午後の彫刻家

白い大理石に杭を打ち込む、強弱をつけて白い大理石に介在する邪魔なものをそぎ落とすように-最初から形は決まっている-大理石に触れた途端イメージが湧いて、後はただ削るだけ-ただ大理石に眠るその形を、浮き上がらせるだけ-


陽の光が青いカーテンの合間から細い光の線を広い部屋に差し込ませている。


彫刻家シャガール・ブラウは物静かに、しかし力を入れて白い大理石に杭とハンマーを使い傷を入れていく。シャガールは他の彫刻家と違ってこの作業では一切躊躇しない。


ハンマーが杭の尻を叩き、杭の先端が白い大理石の表面を削る音が静まりかえる部屋に生命をもたらす。


-生物の進化と同じ-要らないものは消えて-正しいものだけが残る-


傷が入れば全て砕け散りそうな程繊細な女性の形にまで大理石を削り上げたシャガール。


まだ、まだ足りない。まだ違うんだ-


シャガールのその薄い表情にはどんな感情も抱かせない透明な何かがあった。太い血管が手に浮き上がっては小さくなる。


シャガールの彫刻はグリュンの靴磨きのそれとは違い、ある種の存在しないものとの対話がシャガールのそれであった。


ゆっくりと杭の先を女の首筋の上から流線型に沿うように当てる。


ハンマーで軽く叩いた。


ひびが入り。それが全体に広がり、ぼろぼろと砕けていく女性。


シャガールの前にはかつての生き生きとした女性の彫刻の姿は無く、大理石の砕けた残骸だけが白い花びらのように柔らかな風に吹かれて舞っていた。


シャガール・ブラウはある日を境にずっとこの調子でうまく彫刻を作りあげることができなくなっていた。彼は知り合いに酔いの席で「真実が見えなくなった」と語っていた。


最近ではもう小さな頃から触れていたハンマーと杭にも触れなくなり、今まで飲まなかった酒や危険な薬にまで手を出すようになっていた。


「花が見えるか」


「花は見えるよ」


「それはダメだ。違うんだ」


「何が違うっていうんだい」


「見ちゃダメなんだ」


「難しいことを言う」


「簡単なことだ、ただ耳で聞いて。肌で触れればいい」


「シャガール、君はもう医者に診てもらった方がいい」


そう言うと知り合いの男は霧烟る夜の酒場のカウンターを後にした。


「医者か、俺の医者は俺だけさ」


シャガールは飲みかけの紫酒を一気に呷った。


すると知り合いの空けた右隣の席に髪を短めに切った黒いメイド姿の若い女が腰掛けた。


「飲み過ぎは身体に毒です」


「…あんた誰だ」


シャガールは女の横顔を見るがその凛として背筋の伸びた姿勢や東洋系のきりっとした顔立ちと漆黒のメイド制服姿は冷然としていてこの酒場には似合わない容姿だった。


「シャガールさん、あなたに彫刻の依頼をしに来ました。わたくし、シスル公国公爵ドミスト一家に務めております。メイドのバールリンと申します」


カウンターの机と椅子が凍ってしまったのではないかというくらいに冷ややかな口調で前を向いたまま喋るメイド。


「依頼は困る。俺は今作りたくても作れないのさ、他をあたりなバールリンさん」


「主人であるドミスト・デリュ・パーグレイ公爵はそれを知っての依頼である。貴方に拒否する権利など毛頭ない」


さえずる小鳥の息の根を止めてしまいそうな冷たい声と大の男が怯えるほどの鋭い眼光がシャガールの身体を貫いた。


酒場の光は座礁した船のように底の知れぬ常闇の彼方へと沈んでいった。


そしてシャガールはこのシスル城にある作業用の大部屋で毎日のように大理石でできた女性の彫刻をほっている。


全て薬と酒を飲む金に消えてしまった道具達も今は公爵様の力で手元に全てちゃんとある。しかしそこに無いのはシャガールの築き上げて来た研ぎ澄まされた感覚だけだった。


窓や扉の締め切られた部屋をどことなく紫色の毒が漂う。


高い丘の上に林檎の蔕のように蔦や木で生い茂って佇むシスル城を下っていくと豊かに流れて草木で触るように扇いで形作られた丸まった風を起こしているセラドン川がある。そこに1人の少女が川に泳ぐ小さな小魚にパンの耳を軽くちぎった餌を撒いていた。青い瞳の少女は濡れた金髪を右耳の根元で束ねてカーネーションピンクのスカートを履いて首元にフリルのついた大人っぽい白いシャツを着ている。


「お魚さーん、ごはんだよー」


ぴちぴちと跳ねる魚に向かって細い手で餌を巻く太陽の光を浴びた優しげな姿はまるで後光のさす小さな聖母のようだ。


そんな彼女を石造りの橋の角から覗き込む同じ背丈でそれぞれ特徴のあるドレス姿の少女3人組がいる。


「またダフネのやつ1人で何かやっているよ」


と赤いドレスの太った少女。


「ほーんとだ、貧乏ダフネだ」


と黄色いドレスの小さい少女。


「あいつこの前シャモア様のダンス会に招待されたんだってよ」


と緑色のドレスの細い少女。


ダフネと呼ばれた彼女は青空が映えるセラドン川上流を流れる綺麗な水で細い手の先を濡らして遊んでいた。その奥には苔の生えたシスル城壁の周りを守るように広がる森がある。


「ちょいと可愛いからって調子に乗ってるんだね、懲らしめなくちゃ」


と腰に手を当てる太った少女。


「貧乏ダフネのくせに生意気だ」


と腕を組んで立つ細い少女。


「ええそうよ、そーしましょ!こらしめましょ」


と握った拳を天に掲げる小さい少女。


どうやら貴族出身の彼女らはシスル公国公爵ドミスト一家の小さな御曹司であるドミスト・シャモア・パーグレイにシスル城で行われる舞踏会へ招待された特別な貴族でもなんでもない金髪の少女ダフネに少なからず嫉妬の念を抱いているようだ。


小魚と戯れているダフネに寸分違わぬほど歩調を合わせて足早に迫るドレス三姉妹。しかし、三人共互いに血縁はない。


「ダフネ!!!」


3人組の息の合った声にダフネは青い瞳をまんまるくして驚き、姿勢を崩し川面に手を勢いよくばしゃんとついた。川の水が3人組の高級そうなしかし丈がずれているようなドレスに飛び散った。苦笑するダフネと彼女を睨みつける3人組の少女。


「あはは、ごめんなさい」


「あははじゃないわよダフネ!やっぱり庶民って躾がなってないのね!!あなたなんて服を着たウジ虫と同じだわ!」


と太った少女。


「そーよ!ウジ虫!ウジ虫だわ!」


と小さな少女。


「あなたみたいな汚らわしい虫がなんでシャモア様と一緒にダンス会に行けるの?ああ汚らわしい!」


と細い少女。


「そーよ!けがらわしーわ!けがらわしー!」


と小さな少女。


ダフネは少し俯いてからまた顔を上げて大味なドレスの3人組に険しい表情と鋭くなった青い瞳を向けた。


「そんなに言うのなら、貴方達3人はウジ虫にも勝てない便所虫よ!」


「そーよ!べんじょむしよー!べんじょむしー!…便所虫ですって!?」


ダフネの言葉に傷ついたのかドレスを鷲掴みわなわなと涙ぐむ3人組の少女達。


「何が便所虫よ!ウジ虫!ウジ虫!汚らわしいウジ虫!!」


3人組は各々が石、小枝、小石を持って投げつけてくる。こうなっては多勢に無勢でダフネに勝ち目は無く、ただ走って逃げるしかない。しかし、ダフネの逃げ足は速い。カーネーションピンクのスカートを風に騒がせたダフネの綺麗に結わえられた金髪がセラドン川の流れのように揺らめきながら遠ざかっていく。


その光景を遠くのシスル城の小窓から眺めていたシャガールは溜息を1つついてから作業に戻った。


開けた窓からはシスル公国のセラドン川が起こす平穏な風が流れ込んで部屋に漂う紫色の毒を払っていった。


またシスル城の一室からリズムの良いハンマーが杭を叩く音が聞こえてきた。





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