雪の溶けた体

白い絨毯が敷かれたような雪道を走る古びた車の中グリュンは右隣に座るスカーレットに声をかける。


「さっきは怖がらせてしまって、ごめん」


「いいえ、あなたは優しい兵隊さんよ」


「そんな…」


真っ直ぐに恥じらいながら絨毯のような雪原を見ているグリュン。その横顔を座席を横向きに座り頬杖をついて微笑んで見つめるスカーレット。きっと今右を向いて彼女と目を合わせたら押し寄せる恥じらいでこの錆びついたハンドルを引っこ抜いて壊してしまう。


「兵隊さんの名前は?」


「僕は…グリュン・フィヨルド、フィでいいよ」


「素敵な名前ね、フィ」


右耳が動揺する。


「そんな、ありきたりだよ」


「あなた、女の子の裸を見たくせに恥ずかしがり屋なのね」


「見に行ったんじゃない!あれは-」


スカーレットの微笑に心臓が畝る。


「改めて、私はスカーレット・スウィートハート。皆んなはスウィって呼ぶわ」


ガラス細工の美しい音色に飛び出しそうな心臓を飲み込みながら言葉を紡ぐ。


「スウィートハート、良い名前だね」


ぎこちなくなる。


「そうかしら、それこそありきたりよ。ねえ、フィっていくつなの?」


「ぼぼぼ、僕は17になったばかりだよ」


「へぇ、私より年下なのね。でも大人びて見えるわ」


「そ、そうかな」


艶めかしい身体を布で覆ったガラス細工の声はグリュンの乳白色の頬を赤く照らした。


「君は…ヴェスタ帝国の人間なんだよね」


天気が曇り始める。


「ええ、そうよ…」


車が軋む。


「じゃあ何故、青大陸の言葉をそんなに喋れるの?勉強したのかい?」


ちらとスカーレットを見る、こちらをまだ見つめている。シンフォニーブルーの髪がかかって頬杖をついた右手小指の先が潤んだ薄い唇に触れている。赤くなる前にスカーレットの悲しい表情に気づく。


「…私、元々はディジェム王国に住んでいたの。パパはヴェスタ帝国で描いた絵を売りに芸術の国ディジェムに来ていて、ママとはそこで出会って私が産まれたの」


小さなひびの入ったフロントガラスに粉雪が降ってきた。


「でも君は…スウィはここに」


「私が17の頃に父のヴェスタ帝国にある生家に旅行することになったの…そしたら」


雪が強くなる。


「…ヴェスタ帝国とシスル公国の戦争」


「そうよ、帰りたくても、帰れなかったのよ…パパもママも、シナバーもローズも…」


外はもう吹雪になっていた。


スカーレット・スウィートハートは声の無い涙を流した。グリュンはその空気で彼女の涙を理解した。そして-


「スウィ、ちょっとしたゲームをしよう」


「…え?…何をするのフィ」


「僕の父さんとよくやったゲームだ『動物解明ゲーム』簡単だよ、3つまでの質問でそれが何の動物か当てるんだ。4つ使ったら負けだよ」


「…難しそう。いいわ、やりましょう」


スカーレットの声が明るくなる。


「じゃあ、まずは何かの動物を思い浮かべて」


「…できたわ。いいわよ!」


「本当?じゃあ質問1、身体の色は?」


「ん〜、灰色かしら」


「質問2、それは大きい?」


「とっても大きいわ!それはもうとっても!」


「わかった!象だね!」


「なんでわかったのー!?早いわ!」


「灰色でうんと大きいなんて象くらいだろ」


グリュンは勝者の微笑みを浮かべた。スカーレットは負けじと次のグリュンの番ではすぐにカエルと答えたが間違ってしまった。


「難しいわ!でもなんだか楽しい!」


「そうだろ!じゃあ次はね…えーっと-」


仲良く会話を始めた2人の乗る古びた車の中に見えない暖かな光が満ちていく。


「-2勝4敗ね、じゃあ次は私の番よ!」


いつの間にかグリュンはこんなことを想像していた。


-もし戦争が起こらなくて、スウィートハートと別のどこかで出会って。そして一緒に僕の家の水色のトラックに乗ってシスル公国の街をこんな風にドライブできたら-


「フィ?どうしたの?」


「あ、ごめん。いいよ、質問1 身体の色は?」


「うーんと…」


スカーレットはグリュンの横顔に長いシンフォニーブルーの蒼髪と小さな鼻息がかかるほど近づいて薄紫の瞳で見つめてから小さく呟いた。


「白、ね」


そのときの深い声に反応してアクセルペダルを強く踏んでしまったグリュン。車は加速してスカーレットは元の位置まで下がった。


「脅かさないでくれよ、もう」


「何よ、仕方ないじゃない」


「質問2ね…牙はある?肉食?」


「確かめていいかしら?」


窓の外を眺めるスカーレットをちらと見てグリュンはその答えがわかった。-白い狐だ!-


「いいよ、でも僕の勝ちだね。ここいらにいるんだろ」


-ええ、そばにいるわ-


そう言ってグリュンはブレーキを踏み、森林の近くで車をゆっくりと止める。スカーレットに向き直るとスカーレットはこちらを笑顔で見つめていた。素敵な天使のような笑顔とやっと目を合わせられた。外の雪はいつの間にか止んで暖かな夕陽が差してあたりの白い世界がオレンジ色に染まる。


「見てきてもいいよ、答えは白い狐だろ!」


スカーレットはそれを聴くと少し怒った素ぶりで答えた。


「違うわよ、フィて案外鈍感なのね」


あっけに取られたグリュン。


「じゃあ確かめるって何を?」


「もういいわ!次の質問にして!」


頬を膨らませるスカーレット、こんな可愛いらしい顔もするのかとグリュンは内心嬉しさで一杯だった。


じゃあ飼い猫かなにかかな…


グリュンはフロントガラスにはりついて溶け始めている雪の塊を眺めて考えている。


「質問3!スカーレット・スウィートハートはその動物のことが好き!?」


「えっ!?いきなりそんな、ええと…」


何処にそんなにびっくりする要素があるのか、スカーレットは少し変な年上の娘だとグリュンは思った。


雪の塊が消えていく。


「好き…なのかも」


曖昧で急に小さくなったスカーレットの返事を聞いてから答えを探っていたグリュンの視界に蒼い髪がなびいてきた。そしてぐいっと車が傾く音が聞こえた。次に降りかかったのは肩に当たる柔らかい感触と首元に乗った2本の白く細い腕だった。


「え?スウィ、どうし-」


横を向けばスカーレットの深い薄紫の瞳と、その下には夕陽に柔らかく照らされて熟れた果実のような乳房がある。そしてシンフォニーブルーの髪を流したしなやかな曲線を描いていく背中の先に、美しく丸い尻がはだけた厚い毛布から抜け出てしまっている。グリュンは腰のあたりに何か熱いものを感じてしまう。


熱い-


喉が渇く-


蒼髪を濡らしたスカーレットはその深い薄紫の瞳を閉じてグリュンの切り傷のついた額に熱く火照った桃色の額を当てた。薄い唇がつやつやとしている。


「最後の質問をして…」


熱い-心臓が破裂してしまいそうだ-


「その動物の…瞳の色…は?」


-綺麗な緑よ、フィの負けね-


熱い吐息のように囁いたスカーレットは初めて出会った時の姿のままゆっくりとグリュンの両膝に座り、そのまま美しい天使の顔をグリュンに近づけていく。


熱い-


グリュンは一瞬スカーレットを拒んだが、強い力に平伏すかのように裸のスカーレットを受け入れた。瞳を閉じて艶めかしく上から触れたスカーレットの熱い唇がグリュンの唇にゆっくりと触れて飲み込んでいく。まるで捕食されているようなその光景は『天使降臨』の物語の終幕であった。グリュンは目を瞑った。口の中へスカーレットの舌が入ってくる。頭の中がぱちぱちとする、星が舞っている。唇を離すと粘着質な糸を引いて夕陽に照らされて虹色に鈍く光っている。再びスカーレットが鼻先を近づけた時には既にグリュンの身体は抑えきれなくなっていた。


ダメだ、こんなこと-


綺麗なピアノの旋律が次第に崩れていくように。


もうそこには怯えていたスカーレットの姿は無く、グリュンの知る女性の姿とは程遠い獣のような裸の女がいた。2人の間にはもはや言葉は無く、スカーレットは静かにグリュンの軍服を解いていく。グリュンの鍛えられた身体が夕闇に浮かぶ。2人はやがて産まれたての姿に変わっていく。


グリュンは目を閉じている。


「いけないよスウィ」

「黙って」


スカーレットは再び拒もうとするグリュンの唇にガラス細工のように細くしなやかな指先をじわり、と触れる。


腰のあたりにスカーレットの重く、濡れて熱いものが落ちてくる。スカーレットの苦しそうな声がする。


熱く生々しい音を聴くと外の吹雪の音は凍りついていることがわかる。


汗ばむスカーレットはその細く琴線の張った細い手でグリュンの手を握り、その果実のように熟れた乳房へと押し当てる。


グリュンの腰で屹立した熱いものがスカーレットの熱いものに飲み込まれてはまた冷たい空気に触れる。強い快感に腰が浮き、手足が痺れてしまう。スカーレットが動く度、グリュンに快感が伝わりグリュンの手のひらからスカーレットに快感が伝わる。


それが、繰り返される-


グリュンの汗とスカーレットの汗が混じり合って空気に溶けていく。身体に熱い風が吹きわたっていく。


続く快感が波を打ってグリュンの身体を熱く火照らせる。溶けてしまいそうだ。


感じたことの無い快感が身体に押し寄せては消えていく。スカーレットのガラス細工の小さな悲鳴が押し寄せては消えていく。


グリュンは薄目を開くと同じように汗ばんでオレンジ色の夕陽を反射させている細く白い身体とシンフォニーブルーの髪を上へ、下へと揺らしているスカーレットが映る。


スカーレットの吐く荒い吐息にグリュンの吐息が重なっていく、次第に重なりあって1つになって。最後には冬の木から落ちた雫のように弾けてしまう。


その日の夕陽はとても長かった。それが始めてのグリュンにとっては長い、とても長い夕陽だった。


夜はまた、吹雪になった。


銃弾の飛び交う戦場に似て視界が悪い。


「帰りたい…一緒にディジェムへ帰りたいわ…フィ」


翼の無い天使スカーレット・スウィートハートは黒のロングワンピースと上から革のジャケットを羽織って軍服姿をしたグリュンの少々筋肉質な右手にすり寄った。暖かさが伝わって頭がぼやける。


「帰らなくていいんだ、逃げよう。一緒に、こんな腐った世界から」


グリュンの頭の中に数々の死体の山と沢山の人々の笑顔が浮かんでは消えていく。


答えなんか無くていい、間違ってていい。ただ間違いという答えだってあるのだから。


夜の帳が幕を下ろし、一台の古びた車は太陽を失った黒い世界の中を駆け抜けていく。世界中を悲しみが覆う。車の燃料も底をつきそうだ-


やがて2人を乗せた車は行き先を失ったかのように静かに停止してしまう。


「ごめんスカーレット、君を助けられないかもしれない…」


グリュンは自分の無力さに涙ぐんでハンドルを強く握りしめて項垂れている。


「ねえフィ、知ってる?」


「…うぅ…」


「ヴェスタ帝国では息を飲むほど美しい吹雪のことをね、雪花せっかというの。ほら、外を見て」


グリュンは明るいスカーレットの声を聞いて外の景色を見る。するとグリュンの身体を薄く覆っていた白い煙が全て吹き飛んだような安らかな気持ちになった。


「…セッカ……綺麗だよ、とっても綺麗だ」


車の外一面は星と月の灯りに照らされた粉雪が夜空に浮かぶ虹のシャワーのように別世界のように幻想的な景色を生み出していた。半分はその景色に、半分はスカーレットの天使のような横顔に言った。とても綺麗だった。


「フィとこれが見れて良かったわ、とても…」


「大丈夫さスカーレット!まだ道はあるかもしれない!そうでしょ!」


隣で長い蒼髪に顔を隠しているスカーレットは悲しみに暮れ掠れた声を続ける。


「神様…お願いします…どうか…」


スカーレットは流れ星のような涙を流して目を瞑り座席に背中をもたれている。


虹の雪は2人の頭上に冷たい幕を下ろす。


舞い降りた天使は雪花の中で停止した車の中で深い眠りについた。少年兵は死んでしまわないかと側に寄り添っている。


車のエンジンが停止した影響で2人のいる車内までゆっくりと凍りついていく。誰にも止められないのは自然の力と過ぎ去る時間だった。



-おやすみなさい、大好きなフィヨルド-


スカーレットの柳の木のような手を握ったグリュンの頬に冷たい、だけど柔らかい唇の感触がする。


この虹の雪花できっと、グリュンとスカーレットは永遠にこの世界に閉じ込められて冷たい雪の中でゆっくりと次第に溶けてゆく雪のように死んでしまうだろう。



全てが終わってしまった。どうすることもできなかった。


グリュンは笑いとも悲しみの涙とも取れないめちゃくちゃの顔で泣いている。


ついにグリュンは深い眠りへと誘われてしまった。



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