6話 ジョゼットさん (テル)

『テルちゃん。テルちゃん』


 あれ? 俺どうしたんだろ。なんだか頭がくらくらしてる……

 

『テルちゃん、大丈夫?』


 優しい声が俺の耳をくすぐってくる。

 うわ? このやわらかい弾力。ほんのり甘い匂い。この感触はまちがいない、あの丸くて大きな二つのふくらみの……ってことは。ふんわり俺をくるんできたのは――


『め、メイ姉さん?!』


 夢、かな? でもなんて心地よさだろう。この弾力すごい。ふわふわしてるのに、コシがあってほどよい反発力。


『う、うわあ。天国っす! メイ姉さん、さすがっす!』


 頭良くて美人で、親切。流れる黒髪。ぶあついメガネ。メガネをとれば超美人っていうのは公然の秘密。メイ姉さんは、俺につきっきりで九九教えてくれたっけ。

 校庭なんかない、狭いジャンクビルの一室。そこが俺の「学校」だった。

 生徒は、ショージみたいなまっとうな会社の御曹司はめずらしくって、大多数は貧乏工員の子。

 マジメに勉強するのはダサいっていう風潮があったけど、メイ姉さんが優しく教えてくれるから、学校ギライってのにはなんなかった。思えば姉さんに会いたいがために、通ってたかも。

 俺やショージだけじゃない。男女関係なく、クラスのみんながメイ先生のことを慕ってた。

 だれかが休めばすごく心配する。テストで撃沈しても成績悪くても、ぜったい怒らない。

 お母さんって、きっとこんな感じだろうなって。いつも思ってた――


『テルちゃん、大丈夫?』


 おふ! なんだこのぎゅむう感。ダメだ意識が昇天しそう。

 しかしなんで急に、こんな至福の夢が襲ってきたんだ? 

 俺を抱きしめてくる人の顔をまじっと見上げれば。思い描いた長い黒髪が目に入ってく――


『あれっ?! メイ姉さんじゃ……ない??』


 顔が違う。メガネをかけてない。あ! この人は……

 いやでもこの弾力は、俺の夢では毎度おなじみのもんだ。メイ姉さんの巨大な胸の柔らかさや反発力を、目測でざっくりてきとーに計算したからこその、再現感触のはず。なのに…… 

 はっ! もしかしてこの人、メイ姉さんと胸のサイズが同……


――「テルちゃん、大丈夫ですか?!」  


 とっても律儀そうな声に呼ばれて、俺は奇妙な夢から現実へと舞い戻った。とたん、反射的に悲鳴をあげてしまった。

 

「ゆ、夢じゃない!?」


 本当に、黒髪の美女に抱きしめられてた。いつものざっくりてきとーな目測数値で、ふわふわむぎゅうを妄想してたんじゃなくて。本当にむぎゅうされてた! 

 いい匂いだし、お姫さまみたいなふわふわ透け透けの格好だし。ほんと天女さまって感じだし。ああ、気が遠くな……いや! しっかりしろ俺!


「うわああごめん! ごめんなさい!」


 なぜかあやまって、えもいわれぬ弾力にくるまれた体をよじって、あわてて天国から脱出すると。黒髪の美女は、部屋のすみに後退する俺の頭を名残惜しげに撫でてきた。

 

「いきなり卓に突っ伏しましたので、テルちゃんはお倒れになったのかと」

「いや、だいじょぶ。だいじょうぶっす!」


 ジョゼット・タルボンヌさん(年齢不詳・黒髪美人)は俺をちゃんづけで呼んでくる。

 俺はファンフイじゃなくてテルだ、「殿下」とも「ご主人様」とも呼ばないでくれと頼んだら、こうなった。

 彼女は脳みそだけ生身で、あとは全身金属製の骨格を持つ人工体の持ち主。生体的なもろもろの処理や代謝は必要ないため、内蔵器官はほとんどはめ込まれていない。運動機能を最優先させるべく、その体はほぼほぼ、金属製のシナプスと筋肉の塊のはず。

 なのに人工脂肪と人工肌の弾力は、なんだか異常に心地よかった……。


「にゃあ」「にゃあ」

「テルちゃん、猫さんたちに餌をあげてよろしいですか?」

「あ、はい、お願いしますっ」

「ペット用キャリーバッグ、届きましたよ。たしかにこの宮殿は広いですからね。ねこちゃんを庭園に連れていきたいテルちゃんのお気持ち、お察しいたします」

「ありがと! そこらへんにおいといて」


 ジョゼットさんがキャリーバッグを床に置くと、二匹の箱入り猫が彼女にまとわりついた。

 もと死刑囚の彼女は、ダミーロボットにされる前の記憶がまったくない。だからファング帝国生まれじゃなさげな名前は、本名かどうかはなはだ怪しい。


「しっかし、二十四時間勤務って大変すよねえ?」

「いえ全然。テルちゃんのお世話をさせていただけて、とても光栄ですわ」


 うわ、笑顔がまぶしい。なにこれくらっとくる……

 ジョゼットさんは俺のそばから離れない。上から命令されたからといって、ずっと俺の部屋に住んでいる。

 彼女が来て以来、黒鴉たちは俺の後ろから消えた。いなくなったわけじゃなく、ちょっと距離をとるようになっただけ。隣の部屋にいつも常駐してて、部屋を移動すればやっぱりついてくる。

 ジョゼットさんはさらにその上をいく。トイレについてくるどころか、寝ようとしたらニコニコ顔で俺の寝台に入ってきたんで、めっちゃびびった。

 それ以来俺は長椅子に退避して、彼女に寝台を使ってもらってるけど、彼女の休眠時間はすごく短い。十五分で全回復して、俺のそばに侍ってくる。

 じつのところ、彼女は監視役だ。絶えずきゅるんきゅるんと、目玉や耳の部分から電波発信の音を鳴らしてる。見た映像や聴いた音声を絶えずどこかに送っているのだ。

 

「やべえ。こええ。ちょっと油断したら天国が襲ってくるとか」

「テルちゃん、猫砂ケースお掃除しますね」

「あ、はい、お願いしますっ」


 露骨に専属監視役とはいえ、ジョゼットさんは悪気なさげでいい人そうなオーラをかもしてる。胸はってなんでもしますと言ってくれたし、実際に巨神ユーシェン工廠ドックまで俺を抱えて飛んでってくれた。

 でも二度目の挑戦は、あえなく空振りに終わった。

 すでに巨神ユーシェン工廠ドックから出されて。別の島都市に移されてた――。


『申し訳ございません、殿下。これから弐号機は数ヶ月ほど模擬戦を行い、調整を行いますので』


 からっぽの作業場の前で、技師たちから説明された俺は呆然。

 骸骨みたいな巨神に装甲をつけて組み立ててる真っ最中だったのが、今や完全にオーバーホール状態ってことは、おそらく一週間はゆうに経ってる。その間の俺の記憶は、忘却のかなた。いまだ回復してない。

 プジは十中八九、すでに巨神の頭脳にされちまってる。俺はなんとかしてこの宮殿からぬけだして、巨神が移されたところに行かないといけないって状況だ。


「テルちゃん、床一面すごいですね。いろんなものがばらばら」

「うん。ばらすの好きだから」

「でも、少しお休みになられては?」

「いや、平気だよ。それより猫がいたずらしないように見ててくれると、ありがたいかも」

「はい、お任せください!」


 猫と戯れる美女。思わずみとれる光景から目を引き剥がし、俺はハンダをじゅうっとちいさな金属板に押し当てた。

 この数日、俺は自分の部屋で必死にちまちま工作してる。

 床に散らばってるのは、金属の背負い箱の残骸。なんとあのミッくんと同じ、アホウドリサイズの分離型機霊の、なれのはてだ。外装の箱はところどころ焼けててどろどろ。部品はレトロなものばっかり。


『殿下、これぞ我が帝国の太子機〈東華帝君〉にございます。どうぞお受け取りください』


 そう、俺は今、この機霊をこつこつ修理してる。三日前、大広間で開かれたなんともたいそうですげえ儀式とともに、俺の腕に押し付けられたものを――。





 ここから逃げ出したい俺に機霊を渡すなんて、なんて太っ腹! とは思わなかった。

 案の定、こいつは古すぎてただの置物と化してた。機霊石は色を失って死亡状態。自家発電装置も充電機能もすっかりいかれちまってる。つまりただの権威の象徴ってだけの代物だった。

 でもかつては本当に、翼を出して空を飛んでたものだ。ならば蘇る可能性はゼロじゃない。


『端末が欲しい!』


 俺が機霊の修理のためにまず手に入れたのは、島都市の人のみならず、大陸の下界人の大多数が持ってる便利ツール。

 さっそく黒鴉たちがすぐに携帯端末を箱に入れて捧げもってきてくれたが、予測したとおり、がっつり機能限定版。メールは黒鴉たちにしか送れないし、ほとんどの板は閲覧不可能。なのにゲームは三百タイトル入ってたし、幻像も楽曲も電子書籍も盛り沢山。子供だましもいいところ。


「なつかしの幻像いっぱいで、まあ嬉しいけどさぁ」


 その端末は俺の手ですっかり分解されて、機霊の部品と一緒に床に散らばってる。

 あとかたもない端末で閲覧できた数少ない板は、全部子供向けの教育プログラムばっかりだった。

 俺は目を皿のようにしてそれを眺め、「たのしいかがく」板で紹介されてたラジオ工作キットが欲しいとねだった。

 他にも、板で紹介されてる学校教材ってやつをかたっぱしからくれと頼んだ。

 家庭科用裁縫セットとか。原始計算機セットそろばんとか。算数セットとか。虫眼鏡やピンセットが入ってる昆虫採集セットとか。それから見るだけでわくわくする、各種の科学実験セット。ラジオ工作キットを組み立てるには道具がいるってことで、ハンダやら研磨棒やらやすりやらの工具類もリクエストした。

 キットや教材は俺の狙い通り、子供のオモチャだとみなされた。だからほどなくすんなり、黒鴉たちが俺が頼んだものを箱に山積みにして持ってきてくれた。物が揃ったところで携帯端末をばらしたら、ジョゼットさんが気を回してもう一台、新しいのを頼んでくれて大助かり。

 

「あら、それも分解しちゃうんですか? テルちゃんは面白い遊びをなさるんですね」

「あと十台ぐらい欲しいなぁ」

「了解ですわ!」


 ジョゼットさんは、俺が暇つぶしに遊んでるとしか思ってなさげ。

 彼女の目を通して見てるえらいやつらにも、そう思わせないといけない。だから床はできるだけ、ぐちゃらぐちゃらにした。

 

「太子機をばらばらにって、やばいかなと思ったけど。稼働しないもんだからいいっすよね?」

「上からは何の指示もありませんわ。テルちゃんのお好きになさって、よいのだと思います」


 ありがたいありがたい。

 基盤やソケットや真空管やチューブ。針だのプラスチック磁石だの。おかげで加工材料を豊富にとりそろえられた。

 科学実験セットを大人買いしてもらったおかげで、化学溶液やら電解結晶やら火薬やらも、そこそこゲットできてる。一セットの量は微々たるものだけど、ちりも積もればなんとやらだ。機霊の修理だけでなく、他のもんもいろいろ作れそう。


「それにしても、ほんとにばらばら」

「そうだね。あーむりむり、もうもとに戻せないよなあ、これ」


 とか大声でうそぶきつつ、俺は必死こいて機霊を直した。この機霊はロッテさんのミッくんと構造がほぼ同じ。機霊核は錆びた箱の中に差し渡されてる「胸骨」に嵌まってる。

 機霊核はでかくて透明な宝石層でコーティングされてるが、裏側は薄いTPUが貼られてるだけ。よく見れば、ブツブツ焼けきれたような穴があった。


(熱ショック……こわれちまったのは焼かれたせい?)


 機霊箱は耐熱性があるはずだけど、それでも熱でちょっと焼けてるってことは相当のダメージだ。

 かつてこいつを背負ってた大昔の皇太子がどうなっちまったか、想像にかたくない。

 

(真っ黒にローストされたんだろうなぁ……)

 

 翼を広げて飛ぶ。結界を張る。この機能だけでも、復活させられれば。そう思いながら機霊核に「かんでんちをつくろうセット」でつくったアナログ電池のエネルギーを通電させてみたら。

 反応あり――

 核が点滅してるってことは、起動はしてる。

 俄然俺は奮い立ち、音声の入出力とコンバータ、小型スピーカーを部品換装で直して、内蔵部に埋め込みなおした。そして機霊核を胸骨に戻し、昼寝するとジョゼットさんにいって毛布をひっかぶった。その中でもぞもぞ、胸骨にアナログ乾電池十個をつなげてまたもや通電。

 

「おい、聞こえてるか? いちたすいちは?」

『……ブツッ……ブツッ……』


 ちゃんとAIが機能してれば計算結果を答えてくるはずだが、じじじと詰まった音しか出してこない。

 

「コマンドは理解してそうだけど、プロセスが展開できないのか? プロセッサが問題か……」

 

 機霊のAIはほぼ、携帯端末やコンピュータの頭脳と同じだ。メモリチップや極小プロセッサチップといった複数のチップが基盤にはめ込まれてる。

 俺は機霊核のプロセッサの換装を試みた。

 裏のTPUをそっとはがして機霊核の基盤を取り出す。サイズ的にねじこめそうだったんで、もともとのプロセッサをピンセットで引っこ抜き、携帯端末のプロセッサをぶっ刺してみる。

 差し込み口がちょっと合わなそうだったんで、ぴったりするよう差し込み針を何度も加工した。

 幸運なことに、二つのプロセッサチップはラテニアのとあるメーカー製。同じところで作られたならば、互換性が期待できる。祈るような気持ちで通電させれば――


「いちたすいちは?」

『……弐……』


 俺は毛布の中でガッツポーズした。


「よし、これでなんとかなる!」


 頭脳以外の修理作業は比較的簡単だった。古い折りたたみ式の翼はかなり焦げてたけど、ほとんど折れてなかったからだ。

 ラジオ用の電線で溶けたシナプスを補い、プラスチックおはじきや針を加工してこつこつ欠けた部品を一から製作した。


『どんなものも、役に立つのじゃ。応用が大事じゃよ、テル』


 じっちゃん、いつもそう言ってたな。今、必死になって俺を探してくれてるんだろうか。でもメイ姉さんもじっちゃんも無事かどうか……かなり心配だ。

 早くプジを助け出して、帰らないと――!



 修理がこっそり完了した日、すなわち工廠二度目訪問失敗から一週間後の夜。俺はついに脱走を決行した。

 ジョゼットさんがあくびをして、寝台で休憩に入ったとたん、四隅に置いた電子ラジオをスイッチオン。これは実はラジオじゃなくて、簡易電波妨害装置だ。変な電波を発生させ、あたりにとびかってる電波を撹乱するってやつだ。

 ジョゼットさんが休眠してる時間、つまりこっちの情報を送れない時間は、十五分間。でも怪しまれないようわざと分割してた機霊箱を組み立てるには、どうがんばっても一分ぐらい足りない。

 だから電波妨害装置で、その時間を引き伸ばさざるを得なかった。


「にゃあ」「にゃあ」

「おう、せまくてごめんな」


 すでに猫たちはペット運搬用のキャリーバッグに入れている。プジの体は当然のこと、長い毛の子猫も俺が置いてったらどうなるか……と思うと、置き去りにするのはしのびなかった。だからジョゼットさんにバッグを調達してもらったんだ。

 当面の食料――猫のカリカリ箱を入れた手提げ袋を足元において、急いで機霊箱を組み立て開始。

 集中してたらあっというまに十五分経過。ジョゼットさんが起き上がる。


「なにしてるの、テルちゃん?」


 あくびまじりの彼女は、すぐに頭をかかえてうんうん唸りだした。よし、電波妨害装置が効いてる。でも悲鳴をあげられたんで、あっというまに黒鴉たちが隣の部屋からぞろぞろ集合。

 あぶない、あぶない。組み立て、ぎりぎりで完了だ!


「うわー! おしっこもれるー! トイレいきたいー! トイレに変なものいないかだれか見てきてー!」

 

 俺の命令で、黒鴉のほとんどがトイレへ先回り。機霊箱を背負った俺はそのすきに、猫入りキャリーバッグとカリカリ袋を両手にさげ、窓をまたいで庭に出た。 


「殿下いずこへ?」「お待ちを」


 残った黒鴉たちには、ドライアイス爆弾を投入!

 すげえ! けっこう広範囲に破裂してるよ。ついでに煙幕も張っていこう。うは。ただの化学反応系花火だけど、すげえ煙!

 さあ、いちかばちかだ。ど広い庭園をつっぱしりながら、俺はコマンドを唱えた。


「東華帝君! 展開ディストリクト!」

『……理解……!』


 うわあ。やった! 出たよ。翼出たよ! 三十個のアナログ乾電池で! 

 やっぱ翼でけえ! さすがアホウドリサイズ!

 こいつは分離型だから、融合型のように人様の生命力は必要としない。乾電池のエネルギーは起動出力でたぶん使い切っただろうな。あとは携帯端末十二個分の充電器でどこまでもつか。

 いちおう充電ソケットは三本用意してるから、俺の推定ではフル稼働で四十八時間は楽々―― 

 

「テルちゃん! 待ちなさい!」


 ジョゼットさんがよろけながら庭に出てきた。さすがアンドロイド、煙幕はものともしなかったみたいだ。青白い光をはなちながら、銀色の翼が展開する。

 黒鴉たち黄金級は加速がのろいから、なんとかふりきれそう。しかしジョゼットさんはやばい。白銀級は機動力あるから、速い速い。みるみる昇ってくる。


「東華帝君! 逃げ切れ!」


 呼びかけると俺の左肩にぼうっと光の球が現れた。うすぼんやりして形が判別できない。まともな機霊体になるのは無理か。しかし俺が直した機霊は、音声だけはしっかりと発してきた。


『主君! 那是你的老婆!』

「え? なに? 共通語じゃないと俺わかんねえ!」

『理解! Language conversion Done! Your Highness, That is your wife!』

「うええ!? ますますわかんねえ!」


 まさか、こいつがかつて稼働してた時代の共通語って、今と違うのか? どんだけ古いんだよ!

 えっと。それじゃえっと。


「頼む、俺が喋ってる言葉にしてー!」 

『roger that! コモンよりヤポニーズに変換! 我が君、あの御方はあなたさまの、奥様では?』

「はあああ?!」


 ぎゅんっと光の矢のようなものが俺の脇を通っていく。

 ふりかえればジョゼットさんの肩に黒髪少女の機霊体が出てて、一所懸命光の矢を作ってる。 

 俺をふくれっ面で睨んでくるあの機霊体の顔、気が強そうでなにげに怖い。

 息を呑んでる間に、先に放たれた矢がぱあっと細かく砕け散って電磁網になった。


「と、とにかく結界スケード展開! 網にひっかからないように逃げてくれ!」 

『了解! ですが本当にあの方は、我が君の奥様にそっくりです。逃げて、よろしいのですか?』

「奥さんじゃない! 俺結婚してないっ! 逃げていいっ!」


 何を言ってるんだこの機霊は。やっぱりAIいかれてる?


『結婚していない? そんなはずは……あなたさまは、煌舜ファンシュンさまで、ございますよね?』

「いや俺、ファンなんとかってやつじゃ――」


 あれ? ファンシュン? ファンフイじゃなくて?


煌舜ファンシュンさまでないとしたら。あなたさまは、一体、誰なのですか?』

「俺はテル! テル・シングだよ! ファンシュンってだれだ?」

『我が君にして、ファング帝国皇太子殿下です』

「え? それちがくない? ファンフイってやつが皇太子じゃないの?」

『いいえ。煌輝ファンフイさまは、ひと月前・・・・にお生まれになられました、煌舜ファンシュンさまの御子さまです』

「えっ?! ひと月……前?」


 あ、もしかしてこいつの体内時計、死んだ時のまま? 時刻と年月日合わせるの忘れてたっ。 


煌舜ファンシュンさまは、煌輝ファンフイさまをお見せになり、ご生母のジョゼットさまを妃とみとめよと、私に迫りました。ですので私は第三十二代皇太子妃として、ジョゼット・タルボンヌさまを登録しております。あの御方はその皇太子妃さまにそっくりでございますが、本当に逃げて、よろしいのですね?』

「せいぼ? せいぼってそれ……」

『どうなさいますか?』

「あ……い、いいよ! 逃げてくれ!」

『了解。では、振り切ります!』


 アホウドリサイズの機霊から、ひときわまぶしい光が迸る。


「待って、テルちゃん!」 

  

 甲高い叫び声。俺はどきりとして振り返った。俺と黒髪の美女との間に、みるみる距離が開いていく。


「テルちゃん、行かないで! おねがい!」  

 

 ジョゼットさんは――泣いてた。なんだかすごく取り乱して、ぼろぼろ涙をこぼして……


「ジョゼット・タルボンヌさんは……ファンフイの……」


 でも俺を追いかけてくる人は死刑囚で、脳みそだけ生身のアンドロイドだ。絶対に、本物のジョゼットさんじゃないだろう。きっとファンフイのために、この姿形にされたにちがいない。わざと、ジョゼットさんと同じ姿に。

 そんなことをするってことは、本物はもうすでに……


「そしてファンフイの父さんも、この世にはもういない?」


 ファンフイが今、皇太子って呼ばれてるってことは、そういうこと、だよな? 

 ってことは、機霊と一緒に黒焦げになったのって……


「テルちゃあああああん!」 

  

 俺は遠のくジョゼットさんをまじまじと見つめた。

 泣き叫ぶその顔を、なぜか覚えたくて。記憶に刻みたくて。

 離れゆく彼女を、ずうっと見つめてた。 

 どうして抱きしめられたとき、心地よかったのか。深く納得しながら。

  

「母さん……か……」 

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