3話 狂いの歯車(ルノ)

 黒い画面に文字がカチャカチャと現れる。


『あれは昨日、昼過ぎのことにゃのだ』


 目が……痛い。文字がぼやける。


『これは一体にゃんだ? と、びっくりしたのにゃ』


 白くて肉球がついている手は、自由に動かない。すべって四角いキーが長く押される。


『そのしろろろろろろろろろろ』


 うう。遺憾だ。

 昨日僕とアルは、隣のジャンク店でとんでもない目に遭った。

 あのごちゃっと物が山積しているところに、僕を抱っこしたアルが一歩踏み込んだとたん。もうもうと立ち込める煙たいものが、いきなり店内から襲ってきたのだ。


『ろろろろい煙がくしぇものだった。アルはただ咳き込んだだけだったが、僕は……』


 歯を食いしばりながら、僕は非常にのろいスピードで四角いキーを押し続けた。

 ここはシング・ジャンク店の地下工房。僕は今、画面に文字が出る機械に言葉を打ち込んでいる。

 右隣には金髪揺らす美しいアル。左隣には赤毛の女。はたからみれば両手に花かもしれないが。

 

「煙? だれかに強襲されたってこと?」


 左の赤毛女は実のところ女性ではない。怒り顔のこいつは今朝、僕らの家の扉をがんがん叩いて、ジャンク店の住人がいないがどうしたことかと問い合わせてきた。そこで僕は、この地下工房で事情説明を始めたのだ。ここには、言葉を打ち込める機械があるからである。


「もどかしいわね。まだ声は出ないの?」

 

 赤毛女がピンクの胴衣を着込んだ腰に手を当て、片足をとんとん、いらだたしげに鳴らす。

 この者に直接言い返すことができぬのが、なんとも不便でならない。ジャンク店一階店舗部分を煙たくしたもののせいで、僕の音声出力装置はすっかりいかれてしまったのだ。言葉をしゃべろうとしても、僕の喉は変な音を出すばかりである。


「にゃぁああ! にゃああ~ふぎゃあぁあ~にゅぎゅううう」


 ……非常に遺憾だ。


「まだ酔いどれてるなんて。どんだけマタタビに弱いのよ、ルノ!」

『黙れおんにゃもどき。ぼくは、酔ってにゃぞいにゃい。思考はしごく、しぇんめいだ』 


 僕が打ち込んだ文字を見て、赤毛の女が目くじらを立てる。 


「女もどきぃ?! 失礼ね! 世にも美しく麗しい男のとおっしゃい!」

  

 そんな形容詞つきの単語を打つ気力も、こいつに美辞麗句を並べる好意もあるものか。

 

『あれは煙幕兵器にちがいにゃい。アルもまだほとんど、声が出にゃいんだからな』


 かわいそうに……何度もうがいしたのに、アルの声もまた、かすれてほとんど音がでない。

 しかし体の機能は幸いほとんど無事でよかった。

 僕の方は……手足がまだ弛緩している。肉球のついた手は、このキーボードを打つのでいっぱいいっぱいだ。丸一日経ってもこのていたらくとは――

 僕はいらつきながらばちんばちんと、キーを打ち叩いた。


『テル・シング! おしょるべし!』





 あれは火事。

 はじめそう思ったのだ。テル・シングがまた何か変なものに何かを垂らすなり炙るなりして、店から火を出したのだと。いつものごとくざっくばらんに、ざっくり適当な感性で何かを作って失敗したのだろうと。

 だが、どうもそうではないようだった。

 店の中にうっすら黒い人影が垣間見えた。三人。いや、四人か。うごめくそれらが僕らの気配に気づいて一瞬動きを止めた。

 こいつらは怪しい――そう思った瞬間、奴らは僕らに向かって何かを投げてきた。ばずんと弾けたそれはアルの真横の棚に当たり、たちまち粉っぽい煙幕が展開されたのだった。

 

『た……退避しぐにゃああ?!』


 煙を吸い込んだ僕はたちまち腰砕け。一瞬にして、喉は言葉を失った。僕を抱えるアルは急いで店先に出たが、煙の勢いは店先の道路も覆い隠す勢い。

 そうして僕らは、黒い影が禿げた猫を抱えて出て来るのを目撃したのだった。

 

『ぷ、プ……ちゃ……!』『ぐにゃあああ!』


 猛毒またたびに当てられすぎたのだろう、黒い影に抱えられた禿猫はだらりと長く垂れ下がり、すでに猫という個体ではなくなっていた。


『うにゃあ~~~~~てるうぅうう』


 なんというかそう……溶けたショコラーデというか。伸びたクーヘンというか。

 アルがつくろうとして失敗したジェレ―にそっくりというか。

 いやでもあのジェレ―はとてもおいしかったな。

 僕のアルは毎朝毎晩、食事を作ってくれる。たまに塩と砂糖をまちがえたり黒焦げにしたり、洗剤で穀物を洗ったりするが……いやそれは、本当にごくたまにだ。プレッツヒェンやプファンクーヘンなど作らせたら右に出る者はいな――


「それにしても読みにくいわね」


 赤毛女が黒い画面をのぞきこむ。肉球の手では、土台文字を打ち込みにくいのだが。手の弛緩のせいで、輪をかけて辛い状況である。


『はぁぁぁぁぁぁげ猫にも僕にも、嗅覚や味覚がそにゃわっている。食べ物も普通に食べりゃれるしな。それがにゃぜか、ちゃんと猫仕様だというにょが、シングの孫のしゅごいところにゃのだ』


 しかしそのおかげで禿猫は、地べたすれすれまでデロリンと垂れ下がることになり。白銀の翼を広げた黒い影によって、空の彼方へ連れ去られていってしまったのだ。


「煙幕はマタタビ入り……相手はじっくり獲物を探って、用意周到に計画して襲ってきたわけね。それで、黒い影っていうものはどんな感じ? 服装とか見えたの?」

 

 影たちの装束は独特なものであった。大きな笠に、長い一本の三つ編み。ゆたりとした黒衣。


「あらそれって。もしかしてあたしを雇ってる島都市の人じゃない?」

『そうにゃのだ。あれはまちがいなく、ファング帝国の手先であろう』


 僕の国――エルドラシア帝国の、好敵手。最大の敵国。

 ひと目でどこの機貴人なのか分かったものの、芯の入らぬ僕はそいつを追いかけられなかった。

 翼を開けない僕にアルがおろおろしてるうち、さらに黒い影ふたつが店の中から出てきた。

 そやつらが抱えていたのは、ぐったり頭を垂れたシングの孫……。


『あっ? ル……?!』


 とたんに僕はかすれ声のアルの腕から飛び出して、ずるると地を這い、店先から離れた。萎える手足を必死に動かし、尺取り虫のように尻を上げて進んだのだ。

 狙ったとおり、アルはあわててついてきてくれた。

 拉致されたシングの孫を助けるため、アルは黒い影たちに向かって果敢に走り寄っていきそうだった。それを食い止め彼女を危険な目に合わさずにすんだのは、不幸中の幸いだろう。

 しかしマタタビ爆弾にやられた僕の体は、すぐに動けなくなった。痙攣する猫の体で三ナノメーターも進めたのは奇跡というしかない。

 

『なんということじゃ! テル……!』


 黒い影ふたつが左右からテル・シングを抱え、白銀の翼を広げて飛び立っていった直後。

 ようやく煙が退きはじめた店から、シング老がよろめきながら出てきた。

 僕を抱きあげて確保したアルは、悲鳴をあげた。潰れた声によるその叫びは、かん高い別人の悲鳴と重なった――


『きゃああ! 大丈夫ですかあ、シングさんっ』


 そのキンキンした声の主が店から出てきた。メガネの黒髪女だ。彼女は両手を頬に当て、ずいぶんと大げさなそぶりでわめきたてていた。

 

『いやだわ、お胸が真っ赤! かわいそうに』

『メイさん、自分で刺しておいてその態度はないじゃろう……』


 シング老はおそろしい言葉を吐いてドッと転倒。とたんに黒い影が数人、意識が飛んだらしいご老体を抱え、白銀の翼を広げたが――


『待って。その方はまだ船に乗せないで』


 メガネ女はそれを制した。


『一緒にしたらだめよ。老君さまと皇太子殿下は別々にしないとね。老君さまの身柄は、私がしばらくお預かりするわ』


 どうやらこの女は教師が本業ではなかったようだ。この雰囲気、ただものではない。

 艶やかで撫でてくるような柔らかな雰囲気。なのに全身から放つ気は、刃のように鋭かった。


――「なんてこと……ってことは、シング老は、今はメガネ女のところに?」

『おんにゃはシング老をメケメケに乗せてにげた。アルが追いかけたにょだが、まかれてしまった。それでメガネ女の住居に行ってみたにょだが、もぬけのからだったにょだ』

「どこかに潜伏してるか、そろそろ船に乗せられたかしたわけね」


 青ざめる赤毛女に、僕はこっくりうなずいた……つもりだったのに、ぐらっと頭がのけぞり、椅子から落ちる。アルがあわてて僕を抱き上げてくれた。

 くそ……! このマタタビ効果はいつ抜けるのだろう?


「まったく! あのメガネ巨乳女、どうもぶりぶりぶりっ子でわざとらしい感じだと思ったら。ファング帝国の情報部の奴だったってことね? しかし老君と皇太子殿下? それってどういうことよ」

 

 分からぬ。どうもその言葉は、シング老とその孫のことを指していそうなのだが。 

 

「ただのコードってだけじゃ、なさそうねえ」


 腰に手をあてる赤毛女は眉間にしわを寄せ、難しい顔をした。


「あたし、あの国の傭兵やってるじゃない? だからあの国の一般常識はひととおり教育されたし、逐次いろんな情報も入ってくるのよね。それでさぁ、あの国で老君っていうのは、女帝陛下のご夫君のことを指すのが一般的なのよねぇ」

 

 なんだと?


「その方、かなり昔に行方不明になってるらしいのよ。かの国では、大陸ユミルに逃げたって話がまことしやかに囁かれてるわ」

 

 逃げた? 待て。夫君ということは、つまり……

 

「ああ、帝配じゃないわよ。押しも押されもせぬ先代の天子さまだった人なのよ。玉座をほっぽって雲隠れされたものだから、貴妃の位にいた今の女帝陛下が帝位についたらしいわね。天子さまが逃げた理由はいろいろ言われてるけど、一番の原因は皇子殺し?」


 赤毛の女は、シング老がいつも座っている作業椅子をそっと撫でた。

 こいつは今、大きなリュックのごとき機霊機を下ろして、技師の作業机の上にどかりと置いている。

 そうやっていつもシング老とその孫にメンテしてもらっているのだ。


「今の女帝陛下が、軒並み殺したって話よ。何十人と。他の夫人の御子様だけでなく、ご自分が産んだ息子まで。それで悲しみとショックのあまり、天子さまは気がふれて……ある日宮殿からこつ然と姿を消したって話よ」


 狂いが入って逃げた? それがあの、シング老だというのか?

 そんなまさか。あの人はごくごく普通の、見識ある人じゃないか? 

 技師としての腕もしごく優秀。とてもおかしくなってしまった人とは……

 

「わかんないわよ?」


 半信半疑な顔をする僕とアルに、赤毛女はにやりとした。

 

「あたしだってさぁ、家族を殺されて狂ったもの」

 

 首をかしげないでよと、赤毛女がカラカラ笑う。たしかに普段、自分は普通で何ら変わらない。

 でもコレを見なさいよと、そいつはシング老の作業机のそばにある小さな鏡のようなモニターをピポパといじった。ざざっと砂嵐が出たあとに映し出されたのは……


「……っ!」


 アルが両手で口を抑えて、声にならない悲鳴を抑える。

「ミッくんって、ここでメンテしてるじゃん? だから戦闘記録はすっかり全部、シングさんに渡して見てもらってるのよね。ミッくんの調子がどうか、実戦ではどうかってさ」 


 赤毛女は冷ややかな目で、自分の機霊が撮ったのであろう記録を眺めている。

 

「すごいでしょお? 戦意喪失で逃げてる相手にさぁ、なにこれアタシ、どんだけ光弾打ち込んでるのよ? あはは」


 笑いごとではない。そこに映っているのは「虐殺」の場面だ。

 あの銀鎧の騎士はこんなに冷酷で残酷な奴だったのか? 微塵の躊躇もなく、白銀級となったアホウドリは、主人の敵を粉砕している。赤毛女の熱っぽい命令通りに。


『ミッくん! 殺して! 殺して! もっと!』


 もう動けない相手にいったいどれだけ……?

 砕かれた翼のかけらが、あたりに飛び散る。真っ赤な飛沫も。鉄の破片と一緒に、白い肉のかけらも…

 僕はあわててモニターを消し、キーボードを叩いた。 


『おい! 僕のアルにひどいものを見しぇるな!』


 赤毛女がけたたましく笑う。


「そうよねえ、ひどいわよねえ。これが煌帝国傭兵団のエースの、真実の姿よぉ? もう息が止まってる相手の体をずったずた。でもさぁ、こんな性癖あるの、アタシだけじゃないってのがこわいわよね。みんな狂ってるのかもぉ? ふふふ、戦うってなったらさ、こんなこと日常茶飯事に目にしなくちゃいけないのよ、アルちゃん。手の一本や二本、簡単にもげちゃうしさあ」

『おい!』

「う……」


 アルが何か言い返したげに眉を下げている。しかしその気配を制して、赤毛女は言葉をかぶせてきた。


「たしかにアルゲントラウムはもっと狂ったことをしたけれどねえ。都市を破壊したのって喜んでやってたわけじゃないでしょ? あれって不可抗力よねえ? 暴走してて、破壊されるもののことなんて、まったく頭になかったでしょう? でもねえ、アタシのコレは違うのよ」


 赤毛女の口が引き上がる。


「夢中でやってんのよ。好きで、血をたぎらせてさぁ。敵を殺して楽しんでるの」


 そしてたぶん……と、赤毛女は口からくつくつ、不気味な笑いを漏らした。

 

「シングさんも、裏ではなーんか、ヤッちゃってるのかもねえ。あはは」

 

 地下工房にずらりと並ぶ培養カプセル。

 青白い溶液が光るその幻想的な光景を、僕らは一斉に眺めた。

 神の如き技師が狂っている? 何か変なものを作ったりとか?

 いや。それはないだろう。そんなことは――


「というわけで。エマージェンシーモード、発動するわよぉ?」


 は?

 

 日暮れのように昏くなっていた赤毛女の顔が、ぱっと反転した。

 そのあまりの変容ぶりにぞくりとした僕なぞお構いなしに、そいつは底抜けに明るい声で老技師の机の引き出しをがばりと開けた。

 

「こんなこともあろうかとぉ! あの人なーんか、作ってたみたい?」


 はぁ?! 


「なんか予感めいたものがあったんじゃないのぉ? もし自分と孫に何かあったら、ここ押せって。アタシ言われたわよ?」


 ここ?


「なんかのスイッチボタンね」


 本当か? 押していいのかそれ?! たしかに、何かのボタンが煌々と真っ赤に輝いているが……自爆装置とかそんなものではないだろうな?


「あ、あ、あ……」


 アルが震えながらかすれ声をしぼりだし、作業机の隣の棚の引き出しを遠慮がちに開ける。


「あた、し……も……」


 なっ?! アルもシング老からもしものときに押せとかいうボタンを託されていたのか?

 棚の引き出しから、青いボタンが垣間見える。この状況で押していいのか、ひと晩悩んだのだろう。

今にも泣き出しそうな顔だ。

 

「あら、シングさんて、なんて用意周到なのかしらぁ。ってことはルノ、あんたももしものときは、何か開けたり押したりしろって、言われてる?」


 いや……ない……。


「あらぁ。あんたは違うのねえ。ふふふ、これって女子限定かしら」


 おまえは女じゃないだろう!

 キーを打ち叩いて怒鳴りたかったが、僕はこらえた。そういうことにしておけば、これ以上惨めな思いはしないで済むというものだ。

 だが女もどきいわく、押して何が起こるかは分からないという。その機能説明は受けていないらしい。アルも同様だ。

 さあ押すわよと、赤毛女はもったいぶって高々と腕を振り上げ、大仰にボタンに指を乗せた。

 

「いざ! いでよーっ!」


 念のために機霊を背負った方が――

 僕がそう提案する前に、ボタンは押された。赤いのも青いのもほぼ同時に。

 そうして待つこと十秒。

 ごごごと、地下工房のさらに地下から、何かがうごめく音が聴こえてきた。

 僕らは黙って、しばらく耳を澄ました。

 床がかすかに振動している。まさか割れたりするのか?

 一抹の不安はしかし当たらなかった。うごめくものは、のぼってはこず、更に奥に沈んでいくような音を立て、遠のいていった。 


「あら? 消えた? どどーんって、ハデハデしく何かが現れるんじゃないかと思ったのにぃ」


 赤毛女が口をとがらせるそばで、アルがホッと胸をなでおろす。

 しかし何かが起動し始めたのは確かだ。

 僕はとろけてのびる体をべたりと床につけ、耳をそばだてた。

 かすかに、離れゆくものの音を捉えることができた。

 なにかがそこにいた。確実に。

 深い深い、地の底に――。 

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