4話 黒夜鳥 (テル)
さて困った。
今俺の目の前には、銀髪のちびっこい奴がすっころがってる。
たぶん天使なんだろうけど、堕ちてきたのは「戦場」からじゃない。
意識がなくて、背中になんか赤いものが取り付いてて。じゅうじゅうブスブス、白い皮膚が焼けている。
「うっ……いやな匂いね」
俺の肩に取りついてるプジが呻く。
俺の飼い猫は今、黒い竜翼を出した「第一形態」になってる。いつものモフ顔よりかなり締まった、短毛スレンダーな顔。全身黒光りしてて、尻尾は倍ぐらい伸びて、ムチのようにしなやかつるつる。俺にひっかけてる手足は猫足じゃなくて、しなびた人の手みたいだ。しかも翼は、こうもりのよう。
こんな姿になるのは、俺がプジを作ったときに適当に嵌めこんだ、紫色の玉のせいだ。その玉は数年前、メイ姉さんの海底遺跡調査を手伝ったときにこっそり遺跡で拾った。ずいぶん古いし、小さな祭壇部屋の隅にすっ転がってたから、てっきり壁から落ちた灯り球だろうと思ってた。エネルギーを貯めておける、ただの
でも、違った。動かしてみたら――
「この子の機霊核、アタシのまんまる心臓と違って円盤なのね」
プジの心臓は、なんと機霊核だった。
「この背中……ちょっと正視できないぐらいの焼け具合だよな」
「とかいって、テルったらまじまじと見てるし」
「こいつの機霊、どんなかなと思って」
倒れてる子の背中に見えるのは、薄い円盤型の機霊核。ひと目で埋め込み融合型と分かる埋まり具合だ。ずるむけて焼けただれている背中の少し上、肩甲骨の間にフラットに嵌まってる。
「この子、髪短くて、男みたいにみえるけど。融合型ついてるから女の子だよな?」
機霊には、分離型と融合型の二種類あるんだけど。いまどきの機霊はほとんど融合型だ。
肩に背負う形の分離型って出力微妙だから、今はまったく作られなくなって、骨董品レベル。
でも融合型は、遺伝子XX型の人間、すなわち女にしかひっつかない。培養工場で作られる接合神経は、どういうわけかY遺伝子をひどく嫌う。機霊核を男性の体に埋め込んでも、まったく起動しないぐらい相性が悪い。
そんなわけで今の世の中、天使はみんな女の人。っていうのがこの世の常識だ。
「早く助けてあげなさいよ」
「おう」
「ほんとアタシ、怒らないから」
肩にひっついてるネコ機霊は、不機嫌そうに黒い翼をひと薙ぎ。
しゅんしゅんサファイアの目を鳴らし、しっぽで俺のケツをばっしんと叩いてくる。
うーん、これは。なんか、手放しで許可してくれてる感じじゃないな。
「ああ、お姫様だっこはしないで」
「あ、はい」
なるほど、だっこの仕方か。
俺は抱き上げかけた子を下ろし、両腕にうつぶせの体勢で乗せ直してひょいと持ち上げた。
「うん、それでいいわよ」
なんか手足だらーんだけど、いいってことにしよう。背中が焼けてるからこっちの体勢の方がいいだろうし。
「その子が起きたら、アタシがお話するからね」
「あ、はい」
俺が女と話すと、プジはなぜかどえらく機嫌が悪くなる。
全身ばっさばさに毛を逆立てて引っかいてくるんだけど、わけわかんねえ。いいかげん悟りなさいよとかいわれるんだけど、何をどう悟ったらいいのか、全然わかんねえ。
寺で修行でもしたら、ネコの思考回路がわかるんだろうか。
とりあえず、引っかかれるのはいやなんで、女がらみのことはみんな、プジにうかがいをたてることにしてる。
「お。ずいぶん軽いなぁ」
腕に乗せた子は、まだ十代半ばぐらい。俺と同い年ぐらいに見える。白くて痩せてて、手足は針金みたいに細い。こんな華奢な子が、「戦場」で空を飛んで戦ってるんだろうか。
それにしても。
「うーん……大きくないな」
「え? なにが」
「あーっとほらあれ、あれだ」
融合型だから女の子のはずなのに。腕に当たってる胸板の、なんというかその。ほんとならふわっとかむにっとかする部分が、なんというかその。平らっていうか。かなり残念っていうか。
でも言ったらなんだかプジに引っかかれそうな気がしたので、言葉を濁す。
「うん、大きくないな、この機霊」
そうね、とうなずいたプジが、青い瞳でのぞきこみながらつぶやいた。
「金の円盤……まさか金メッキの……」
「お? プジ、なんか知ってんの?」
「ううん……わかんない。アタシ記憶ないからね」
「そっか」
プジは――プジの意思体であり心臓である機霊核は、ネコの体に嵌まる前のことをほとんど覚えてない。古い古い機霊核の
記憶が飛んじまうほどの戦いなんて。
きっとろくなもんじゃない――。
天使を抱えて
「エンジンの冷却剤がもれ出してる。こいつを嫌がったのか」
アメーバ体のバクテリア鉱は、冷たいもんが大嫌い。冷気を感じた瞬間にあわてて離れていったようだ。枯れた赤い大地のだいぶ先まで、ほのかな銀色の軌跡が、もわもわ湯気のように立ち上ってる。地熱だまりがあれば、深く深くもぐっちまうだろう。
「あーあ、採り直しか。こりゃ、バケツに蓋するだけじゃだめだな」
今度はバケツの底にカイロひっつけて、逃亡防止を試みるか。
テケテケのエンジンは無傷だけど、冷却材がすっかり出てるから無理に動かしたくない。ちょっと先にある赤森に隠していこう。あそこまでなら、エンジンが焼けないうちに行きつける。
「プジ、推進アシスト頼む」
「了解っ」
テケテケの尻をひっぱって、荷台を引き出して。背中が焼けてる子をそこに乗っけてぐるぐる紐で固定して、エンジン始動! 俺の肩についてるプジが、竜翼をばさりとひと薙ぎすると。
「うっひゅうー!」
反重力装置でわずかに浮いたテケテケは、すげえスピードで地を滑りだした。
「いつもこれできたら、いいんだけどなー」
速い速い。すっげえ速い。顔に当たる夕闇の風。めちゃくちゃ気持ちいい!
ギルドのおっさんが自慢げに乗ってたヒュンヒュンなんて、目じゃない。
見せつけてやりたいのはやまやまだなんけどなぁ。あいつらに見せたらきっと、プジは盗まれちまうだろう。機霊核なんて超レアものは、目玉が飛び出るぐらい高く売れるもんな。
だからプジが機霊だってことは、だれにも秘密。
じっちゃんにすら打ち明けてない、ぜったいの秘密だ。
「テル、発掘屋が集まってきたわ」
年がら年中真っ赤な葉っぱがしげる赤森。その木の茂みの中にテケテケを隠してると、東の幹線道路からふおんふおんと、駆動機のエンジン音が聞こえてきた。
一台や二台じゃない。何十台ものヒュンヒュンが全速力で走ってるようだ。
目指すは、俺たちがいたところ。天使が落ちてできたクレーターだろう。あんなに深くて広いおわん型の穴ができるぐらい、すさまじい爆発だったもんな。何かがめり込んだ、たぶんでっかい隕石が落ちたと、誰もが思うよな。高価な加工材料をゲットして高く売ろうって考える奴は、コウヨウの街にはごまんといる。
「危機一髪ってところね」
「そうか? 余裕しゃくしゃくだよ」
赤森の木々や草花の葉っぱがすべからく真っ赤なのは、季節のせいでも黄昏のせいでもない。
汚れた赤い大地から汚水を吸い上げてるせいだ。大木に赤いつる草が一面からまっていて、あたりは真紅の世界。地面なんて少しもみえない。
赤い樹海はコウヨウの街まで迫ってるから、こっそり街へ飛んで帰るには格好のコース。俺はテケテケからおろした子を、またうつぶせにして両腕で抱えた。
俺の肩にひっついてるプジが、黒い竜翼をぎゅんと薙ぐ。紫色の風があたりに吹いて、俺たちの体がふわりと浮き上がる。
プジは低く低く、森の中を飛び始めた。
「あのさ。この体勢、結構しんどいんだけど」
「お姫さまだっこはだめ」
「あ、はい」
この子軽いんだけど、全体重が両腕にかかるから結構疲れるんだよな。重心を変えたら楽になるかと、腕を移動させてみる。
「ふぉ?!」
な? なんだ今の違和感。腿からお腹の下に腕をスライドさせたら、なんか……当たったような気が……
「どうしたのテル?」
「あ、いやそのあの」
白くてひらひらの服の……もたつき? いやでもなんか、この感触って……
「うそだそんな。融合型なのにっ」
「テル?」
「ぷぷぷぷじ、こいつ、もしかしたら――」
俺のうろたえ声は、いきなりそばからびゃっと飛び出してきたものに遮られた。ものすごい勢いで、黒くて巨大な塊がすっ飛んでいく。
「ひゃあ?! こ、黒夜鳥!?」
びっくりした。何かと思ったら、鳥の群れだった。赤森を棲家にしてる、黒夜鳥。全身真っ黒でカラスみたいだけど、その倍ぐらい大きい。
「うわあ、いっぱいいるぜプジ」
百? 二百? ずいぶん大きな群れだ。手ぶらだったら、狩れたのに。黒夜鳥の蒸し焼きって、脂ほどよくておいしいんだよな。
「テル! 三時方向!」
プジが叫んだと同時に、すぐ隣を飛んでる黒い鳥の群れが、一瞬四方に散った。
黒い鳥が一羽、急に失速して地に落ちていく。
狩れるのに、と思ったのは、俺だけじゃないみたいだ。
でも。
「えっ?! こんな時間に、マジ狩りしてるやつがいる?!」
夕暮れの、一番視界が悪くなるときに?
なんにせよ俺たちの姿を目撃されたらまずい。
ここを狩り場にするなんて、コウヨウの街のもん以外のだれがいるっていうんだ。
「テル! 二時方向!」
固まりかけた鳥の群れが、また散る。きゅんと息の詰まった断末魔を発して、黒い鳥がまた一羽落ちていった。なぜ落ちる? 一体何でしとめてるんだ?
「プジ、弾道が見えねえ!」
「
背中のプジが、青い瞳をしゅんしゅんさせる。さすがもと機械兵士の目。プジには、見えない弾がしっかり見えてるようだ。でもステルス弾って!
「おいそれ、普通の狩りに使うもんじゃねえぞ。ギルドの殺し屋とかが――」
「一時方向!」
叫ぶと同時に、プジがそばを飛ぶ黒い鳥たちと同じ動きをして、九時方向に飛んだ。
銀髪の子を落すまじと、俺は腕に力をこめた。
木々の茂みと夕闇で、鳥たちの姿は暮れなずむ空の色にほとんど同化している。なのにまた一羽、黒い鳥がしとめられて地に落とされた。
「下にいるの、普通の狩人じゃないぞっ」
「テル、
プジが竜翼をぎゅんと動かす。俺たちと同じ方向に散った鳥たちの一羽が、その瞬間、撃ち落とされた。その時俺にもやっと、ステルス弾の炸裂が見えた。速すぎて一瞬だったけど、青い針金のような筋が鳥の胴体を射抜いて――。
「ひ……!」
もう一羽、そばにいた鳥が落とされた。なんだか、わざと俺たちに照準を合わせないで周りを撃ってるような……じわじわプレッシャーかけてくるような……そんなおそろしい攻撃だ。
ちくしょう、いいようにもて遊ばれてるような気がする。これ、逃げ切れるか?
「大丈夫よテル」
歯軋りする俺に、プジがきっぱり言ってくる。黒い竜翼を大きく薙ぎながら。
「アタシには見える。任せて!」
そのはばたく翼を、何かが唸りをあげてかすっていった。
ステルス弾だ。ついに俺たちを狙ってきたらしい。
「がんばれプジ! がんばれ……!!」
プジの翼がせわしく動く。紫色の飛翔軌道が一瞬あたりに炸裂してきらきら輝いた。まるで、妖精の羽から落ちる鱗粉みたいに。うわ。なんて。なんて、きれいなんだろう……。
一時間後。
俺たちは、真っ黒なジャンクビルの軒先で、ベンチに座ってぐったり伸びた。
手足を投げ出して瓶いり炭酸コカをラッパ飲みしてる俺の膝の上に、丸はげシャムのプジが体を伸ばしてなだれこんでる。
「つ、つかれた……」
「ほんとねー」
ひやひやもんだったけど。プジは見事に、得体の知れないステルス弾をかわしきってくれた。おかげでなんとか、コウヨウの街まで逃げ切れた。
「日が沈む。月も沈んだかな」
見上げても、空はちょびっと。手でつかめるぐらいしか見えない。
目の前は狭い路地。前も左右も黒ずんだ、せいたかのっぽのジャンクビルがそびえ建ってる。ビルのいたるところから、ふしゅーふしゅー。何百という金属官から吐き出される蒸気が、街の中を真っ白くしてる。一日25時間、壁の中や地下にある蒸気機関が絶えずゆっくり回ってて、発電したりベーターを動かしたりしてるのだ。
俺のすぐとなりでも、でっかい歯車が元気にふしゅふしゅ回転してて発電中。俺んちの店の看板を色とりどりに光らせてる。
『シング ジャンク店』
拾ってきた子はついさっき、うちの店の地下に収容した。秘密の工房ってやつだ。カプセルにつっこんだその子を、じっちゃんが治療しがてら調べ始めてる。
背中に嵌まった機霊は融合型だから、女の子のはずなんだけど。じっちゃんもうーんと首を傾げてた。
「大体さ、銀髪って、あんまりみないよな」
「そうねえ」
プジは大あくび。さすがに疲れたよな。でもこいつ、大活躍だ。ほんと助かった。
「きゃ、テルくすぐったい」
首筋をかいてやると、プジが喉をごろごろ鳴らし始める。あ、こら腕にじゃれつくなよ。
甘噛み痛いって。こら。
――「テル! おばんっす」
お? 今の声は……。路地の果てから、せいたかのっぽの人がゆうゆうと歩いてきて、にっこり俺に手を振って目の前にくる。
切れ長の目。金色の長髪。腕まくりの黒の革ジャンに、肩から下げてる筒長の光線銃。指なしの革手袋を嵌めてる、すげえかっこいい人。
「ハル兄!」
「テル、晩御飯食ったか?」
「うひゃ。まだだよう」
おっきな手が、俺の頭をくしゃくしゃもみくちゃにしてくる。
ハル兄は、向かいのビルの一室に住んでる「お向かいさん」。病気がちなお母さんと二人で暮らしてる。学校出るなり、とある発掘ギルドに入って発掘屋になったけど、ピンハネされまくるのに嫌気がさしてフリーになった。
まだ二十歳なのに腕がよくて、上級遺跡に行きまくり。最近、遺跡の奥底で暴れた巨大機械獣を倒したもんだから、コウヨウにある発掘ギルドは軒並み、ハル兄に一目置きはじめてる。
ガキのころからずっと目をかけてもらってる俺にとっては、たのもしい兄ちゃんというか、憧れの英雄っていうか……。
「今日は大漁でなぁ」
ハル兄が背中のどでかいリュックを、どさあと降ろす。膨らみまくってぱんぱんだ。
「うわぁハル兄! 今日はどこの遺跡に行ったのさ?」
「いや、遺跡には行かなくてな。新調した得物を試し撃ちしてた」
「ためしうち?」
「練習もかねて、肉眼で鳥撃ちしたんだ」
「鳥?!」
プジの尻尾が、たちまちぼわぼわ爆発状態に変わる。
目はまん丸、鼻がひくひく。リュックから漂う匂いを嗅いでびっくりしてる。
「たくさんとれたから、テルにもやるよ」
開けられたリュックを覗きこんだ俺。とたんに石のようにカチンコチン。
「黒夜鳥って意外に獰猛だな。白い子ヤギっぽいのをわしづかみにしてた奴がいてな。そいつは残念ながらすばやすぎて、逃してしまった。だいぶ狙って追いかけたんだが、あんなに速いやつは見た事がない」
そ、そ、それは……!
「夕暮れじゃなければきっと……。いや、負け惜しみだな。俺はまだまだ、未熟ってことだ」
ハル兄は肩をすくめて、冷や汗だらだらの俺の腕に、黒夜鳥を押し込んできた。
にっこり優しげに微笑みながら。
「蒸し焼きにして食うと、うまいぞ」
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