2話 箱の中の猫(テル)
青一面に白煙がたなびく。右から左、天蓋に描かれていく一本の太い煙の筋。
巨大な鉄の固まりが――
ぶぐおぉおお
空を裂いてる。
おおとりという船の窓は、相当に分厚かったみたいだ。じかに聞く
俺の手足はしびれてる。稲光に当たったらこんな感じがすんのかな。
俺は両手に持ってる箱に目を落とした。
きらめく銀色の箱の中には――
にゃあ
長い赤毛の子猫。
猫に会わせてくれと願ったら、大笠をかぶった三つ編み男がしずしずと捧げ持ってきた。
たしかにこれは猫だけど。プジじゃない……。
「巨神には、燃焼機関を二種搭載しております」
花咲く木がぽつぽつ芝生から生えてる、ど広い庭園。そこから空を見上げる俺の後ろには、猫を持ってきた人と同じ姿の男たちがずらり。
何人いるんだろ? 十数人? 横一列に並んで、ゆたりとした衣の袖を合わせ、俺に頭を下げてる。
黒い笠に黒髪の三つ編み。腰には長いカタナ。黒光りしてる鞘は、黒曜石かなんかの象嵌ものでおそろいだ。
この人たち、煌帝国の女帝陛下の近衛隊らしい。こんな風にかしこまられるのって、めちゃめちゃ落ち着かないんだけど。
にゃあ
箱の中の猫がつぶらな瞳をきらきらさせて鳴いてくる。
どうしようこれ?
「動力機関は二種とも心臓部に内蔵しております。メイン機関に、星船に使用します原子炉を。補助機関に、機関石燃焼炉を使用しております」
猫を持ってきた人が頭を下げたまま、頭上の様相を説明してくる。
青空で繰り広げられてるのは、模擬戦だ。
昨日、巨神の姿が全世界に公開されたという。今この光景も、天界や外界にすべからく配信されてるそうだ。巨神の周りにちかちか光ってるいくつもの光。星のようなあれが、配信カメラらしい。
「星船の原子炉を小型化しましたが、出力に少々問題が。ゆえにすでに小型化されて使用されている機関石燃焼機関を併用することにいたしましたのです」
「な、なるほど」
深々と頭を下げてる近衛の人になんか申しわけなくて、猫の箱を持つ俺もぺこり。頭を下げる体勢になっちまう。
ありがたいことに、相手はずっと共通語を喋ってくれてる。
なんか、こわい――
にゃあ
う。箱猫、ありがとな。無邪気な笑顔で鳴いてくれると、恐怖がちょっと和らぐよ。
それにしても、空を割ってるあの巨大なものの動力機関は二種類? しかも燃焼機関に機関石を使ってる?
島都市の連中は、
あの傲慢なエルドラシアの皇帝のように。
「だから蒸気の煙があんなに大量に出てるのか。排出口はふたつ? 翼についてるやつだよね?」
「はい殿下。機関石の燃焼機関の使用割合で、排気煙の色合いが変わります」
「出力が増すほど青みを帯びてくる……」
「さようでございます」
機関石は、この星の大地で採れる最後のエネルギー源だと言われてる。
ちょっとそこらへんの土を掘っ繰り返せばすぐ手に入る、柔らかな石だ。燃やすと大量の蒸気を出すんだが、実は化合物らしい。
じっちゃんが以前、そのへんのことをいろいろ教えてくれたけど……
「ご存知のように機関石の起源は十世紀ほど昔、島都市ができ始めたころに遡ります」
うん。そうそう。じっちゃんもそう言ってたよ。
「当時、世界規模で土壌浄化計画なるものが推進されました。大陸各地にある毒素を含んだ土壌に、化学液を混ぜて無害なものにする事業です。中和液を流し込まれた地層が凝固し、黒い石層ができました。これこそが機関石です。いまや大陸のどこででも手に入る、すばらしい燃料でございますね」
うん。でも大地は汚れすぎてて、浄化計画は途中で頓挫。赤く染まった大地には、まだまだ毒素が貯まったままって話だ……。
ぶぐああああ
すごい音をたてて、空裂くものが方向転換する。
手に巨大な剣を持つ
「機霊、だよな?」
「大鷲と小バエって感じ。サイズが違いすぎる!」
スピードは機霊のほうがはるかに速い。でも空気を震わせる波動が、巨神の鈍さを補ってる。
でかい剣を薙げば、びりびりばりばり。はるか下にいる俺の全身にまで振動が伝わってきて、えらい騒ぎだ。
「機霊の結界が、ひと薙ぎで吹き消されてる。すげえ」
ハエ叩きでびたんとされたみたいに、ヘロヘロ失速する三機の機霊。
遠く離れたここの空気がびんびん震えるんだから、至近距離だったら――。
考えるだけで身が竦む。
「あの機貴人たち、大丈夫なのか?」
「ご心配には及びません。模擬ですのでダミーを使用しております」
「ダミー?」
「機械人形に機霊を装着しているのです。機霊の軍事訓練用に使用されているものです」
ロボットに白銀級機霊をつけるって……可能なのか? 融合型って、有機体でX染色体をもつ体にしか付けられないはずだけど?
驚いた俺の顔を読んだのか、近衛兵は口元をほのかにほころばせて、誇らしげな顔をした。
「我が帝国にできぬことはございません。女帝陛下がお慶びになられますよう、我が帝国は日々、全力を尽くしております」
女帝陛下って……
さっき会ったあの人だよな……。
俺はぶるっと身震いしながら、ずらりと並ぶ三つ編み男たちの後ろを見やった。地の端から端まで埋めつくしてるような巨大な宮殿がそこには在る。朱塗りでまるで炎に包まれてるような、荘厳な宮。
なんだか、燃えてるように見える……
ついさっき、その建物の中に案内されたばかりだ。
『よくぞきた、
そこで俺は、ごうごう燃え盛ってるような玉座にいる人に声をかけられた。
『フイ? お、俺は、テルですっ。テル・シングっていいます』
『それは偽りの名であろう。
『はあああ?!』
玉座にいる人は……燃えてた。
『会えて嬉しいぞ』
まったく信じられない言葉を放ちながら、真っ赤な炎をあげてた。ごうごうと、熱く。とても熱く……
『会いたかったぞ。わが孫よ』
「塔が多いなぁ」
にゃあ
「おまえもそう思う?」
箱の中の猫が同意するようにうなずく。
煌帝国の帝都である島都市は、「炎都」という。
その名の通り、庭園の端から眺め下ろせる都は、どこもかしこも真っ赤。宮殿と同じく朱塗りの建物で埋め尽くされてて、目が焼かれそうだ。
そういえばこの国の紋章って、
真紅の炎が国を象徴する属性なんだろうか、女帝陛下って人も真っ赤な衣を着てた。長い帯。床に長く流れてるすそ。金色模様がいっぱい入ってて、豪華絢爛。両腕を広げれば、あれはまさしく、でっかい鳥に見える。
でも……
『我が孫よ。わらわの宮にて、ゆるりとくつろぐがよい』
いくらなんでも、孫って嘘だよなぁ。
俺が殿下って呼ばれる理由はそのせいらしいんだけど。いや、ないよ。
だってあの人、どうみても三十いってないよ。一瞬ぽかんって口を開けちまったぐらいの、すげえ美人だったもん。若作りしてるのかな?
ファンフイって、全然知らない名前だしさ。絶対、これは何かの間違い。人違いだよな。
にゃあ
しかし困ったな。この長毛な箱猫、どうしよう?
俺は女帝陛下が棲んでるこの宮殿の敷地内で、自由にしてていいらしい。泊まる部屋をひとつどころか、十数個も部屋が連なってる棟をあてがわれて、そこに滞在しろって言われた。
乗ってきた乗り物内の施設よりも部屋数多いし、だだっ広いしで、俺は唖然呆然。専用の室内温泉とかプールとか、庭園とか遊戯室とか、えっとそれから……
『ご奉仕させて、いただきます』
なんか三人ぐらい小奇麗な部屋それぞれにきれいなお姫さまがいて、夜に好きな人を寝室に呼びなさいとか、近衛の人に言われたんだけど……なんだそれ。俺の頭、理解不能。めまいがする。
俺が動くと、十数人の近衛兵がぞろぞろ一緒についてくる。警護してくれるっていうんだが、ぶっちゃけどこまでもついてくるんで、なんかすごく困る。
だからプジを引き取って、すぐに家に帰りたかったんだけど……。
「申し訳ありませんが、殿下は飼い猫さまにはお会いになれません」
三つ編みの近衛はその一点張り。
これってまさか……まだ会えないっていうニュアンスじゃなくて、「もう二度と」会えないっていう意味だったりするんじゃないだろうな? じ、冗談じゃないぞ?
庭園から都を眺めおろす俺の胸には、不安がもりもり。
プジは古代の機霊石を内包する分離型機霊だ。昨今では珍しく主人とセパレートできるタイプ。
つまりあの空裂く巨神の頭脳として、うってつけの……
いやいやまさか。プジが狙われたなんてことは、ないよな?
俺があいつの機霊体を出したのはたった一回。焼かれるコウヨウの街から、誰もが逃げ惑ってたあの時だけだ。あんな状況で誰かが冷静に俺たちを観察してたとか……ないよな? まさかこんな大層な国に目をつけられる可能性なんて。
きっとやんごとない殿下には、禿げた雑種猫はふさわしくないとか。そんなくだんない理由だよな?
だってこの箱の中の猫、ひと目でどこぞの血統書つきの、希少種だってのが分かるもん。
「あのう。プジの代わりに、この猫を飼えってことなんだろうけど。この子は受け取れないっす」
「しかし殿下。その猫は、女帝陛下よりの贈り物でございます」
「いやでも、贈り物は殿下に対してだろ? でも俺はその、殿下っていう奴じゃないからさ」
「それはどういう意味でございますか?」
「いやだから、人違いなんだってば」
冗談じゃない。この箱猫はたしかにかわいいけど俺は皇子じゃないし、プジの代わりなんてこの世にあるもんか。
ため息混じりに猫の箱を近衛の人に返そうとしたら――
「殿下、落下物が!」
「ふが?!」
近衛のひとりが突然叫んで、俺をかばうように押し倒してきた。
それが号令となって、あれよあれよと言う間に幾人もの近衛が俺に覆いかぶさってくる。
なんじゃこれ! と呆然とした直後。ずがん、という鈍い衝突音とともに、庭園に何か落ちてきた。
ごくごく、すぐ近くに。
「なん、なんだ?!」
近衛たちの人垣のすきまから見えたのは、きらりと光る白銀のかたまり。
「宮を守る結界が切れておりましたか?」
「巨神の波動のせいでしょう」
「なんと凄まじい。さすがですな」
「殿下、お怪我はございませぬか?」
近衛たちの声の雨をかいくぐって、ぷはっと人垣から出てみれば。
そいつは――空裂く巨神に薙ぎ払われたダミーの機霊だった。
たしか機械人形って説明されたっけ? でも落ちてきたそいつは、ずいぶん精巧な人型をしてるように見える。
女のような体型……全身銀色で手足が一本ずつもげてて、とても痛々しい。背中から生やしてる光体翼がジジジとゆらめき、今にも消えそうだ。
『
そばに寄り添ってるのは、機霊体だ。
『我祝愿! 请打开你的眼睛!』
いまだ消えずに顕現してるそれは黒髪の少女。必死に「機械人形」に呼びかけてる。
『
十代前半ぐらいか? プジの機霊体やアルゲントラウムの金髪少女より、少し幼な目だ。
顕現できてるってことは、まだ主人の生命力が残ってるってことだけど。
「ちょ、ちょっとどいてくれっ」
俺の前に人壁を作ろうとする近衛をかわして、俺は恐る恐る黒髪少女がすがる主人に近づいた。
機械人形は人工皮膚をかぶってるみたいで、焼かれた皮がところどころ溶け落ちてる。
体中からしゅうしゅうとあがる煙。あ。手がかすかに動いた……
「リンファ……ごめ……」
喋ってる。目玉の動きがずいぶん……
「ちょ、ちょっと待て! こいつって、ロボットじゃないんじゃ?」
「それは有機体の生き物ではございません、殿下」
「でも! 意識や反応がまるっきり人間じゃないか?!」
人工知能をもつアンドロイドなのか?
それにしては、ずいぶん目の動きや表情が細かい。本物の人間と変わらないように見える。
泣きじゃくってる機霊の様子からするに、ただの機械人形とは思えない。
ずるむけて焼けた皮の下は、たしかに機械だ。細いチューブ。金属の骨。でも頭部に嵌まってるのは生身の……
「の、脳みそあるじゃん!」
「どうかそれ以上、お近づきになりませぬよう」
さらにそばに寄ろうとする俺の肩を、近衛の一人がそっと押しとどめてきた。
泣きじゃくる機霊体が必死に、ピキピキチリリと周囲に救難信号を発信してる。
『
「おいちょっと! あれってほとんど機械だけど脳みそは――」
「機械人形です、殿下」
「嘘だ! あれ、人間のだろ? つまり人間だろ?」
ダミーだなんて。人間じゃないなんて。きっと違う。
「殿下。あれは人間ではございません。もともとはそうでしたが、罪を犯して人権を剥奪された者なのです」
「なん……だって?」
「当局により、被実験体となる刑を受けたのです。ですからもう、あれは人間ではないのです」
罪人?! そ、そんな。それにしたって。
『有人请帮助!!』
主人の生命力が切れかかってるんだろう。機霊体が薄れてくる。ざわざわと少女の幻影に切れ目が入ってきた。ああ、もう風前の灯火だ。
なんて顔してるんだろう。なんて悲しそうな……
「ま、待ってくれ! この宮殿、工房あるよな?! すぐにそいつをそこへ――」
「はい。ただちに回収いたします、殿下」
「お目汚し申し訳ございません」
「違う! だから! うがああ! えっと俺、偉いんだろ?! 殿下って、あんたたちに命令できる?」
「はい。ご所望のものはなんなりとそろえます」
「そ、それなら!」
俺は頭をがしがし掻きながら、命消えゆく「機械人形」をびしりと指差した。
「今すぐあいつを救助してくれよ!! 俺、あいつの命が欲しい! 生かしてくれ!」
三つ編みたちがしんと静まり返り、動きを止めた。
「そんで!」
俺は沈黙が降りた場に訴えた。慌てて声がうわずってたが、そんなの気にしてる場合じゃない。
「頼むから、今すぐプジに会わせてくれっ!」
数秒間の沈黙。
「御意、殿下」
おお、やった。よかった。「殿下」万歳?
三つ編み男たちが動き出し、息も絶え絶えの「機械人形」に群がる。
ホッとした俺はだがしかし。たちまち安堵の吐息を凍らせた。
「恐れながらこの機械人形は、殿下のご所有物にすることができると思いますが」
近衛のひとりがずざりと平伏してきた。
「殿下の飼い猫さまは、ここにお戻しすることができません」
「な、なんでだよ?」
「あの猫さまは、
「な……んだって?」
嘘だろ? ちらとよぎった予感が、当たった?
「そ! そんなっ! そんな、勝手に! 人の猫を拉致るとか! おい!」
俺の足元で銀の箱に入った猫がにゃあと鳴いた。
どうかあきらめてくれと。僕をかわいがってくれと言いたげに。
にゃあ
ただただあどけなく、無邪気に鳴いた――。
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