8話 顕現 (ルノ)
船のAIを「シング」と呼ぶ気にはなれなかった。
シングの記憶を引き継いだと言う割には、彼とは全く違う雰囲気をかもしているからだ。本体を軽んじていることもさることながら、こいつは僕らのことを信用していなさそうにみえる。
『ほうほう、ご安心くだされ。本船は完全にステルスしておりますぞ。いずこの島都市のものにも、存在を把握されることはありますまい』
AIはまたぞろ、強制的に僕らを移動させた。床に穴が開くという乱暴な方法で。
とっさに僕入りのカバンをかかえたアルは鮮やかに受け身をとり、ころころ床を回転して事なきを得た。体術のチップのおかげだろう。しかし赤毛女は、同じところには落とされなかった。
「離れ離れにさせられた!」
「ルノ、ここにも掛け軸が」
黄金の髪を揺らし、アルが狭い船室を見渡す。さきほどの柱の間のように壁には一面掛け軸がかかっており、かの国の情緒たっぷりだ。描かれている絵はみな、異様な容貌の動物ばかり。人間の体に馬の頭がついていたり、人魚だったり、骸骨だったり……。
「不気味な絵ね」
眉をひそめるアルのカバンから、僕はそろりと這い出た。ようやく四肢の運動機能が戻ったからには、震えるアルを守ねば。かわいそうに、お化け屋敷のような部屋に入れられて震えてい――
「でもきれいな色合いだわ」
「え? こわくないのか?」
「おそろしい様相の妖怪たちだけど、見るのもこわいって感じじゃないわよ?」
「そ、そうか。大丈夫なの、か」
「あら、ルノ震えてる?」
「い、いや? 僕もこわくないぞ?」
そうとも。これしきのおばけの絵ぐらい、どうってことはない。絵柄がかなりリアルで気持ち悪いが、み、見ないようにすれば……
「大丈夫? 震えてるわよ? かわいそうに」
「いや、ほんとうに大丈夫だっ」
アルが抱き上げようとしてくるのを、僕はかわした。違う、違うと頭を振る。僕は守られるのではなく、守りたいのだと内心叫びながら。
大事な人を守れずしてその伴侶を名乗ることなど、できないではないか。
「あらルノ、ここで翼を広げるの?」
「ああ、きっと鍵がかかっている。だから扉を破る」
「うそ、私たち閉じ込められてるの?」
「船のAIは始めから僕達の行動を制限している。あいつはおそらく、僕らを支配したがっているんだ」
「そんな。おじいちゃんと同じ姿をしているのに」
扉はひとつでそこに取っ手はなく、僕の見込み通り、ぎっちりロックされていた。もし僕が扉をこわしたら、あのAIは僕を敵とみなすかもしれないが。この力関係は嫌だ。機械に自由を奪われるなんて――
展開した僕の翼の骨格部分には、最近テルがつけてくれた蓄電石が一対ついている。エルドラシアの親衛隊が翼につけているものと同じ、高エネルギーの結晶だ。幸い充電は満タン。合成カリカリと同じく僕の稼働力に変換できるが、この石自体から、光弾をニ十発ほど放てる。
「跳ね返るかもしれない。アル、僕の後ろでしゃがんでいてくれ」
ちりちり石を点滅させ、発射を秒読みする。
「3,2,1……」
蒼い石が放電し、光弾がふた筋飛び出る直前に。
――『ほうほう、食事でもいかがですかな』
扉が横にスライドして開いた。光の筋が鉄柵の向こうに見える青空に向かって飛んでいく。
「なっ……かわされた?! それにこの部屋……!」
『ほうほう、食堂はその扉を出て左、三つめの扉ですぞ。開けておきますので、どうぞお入りくだされ』
「閉じ込めるつもりはないみたいよ?」
アルがおそるおそる外に出ようとするのを、僕は翼で制して止めた。
目の前に見えるのは青空。出入り口が船の外壁についているなんてあぶなっかしい。案の定、通路は鉄の細いタラップで透け透け。白い雲海が眼下に見える。
タラップが頑丈で折れたりしないか確かめてから、僕はアルを呼んで進んだ。はじめ見た砲塔バーガーのどのあたりに、このタラップがあるのか。見上げれば――
「?! 砲塔が……ない?」
たしかに見えていた巨大要塞の長い砲塔がひとつもない。屋根とてすかすかのタラップから見える船のてっぺんは、どんぐりのように尖ってすぼまっている。
下を見ても、船はあの砲塔バーガーではなく同じくどんぐりのよう。両端が尖った筒に細いタラップがひと回りついている。この船は、そんな異様ですっきりした形をしているようだ。
「どういうことだ? 巨大な要塞はいったいどこに……」
念のため翼を畳まずに三つ目の扉――すっかり開いている出入り口から中に入れば。
「軍用の合成食しかないのねぇ」
彫刻びっしりの椅子と卓がたくさん置かれた部屋で、機霊箱を背負った赤毛女が携帯食品のパックをつついていた。
「おい、砲塔がなくなっている。この小さなどんぐりは、要塞から射出されでもしたのか?」
「いーえ、違うようよ。あたしもびっくりしたけど、あれは幻影だったみたい」
驚く僕らに赤毛女は肩をすくめた。
「あの要塞の規模にしちゃ、割れた地表の穴も、地中からの浮上音もなんだか小さいと思ったのよね。タラップから見たらこのどんぐりだし。それでこれを飛ばしてみたわよ」
赤毛女が
「東戦区? カメラなのか?」
「そ。あたしの雇い主から支給された偵察機。ちっちゃな球形の索敵カメラよぉ。衛星経由で端末に画像を送ってくれるのよね」
テル・シングが喜びそうなガジェットだが、残念ながらあいつは今ここにはいない。
「見て。この要塞が浮上した地点よ。穴がひどく小さいでしょ? まるで細いドリルで開けたみたいに」
たしかに。穴の大きさを比較できるものが一緒に映っている。落下物を探りに来た発掘屋たちだ。穴の全景を映すカメラ画面に、彼らはかなり大きく映っている。つまり穴はひどく小さい。十数人いれば、ぐるりと囲めそうな規模だ。
「ちょうどこのどんぐり船ぐらいの大きさなのね」
「そうなのよアルちゃん。おそらく先の尖ってるこのどんぐりで地中を掘削して移動して、浮上したんでしょうね」
「なぜバンコの幻をまとったんだ?」
巨躯を誇示してあたしたちを威圧したんでしょうよと、赤毛女はしかめっつらでトレイの中のどろりとしたものにぱくついた。
「まあ、低コストのバリアでもあるわね。あんな巨船のホログラムをまとってたら、中心を射抜かない限り船の砲弾も機霊弾もスカるでしょうよ。映像にバンコを選んだのは……なにやら意味ありげだけど」
赤毛女は端末にとある板を呼び出して僕らに見せた。
「あたしの鬼上官、口やかましいのよ。こういう一般民が見られるサイトも逐次見て、我が国の一般教養を学べって。その都度ミッくんに聞けば瞬時にわかるのにぃ」
「ということは、
「これを見るかぎりはそうみたいね」
盤古の説明文には、七十年前に反乱軍鎮圧の戦に参戦、反乱軍を駆逐するも艦は焼け堕ちたとある。その続きの文言を見てアルが声をあげた。
「『この戦にて、時の皇太子フイシュン殿下は盤古とともに華々しい戦死を遂げられた』? 見せられた幻像作品の通りだわ。でもこの船のおじいちゃんは、陰謀で爆破されたって……!」
「かの国は幻像を作っただけでなく、本当に事実を捻じ曲げたのか? AIは、シングが皇太子の御子を永らく隠し守っていたと言っていたが。その御子というのは……」
メガネ女が老君と呼んだシングが、もし本当に前皇帝その人ならば。陰謀で船を爆破されて亡くなった皇太子は、シングの息子。かくまわれたその御子は、シングの孫に他ならない……
「御子とは、テル・シングのことなのか? でもあいつはまだ十代だ」
「わからないけど、冬眠させていたとか?」
「そうかもね。テルをさらった連中は、七十年前に御子と一緒に雲隠れした前皇帝をずっと探してたってことかしらねぇ。でも船の爆破陰謀事件の首謀者って――」
「かつて皇子たちを殺したという噂の……」
「じ、女帝陛下?」
「きっとそうよねぇ。夫と孫を探しだせって命令も出してそう……って何よあんた、その視線は」
赤毛女が慌てる。僕が一瞬疑いの目を向けたからだ。シングの携帯は煌帝国風の料理店で発見されたし、テル・シングをさらったのは大笠をかぶった者たちだ。その風貌はまさしく、かの国の装束である。
あたしは全然シングさんの正体に気づかなかったわよ、メガネの巨乳女とはろくに話したことなんかないしと、赤毛女は関与を全力で否定した。
「ロッテさんはたよりになる人よ」
アルが苦笑し、棚に置いてある携帯食を手にとる。僕は待てと制止して、そのパックに牙をたてて穴を開け、臭気を検査した。
「よし、大丈夫みたいだ」
「うわ、ルノったら毒見?」
「この船は信用できないからな。混入物がないか調べるにこしたことは……」
――『食事は済みましたかな』
僕の言葉を呑むように船の声が降ってくる。見えないことなどないと言いたげに。
『本体の信号の発信元に近づきましたぞ。本船はさらに上昇しますので、生身の体をおもちの方は念のため、結界を展開するか防護スーツを着用してくだされ』
どんぐりは高速で大気圏を上昇したようだ。赤毛女が銀騎士を出して結界を展開する。僕もアルの肩につかまって同じく、白い竜翼から結界を出した。青白い結界光が僕らをふんわり包む。
「ふふ、ルノったら私の機霊みたい」
そうだよアル。僕は君の守護者だ。何ぴとからも絶対に守ってみせる。
『本体は一時間前から頭上の衛星に留まっております。衛星システムにアクセスしましたぞ。先方から返信がきましたので、どうぞ柱の間へお越しくだされ』
外側のタラップへ通じる扉ではなく、逆方向にある扉が開かれた。どんぐりの内部に通じている通路だ。階段を昇るとすぐに、あの不気味な彫刻柱の間に出た。花の掛け軸のひと巻の字が点滅するなり。
『あら、ジャンク店のバイトさんとお得意さんね』
メガネの黒髪女が立体幻像になって現れる。
『びっくりしたわ。そっちにおじいちゃんが乗ってるんですもの。正体に気づくのに数秒かかったわよ』
「シングを返せ!」
『それはできないわ。老君さまには、
ユーシェン? なんだそれは。
『巨神開発に協力すれば、陛下は老君さまやテルくんの命をとらないと仰っているの。ふふ、心配はいらないわ。テルくんは女帝陛下が大事に帝宮で面倒を見てるから』
つまりテルを人質にシングを脅しているのか。
しかしメガネ女の格好が、こころなしか下着姿に見えるのは気のせいか? 刺したくせにと突っ込めば、抵抗されたからだ、急所は外したところころ笑ってくる。妖めかしく唇を舐めて、女は黒い髪をかきあげた。
『そういうわけで今、老君さまにご奉仕して、説得してるところなの。だから邪魔しないでちょうだいって、そっちの老君さまに言ったわ。取引しましょうって』
取引だと?! たじろぐ僕らを見下ろすメガネ女は、唇にひとさし指を当てた。
『本体とテルくんの救出を諦めれば。
何を言い出すんだ、こいつは。
『だってそっちの老君さまが、ご自分こそ本物だと主張してきたんですもの?』
掛け軸のひと巻が光る。呆然とする僕らの前に、シングの姿をしたAIが現れた。
――『ほうほう、お聞きの通りじゃ。わしは取引を受け入れましたぞ。もと本体は命の危機はなさそうじゃし、それでよろしかろう?』
「よ、よろしくないですっ」
「なにを上機嫌に、とち狂った事を言ってるんだ!」
「あー、こりゃだめだわ。ぼけてるわね」
『ほうほう。下降してドックへ戻りますぞ。ではみなさんは、また船室に――』
長年眠っていたせいでいかれているのか?
「ふざけるな! たかがAIのくせに!」
僕は翼をはばたかせ、落とし穴を避けた。隣の赤毛女もでかい翼を半開きにして浮き、穴を避ける。食堂から来た扉は閉じられ掛け軸で覆われているが、場所はちゃんと確認していた。
あそこだ――
「
跳ね返るのを懸念したが、扉は僕の光弾で破壊された。
『ほうほう。大人しくしてくれないと困りますなぁ』
びしゃびしゃと、目指す通路に妨害装置が出された気配がする。赤毛女が任せてと、通路を一掃しに飛んでいく。
『うふ。せいぜいがんばって? じゃあね、老・君・さ・ま』
メガネ女の幻像が、出てきた掛け軸の文字の中に吸い込まれて消えた。シングの姿の幻像もだ。
「うは! なによこれ、ジェル? とりもち?!」
見れば通路は一面どろどろだ。銀騎士が火炎放射をかましたが、まったく焼けない。熱吸収にすぐれた断衝ジェルのようだ。赤毛女が四苦八苦している間に、通路にいくつもの扉が降りていく……
すべてを操作しているのは、中央の柱か。僕の目には黄金色に見える、不気味な螺旋の彫刻柱。
「ファイエル!」
アルを包む結界の強度を上げつつ、柱にむかって光弾を放つ。さすがにここは跳ね返った。掛け軸の文字が光る。結界を展開したようで、何十回も弾を跳ね返しながら輝く閃光を分解していく。途中、僕らの結界にも二、三回当たった。
「ルノ、もう無理だわ! 下手に攻撃したら――」
掛け軸の模様が変わった。可憐な花から船室で見たあの妖怪どもの絵に。本物の絵ではなくて、映像だったのかと気づいた瞬間、そこからぼんぼん……
「く、くそ! 妖怪が出てきた?!」
怖すぎるがこれは幻影……と侮っていられなかった。妖怪どもが一斉にうねる光の玉を吐き出してくる。がきりと、結界が鈍い音をたてた。
「
柱の間は円形だ。逃げ場は無きに等しい。三体を即座に光弾で吹き飛ばしたが焼け石に水。妖怪どもが吐き出してくる玉の数といったら……
「うそ、結界の出力をあげないと! でもそうしたら光弾を打つエネルギーが……」
『ほうほう、降参してくれませんかな? あなた方も、わしを本物のタン・シングと認めてくだされ』
「認めるものか! おまえの魂は……本物じゃないんだろ?!」
『いいや、本物じゃよ。わしの
「黙れ!」
船のたわごとを僕は遮った。
「人を支配しようとするおまえが、あのシングのはずがない!」
叫んだとたん哄笑が返ってきた。おかしげな。憐れむような。乾いた笑いが。
『ほほう。ほほう。人にはだれしも二面性があるものじゃ。善と悪、どちらか一色であることなどありえぬ。しかも本体はわしと違って、ずっと起きておったからのう。もととは少々違うものになってしまったのじゃろう。しかしわしとて、真実本物じゃよ。体が有機体ではないから、その魂とてまがいものだという暴論はよしてくれ。君の魂は本物だろう? 機械猫のルノくん』
船が笑う。にせものなどではない。わしが発明した吸魂石は、まこと生けるものから魂を抽出し、内包できる。そう言って笑う――
「黙れ! おまえはシングじゃない!」
僕はそれでも否定した。
こいつの言い分が正しいのなら、僕が知るシングは、長の年月の間に分かれたときとは違うものになったということか。その蓄積情報を受け取っても、こいつには、他人の事象としか受け取れなくなるぐらいに。これはなんと表現すればいいのだ? 成長? 変容? わからない。だが。
「僕はおまえが好きじゃない! 僕の知るシングならば、僕が好むあのシングならば、」
救わねば。
「僕のことは、タマくんと呼ぶはずだ!!」
もととは別のものになったというなら、なおさら。その変容こそ、僕が魅入られたものなのだから。
しかしもう蓄電石には頼れない。少々不安だが、あれを試すしかなさそうだ。
「アル! 顕現モードに入る! 反動に気をつけろ!」
テル・シングと一緒に赴いた海底遺跡調査の折、あいつは透明な機霊石を報酬としてもらった。その石は今。僕の頭部に、埋まっている――
『ほうほう。石を入れただけで、まだ一度も起動させておらぬものじゃな?』
「そうだ。僕もシングから情報を受け取ったおまえも、どうなるか予測不能のものだ!
コマンドを叫ぶと同時に。僕の翼は光を帯びた。
ずきりと頭に痛みが走るも、耐える。みるみる機霊光が放電し、僕の目を焼く。
ばちりと意識が飛び、一瞬暗闇の中に放り出された。
瞬間見えたのは暗闇の中に0と1が羅列している世界。その空間を漂い、手足の感覚が消えてただ意識のみになったとき――フッと視界が戻った。
アルの肩から見える視界ではない。それよりも少し上。彼女の肩の上に、僕は浮遊していた。
「ああ……!」
きらめくましろの光の中。
無事、01が織りなす幻像情報に変換されたらしい僕を、翼ある白猫を背負うアルが見上げているのが見えた。猫はアルの首にしっかり巻き付いているが、くたりと目を閉じている。
アルの菫の瞳がうるんでいる。彼女は震える両手で口を押さえ、そして、感極まったように囁いた。
「アムル……!」
幻影をにやりとさせるにはどうしたらいいんだろう。ああ、考えるだけでいいようだ。
意思の力がみるみる、01の羅列を生む。と同時に、幻影の「僕」が柱に向かって腕を伸ばす。
白い腕が見えた。猫の手ではない、人間の手が。
さあ、この先に何を出そうか?
『いでよ!』
01の帯が幾重も見えて、幻影の手の先に光が凝縮し始める。光がみるみる形を成す。どこかで見たことのある、神々しい槍の形に。
『ほうほう、ついに機霊に成り下がったか。エルドラシアの
『黙れ。我が恩人を救うためならば。我が伴侶を守るためならば。僕は、なんにでもなる!』
白い腕を大きく振りかぶり。僕は思い切り、輝く槍を投げ放った。
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