5話 黒鴉 (テル)

「ちくしょう……ちくしょう、ちくしょうっ!」


 ふわふわと、風が左右から吹いてくる。

 床に座りこんで途方にくれる俺の周りには、この世のものとも思えぬものがいっぱい。

 孔雀色の両手持ちの扇っぽいのをふぁさふぁさ揺らして、風を送ってきてるお姉さん。

 三味線のでっかいような楽器を奏でてるお姉さん。

 その隣でくるんくるん踊ってるお姉さん。

 ……なんでかお姉さんだらけ。

 どの人も、ひらひら金魚のヒレみたいな半分透けた服を着てる。丈は長いのに手足がみえて、なにげに鼻血案件。


「あの、それ、もういいからっ」


 さっきは同じような透け透けのお姉さんが歌を歌いにきた。今踊ってる人より胸が大きかったな。メイ姉さんにはかなわないけど――ってサイズ比べてる場合じゃねえ。

 

「お姉さんはもういいっ」

「では、騎士の模擬試合をご覧に入れましょうか、殿下」

「いやだから、そういうのはもういいってば!」


 いらつく俺の後ろにずらりと並んでついている、三つ編み大笠の近衛たち。トイレにまでついてくるとか、その馬鹿みたいに広いトイレに仕切り扉がないとか、もううんざりだ。

 守られてるのか監視されてるのか、ほんと判別不能。いやとにかくそれよりも。

 

「にゃあ」「にゃあ」


 ちくしょう……なんだよこれは。

 床にへたれる俺の鼻先にあるのは、二つの猫箱。ついさっき、箱がひとつ増えた。

 

『プジを返せ!!』

 

 三つ編み黒装束の近衛たちに詰め寄ったら、直接女帝陛下に訴えろと言われた。

 エッケンキョカってのをもらうまで何時間も待たされた末、やっとでっかい宮殿に案内されて。玉座の前に通された。そこで俺は声を大にして、炎の中にいるように見える陛下に必死に頼んだ。


『俺の猫を返せっ……いや、返してくださいっ! 茶色っぽくて目が青くて、まだらに禿げてる猫っす!』

『ヘル・シア産、青勲章五代連続取得血統の、珍長毛白尾最高美種。あれではあの猫の代替として十分ではないと申すか』

『代わりの猫はいらない! どうか、俺のプジを!』


 俺、真っ赤にめらめら燃えてるように見える陛下にはっきり言ったよ。俺の猫を返せって。

 土下座もしたよ。勝手に奪われたから、そういうことする必要ないかなと思ったけど。相手がいちおう偉い人なんで、ちゃんと頭下げたさ。


『よかろう』


 あのおばさんはそう答えた。OKって言った。でもさ。

  

「にゃあ」「にゃあ」


 訴えてから半日後。三つ編みの近衛が捧げ持ってきたのは、白い猫が入ってたのとまったく同じ箱。

 そこには、茶色っぽくて禿げてて青い目の猫が入ってた。

 

 プジ!

 

 間違いない。こいつはまさしく、おでこと尻尾の先が骨格丸見えの俺の猫。このまだらぐあいも、もと機械兵士の人工眼もまったく変わってない。俺が拾ってひとつひとつ組み立てて、毛や内蔵を培養して作ったもんだ。


「にゃあ」「にゃあ」


 でも。箱に入れられてきた禿げ猫は、ただのひとことも言葉を喋らない……。


「にゃあ?」「にゃあ!」


 先にもらったかわいい猫と並んで、ただにゃあにゃあかわいらしく鳴いてるだけだ。

 呆然として抱き上げて頭部をよくよく見れば――そこにあったのは、数センチぐらいの縫合跡。


「ちくしょう! 別もんのAI入れてくるとかっ! なんだよそれ!」


 紫色の機霊石が取られてた。プジの頭脳が。あいつをあいつたらしめてるものがなくなってた。

 ありかよそんなの! 

 

「話が通じねえ! なんだよここは! なんだよあのおばさんはー!!」


 つまりなんだよ、俺のばっちゃんであるというあの陛下は、なんとしてもプジを巨神の頭脳にしたいってことなんだろう。 

 でもなんでだよ? ファング帝国はエルドラシアと並ぶ超大国で、機貴人はごまんといる。機霊石だって自給で量産してるはずだ。それこそ白銀級アルゲントとか黄金級オーロのすごく強力なやつを。

 なのになんで、俺のプジを狙うんだよ。

 白猫ルノのアルゲントラウムとかだったら、分かるけどさ。俺のプジはそりゃあだいぶ古いけど、PPDになるような貴重な遺物っていうレベルのもんじゃないはずだ。なんせ海底遺跡のすみっこにすっ転がってたんだから。だから俺、黙って拾ってきたんだから……

 

「うがあ! 巨神ユーシェン工廠ドックってどこだっ!」

 

 プジの機霊石たましいを返せと言っても、あのおばさん、百万イェン賭けられる気がするぐらい全然信用ならねえ。絶対、にせの宝石をつかまされるにちがいない。交渉なんか、無意味だ――。

 そんなわけで俺は平和的な話し合いをやめ、実力行使に出ることにした。

 巨神のドックに入ってプジを強奪し、なんとか逃げだす。もうそうするしかない。

 もしかしたらもう、プジはあのでっかい鋼の巨人の中に入れられちまったかもしれないけど。そうなってたら、有無を言わさずぶっこ抜いて救出するまでだ。

 とはいえ私物はみんな取り上げられて、この監視体制。「殿下」の威力をどこまで使えるのか、やってみるしかない。


「御意、殿下。それでは大工廠への視察のご予定を組ませていただきます。何日にいたしましょう?」

「いや、今すぐ! 早くそこに連れってってくれ!」

 

 ありがたいことにさっそく「殿下効果」が発動。俺の要望はただちに叶えられた。

 近衛たちは男なんで機貴人じゃないと思ってたら、いきなり一斉に背中がむくむく。もっこり盛り上がって黒いカラスみたいな翼が生えてきてびっくり。衣の中に分離型機霊機を装着してるらしい。

 

「まだ分離型を使ってるのか?!」

「仙宮の近衛は男子のみと、定められておりますので」

「皇族をお守りするのは代々、黒鴉ヘイウーヤのお役目と決まっております」


 女帝陛下は古い伝統を尊重する御方である――近衛たちがそう、誇らしげに言う。

 機霊がほぼほぼ融合型になったのって、この百年ぐらいのこと。分離型が主流だった時代の方がたしかに長い。でも分離型機霊の能力は、今の融合型にはるかに及ばないんじゃないだろうか。

 と思ったら。


「え。お、黄金色オーロの光?」


 近衛たちの翼は真っ黒いけど、そこから出る機霊光はなんと黄金色。みんな黄金オーロ級。しかも出力が見るからにはんぱない。どの翼の関節部にも、蒼い宝石のようなものがいくつも嵌ってる……。


「ああっ、それ、エルドラシアの戦乙女ヴァルキュリエがひっつけてた、エネルギー結晶体!」

「我が帝国でも、Γガンマ星系から電晶石を輸入しております」


 近衛たちは黒い翼をはばたかせ、玉座みたいな椅子が入ってる籠のようなものを庭先に持ってきた。

 真っ赤なビロード貼りの椅子が置かれてるその籠には、金の装飾がびっしり。底には細かい刺繍模様の絨毯が敷かれてる。きらめく籠のふちから伸びてるのは、何十本もの太いワイヤー。

 促された俺が遠慮がちに豪華な椅子に座ると、ふわり。黒鴉たちはワイヤーを持ち、一斉に飛び立った。たちまち籠が宙に浮いて、空へ上がっていく。

 

「殿下におかれましてはいずれ、陛下より太子機を下されるかと思われますが」

「それまでは、この飛座をご利用くださいませ」


 近衛たちによると、籠の玉座は若い皇子皇女の乗り物。つまり子供専用で、広い皇居を移動したり遊覧したりするものらしい。人の機霊を奪って子供扱いするなんて、まったく失礼千万ってやつだけど、乗り心地は悔しいぐらい爽快だ。結構速いし、高度もそこそこ。まぶしい赤一色の帝都が、はるか彼方までよく見える。


「す、すげえ! これすげえなっ」 


 思わず声をあげたらば、近衛たちがもっと高度をあげようと、機霊の出力を上げてきた。顕現のコマンドとともに、それぞれの左肩に機霊体がぽんぽん現れてくる。


「殿下、ごきげんうるわしく」「うるわしく」「うるわしく」


 うわ、みんな礼儀正しい。かしこまって挨拶飛ばしてくるとか、ほんと俺、そんな大層なやつじゃないのに。錯覚しそうでこわいよ。

 黒鴉たちの機霊体はみんな同じ顔、同じ背丈、同じ衣装。黒髪で中肉中背で黒っぽい服を着てる少女たち。つまり、そろいで作られた機体だってことが一目瞭然だ。


「わわ、手を繋いだ?」


 機霊体たちが主人から離れて、俺の籠の周りに飛んでくる。手をつないで輪になって……


「殿下」「殿下お歌を」「殿下お聴きください」


 いやだからその。そういうのはだから、いいってのにー!

 サービス精神一杯なのか、俺を骨抜きにしようとしてるのか、よくわかんねえ。

 でも合唱の歌声はきれいだ。なんの歌だろ。わかんない言葉……ファング帝国の言葉なんだろうな。

 黒髪少女たちの歌声は機械音らしくなくて、ほんとの人間の声じゃないかってぐらい生々しい。でも風吹きすさぶ空中にもかかわらず、拡声してるみたいにびんびん響いてくる。

 

「おかっぱ……だ」


 プジの機霊体もこんな髪型してたな。あいつ結構かわいかった。紫っぽいなんだかセクシーな服を着てたけど、あれ、俺が設定したものじゃない。機霊石にもともと入ってた機霊体の姿だろうと思う。

 くそ。無事でいてくれ。どうか無事でいてくれ。

 プジ、今行くから――

 


 


 ふわふわと、風が左右から吹いてくる。

 でかいソファに埋まる俺の周りには、この世のものとも思えぬものがいっぱい。

 両手持ちの孔雀色の扇っぽいのをふぁさふぁさ揺らして、風を送ってきてるお姉さん。

 三味線のでっかいような楽器を奏でてるお姉さん。

 その隣でくるんくるん踊ってるお姉さん。

 ……なんでかお姉さんだらけ。

 どの人も、ひらひら金魚のヒレみたいな半分透けた服を着てる。丈は長いのに手足がみえて、なにげに鼻血案――。


「あれっ? なんだこの光景。前に見たような……」

「にゃあ」「にゃあ」

 

 俺の足元には、二つの猫箱。白いのと禿げてるのが仲良く並んで、かわいく鳴いてる……

 

「ちょ、ちょっと待て。俺今、工廠ドックに入って、巨神を見せてもらってたのに――」

 

 工廠ドックは皇居の敷地内、えらくはじっこの方にあった。亀の甲羅みたいな、でも球形に近い建物で、近衛たちはそのまん前に飛座をおろしてくれた。

 皇居はどえらく広い。帝都と同じぐらいの広さじゃないかって思うぐらいだ。俺が寝泊まりしてる宮から工廠まで、歩いていけば冗談じゃなしに日が暮れる。それほどの距離ゆえに、近衛たちは飛座を出してきたらしい。

 工廠の技師たちは、みんな紺色の衣を着てて、ゴーグルっぽい眼鏡をかけてた。じっちゃんが人工シナプスをつなげるときにかけてるものと似てる。たぶん拡大鏡だろう。そいつらの先導で、俺は巨神弐号機の組み上げ現場ってところに案内された……はずだ。

 

「そうだよ、顔の部分のところに昇って……」


 巨神はあまりにも背が高かった。コウヨウの高層ジャンクビルがすっぽり入るんじゃないかって高さだ。足の部分、胸の部分、肩の部分、そして頭の部分に作業橋が作られてた。

 巨神の顔は人間の骸骨そっくり。でも目はひとつしかない。

 一つ目の化物――そんな怖ろしい顔に、装甲がかぶされている最中だった。

 

『プジ! プジはどこっ?!』


『機霊石は頭部に――』


 聞くないなや、俺は巨神の顔にえいやと飛び移った。でかい一つ目の裏かと当たりをつけ、半ば開いてる口に入り込んで……それから……

 

「それから、どうなったんだ? なんでこの部屋に戻ってるんだ俺。あそこから帰ってきた覚えなんてない……」


 ほっぺたをつねる。……痛い。これは夢じゃない? ということはこれ、記憶がすっぽぬけてるのか? いや、抜けたんじゃない。記憶を、消されたのか?

 俺は確実に、巨神の内部に入った。ぎざぎざの歯のような金属板の中にするりとすべりこんだ感触。

それはしっかり覚えてる。ずいぶんとひんやりしてた。

 それからどうなった? あの中は――中は――


「にゃあ」「にゃあ」

「うがー! なんで思い出せないんだっ」


 頭をかきむしる俺の前に、またぞろふわふわひらひらの衣をまとったお姉さんが現れた。

 

「だからこういうのはもういいってば!」


 叫ぶ俺にお姉さんがちょっと怯んで深々と頭を垂れてくる。


「もうしわけ、ございません。ですが殿下が私をご所望になられたと」


 なんだよそれ。お姉さんなんか呼んでないぞ。それよりプジだよ。早いとこプジを助けないといけないんだよ。すごろくで降り出しに戻された気分で心が折れそうだけど、行かなきゃ。

 いらいらとソファから降りた俺は、ど広い板間から出ていこうとした。

 また飛座を持ってきてもらいたい、もういちど巨神を見たいといえば、近衛たちが明日にしてくださいとかしこまって答えてくる。

 

「いやだ! もう一度あそこに連れてってくれ! どうしてもダメ? ダメなのか? なら、自分で走ってく!」


 近衛たちがなりませんと、言ってくる。でも実力行使はしてこない。

 走り出す俺にただ、ダメだと言いながらついてくるだけ。 

 この反応からすると、俺の記憶を消したのはこいつらじゃない? 俺の頭をいじったのは、技師たちか? もしかして巨神の中を見るのはNGだったのかも。

 俺はプジのところにいけたのか? 話しかけることができたのか?

 分からない。まったく不明だが、俺のそばにプジはいない。それは確かだから、また行かないと!

 

「お待ち下さい、殿下!」


 さっきやってきたお姉さんが、近衛たちに混じっている。ひとりだけついてくるって一体なぜ?

 そう思ってちらと振り返ったら、ありがとうございますと叫ばれた。


「命を、助けていただきました! ですから感謝の言葉をどうか言わせてくださいませ!」


 え? ということは、このお姉さんは……

 

「巨神にはたかれて墜落した、ダミーの?」

「はい! ジョゼットと申します。殿下本当にありがとうございます!」


 頭をぺこぺこ下げてくるお姉さん。髪は黒いけど、名前はこの国っぽくない。目元スッキリ顔は瓜実型の美人。背格好がメイ姉さんとなんか似てる。胸でか……いやもとい!

 回復早い!

 俺がこの人助けてって頼んでから、体感一日だぞ? 普通脳みそ見えるぐらいのあの損傷具合だったら、培養液につっこんでフルに最低限のところ以外はほとんど機械にするにしても、最低一週間はかかる。

 なのにこの人すっかりきれいな顔して、手足もつるっとすらっとしてて、どこも怪我なんかしてなさそうで……


「え……?! 俺、いったいどれだけの間、記憶抜けて――」


 まさかこれ、一日とかそこらの欠落じゃ……ない?!


「ご、ごめんいそがしい。俺、巨神の工廠に行かないといけないんだ」

「お供させてください! なんなりとご命令を!」


 そんなこといわれても。なんなりとっていわれても。うろたえる俺の手足の先が、急速に冷えてくる。やばい。これやばいよ。

 俺、一体何されたんだ――!


「リンファもしごく元気で、稼働できますので!」

「あ、あの。あ……」


 呆然と震える俺の前で、お姉さんの体が仄かに光る。

 ふわっと花のように、彼女の翼が広がった。きれいな薄青の機霊の翼が。

 

「もしよろしければ、私が工廠にお運びいたします、殿下」


 にっこりするお姉さんの翼の光は青白く大きくて。でっかい翼を持つ赤毛のあの人を彷彿とさせた。

 大きな胸を揺らして、お姉さんはぶわりと機霊の結界を周囲に広げた。


「私はあなたさまのものです! 皇太子殿下」 

  

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