5話 色のない夢 (皇帝)

 一面、銀色の草が生えている。

 雲ひとつない真っ白い空の下で、その草原がそよそよ風に揺れている。

 木もちらほら、そこには生えているけれど。

 なぜかみんな幹が黒くて、葉っぱは銀色だ。

 さくさく歩いていたら、どこからともなく歌声が聞こえてきた。

 りん、と澄んだ高音域の声。

 女性――たぶんかなり若い女の人の声だ。

 

『Auf Wiedersehen

 Mein kleiner Vogel

 Im Boden

 Bitte schauen Sie sich den Traum

 Ein sehr glücklicher Traum』


 何を歌ってるんだろう。言葉がぜんぜんわからない。

 でも、とても悲しげでかすれている。

 風が冷たい。

 吐き出す息が白い。

 ぽつぽつ白いものが舞っている。

 雪、だろうか……


『Bitte schauen Sie sich den Traum

 Ein sehr glücklicher Traum』


 歌声をたどる。

 寒さに身を震わせながら、足早に銀色の草原を進む。

 歌声の主は、草の海の奥の奥。しろがね色の木々が取り囲む中にいた。

 それはとても不思議な光景だった。

 まわりはなにもかも、白か銀色か、黒。色がない世界なのに。

 こちらに背を向けてしゃがんでいるその人だけは、燦然と黄金色に輝いていた。

 ふわりふわりと風にゆれているのは、金髪のツインテールエンゼルス・フリューゲル

 

『――!』


 僕はその人のことをよく知っているらしい。

 名前を叫んで、走り寄った。

 ふりむいたその人は、スミレ色の瞳をぱっと輝かせて、僕の胸元に飛び込んできた。

 でも。僕をとらえてよろこびの色を見せた彼女のまなざしは、たちまち暗く沈んだ。


『あの子が、死んでしまったの』


 泣いていたのか、目の周りがほんのり赤く腫れている。

 抱きしめると、折れてしまいそうなほどに細い。


『だからお参りしていたの』


 彼女がしゃがんでいたそばに、石版が埋まっている。

 とたんに僕の脳裏に、とても幼い女の子の姿が思い浮かぶ。

 黒髪のおかっぱ頭。いたずらっぽくキラキラ光る大きな紫の目。

 白い歯をみせて小悪魔のように笑う子だった。

 そういえば……

 彼女とは仲良しで。唯一といってもいい友だちだった。

 

『毎日遊びにきてくれたわ。一緒にがんばろうねって、いつも励ましてくれた。隣の病室にいたのよ』


 うん。「知っている」。

 彼女の友だちの姿を思い出すと同時に、いろんな記憶が流れ込んできた。

 黄金に輝くこの少女がまっ白いネグリジェ姿でいるのは、病気を患っていて、いつも臥せっているからだとか。

 生まれてこのかた、病院から出たことがないとか。

 もう彼女の寿命は、いくばくもない……とか……

 風が冷たいと愚痴って、僕は彼女を抱き締めた。

 早く暖かい病室に連れ帰って、ベッドに戻さないと。

 そうするために彼女を探していたんだと「思い出した」。

 そして考えていた。

 もっともっと、生きながらえさせるにはどうしたらいいのか。

 必死に考えていた……。


『どうしてみんな、死んじゃうの』

 彼女がぎゅっと目をつぶる。

 

『私の方が重い病気なのに。どうして、みんな先にいっちゃうの? パパも。ママも。あの子も……あなたも、そうなの? いつか私より先にいっちゃうの?』


 白い頬をぽろぽろと、涙がこぼれ落ちていく。

 かわいそうに彼女の体は風にさらされて、とても冷え切っている。


 大丈夫。


 僕は彼女に答える。


 先にはいかない。僕はだれよりも強いから。


 早く暖めてあげないと。発作が出たら大変だ。

 僕は彼女を抱き上げて急いで走った。

 銀の野原を突っ切って、白い建物に入る。

 右へ行けば彼女の病室。けれど。こんなに冷たくなった体のまま、帰したくなかった。

 暖めないと。

 いますぐ暖めないと――。


『どこにいくの?』

 

 僕がまた外に出たので、彼女は目をみはった。

 走り出す僕の勢いに、黄金色のツインテールエンゼルス・フリューゲルがふわと流れる。

 白い雪が舞う。

 あたりが真っ白になって見えないぐらい、降ってくる。

 きん、と冷え切った空気を割るように、肩に背負っている機霊を広げる。

 アホウドリくらいに伸びた大きな銀色の両翼を。

 僕の機霊は口うるさいから、飛行能力だけ発現できる第一形態のままにしておいて飛ぶ。

 

『きゃあ』


 浮かび上がるなり、腕の中の少女が悲鳴をあげた。

 

 大丈夫だよ。


 ひと薙ぎ。ふた薙ぎ。思い切りはばたくと、あっという間に白い建物が小さく、遠くなる。

 結界スケードを張れば寒気なんか一瞬で吹き飛ぶ。

 青みがかった膜が、外の空気を遮断してくれるから。

 暖かい空気が、僕の大きな翼からふしゅうと吹き出してきた。


『わあ。すごいわ』


 みるまに彼女の頬に赤みがさす。唇にも。


『寒くないわ。もうぜんぜん寒くないわ』


 僕の翼はなんでもできる。

 清涼ないやしの空気を吹き出せるし。敵の弾幕をはじけるし。

 島都市フライアから一直線に、大陸ユミルの、この小さな街に飛んでこれた。

 僕はどこにだって飛んでいける。

 雲の上の上の、空気のないはるか高みにだっていけるんだ――

 

『雪。雪。雪……! きれい! きれいだわ!』


 舞い散る雪の中をゆっくり回転しながら飛ぶ僕ら。

 僕にしがみつく彼女がはしゃぐ。金のツインテールエンゼルスフリューゲルがふわふわ揺れる。

 その幸せそうな笑顔を見て、心が固まった。 



 迷っていたけど。決めたよ。



『迷ってた? なにを?』


 明るい声で聞き返す彼女に、僕は答えなかった。拒否されるのがこわかったからだ。



 これからきみと、ずっと一緒にいる。


 

 僕は彼女に囁いた。

 真剣な顔の僕を映す、きらめくスミレの瞳を見つめながら。

 小さな薔薇色の唇に自分の唇を近づけながら。



 もう離さない。永遠に、僕と一緒にいてくれ。



 彼女の唇をふさぐ寸前。かすかに震えるその口から言葉が漏れてきた。

 僕の言葉に対する返事が。

 僕が望んだ答えが。

 


『はい。マレイスニール……』

 


 ?

 マレイスニール?

 いや、ちがう。

 ちがう。

 僕は。

 僕は――!





「っ……!」


 目を開けたら、そこは屋内だった。

 ギヤマンドームの透明な天蓋が目の前に見える。

 どうやら培養カプセルみたいなものに入れられているらしい。

 仰向けに横たわっている僕の体は、ほどよく冷えている。冷凍睡眠とまではいかないものの、低温域で治癒ガスを送り込まれていたようだ。

 熱かった背中は、ほとんど痛みを感じない。ずいぶん焼けていただろうと思う。もしかしたら、機霊機がむき出しになっていたかもしれない。僕の機霊は無事だろうか……。

 青い光線の直撃を受けたから、どこかはきっと損傷しているはずだ。

 

「目をさましたかね?」


 ギヤマンドームに人影がさす。

 覗き込んでいるのは老人だ。髪もひげも真っ白。顔はしわくちゃ。眼は糸のようで、ずいぶんな年寄りだ。こくりとうなずいてみせれば、ふしゅふしゅと消毒ガスのようなものがカプセルの中に噴出してきた。

 なんて暖かいんだろう……


「起きあがれるかの?」


 ゆっくりゆっくり、ギヤマンドームが開いていく。

 上半身をあげると、ちゃぷんと水音がした。培養液……癒やしの水がうっすらたゆたっている。背中やお尻がひたるぐらいの浅い水位だ。

 しわくちゃの老人がカプセルの後ろに回り、僕の背をじっくり眺めはじめる。

 治療用の培養カプセルはあるものの、ここは病院ではなさそうだ。

 周囲を見渡せば――


「う……? なんて広い……」


 そこは広大でごちゃごちゃとした異様な空間だった。

 カプセルの下も脇もチューブと金属管だらけ。ふっしゅふっしゅと蒸気を出す歯車が、そこかしこにあってゆっくり回転している。その動力でこの治癒カプセルが動いているらしい。

 隣にもそのまた隣にも、カプセルが並んでいる。

 寝台型だけではなく、筒型のものの方が多い。泡立つ液体が入っているものが、まるで柱のようにそこかしこに立っている。中に入っているのは機械の部品? 金属の色をした手や足の部分が見える。溶液に漬けられているということは、人工皮膜を培養してでもいるんだろうか……


「ふうむ。背中の傷はふさがったようだが。機霊核の調子はどうかのう?」


 焼けた背中は、培養液で復元されたようだ。ありがたいが、機霊核を知っているとは……この老人は医師ではないのだろう。


「しかしご災難でしたなぁ。背中にバクテリア鉱がついておりましたからな。はがすのが結構大変でしたぞ」

「バクテリア鉱……」

「珍しい熱性のものでしたぞ。よく見られる、熱を食う氷結性のものとは正反対の性質でしたな。冷却装置にひっついて冷気を食べて熱を放つ、といったものでした。あれは人工的に生成されたものでしょう」

「ふむ……」


 この妖しげな部屋からすると、老人は大陸ユミルにこっそり住んでいる技師だろうか。

 となれば、できるだけ沈黙しておくにこしたことはない。この工房めいたところがもし、僕が落ちた大陸ユミルのどこかにあるのなら。我が帝国か、それとも他の島都市の隠れ拠点かもしれないからだ。

 大陸には戦場がそこかしこにあるが、その周辺の汚らしい街には、天使たちが利用する拠点が多く隠されて存在しているときく。補給やメンテを行う場所として稼動しているのだと。

 たとえ我が帝国の拠点だとしても、帝国皇帝が撃たれて落ちたなど、こんな末端のものどもに知られるわけにはいかない。


「どうですかな? もしよろしければ機霊の方も――」

「いや、いらぬ世話だ。たしかに機霊は壊れているが、我が家の専属技師に修理させる」

「ほうほう。そうですかのう」

「いや、治療してくれたことは大儀であった。それにしても」


 僕はウッと目をすがめた。


「まぶしい……」


 いったいどれだけ照明があるんだ?

 天井にも太いのから細いのまで管がびっしりだが、そこからいくつもライトが下がっている。

 こうこうとふりそそぐ真っ白い光がまばゆすぎて、僕の周りは色が飛んでるぐらいだ。 

 

「すみませんなぁ。今、光合成しとるとこでしてな」

「色が、見えなくなったのかと思った」

「色が?」

「視界が白黒になっていて……」

「ほう、白黒」


 老人も僕も、自然に共通語をしゃべっている。

 大陸ユミルの虫ども……島都市コロニアに住めない人間たちは汚くて不可解な言葉をしゃべるらしいから、やはりこの人はどこかの島都市の人だろう。

 老人が青みがかった手袋をした指をたてて、僕から少し離れる。


「一色覚になるとは、脳を損傷しましたかの。これはちゃんと見えますかな? この指は何色で何本か、ぼやけず見えますかな?」

「あ、いや、夢の中での話だ。我の視覚は正常だ」

「白黒の夢、ですか」


 しわくちゃの老人はぼりぼりあごひげをかいて、ライトだらけの天井を仰いだ。


「それはまあ、モノクロムービーを日常的に見ていればそうなりますな。老化現象著しい者にとってはごく普通の現象ですしのう。突然そうなったのであれば、やはり少々、脳の機能が低下したのでしょうなぁ。強い衝撃など受けたせいですかのう」

「衝撃……」

「天から落ちてきたと、孫から聞きましたぞ」


 どうやら、この老人の孫というのが僕を拾ってここに運んできたらしい。

 なんともひやひやさせられる事態だ。

 カプセルの中で目覚めるまで意識がまったくなかったから、孫というやつがどんなかわからない。

 いいやつなのか、悪いやつなのか。どちらだろう?

 幸い、この老人は僕を拘束するつもりはないようだ。手錠とか鎖とか、そんなものを出してくる気配はない。


「しばらくはこのカプセルで寝起きなさった方がよいですなぁ。白黒の夢が治らんようでしたら、脳をスキャンしましょうかの」

「いや、これ以上の治療は……」


 脳を覗く?

 どさくさまぎれに情報を吸い取るつもりじゃないだろうな?

 素性の分からぬ相手に、これ以上世話になるわけにはいかない。

 この老人にこれからしてもらうべきことは、僕の味方になってくれそうなところに連絡をつけてもらうこと。それだけだ。

 偽名を使っていずこかの島都市にある我が帝国の大使館に入り、時機を見てこれはと思う者に身分を明かす。そいつに宮殿や元老院の様子をさぐってもらう。

 そうするまで、我が身の正体をなんぴとにも明かさないほうがいいだろう。

 なぜなら僕を襲った青い光線は、宮殿から一直線に飛んできた。

 事故だと信じたいが。わざとバクテリア鉱とかいうものをはりつけられたとなれば、謀反が起きた可能性が高い……。

 

「ああそうそう、治療のために、服を脱がせていただきましてのう」


 言われてはじめて、一糸まとわぬ姿だということに気づく。

 しかし全裸だからとて臆する僕ではない。

 エルドラシアの皇帝は、完全なる存在。白き玉肌をもつこの肉体ほど均整がとれ美しいものはないと認識している。見世物ではないが、見せるのをはばかるような不完全なものではない。


「服は汚れておりましたので、孫が洗濯をいたしました」


 老人が僕が着ていた白と黄色の皇帝服を差し出してくる。

 いったい何で洗われたのだろう。ほんのり甘い香りがする。

 できれば伽羅きゃらで焚きしめてほしかったが。大陸ユミル住まいの者どもにそんなことを期待するのは無理というものか。

 

「下穿きがない」

「おや? パンツが、ですか?」


 孫が取り込むのを忘れたのでしょうと、老人はあごひげをかきながら苦笑した。


「あれは少々、ぬけておりましてな。ざっくりてきとう型だとかなんとか、自分で自称してひらきなおるぐらいでして」


 お許しくだされ、と頭を下げてきた老人は、くいと顔をあげ、にっこり微笑んでたずねてきた。

 


「さてさて、お名前は? なんとお呼びすればよろしいですかの?」

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