11話 解凍(ルノ)
「マレイスニール、見て。雪が降ってきたわ」
ベッドでふわふわの毛布をかぶる黄金の髪の少女が、にこやかに窓を指す。
視線を向ければその通りだった。
音もなく降る白いもの。窓の外はいてつく銀世界。
けれどこの病室はとても暖かい。セントラルヒーティングの白い板が壁一面に貼られていて、柔らかな
「はい、今日のお土産」
「なんてきれい……宝石?」
「と言いたいとこだけど合成石。でもリンリン歌う」
「あ、もしかしてこれが、いま大人気の音階石?」
「うん」
「わ……! 色ごとに音が違う。すごいわ!」
木枠に並んだ七色の小石がきらめく。次々耳に当て、しばし不思議な音色を聴いたアレイシアは、嬉しげにベッドのとなりの本棚にそれを並べてくれた。
週末だけでなく、暇さえあれば訪れるようになった部屋は白一色。本棚も白くてシンプルこの上ない。そこにはうさぎのぬいぐるみや絵本、それから
アレイシアは手術先の病院へ向かう途中船舶事故に遭い、自分のものをほとんど失ってしまった。無情にも、彼女の家族と一緒に。
だからこの棚をどんどん埋めてやりたいと、
「いよーっす」
病室の扉を勢いよく開いて、黒髪おかっぱ少女を抱いた僕の連れが入ってきた。
同僚なので休日も暇ができるときもほぼ一緒。そのため僕らはいつも二人で病院に来ている。
「アレイシア、これ読んでみて! すっごくきゅんきゅんするからっ」
「わ。恋愛小説?」
おかっぱの子は本を貸しにきたらしい。しかし恋愛もの? アレイシアより少し年下のこの子には、まだ絵本が似合いそうだけど。もうそんなのを読んでいるのか。
同僚の腕から降りたおかっぱ少女は、本棚に新しく増えたものに気がついた。
「これ音階石ね? マレイスニールがくれたんだ? あたしはアシュラからこれもらったよ。本物の宝石なの」
おかっぱの子が胸に下げているペンダントを指し示す。そこに在るのは、驚くほど大きくて透き通った赤紫の石。
「凄いでしょ?
きらきら目を輝かせていたおかっぱの子は、突然その場にうずくまった。見る間に蒼い顔になり、全身を痙攣させる。アレイシアが慌ててナースコールを押す。
「おかっぱ!!」
同僚が血相を変え、おかっぱ少女をサッと抱き上げた。たぶん入り口までそうして移動してきたんだろう。彼女は最近、体力ががたりと落ちている。病状が思わしくないのだ。
「アシュラ……ねえアシュラ……」
ガリガリに痩せた少女は弱々しく囁いて、同僚の胸に顔をうずめた。
「ありがと……ほんとにほんとの宝石くれるなんて……」
「それだけでいいのか? もっとほしいもの言えよ。でっかいダイヤがついてるネックレスとかイヤリングとか買ってやるぜ。それからふりっふりのドレスだろ、リボンだろ、ああ、靴も揃えないと」
「ドレ……ス?」
「そ。俺とマレイスニール、傭兵に転職したって言っただろ? 今流行りの機霊兵さ。実入りはいいし、うまいこと出世したら爵位も夢じゃねえ。貴族になったら毎晩、城で宴会開くつもりだよ。そしたら当然おまえは、俺の城に招待されるお姫さまになるってわけ」
おかっぱ少女が笑う。宴会じゃなくて舞踏会を開いてよと言いながら。
「うぬ? 宴会で間違ってないだろ?」
「でもアシュラがいうと、居酒屋さんでわいわい、呑みのみする会っぽいんだも……」
弱々しい声が途切れる。同僚が何度も少女を呼ぶ。だらりと垂れる細い腕。かくりと落ちたままになる黒髪の頭……
「おかっぱ! おかっぱ! ちくしょう! ――っ! ――っっ!!」
多分その時、少女の心臓は止まったのだと思う。だが同僚がとある名前を叫んだとたん、ひくりとその手が動いた。まるで電気ショックを流されたかのように。
「あ……しゅら?」
「ああ……よ、よかった。戻ってきた。よかった……よかっ……」
おかっぱの子はそれからすぐに集中治療室へ運び込まれた。容態が安定してベッドのそばに行けるようになるまで、同僚は廊下の椅子に座って彼女を失う恐怖に耐えていた。
「アシュラ、あの、さっき君がおかっぱちゃんに叫んだ名前って……」
「ああ、あの子の本名じゃねえ。俺がつけたんだ」
「君が?」
「俺いつも、あいつのままごとあそびの相手してるんだ。俺は王子で、あの子はお姫様ってのがお決まりの配役。でもミミって名前はお姫様らしくないってぶうぶういうから……しゃれててちょっと長たらしい名前をつけてやったんだ。それっぽいのをさ」
「ミミって、可愛い名前なのに」
「かわいいのは、だめらしい」
「え?」
同僚は頭を抱えて、ずっとうつむいていた。涙をこらえていたのかもしれない。
「あいつ、お姫様になるとつんとすまして、すんげえ大人っぽい口調で喋ったり、俺の世話やいたりしてくるんだ。すらっとしたキレイなモデル系の女ってのに憧れてるらしい。まさしくオトナのオンナって感じのな。だからかわいいって言うと、めっちゃ怒る」
「そ、そうなのか」
「大流行りの音階石を買ってやるって言ったら、おもちゃはいらないってわんわん泣かれた。だから本物の宝石を……あいつ、大人になりたいんだよ……」
「女の子の気持ちって僕にはよくわからないけど……本当に……大人になれるといいね」
「……してやるさ」
そのとき
「俺があいつを、最高のオンナにしてやる。絶対死なせねえ」
まさか同僚が本気でおかっぱの子を死なせまいと、禁断の方法を行使するなんて。
まさか僕自身もアレイシアを救うために、同僚と同じことをするなんて。
このときは、まだ。
「うっしゃ! 覚悟決めたら腹減ってきた。何か腹に入れよう! ちょうどそこに自販機あるし! ニール、おまえもなんか飲む?」
「う? いいよ僕は」
「いいから遠慮すんなって。おごってやるからさ」
にゅっと目の前に現れる茶色い缶。僕は苦笑いしながら同僚から缶を受け取った。
ああ、これすごく甘いやつだ。砂糖がたっぷりで。僕が好きなやつ――
喉元を何か過ぎていった。甘い何かが。
「ルノ! ルノしっかりして!」
う……
「ルノ!」
アレイシア……? アル……
「起きてルノ!」
口が甘い。何か流し込まれた? とろっとしたゼリーのようなもの。糧食パックか何かか?
体の中で糖分が燃焼変換されていくのが分かる。僕の動力になっていくのが。合成カリカリを食べたときと同じ感覚だ――
まぶたを開ければ、僕はアルの腕に抱かれていた。
あたりはほぼまっくら。ずらり並ぶ掛け軸には一面ひびが入り、ほんのり黄色い蛍光を放っている。が、それは分厚いまっ白なものに覆われている。
「氷……」
凍てついている。壁も柱も床も。その色に赤みはない。そうだと分かるものは近くにいるけれど、あの色は視えない。ついさきほどまで、鮮やかな色が視えていた気がするのに。虹色とか赤紫色とか……
「よかったわ、起きてくれて」
ああ、意識が猫の中に戻ったからか。
――「あのメガネ女ーっ!!」
肩に銀鎧の騎士を侍らせる赤毛女が、アホウドリの翼からぼうぼう熱波を出し、おのが身を暖めている。そばにある不気味な彫刻柱は、すっかり焼け焦げて無残な闇色。これはかつて僕が焼いたもの……
そうだ。僕らは勝利したのだ。この船のAIには。けれど――
機霊になった瞬間、僕の五感は全く別物になった。
01の螺旋に包まれたあの世界は、まるで異次元。思考波が見る間に数列の帯となり、奇跡の現象を生み出した。光の槍は不気味な彫刻柱を射抜き、AIを完全に黙らせたのだ。
その後、手加減しろとぼやきつつも赤毛女が柱をいじり、アナログ航行に切り替えてメガネ女の船を追跡。ほどなく追いついたどんぐり船は、その尖った体型を最大限に活かし、相手の船底にドリルのように深く食い込んだ。僕らは勝利を確信したのだが……。
「どれぐらい凍らされてたんだ?」
「それが……一週間ぐらい経ってるみたい」
「そんなに?!」
僕らは船外へ出られなかった。
先陣を切った赤毛女が外への扉を開いたとたん、白銀の凍結弾が投げ込まれたからだ。いきなり弾けたそれはシングの店でみたスポンジ爆弾のように一気に膨張。船内をみるみるジェル状の液体で埋めたと思いきや、あっという間に金属のように硬い合成氷塊と化した。
もともとエネルギー残存量が少なかった僕は、結界を維持しきれなかった。アルとともに氷に呑まれ、固められたのだ。
「ルノ、もっとごはん食べて。あなた一所懸命凍らないようがんばってたけど、エネルギーが尽きて
もしこれが凍結弾ではなく、他の爆弾だったら……
「すまないアル。君を守りきれなかった」
「ルノ、震えないで。大丈夫よ。私たちどこも怪我してないわ」
力尽きるなんて……情けない思いを噛みしめ糧食パックに顔を突っ込む僕の耳に、赤毛女のきんきん声が響く。
「溶かせども溶かせども降ってくる人造氷塊弾! 追いつかなくてあっぷっぷだったわよ。救難信号出してなきゃ、半永久的に固められたまま、永遠に衛星軌道上をぐるぐる回ってたわね」
「遅くなって悪かったねえ、お嬢」
赤毛女の隣に、未知の人がいる。青白い光体翼を出している機貴人だ。
「中和剤がなかなか調達できなくってさ。アクリル氷塊って救急救命用の瞬間凍結剤だろ? 中和剤べらぼうに高いんだよな」
「あ、あとでちゃんと支払うわ」
「おう、頼むぜ?」
ずいぶんと体格のいい女性だ。背が高く、肩幅は広く筋肉隆々。ぴちっとした黒スーツに筋肉の筋がしっかり浮き上がっている。顔は黒ヘルメットに隠されていてよくわからない。
「この人は……」
「あたしが所属してる傭兵部隊の隊長よ。ミッくんが出した救難信号を受信して助けに来てくれて、中和剤と酸素を流し込んでくれたの」
「うっす! エンマだ。銀色の相棒はカテリーナってんだ。よろしくな」
名前と肌の色からすると、ラテニアあたりの出身か。機霊は
『お嬢様、猫様、はじめまして。カテリーナ・スフォルツァと申します』
身なりにふさわしく、実に上品で礼儀正しい。貴族式の一歩足を引いた挨拶を、僕は久々に目にした。
『リアルロッテ様とそのご友人方をお救いできて大変光栄でございます。ミケル様もご無事で何より――』
『ろ、ロッテ、疲れた! 私は少し箱の中で休む!』
「え、ちょっとミッくん!?」
赤毛女の機霊があわてて箱の中へ戻る。エネルギーはまだ残っているようだが、なぜ突然?
貴婦人機霊がムッとした顔で機霊箱を睨む。まさか仲が悪いんだろうか。
ともあれ僕らは船ごと、大きな貨物船に格納された。どんぐり船だけではない。串刺しにした船もそのまま一緒にだ。
「船を爆破処理されなくてよかったねえ」
エンマ隊長はほくほく顔だった。メガネ女は刺された船を放棄し、脱出ポッドで逃げ出したらしい。船をそのまま衛星軌道上に残していったのだが、それは実に運が良いことだったようだ。僕らにとっても彼女にとっても。
「この人造氷塊はちっとやそっとの爆発じゃ砕けない。もし爆破されてたら、あんたたちは氷ごと宇宙を漂流する羽目になってたね。船を丸々手に入れられるなんて、ほんと幸運だよ」
曰く、手に入れた二隻分の船は解体して売り払うという。
しかし煌帝国軍の部隊長が僕らを救出するなんて、大丈夫なのだろうか。メガネ女は――あの女が所属している機関は、たちまちこのことを察知するのではなかろうか?
「ははは! 心配いらないよ、猫ちゃん。難しい顔するなって」
大柄な女隊長は僕の懸念をからから笑い飛ばした。
「第一に、うちの部隊は本日非番だ。一個人が休日にどこで何しようが自由。犯罪を犯さない限り、上から咎められることはない。
第二に、あんたらがぶっ刺した放棄船は、照会したら外国籍で、何ヶ月も前に廃棄処分されたことになっている。つまりこの世には存在しない。だからうちらが船をどうしようが、それは夢の中の出来事さ」
『とはいえマエストロ、煌帝国の機密部は女帝陛下直属の粛清部隊。どの部署のどの官にとっても脅威にして敵です。ご油断なされませんよう』
「わかってるよカテリーナ。鼻つまみの機密部に狙われるようなヘマはヤんないって」
自信満々のエンマ隊長に先導されて船倉に出てみれば。
「やだ隊長、みんな勢揃いじゃない!」
「休日にのんびり
『マエストロ! 船が挙動不審です』
「おや?」
直後。実に派手な僕らの歓迎会が開かれた。
「船が!」「回転し始めた?!」
あろうことかどんぐり船がぎゅるぎゅる回転しはじめ、放棄船から勝手に離脱。仮死状態だったものが突然息を吹き返したかのような動きをした。まさかAIが生きていたのかと仰天する僕らの目の前で、どんぐり船が貨物船の床に食い込もうとする。
そのとき。
「展開!!」
エンマ隊長が機貴人たちに号令をかけた。
刹那、タラップから一斉に銀のきらめきが飛び立った。白銀の軌跡が縦横無尽に船倉を飛び交う。上下に。前後に。斜めに――
それは無軌道なようでいて、実はきっちり計算され尽くした舞だった。
気づけば赤毛女も、その目にも留まらぬ速さの輪舞に混じっていた。
『ほうほう。この羽蟲たちはなんですかの』
シングのAIは生きていた。いや、おそらくバックアップかなにかで蘇生したのだろう。
しぶとく脱出をはかろうとするも、舞い飛ぶ機貴人たちは奴を逃さなかった。
『ほう? やめなされ。熱弾を放射しますぞ。やめなされ。やめ――』
縦に。横に。斜めに。銀色の軌跡がきらめくたび、どんぐり船は切り刻まれていった。
少しずつ。少しずつ。じわじわと、金属の装甲が剥かれていく。
AIの警告が次第に悲鳴めいたものになる。穴から放たれる砲弾も、光弾も、ことごとく銀の軌跡が放つ泡のような結界に封じ込まれた。
『やめ――!』
そうして、あの焦げた柱があらわになったときには。
「ルノ! あたしたちも!」
僕もその軌跡のひと筋となっていた。
黄金の少女の翼に――。
『今度こそ消えろ!!』
眼前で躍る01の螺旋。ぴきぴきちりちり、他の機霊たちが通信しあっているのが音と光で分かる。アルの隣に五体の機貴人が整然と並ぶ。
アルの肩に顕現した僕が柱にむけて光の槍を放つと、機貴人たちも雨あられと光弾を注いだ。
青白い結界の中、焦げた柱が木っ端微塵に砕け散る……。
『ひぐああああああああ!!』
『これでやったか?!』
断末魔を聞きながら、僕はくらりとする視界をなんとか維持した。
エネルギーがげっそり減っている。また機能停止しそうだ。歯を食いしばって持ちこたえていると、ひゅーうと陽気な口笛が聞こえた。
「猫ちゃん、ずいぶんとイケメンなんだねえ! 銀髪少年だなんてびっくりだ」
近づいてきたのはエンマ隊長。彼女は僕を背負うアルの肩をばしりと叩いた。
「しっかしもうエネルギー切れかい? スタミナがないってわけじゃないな。あんた、力を加減してないね?」
『う? 加減?』
「エネルギー配分にもっと気を配りな、猫ちゃん。もしあんたが融合型機霊だったら、金髪のお嬢ちゃんはさっきの一撃で、あんたに生命力を吸い尽くされて死んでるぜ?」
『!!』
「それと。あんたが機能停止したら結界が消えるのは分かってるね? だからエネルギーはなるたけ温存すること。わかったかい?」
エンマ隊長はたちまちうろたえる僕を――アルの背にひっついている白猫の尻をばしりとひっぱたいた。
『ひっ!』
「はははは! 辛気臭い顔すんなって! 今度から気をつけりゃいいんだからさ。
お嬢ちゃんも猫くんも、極東第三傭兵隊へようこそだぜ!」
こうして僕とアルは、赤毛女が所属する部隊に迎えられたのだった。
煌帝国軍から不死身隊と呼ばれている、無敵の機貴人たちがいるところに。
彼らがそれほどまでに怖ろしい者たちだということを、僕はまったく気づけなかった。
このときはまだ。
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