第十九章 上海・一九三一(昭和六)年 十一月十三日 ドクトル・S××××

 アゼルバイジャンのバクー市で生まれ二歳まで育ち、ドイツに帰ってベルリンの学校に入ったが、プロイセン式の押しつけ教育になじめなかった。苛立ち、教師に反抗し、級友と距離をとり、ほとんど誰とも口をきかなかったが、体育をはじめ歴史、文学、哲学の成績は優秀だった。新聞をむさぼり読み、十五歳にしてそこらの大人よりよほど政治に詳しかった私は、国粋主義者だった父の影響を受け、青年行動隊(ユーゲント・ペーヴェグング)のメンバーとなって偉大なるドイツ国民の純粋性を讃える歌を歌った。

 十八歳のとき、ドイツが帝政ロシアに宣戦布告。迷わず入隊手続きをし、第三近衛野砲連隊の学生部隊に配属され、フランドル地方に出征した。冷たく湿った夜、突然蕪畑の向こうから銃弾が音をたてて頭上を流れていった。連合軍による機銃の一斉掃射がはじまり、何千という味方に命中した。飛び散る脳漿、剥き出しになった腸、ちぎれた指が視界にあふれた。倒れた生垣に両脚がはさまり、動けなくなった。近くで誰かが愛国の歌を口ずさんでいた。前線から逃げ出してきたらしいその兵は、私が助けを求めても聞こえないふりをし、味方の死体を踏みつけて通り過ぎた。他部隊らしく顔に見覚えはなかった。若いのに口髭を生やしているのが印象的だった。私が自力で生垣から這い出したとき、弾がその兵の背中めがけて飛来した。とっさに飛びつき、うつ伏せにした。それが、やつとの出会いだった。六歳上で当時二十五歳、バイエルン第十六予備歩兵連隊の伝令兵だった。弾はやり過ごしたが、やつはおびえきって嘔吐した。見られたことに逆上し、礼も言わずに去っていった。

 私はそのあと負傷して国に送還されては、ふたたび戦場に戻ることを自ら繰り返し、三度目に重傷を負った。散弾の破片が脚に刺さり、骨が砕けたのだった。ケーニヒスベルクの野戦病院で手術を受け、切断せずに済んだが、片足が二センチ短くなり、正常な歩行はできなくなった。

 この大戦で私は戦争の無意味さを痛感し、愛国の理想などは信じなくなった。戦局の悪化や経済の破綻から目をそむけるかのようなゲルマン精神の優越神話には激しい嫌悪を感じるようになった。しかしやつは、逆だった。民族の優越性をいつか世界に証明せんと復讐を誓ったのだ。

 イギリスの黄十字ガス射撃で目を痛めたやつがボンメルンの衛戍病院に入院していたとき、社会主義思想に目覚めた私はキール軍港でビラを配り、水兵たちに労働者との連帯を呼びかけていた。水兵たちはイギリスへの出撃を拒否して反乱を起こした。やつは病床で、戦場に行ったことのない臆病者どもが赤のぼろきれをあげたと憤慨したらしいが、労働者は皇帝を退位させ、その二日後ドイツは敗戦を認めた。

のちにナチ党となるDAP(ドイツ労働者党)が創設された一九一八年、私はドイツ共産党に入党した。坑夫となって炭鉱地区をまわり党細胞を組織、二年後には武装蜂起委員会の委員となって右翼の暴力団体と闘った。

 二度目の出会いは一九二一年十一月、ミュンヘンのホーフブロイハウスだった。

NSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党)の党首演説が夜八時から予定されているというので、支持者を奪われまいとするわれわれ赤色戦線は、三十分も前から大人数を送り込み、講堂の半分以上を埋めた。時間になって党首が入ってきた。口髭の生えた顔には見覚えがあった。やつだった。三十代になり髪が薄くなってはいたが、目には力がこもり、以前とは比べものにならないほど自信に満ち、客席の冷ややかな空気にも動じた様子はなく、われわれを睨みかえし、ビールのテーブルを演台にして怒鳴るようにしゃべりだした。その目の前まで左翼労働者たちはテーブルを押し出し、ビールをつづけざま注文した。空になったジョッキがテーブルの下へ大量に置かれた。労働者の一人が演台に向けてジョッキを投げつけた。その瞬間、入口から待っていたかのようにNSDAPの突撃隊員たちが突入し、発砲した。銃弾は容赦なく労働者たちを撃ち殺した。激昂した仲間が突撃隊員に殴りかかろうとしたが、たちまち射殺された。ジョッキでの反撃は追いつかず、われわれは犠牲者とともに叩き出された。やつはというと演台で薄笑いを浮かべ、その場の光景を眺め渡していた。当時のドイツでは暴動や市街戦は日常茶飯事だった。だが私にとってあの日の出来事は、大戦とともに忘れられない記憶となって胸の奥に刻み込まれている。


 ホメオパシー学会は、ドイツ企業シーメンズ社支社長の邸宅で秘密裡に行われる。フランス租界の高級住宅街にある邸宅は別名・白館と呼ばれる通り白一色の外観で、 プロイセンの田舎貴族の城館を思わせた。

 広々とした前庭を通り、なかに入ってまず目についたのは、高々と掲げられた旗だ。赤字に白い円を染め抜き、中央に黒の鉤十字(ハーケンクロイツ)が踊っている。

 招待状の宛名には「ドクトル・S××××」と印字されていた。上海のドイツ人に対して私はフランクフルト・アム・マインの『地政学雑誌』の特派員として派遣された農業問題の専門家ドクトル・S××××で通していた。

 一九二四年にコミンテルンの一員としてロシアに潜入し、五年後、赤軍第四部諜報員に任命され、モスクワで基礎訓練を受けたのち、中国の軍事情勢調査任務を与えられた。上海に到着したのは昨年初めだ。

 ドクトル・S××××としてドイツ軍事顧問団司令官エアハルト・グーテンマイヤーと接触し、中国のファーストレディ・宋美齢夫人の誕生日パーティーに出席。蒋介石をはじめとする国民党の重鎮とも私は面識を得た。ドイツ人将校にいたってはすでに五十人以上と接触済みだ。大戦で戦った将校たちは、私の傷痕を見ると愛国心の証拠とみなし、仲間と認めて心を許した。限られた人間だけが参加できるホメオパシー学会に招待されたのも、そのおかげだった。

 豪壮なホールは一階から四階まで吹き抜けだった。エレベーターがあるので階段は飾りに過ぎない。威容誇示建築はまさしくナチス向きだ。会場は奥の広間だった。

ホールに比べると手狭で長机が幾つも並び、平凡な会議室にも似ていた。ただし明かりは枝付き燭台の光のみで、ハーケンクロイツを背景に髑髏が一つ演台に置かれているのが異様だった。それは装飾を施されていた。目には玉が、頬には紅が、口には舌が歯には銀箔がつけられ、頭皮はワインレッド色に塗り重ねられて盛り上がり、丸みを形づくっていた。

 出席者はほとんどがドイツ人だった。前列に、主人とハウスホーファーがいた。その後ろにシーメンズ社員とは名ばかりのナチ党員ハインツ・ヘーネが陰のようにくっついていた。「ナチスが政権をとった暁にはオカルト省を設立し、その大臣になる」と公言している魔術師ハヌッセンの姿も見受けられた。

 将校たちと小声で挨拶を交わし、後列に席を占めたところで入口からモーニング姿の東洋人が一人、入って来た。小野長盛だ。まっすぐ前列に向かった。ハウスホーファーが当然のように迎え、隣に座らせた。

 時計は九時を差し、壇上に黒い背広を着たドイツ人が現れた。削いだような頬をし、陰気な目の下に濃いくまがある。葬儀屋か殺し屋が似合いそうだが、シーメンズ社支社長兼ナチ党員フランツ・クリーベルだ。髑髏と並び、蝋燭の光を浴びると、いっそう凄味がある。愛想笑いをいっさい浮かべずに低い声で、

「昨年のドイツ総選挙でわが国家社会主義労働者党は議席を十倍近く増やしました。今や社会民主党につぐ第二党になり、勢いはとどまるところを知りません。国民は閣下こそが国を救えると信じています。ただ不安要因もあります。たとえば閣下をねたむ人間もまた増えていることです」

 ホメオパシー学会のはずだが。

「閣下のお言葉によれば、大多数の政治家たちは、馬鹿ゆえに、すぐれた頭脳の者を心から憎みます。大多数の年寄りたちが、醜いがゆえに、若くすぐれた容姿の同性を憎むのもまた事実です。ライプチヒのある学者によれば、閣下の頭頂の丸みはみごとで、あらゆる方向へ調和的な丸みを保ちながら流れ、張り具合も申し分ありません。その上金髪で、薔薇色の青い眼を持っておいでです」

 やつが金髪?

「閣下の髪は最近こそ黒く染まっておいでですが、もともとはちがいました。新ドイツ人の定義――『金髪で背が高く、長頭で、顔は細長く、顎の線ははっきりしていて、鼻は細長く、鼻根は高く、髪はやわらかくて淡く、目はくぼんで淡く、皮膚の色は薔薇色で白い』に完璧にあてはまっておられます。ところが、その閣下に傷をつける試みが一部でなされようとしています。万一襲撃された場合、即座に元の状態に戻せるよう準備しておく必要があります」

 やつの体の欠陥を偽るための詭弁にしか聞こえない。

「完璧な容姿を復元するのにホメオパシーが有効な療法であることは間違いありません。わがシーメンズ社は多くの資金を、ハウスホーファー教授の研究費用にあてています。教授はここ上海で、画期的な試みをされました。それによって、超自然的な効果が望めるようになりました。では教授、お願いします」

 壇上に上がったハウスホーファーは前置きもなく話しはじめた。

「ホメオパシーはおよそ百年前、十九世紀初頭、ドイツ人医師ザームエル・ハーネマンによって創始された同種療法である。病を治すには毒を以て毒を制すというわけだ。似た者は似た者を寄せつける。より弱いものは、より強いものによって永久に消される。ただ毒が効きすぎて悪化しては本末転倒ゆえに希釈振盪したものを与える。希釈振盪、すなわち薄めて振ることを繰り返すと体に副作用を与えることなく治療できる。

 科学的根拠がないと批判する者がある。確かに百倍希釈法を三十回行えば十の六十倍希釈となり、理論上その水には原物質の分子が一つも存在しない状態にはなる。だが希釈振盪した水には目には見えないものが残されている。原物質の固有振動パターンだ。水は零度から六十度までは完全な液体ではなく、液晶状態にあってパターンを吸収する性質を持っている。一度水分子に刻まれたパターンは固定化されて維持される。私たちの認識を越えたところにホメオパシーの原理はある。光もそうだが、量子レベルではすべてが波である。

 希釈振盪の程度をポーテンシーと呼ぶ。ポーテンシーを高めれば高めるほど周波数が増大し、われわれの認識を越えた生命原理に働きかけることが可能となる。生命原理は肉体をつらぬく精神のような力だ。これに働きかけ、助けることができるのが、われわれの薬(レメディー)だ。

 レメディーには物質から解放され自由になった特殊な治癒の効力がある。レメディーによってのみ最も確実に、最も徹底して、最も速やかに、最も持続的に病は除去される。病の除去だけではない。細胞の再生も可能である。

 決して突飛な話ではない。磁気を例に挙げよう。動物磁気を帯びた人物が、その手をかざすことで仮死状態にあった人たちを蘇生させたという事例は古来絶えない。また神経病の患者は体に電磁気を流されると快活になる。なぜか。

 磁力の強い棒磁石の極が、自然のままの鋼の棒に磁力を帯びさせるように、電磁気および治療師の持つエネルギーが、患者の体にダイナミックに流れ込んだためである。流れ込んだエネルギーは患者の体の部位において不足している生命原理を補うのである。

 ポーテンシーの高いレメディーはダイナミックなエネルギーを持つ。叩くことを繰り返すことで原物質の波動を水のなかに記憶させるからである。一度記憶された情報は自己保存を行うとともに、ある条件で自己増殖を行う性質がある。無生物でも、機械的に激しく動かすことで自分と同じ物を複製し、自己増殖できるのだ。水に吸収されたパターンも振ることで、そのパターンが増殖する。

 そこでわれわれは原物質に血液を用いた実験を進めた。血液は人間の体に欠かせない成分であり、多くの情報がつめこまれている。ある人物のある部位を蘇らせたいと思えば、その部位の血液を希釈振盪したレメディーを与えるのが最も有効と考えられる。この研究は必ず閣下のお役に立つであろう」

 牽強付会の説のようだが、ハウスホーファーは本気で言っているのかもしれない。いずれにしろ実験はまだ成功はしていないらしい。しかし百年前、同じ理論を用いた実験を、日本で一人の女医者が成功させ、仕上げた秘薬を中国に送ったという話が、ドイツに伝わった。だからナチスは自分たちが実験に失敗したときのために、百年前の秘薬を手に入れようとしているのではないか。

「今回新たに発表するのは、死者の蘇生に関する研究である」

 場内にざわめきが起こった。

「われわれはホメオパシーと東洋の神秘思想を融合させた試みを行った。すなわちレメディーと、日本の真言密教のある流派の儀式の合体である。これによって死者の蘇生が可能になる。儀式に関する説明は日本人の彼が行う。では小野君」

 小野長盛はハウスホーファーの横に立ち、流暢なドイツ語で言った。

「真言密教の立川流には、死者の髑髏をよりすぐって本尊に仕立てる本尊大頭作成法があります。それによると髑髏を、この壇上にあるもののように飾りつけたのち、仏道の修行者が婦人と交わり、赤白二諦(しゃくびゃくにたい)すなわち男女の性液を採取しては八年に渡って髑髏本体に塗りつづけると、霊魂が蘇るだけでなく、失われた肉体を再生させる能力がそなわるといいます」

 多くのドイツ人が首をかしげ、眉をひそめたが、小野はひるまずつづけた。

「密教では二つの対立概念を融合させますが、立川流では男女二根交会を教義の根本にしています。赤白二諦すなわち赤である女と、白である男との二諦つまり性液の冥合が新しいものを生むという発想です。それゆえ髑髏に性液を塗るのです。塗り重ねることで、新たな生命を吹き込めると考えるからです」

「荒唐無稽と感じる向きもいるだろう。しかし諸君、信じる価値はある」

ハウスホーファーが言った。

「立川流はインドの仏教の流れを汲んでいる。仏教の卍とハーケンクロイツが起源を同じくするように、インドはアーリア民族の古い揺籃の地である。その地に根を置く思想は偉大だ。しかし偉大なる思想は理解されにくい。閣下はその著書に書いておられる――未来のための人間の仕事が大きければ大きいほど、現代はその仕事を理解することが困難であると」

 会場に厳粛な空気が広がった。

「偉大なる思想は、躊躇せず取り入れねばならない。髑髏は、プロイセン軍隊の名誉あるシンボルでもある。その点からいっても立川流はわれわれと深い縁がある。したがってホメオパシーとの結合は必然である。

性液というと不埒なようだが、交合によって得られる和合水は、第二の血液とみなさねばならない。赤白二諦の赤と白はわが党の血と肉そのものである。党旗を見ればわかる通り、われわれの核であるハーケンクロイツは白い円の中に、白い円は赤の中にある。赤と白はわれわれの母体なのである。ゆえに赤白二諦にレメディーを加えれば、効果は倍増どころか万増するであろう。無論レメディーに用いる血液は高貴な血でなければならない。すぐれた血とすぐれた血の配合は、閣下がつね日頃推奨しておられることである。われわれすぐれた民族は古来、数多くの発明を生み出してきた。今日評価されている技術や学問はすべてこの一つの民族の創造的産物にすぎない。われわれの試みは、必ずや成功する。人間が自然を支配するように、八年後には偉大なる力がわれわれのものになるであろう」

 拍手がわき起こった。

 学会終了後の交流会で、私はホメオパシーを口先で褒めて回りつつ、ハウスホーファーと小野に近づく機会をうかがった。二人は急に連れ立って外へ向かったので、私は足をひきずりながら、あとを追った。

 照明のあたらない庭の一角に黒い二つの影が止まった。

「今日は川島君も来ると思ったがな」

ハウスホーファーの声だ。不機嫌な口調だった。

「天津に行っておりますので」

「天津。日本軍の指示か。ついに満州国建国に向けて動き出したか」

「どうでしょう、川島は昨日上海を発ったとしか・・・・・・」

「三日前、清朝のラストエンペラー溥儀が、天津から消えたとか。お妃は残っていたらしいが、今朝から姿が見えないそうだ。満州国にお飾りの王と王妃をすえるのに川島君が使われたのでは?」

「私は蚊帳の外に置かれていまして・・・・・・」

「天津は寒い。長居すれば体調を損ねるだろう。日本軍も同じだ。あまり無理してことを急げば、国際社会での地位を損ねる。だがしかし、急がねばならん問題もある。優先順位を間違えてはいかん。私の言いたいことがわかるかね」

「百年前の薬のことでしょうか」

「あれは閣下の体にはもとより、儀式にも必要だ」

「目途はたちました」

「本当か」

「はい」

「連中の狙いは依然として不明だ。なぜ君に秘薬の存在を示し、導こうとするのか。くれぐれも慎重を期してくれたまえ」

「万全を期し、必ず手に入れます」

「頼んだぞ」ハウスホーファーは機嫌を直した様子で、

「私は日本人を評価している。ドイツ人には欠けているものがある。自分たちの安全を脅かす存在をテレパシーのように敏感に感知する能力だ。それが自国の生活圏を守る上でも役立っている」

急に日本を持ち上げだした。

「満州への進出は賢明な戦略であろう。日本は満州と経済ブロックを組んで力をたくわえ、アジアの指導者となって、その発展をはかるとよい」

 小野長盛が秘薬によってドイツを味方につけ、日中戦争を起こそうとしていることを私は確信した。

 もちろんヒトラーが、あれであることも――。

 やつを打ち負かすプランが、脳内で整いつつあった。

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