に縄をつけてでも、テル・シングを避難所へひっぱっていく。だから安心しろ』

「おお、かたじけない。どうか頼みますぞ」


 老人が僕の機霊姿を見上げて微笑む。銀髪蒼眼の、あの国の皇帝と同じ姿を崇めるように。権威を煌々とふりかざしているのに、この控えめで優しい雰囲気は一体なんだろう。

 不思議だ。

 とても不思議だ。

 見ていると、もっと偉そうにしろと言いたくなる。

 この人が玉座でふんぞりかえっていたとしても、不快になど思わないだろう。 

 そこにいるのがふさわしいと感じるに違いない。たぶんきっと。





 管制塔を制圧したシングは手動で柱のプログラムを操作し、都の守りを一枚一枚ゆっくりはがした。

 生命維持に必要な空調結界だけ残し、どんな爆弾もビーム攻撃も防ぐような結界はすべて消去。じつのところ城壁だけでなく都の塔という塔はみな砲塔の機能を持っていたらしいが、そこに供給するエネルギーも全部遮断した。

 反対に中央管制塔だけはぎちぎちに防御を固めた。緊急体制時に使用するような結界を幾枚も展開し、搭載武器を装填。都市機能をダウンさせつつここに籠城して、女帝とあいまみえるつもりなのだろう。

 ほどなくリアルロッテの連絡を受けたエンマ隊長が、不落の砦と化したこの塔にバイリー将軍を連れてきた。塔の頭脳と化した姉に会わせるためだ。


「あなたが、太上老君様…‥!」

 

 到着するや事情を把握した緑色の将軍は、躊躇なくシングに膝まづいた。


「砲塔から炎都へ救命ポッドを出したのがあなた様であるというのなら。私がお仕えするべきはあなた様であると思います。端末で、私の星船の乗員に離陸準備をするよう伝えておきます。皇太子殿下の保護を仰せつかったみなさんは、ただちに現地へ向かってください」


 そうして僕らは――赤毛女とアルと僕は、急いで塔から出た。


「姉さん……! 姉さんなのね? ああ……こんな姿になるなんて。私の声が聞こえる?」


 柱に埋まった宝石を見つめるバイリー将軍の、哀しげな囁きを聞きながら。

 

「バイリー姉妹は、わしに協力してくれるじゃろう。だから大丈夫じゃよ」


 心配するアルの背を、シング老はぽんぽん優しく押して送り出していた。

 管制塔になった姉と、将軍になった妹。二人がシングの味方となれば、心強いことこの上ない。将軍はエンマ隊長率いる第三傭兵隊が護衛しているから、鬼に金棒だ。他の将軍たちが女帝のために戦ったとしても、十分太刀打ちできるだろう。

 バイリー将軍の星船は僕らを積み込むや、すぐに月の都を飛び立ち、目的地へ全速力で降りた。座標は、かつて炎都が浮かんでいたところのほぼ真下だ。

 

「巨神が落ちた地点に近いわね」

『落ちた? リアルロッテ、それはどういうことだ?』

「気になる動画が端末に上がってるわ。下界のハンター板は大騒ぎよ」


 炎都をまっぷたつにした鋼の巨神。サルベージ回収されてどこかへ収容されていると思ったら、なんと大地ユミルに落ちた可能性が高いという。 

 

「動画を見るとなんだか内部から体の各所が暴発したみたい。それでサルベージのワイヤーが切れて、下界へまっさかさまって感じらしいわ」

『正規軍が回収に大忙しだろうな』

「でしょうね。あたしたちもそんな回収隊の一員って雰囲気をまとっていくといいかも。その落下予想地点のごくごく近くにテル・シングがいるのよね」


 命からがら逃げ出したか、偶然自由の身になったのか。そんな状態のテル・シングにとって、そこは非常に危ない所だ。一刻も早く見つけなければ……。

 

『できることなら、女帝とシングの対決に加勢したかったが……』

「あらルノ、夫婦喧嘩は犬も喰わないっていうでしょ」

『そうだぞ。触らぬ神に祟りなしとも言う』


 赤毛女の肩付近で、銀鎧の騎士がしみじみうなずく。なんだか怯えているようなのは気のせいか?


『きっと世紀の夫婦喧嘩になるぞ。私は、巻き込まれるのはいやだ』


 どうやら気のせいではないようだ。小心者め。


「りんごみたい……」

『ああ、それきれいだな。黄金色で』

「アムルにはそう見えるのね。私には真っ赤に見えるわ」

「赤か……」


 大月から大地ユミルまでは、ほんの数時間。道中、アルは老人から託されたものをまじまじと眺めていた。

 手のひらに乗るくらいの小さな宝珠。中で小さな小さな炎がゆらめいている。何かの情報が詰まったものだということは、一目瞭然。おそらく祖父から孫への手紙が入っているのだろう――

 

 初めて機霊になったとき、赤い色がよみがえったように感じたけれど。今はすっかりルノのときの視界と同じで、僕の世界には赤味がない。脳が色味を自然と、「いつも見える色」に調節しているのだろうか。

 真っ赤なはずだが真っ黄色に見える砂漠の上空に船がいたるや、僕らは勢い良く飛び出した。

 アホウドリサイズの翼が赤毛女から展開する。その横で僕も思い切り、白いコウモリのような翼を広げる。きゅりきゅりと人工眼の焦点を合わせれば、すぐに目標物が見つかった。

 真っ白い救命ポッド。

 その周りにだれかいる。

 

「テル・シング! もうひとりは? ううっ?」


 あれは死体か? あの革服の身なりは煌帝国の兵士ではない。トレジャーハンターだ。テル・シングはどうやら……無事でいるらしいが、砂の上で頭を抱えてしゃがんでいる。

 

「ち! アルとルノ、正規軍がいるわ。あたしたちと同じ目標に近づいてる」


 急いで降りたとうとした僕らのもとに、横槍が入った。

 正規軍の所属部隊名が通信バンドに飛び込み、誰何すいかの言葉が響いてくる。見ればすぐ真横を、黄金色の一団が飛んでいる。


「うわあ真っ赤。きっと七将軍の、赤の将軍の配下だわね」


 リアルロッテがそう言ったとたん、僕の視界が矯正された。黄色かった一団に赤みが指す。赤毛女の髪も、突然真紅に見えだした。

  

『おまえたちはどこの所属の者か? 太子発見回収命令を受けたのは、我が部隊だけのはずだ』

「あらごめんなさいねえ、うちも命令されたのよぉ。とっても偉い人に!」 


 隣でごうとアホウドリサイズの翼がうなり、旋回する。とたん、紅色の軍団は怒号をあげ、パッと周囲に散開した。

 

白銀の、矢シルバーアロー!』


 色の変化にとまどっている場合ではない。銀鎧の騎士が爽快に銀の光弾を射出するそのそばで、僕もありったけの光弾をアルの周囲に散りばめる。矢を射出するなり光剣を手にした赤毛女が、指示を飛ばしてきた。

 

「アルとルノ! 右の二人任せるわ! あとはあたしに任せて!」

「はい!」


 アルは素直にうなずいたが、紅の一団は十人以上いる。大丈夫なのかと思う間に、さっそく獲物がひとり、地に落ちた。間合いを詰めた赤毛女の剣の一撃で、銀色の片翼をもがれたのだ。相手は油断していたのか、空調維持の結界しか張っていなかったようだ。


「速い!」

「ふふふ! アホウドリだからってみくびったわね?」

 

 笑い声が聞こえた。赤毛女はもう次の獲物の目前に迫っている。

 負けじと僕も光弾を飛ばしながら、アルを敵の横に運んだ。あわてて結界を張る相手が、アルを取り巻く僕らの結界に弾かれ、彼方にすっ飛んでいく。


「アムル、結界硬すぎ」 

『うん。わざと硬度を上げてみた。これなら、君を守りながら攻撃できると思って』

 

 二人? もっといける。

 でもはりきっている赤毛女に花をもたせてやるか。下にいるテル・シングが気になるから。

 砂地にしゃがむ少年は、とても小さく見えた。ハゲ猫の姿はない。機貴人らしき女ひとりと子猫が二匹、心配げに様子を伺っている。

 どこか具合が悪いのか? 怪我でもしてるのか?

 二人目の敵を弾き飛ばした僕らは、救命ポッドめがけて急降下した。

 

「誰なのっ!?」

 

 アルがすとんと砂に足をつけるなり、機貴人が警戒してテル・シングの前に立ちはだかる。なんとしても少年を守る。そんな気概がありありと見てとれた。美しいアルの降臨に動揺するも、その目はカッと見開かれて熱い。彼女にかばわれるテルから、紫の光がほとばしっている。見れば腹から下がつる草のようになったその光にとらわれて、少しも動けなくされていた。

 

『なんだあれは――』


 異様なものを見た瞬間、アルが叫んだ。


「あ……暗黒機霊?!」 

『アル、なんだあれは?! あの光の蔓、テル・シングのネコ機霊のものじゃないのか?』

「あ、あの機霊光の色はプジちゃんのと違う……ただの紫じゃない……黄金のプラズマも混じってるあれは……あんな哀しい色を出す機霊は、この世でたったひとりだけよ」


 アルがひどくうろたえる。まさかそんな、どうしてここにと、震え声でつぶやいて。

 

「まさか……そこに、いるの?」 

「う……うう?! あ、アル? ルノ?」


 テル・シングが顔をあげた。ぎょっとするほど蒼い顔だ。


「だめ、テルちゃんに近付かないで! 近づいたら紫の光が……!」

「ジョゼットさ……大丈夫、こいつら、味方……」

「テルちゃん、しゃべっちゃだめ!」

『テル・シング!』


 動いたテルの口から鮮血がドッとこぼれた。

 茨の蔓のような紫の光が、テルを苛んでいるらしい。血相を変えて近づこうとするアルを、ジョゼットという機貴人がとっさに腕を掴んで止めた。


「だめ! だめよ、近づいたらテルちゃんもあなたも、傷つけられる!」

「な……」


 にゃあ、にゃあ、哀しげに猫達が鳴いた。

 アルを止めた女は満身創痍。手足は焼けただれ、皮の中のものが見えていた。

 銀色の、機械の骨とおびただしい線が。

 おそらく何度も試したのだろう。テル・シングから、あの紫の光を遠ざけようと、彼を助けようとしたのだろう。彼女の肩先でざざざざと、機霊の姿が見え隠れしている。ぼろぼろ泣いている黒髪の少女は、もはや実体を保っているのがきついようだ。時折煙のように形を乱している……

 

「だめなの……近づけない。融合してないのに、あの機霊石、力が底なしで……」

「ええ、あの石は自家発電するんです。あのおそろしい竜の石は……あの光を放つ石は……」

「竜の石?」


 涙を浮かべる女の腕越しに、アルは叫んだ。


「やめて! お願い落ち着いて! テルくんを放してあげて!」


 目を見開き、手を伸ばして。とても悲痛な声で。


「お願い……! ミミちゃん!!」


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