幕間1
幕間1 黒髪のマドンナ
「こちら大陸東部『光陽』支部。帝都『炎安』本部、どうぞ」
『请您介绍一下目前的情况来看、
手の中にある緑色の光の玉。そこから、壮年の男の渋い声が聞こえてくる。
まるで人魂のようなその光に、私はそっと囁いた。
「東部五区通称コウヨウにて観測されました暗黒波動は、この街に潜伏しております。どうぞ」
コンクリート製の立派な校舎が建ちつつある建築現場。白砂が敷かれた校庭を晩夏の風が吹きぬけていく。
風になびいて流れる黒髪を、私はこめかみのところで抑えつけた。焼かれた街に吹く風はまだ、どことなく焦げ臭い。
「ほんと嫌な匂いね……」
腐ったどぶ川。まさしくそんな感じ。
建設中の校舎の建材は、ほぼ瓦礫を再利用したもの。洗浄しているらしいけれど、長年こびりついたジャンク街の蒸気と生活臭は、そうそう取れるものじゃない。
ごちゃごちゃした黒いジャンクビルの森に、もうもうとたち込めていた蒸気。その煙たさといったらなかった。胸を病みそうでこわかった。ビルの狭い一室に通ってくる子どもたちは、読み書きや計算をしながらケホケホ。蒸気を吸えば咳き込んでしまうから、窓はずっと閉め切ったままにしていたっけ。
「きっと何年か経ったら、またあんなビルの森ができるんだわ」
下界の技術はなべて、機関石によるもの。いずれこの街はまた、蒸気にあふれる。
この街に降りたって何年になるかしら?
煤けた蒸気の匂いは、私の体にもすっかり染みついている。濁っているシャワーの水では、決して取れないもの。
ああでも。もうじき、このいやな匂いは体からすっかり抜け落ちる。
やっと天上へ帰ることが出来る。空に浮かぶ島都市へ――
『我明白。车队派遣到你、送信』
「はい。博士も喜ぶと思います。では到着をお待ちします。どうぞ」
『请以维持现状。关闭线、送信』
「了解!」
さて。シングジャンク店に寄らなくちゃね。
仮校舎であるプレハブ小屋から、優しい声で子どもたちを追い出して。職員たちに挨拶して。
着々と復興されつつあるコウヨウの大通りを、西へ向かう。
半年前に東部戦区にほど近い所で、派手派手しい「天使の越境戦闘」を目にして以来、シングジャンク店には当局による本格的な監視がつけられてるのよね。
今日は赤毛の女装男がこの監視地点に来訪しているはず。昨日、技師の孫がそう言っていたし、当局からも連絡があったわ。
『ロッテさんすげえよ、星取りエースだぜ。でもまた、新エルドラシアの皇帝機にやられたってさ』
目的は、アホウドリサイズの機霊をまた改造するためよね。
店選びはここで大正解だわよ、赤毛のボウヤ。
そうつぶやきたくてむずむずするわが身を、おのが腕で抱きしめる。
「ふふふっ。武者震いかしら」
ああ、ぺろりと上唇を舐めちゃったわ。舌なめずりというものね。だって獲物は超大物なんですもの。長らくお互いに正体を隠して、お互い何食わぬ顔で過ごしてきたけれど。
みごとに暗黒機霊を復活させたあの腕前。これがあの伝説の技師でなくてなんなの?
コウヨウの街が輝く夜の太陽に焼かれた夜、黒い機霊が顕現していた。
シングジャンク店の孫息子の背中のあたりに、実にはっきりと。
あんな古いものをよみがえらせるなんて並大抵の技師じゃない。間違いないわ。やはり私が読んだとおり、あの店のおじいちゃまは……
「ふふふっ。私、小さいころから、あなたの大ファンだったのよ。もう逃げられませんわ、太・上・老・君・様♪」
この世は常に新しいものを求めている。
古きものは忘れ去られ、無残に捨て去られるのが、世の必定。
機霊はどんどん進化している。初めて作られたときのものとは、まったく別ものになっているけれど、これからさらに……。
「翼を背負って交戦。そんな原始的な戦い方が、これから一変する……。古き物は、新しいものに生まれ変わる。博士の研究のおかげで。そして太上老君様。あなたのお力で」
下界にこそ逸材がいる。磨けば輝く宝石の原石たちが。
私が見込んだ博士は下界生まれの下界育ち。にもかかわらず天界の科学アカデミーの連中にひけをとらないどころか、彼らの凝り固まった概念や方法論を軽く凌駕している。
博士の理論を朗君様が実現させれば。わが祖国はきっと、エルドラシアに勝てる。
そう、金髪乙女の新皇帝機など目じゃないわ。
どきどきするじゃない?
機霊を、もっと進化させたものにするなんて。
役立たずと断じられた古い機霊たちは、生まれ変われる。彼らこそが、新しい時代を切り開くものとなるのよ。
帝都から来るお迎えを、老君様は歓迎してくださるはず。
だって伝説の技師の祖国は、私の祖国。老君様の生まれ故郷なんですもの。
「どんなに天界が嫌いだからって、女帝陛下の思し召しは断れないわよね。愛する妻の頼みは」
私はにっこり笑顔を作り、シングジャンク店の扉を押して中へ入った。
黒縁めがねをひと指し指で押し上げながら、
「ごめんくださぁーい」
一オクターブ高い声を出せば、一秒経たずに反応が来る。
「うひょおお! メイ姉さん! 今日はどんな御用でええ?」
「あのね、またおじいちゃまのメケメケを貸してほしいの」
「お。ということは」
店の奥からさっそく出てきた少年に私はにっこり。
「そうなの。海底神殿にまた調査しにいくことになったから。だからまた、同行をお願いできるかしら」
「おおおー! またヨコスカ沖に潜るんすね! 任せろおおお!」
「今回の調査予定遺跡を、くわしく説明してもいいかしら?」
「どーぞどーぞ、じっくりとっぷり詳細にお願いします! さああ、うちの台所にぃっ」
ふふふっ。
この子、本当にかわいいんだから。
読み書きは苦手だったけれど計算は驚くほど速いのよね。でも本人は自覚していない。「ざっくりてきとうにやった」なんていつも言うけど、とんでもないわ。自分が脳内で瞬時に暗算していることを知らない、天然天才児よ。
「むー。いらっしゃいませ」
少年の後ろにひっついている禿猫が、警戒してるのか青い目をすがめてるけど。この状態ならたいしたことはないわ。じきに迎えの者たちが来て持ち去ってくれる。
「豆茶いれまっす!」
黒髪の少年と一緒に猫が背を向けた隙に、私はまた上唇をなめた。
ふふっ。逃さないわ。
暗黒機霊だけじゃない。この、皇統の血を引く黒髪少年も。そして、いずれは天に浮かぶ祖国も。近い将来、すべて私のものになるのよ。
すべて……
そう、未来は。
私の未来は。きっと明るい――。
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